一話:勇者になった日
「お前を勇者に任命する」
王の一言に私は耳を疑った。 片膝をついたまま、玉座に顔を向ける。
「ほ、本当でございますか……?」
玉座に座る国王は、柔らかな表情のままその言葉に頷いた。さあっと血の気が引くのがわかった。
私は国王陛下の御前、城の謁見の間にいる。
門から続くカーペットの上で跪いて、下知を賜っていた。普段ならば喜びに震えるところだ。しかし、今私は恐怖で身を震わせている。理解のできないことに直面すると、人は恐怖するらしい。私もきっとそうなのだろう。
もしも先程の命令が本当なら。どんな意図でなんのためにそう仰ったか、見当もつかないからだ。
困惑する私に、陛下はにっこりと笑われた。そして子供に語りかけるように優しく仰った。
「この国王たる我の決定に……何か思うことでもあるのか?」
その一言に、思わず萎縮する。
「め、滅相もございません!」
ただただ、平伏した。小さい頃から『神に近しい人』と、そう教えられてきたお方に、これ以上口答えなどできるはずもなかった。
また優しい口調で、王は語られる。
「さて、リンよ。改めて命令を下そう。今度は然と聞くのだぞ?」
「は、はっ!」
国王は私の肩にブレードをかざされた。儀礼の決まり事とはいえ、どこかそれは斬首めいていた。
「騎士団長リン。
そなたを最も勇ましき者と讃え、魔王討伐任務を命ずる。聖剣を引き抜き、必ずや打ち倒すのだ」
「はっ!ありがたき幸せです!ご期待に添えるよう、尽力いたします……!」
そう返事するしか無かった。私にはどうすることもできなかった。私の首に、王は金色のペンダントをかけられた。輝くそれは伝説の『勇者の証』らしい。私にはくず鉄の塊にしか見えなかった。
「うむ。 それではリンよ、お前が魔王の首を手に凱旋するその日を。我は楽しみに待っておるぞ」
そう言われ、袋いっぱいの金貨を手渡された。 今すぐこれをつき返せたらどんなに幸せだろうかと、少しだけ夢想した。
こうして私こと騎士団長のリンは、たった今定職を失った。身に余る大役を任されてだ。
勇者というのは肩書のみで、輝かしいものではない。しかし大役ではあるのだ。私には到底果たせそうにないほどの。
勇者とは魔王を討伐する暗殺者だ。
魔王は不死身。聖剣を突き立てなければ何度でも甦る。そして聖剣は、遥か遠くの魔王国領内にある。これまで200年もの間勇者が聖剣を抜きに冒険に出たが、帰ってきた者はいない。 多くの者は途中で息絶え、辿り着けても聖剣を引き抜けずに死んでしまうのだ。
さらに魔王が正確にどこにいるのかなど誰も知らない。私は仕事を辞めさせられ、たった一人で
できると言うのか、私に? 無理だ。無理に決まっている。
元老たちにも拍手で送られた私は、失意のうちに城を出た。完全にダメだ。私が勇者にふさわしいと皆信じて疑っていないみたいだ。とぼとぼ歩いて門をくぐり、顔を上げた。
「うわっ……!?」
城の外には人が大勢いた。思わず声が出るほどに。
今の今まで何をしていたか分からないが、給仕も騎士団の団員も更には城下町の神父まで詰めかけて、城と街を結ぶ吊り橋の前を埋めつくしていた。
「リンさん……勇者になられたって本当っすか!?」
「聖剣探しに行くって……?」
「…………!? 大丈夫かよ!?もう……!」
ところどころ聞き取れなかったが、私のことを案じてくれているようだ。
なんと優しいのだろうか。
「大丈夫! 後のことは君らに任せているからね。安心して行けるよ」
そう言うと、急に詰め寄られる。みんな私の腕やら襟やら色んなところを好き放題に掴んで、よって集る。
「……! リンさん!あなたって人は!」
「ローレルはきっとあなたを……!」
「あんなやつ……!」
私の体のあちこちを引っ張って、押して、叫び、しっちゃかめっちゃかにしてくる。これは……当分動けそうもないかも。私は人の波に揉まれ、叱咤激励を受け続けた。
さすがに耳も体も痛くなってきた頃、
[──グイッ!]
「……!?」
私の体は突如、真下に引かれた。私が居なくなったことで押し合いの均衡が崩れ、私の近くに居た人たちは互いにぶつかり合った。そして私が急に居なくなり、パニックになっている。
私はその様を、人混みから少し離れた路地裏から見ていた。私は手を引かれるがまま、そこまで連れ込まれたのだ。
「人気者の宿命だな、リン」
甲冑にマントを着込んだ、小柄な男がそこに居た。恐らく私が困っていたのを見て駆けつけてくれたのだ!
「ありがとうローレル!! 」
私がそう言ってハグしに行くと、ローレルに押しのけられた。
「ああいいんだ。気持ちだけ受け取るよ。……お前がハグとベアハッグの違いを理解するまではな」
「何か言った?」
「いいや!なんにも」
少々冷たい友人に改めて感謝を伝える。
「君が助けてくれなかったら、今日はあそこで過ごすことになってただろう!」
「お前はいつも本気で言ってそうで怖いんだよな」
ローレルはそう言ってはにかんだ。この男はローレル。騎士団長の私と同じくらい剣に長け、私より口が達者なのだ。今は外交官。そして王と軍の情報の橋渡しをしている。
私にとっては憧れだし、何度も救われた恩人でもある。そんな彼とも……今日でお別れなのかもしれない。
「はぁ……」
思わずため息が出た。彼と離れて私は上手くやって行けるだろうか?きっと無理だろう……。少し耽っていると、ローレルに肩を掴まれた。
「なあ、リン。お前の勇者就任に祝杯をあげたいんだが、受けてくれるよな?」
ローレルは肩を掴んだまま、私の顔を覗き込んできた。相変わらず清々しい笑顔で。
「ああ、もちろん!」
漠然と抱いていた旅への不安もどこかに消え去り、私は酒場へと赴いた。