僕と彼が歩んだ道〜15の教室〜
― この物語は『同級生を殺したい』の前の話である。 ―
「僕」が解らなかった問題を「彼」が教えてくれた事から「僕」と「彼」の関係が始まる。他人が嫌いな「僕」と品行方正な「彼」。二人はどのような人生を歩んだのか。NEKO著『同級生を殺したい〜17の夏〜』以前を描く。
僕は他人が大嫌いだ。
その気持ちは家族である両親に対しても変わることのない感情である。
当たり前のことだが、同級生なんかも大嫌いだ。
「同・級・生」という言葉の響きからして嫌いだ。
園児だった頃には流石にそんな感情は持ち合わせていなかった。
だが、小学生になってからだんだん思いは強くなっていき、遂に耐え難くなった。
それが高校二年生。
だが、一時だけその考えが変わっていた時期があった気がする。
あれは、高校に入学してすぐの頃だっただろうか。
一人の他人、彼との出会いがきっかけだった。
これは全ての学生が思う事だと思う。
大人。例えば先生は「解らないなら質問して下さい」と言うだろう。
確かに、解らないことを分からないまま放置するのは避けるべきだ。
分かっている振りは危険である。
だが、しかし。何が解らないから何を質問したら良いか分からない。
人にモノを教えられるくらい賢い先生を始めとした頭が良い人は忘れているのだ。
質問というものは一定の理解の上に存在している。
未知の概念について質問しろと言われたところで質問なんて出来るはずが無い。
そこで、根本から分からないと質問に行くと、得られるものは教師のため息。
疑問の解決には至らない事が多い。
親は抜群の頭なのに、学校の授業すらまともに理解出来ない馬鹿な僕が教師のため息をたっぷりと浴びて、一人寂しく教室に戻ったある日の事。
放課後の教室には一人の生徒がいた。
彼は特待生入学で成績抜群。得意科目は国、数、英。学生が嫌いな三大科目と言っても過言ではない。
彼とは友達どころか一言も会話を交わした事がない関係だ。当然、挨拶なんてしない。ただ、不幸な事に席が近い。
彼以外に誰もいない教室。他人嫌いな僕は彼から少し離れた席に座った。先程先生に質問してきた数学の問題を目の前に広げ、頭を抱えて考えた。
しかし、質問以前に幾度となく考えた問題だ。取っ掛かりすら得られない。解るはずがない。
「何か解らなければ教えようか」
突然声をかけられて、僕は動揺した。
初めて彼の声を聞いた気がする。穏やかな口調で人を落ち着かせるような声。
だが、僕を見つめるその目は冷たく感じた。決して見下すようなものではない。
その目はこの世を見ていないのではないかと思ってしまった。
初めてマジマジと見た彼の顔は眼鏡をかけていて、パーツのバランスは良く、同性の僕から見ても整った顔立ちだと感じる。
レンズの向こうから向けられる瞳にどうやって答えたら良いか分からぬまま、僕は考えている問題を指差していた。
「これかぁ……。今から解くから、少し待ってね」
動揺して流れに身を任せてしまったが、彼は一体何のつもりなのだ。
何を考えて僕に声をかけて、何を思って問題を解いて教えようとしているのだろうか。
「よし、出来た。説明するよ。これはね……」
彼の説明は分かりやすかった。簡単にした時の例などを挙げながら、僕が理解していなかった根本の部分から教えてくれた。
授業料をもらって教えている教師よりも優しく丁寧に教えてくれるなんて。
「ありがとう」
感謝の言葉が自然と口から出た。
「どういたしまして。じゃあ。」
彼は僕に別れを告げると、自分の荷物を手に教室を出た。
何を考えて僕に声をかけて、何を思って問題を解いて教えてくれたのだろう。
まさか、何の打算もなく、ただの親切からか。
いや。今日は何も要求される事はなかったが、明日以降何も要求されないとは限らない。
あの問題を教えてやったのだから何かしろ。何かよこせ。
何の利益もなく行われる親切を僕は信用出来なかった。
だが、あれは親切だったのだろうか。
確かに、優しく丁寧な説明、口調だったが、彼の目は終始この世を見ていなかった。
ここにいるのに、まるでここにいないような感じがした。
そんな彼との付き合いが始まった日。敢えてこの日を「馴れ初め」と僕は言う。
翌日。僕が雑踏の教室に入ると彼は既に登校していた。背筋を正して読書しているその姿は美しかった。
「おはよう」
