四話:蹴落とす一撃
「そんなところに居ったか。存外、逃げ足は速いのだな」
クックックと笑いながら、一歩一歩にじり寄るガーベラ。無論足音がするばかりで、こちらから姿を見ることは出来ない。
煙と霧がたちこめ、一寸先は闇。そんな視界ゼロの状況で、逃げた俺らを追い詰めた。どうやらこいつ……予想以上に強い。
たしかさっき『夜目が利く』とか言っていた。確かに俺らのことが、本当に見えているのではないかと思えるほど無駄のない追跡だ。
「ええ。 足と口の回転数くらいしか取り柄がないものでしてね」
「相変わらず、よく切り返す口よな。触れないように捕らえねば」
足音が、近づいてくる。
ゼラはガーベラの方を真っ直ぐ指さし、叫んだ。
「それはそうとアンタ。どうやってここまで辿ってきたのよ!」
「何、見たままに追いかけただけに過ぎぬ。それ以上のことはござらぬ」
ガーベラはそう言ってのけた。あまりにも、あっさりと。
「……得意げなその顔を拝めなくて残念ね」
「全くですよ。その顔、見せに来てくれませんかね? 不敵なスマイル一つ、今ならゼラの左フックもセットで差し上げますよ?」
「斯様なアンハッピーセットは要らぬ。仮に無料だとしても要らぬ」
まだ近寄ってくる。一歩一歩、柔らかい草の上を踏みしめる音がする。そして、その歩みに迷いはない。真っ直ぐこちらに向かってきているのだ。
この闇と煙の中を? 暗いのだけならともかく、どうやって煙の先の人間に気づいて歩けるんだ?
……確かめるか。
私は手網から手を離した。
[ザッ……]
地面の茂みが、クッションのように音を包んだ。
「ほう……そそのかさずとも下馬するとは、良い心掛けだ。 やはり闘志のある敵の方が、斬り甲斐があるというもの」
「さあ、ゼラ。 降りてください」
ゼラの背中をつつき、ビオサから降りるように促す。
「……アンタ正気なのね? 何となくやりたいことは分かったけど。狂ってるわよ? 勝てると思ってるのね?」
疑いの目を向けるゼラ。ほんの少し離れただけで煙に包まれ、その姿はおぼろげになった。俺の耳元で、不安そうなその声だけがこだまする。
たしか表情は声にも現れると、聞いたことがある。俺は不敵な笑顔を作る。
「まあ、見ててくださいよ。 きっと上手くいく」
そう言ったところで、ガーベラの足音は止まった。射程距離に入った合図と見ていいだろう。
ガーベラはゆっくりと口を開いた。
「捕まる覚悟は出来たのだな?」
「んなわけないわ!!アタシたちを……舐めるなっての! 」
「ええ。私もゼラと同じく」
俺たちは口々にそう答えた。そして俺はゆっくりと左手を開き、ゼラに後退の合図を告げた。
それと同時にガーベラに話しかける。
「それにしても貴方、見たことが無い剣を使っていましたね? 冥土の土産に教えてくれませんか?」
俺とガーベラは少しづつ、その場から下がっていく。
「冥土の土産……か。ならばよかろう。 この剣はそれがしの国に伝わる『カタナ』という細身の曲刀だ。鋼を幾度にも渡って鍛え上げ、磨き上げた片刃の剣だ」
「なるほど。それを成し得る程の技術者が、魔王国には居るのですね?」
「左様。あやつらは皆、勤勉で素晴らしい」
「もう一つ質問です。その剣技は……」
「──そこまでだ」
怒ったような口調でガーベラは言う。
「逃げようとしただろう? それがしには分かるぞ。戦わぬのならば大人しく捕まるが良い」
「クソっ! これも上手くいかないなんて!」
ゼラはそう言って、地団駄を踏んでいる。
そして、今のでハッキリした。ガーベラはこちらが見えている訳では無いのだと。ならば、チャンスは一度……ここで決める!!
俺はガーベラに語りかけた。
「ガーベラ、それにしてもいい腕ですね。リンとならいい勝負をしていたはずです」
そう言って俺は、手に持ったものを足元に放り投げた。
[ガシャーン!!]
わざと音が鳴るように。乱暴な金属音が静かな森にこだました。
「貴様……何のつもりだ?」
「何って、足元に剣を捨てただけですよ?」
「はぁ!? ローレル、あんたマジでなにやってんの!? リンさんとですらいい勝負って……まさかあんた……!」
大慌てのゼラ。確かにここまでは打ち合わせしていないからな。俺はわざとらしく返す。
「安心してくださいゼラ。私はガーベラよりずっと強い。こいつの返り血で汚れる剣の方が可愛そうでしたから捨てたに過ぎません」
「で、でも……!」
「素手で……いいえ。腕の一本すら使わなくていいですね。 私はもう貴方に、勝つべくして勝ちましたよ」
そこまで言うと、
[ズシン……!!]
地面を踏みしめる音が聞こえた。すぐ近く。ガーベラは語気を強める。
「どういうつもりだローレル!!私が弱いと言うか!?先程の剣戟ですらあのザマのお前がか!? 調子に乗るなよ舌先三寸が!!」
「調子に乗るも何も、私は事実を述べただけです。踵を返して魔王国にお戻りください。今の貴方に、私は切れない 」
「うるさいっ!! その口の端……耳まで引き裂いてやるわ!!」
激昂するガーベラを、わざとらしくなだめすかす。
「無益なことはやめましょう? 絶っっっ対にあなたに勝ち目は無い。万に一つもない。まあ……せいぜいよ〜〜〜く近づいてから殺しに来るんですね」
俺がそう言い終えると、うっすらと霧の向こう側に人影が見えた。一歩一歩踏みしめるように歩き、手には刀を持っている。
あと……五歩、四歩、三歩……。
「死ねぇぇぇ!! ……っ!?」
霧を突破って出てくるガーベラ。見え見えの上段突き。顔の横に刀を真っ直ぐに構えている。怒りの混じった表情は、俺の姿を見るなり目を丸くして引きつった。
「なんで……!?」
ガーベラが目にしたのは、ビオサの上でうつ伏せになって軽口を叩く男の図だ。
「私は一言も馬から降りただなんて言ってないでしょう? さあ、頼みましたよビオサ!!」
「ヒヒーン!!!」
ビオサの両足はいとも容易く、ガーベラの顎にアッパーをぶち当てた。