恐らく、教室の誰にも聞こえないほどの声で彼に挨拶をして僕は席に着く。
そして昨日苦戦していた問題の類題を目の前にして、再び解けないという壁にぶち当たった。
馬鹿な僕は情けない事に昨日あれだけ丁寧に説明してくれた彼の説明を半分以上理解出来ていなかったのだ。
それ故に数字が変わっただけの類題を解けない。なんて情けない。
「大丈夫かい」
爽やかな声に顔をあげると彼が机の前に立っていた。
「おはよう。困ってるかい」
見下したような言い方ではない。
これは単純に困っている人を助けようとする言い方だと直感的に思った。
だが、昨日教えてもらった類題だ。もう一度同じような事を聞くなんて申し訳ない。
「大丈夫」
僕の言葉と気持ちを裏腹に、彼は僕の手元の問題を暗算し始めていた。
「惜しい。ここミスしているからだね。分からなかったら聞きにきて良いんだからね。じゃ、頑張って」
それだけ言い残して、彼は席に戻って再び読書を始めた。
僕は今まで他人にこれほどまで好意を向けられた事などなかった。
馬鹿だから親にもクラスメイトにも見下され続け、距離を置かれると共に、僕の方からも距離を置いていた。
僕は彼に対してなんて失礼な事をしているのだ。
純粋な親切に対しての返答があれらなのか。
人間関係が評価されればFと評価されるであろう僕でも、これまでの態度に問題があるのは分かる。
放課後。僕は初めて自分から彼の元へ行き、そして謝罪した。
彼は何に対する謝罪なのか分からない様子でキョトンとしていた。その顔がまた可愛らしいと感じた。
「僕の方こそいきなり話しかけたりして申し訳なかったね。これからもよろしく」
彼はそう言って帰っていった。
それからしばらく、彼と会話することはなかった。成績優秀で品行方正な彼はクラスでも支持者が多い。本来ならば僕のような存在が話しかけられるような人ではない。
彼の方から話しかけてくれなければ会話なんてとてもじゃないが出来ない。恐れ多くて。
久しぶりの会話は二人ぼっちになった時だった。
ある日。彼はホームルームの中で表彰された。何かの賞で最優秀賞を獲得したらしい。
担任の教師は彼を褒めて、誉めて、褒め称えた。当の彼は嬉しそうな顔をしていると思いきや、真顔のまま顔色ひとつ変えぬまま教師の賛辞を直立して聞いていた。
目はあの目。彼が褒められているのに、彼が主役なのに、この世を見ていないかのようなあの目を見てしまうと彼はここにいないような気がしてしまう。
確実に言える事は、この表彰を彼は喜んでいない。
そして、この表彰は彼に全く良き事をもたらさなかった。
不幸な者たちに目をつけられた。
終業のホームルームが終わり、担任教師が出ていき、生徒もちらほら退出する中で事件が起こった。
「おい、調子乗ってんじゃねえぞ」
彼が教室の端でクラスメイト三人に囲まれていた。
首謀者はこのクラスで二番目に頭が良いと称されるが、その品性は彼と真逆とされる奴だった。成績も性格も優秀な彼を普段から妬ましく思っていたのだろう。
その負の感情が今日の表彰で容量を超えたのだろう。
取り巻きと憂さ晴らしという訳だ。
彼は動じている様子はない。能面のような笑顔。
「癪に障るような事をしたかな。それなら申し訳ない」
「はぁ?ふざけてんじゃねえよっ!」
しばらく口論のようなものが続いていたが、遂に手が出た。
ボディーを食らった彼は顔を顰めながらも相対し続ける。
クラスメイトの大半は触らぬ神に祟りなしと逃げるように退散し、教室には事件当事者四名と僕しかいない。
僕にはどうしようもない。でも、動かなければ。
考えよりも身体が、口が動いてしまった。
「おい、やめろよ」
予想外に大きな声が出た。彼を囲む三人がこちらを見るが動じないように努める。
だが、三人は僕を相手にしなかった。
「馬鹿は黙れ」
恐ろしい、低い唸り声のような言葉。
僕は負けじと繰り返す。
「やめろよ。自らの不満を他人に当たって解消するな」
彼に視線を移していた三人は彼としばらく睨み合って、舌打ちすると教室を出て行った。
怖くて仕方がなかった僕は無事とは言えないが、大事にならず解放された彼をおいてさっさと逃げ帰ってしまった。
教室から逃げたところでこの恐怖から逃げるなんて事は出来ないと分かっていたのに。
翌日から僕と彼の居場所は教室から消えた。
直接的なものから間接的なものまで。あらゆる手段で僕と彼は教室から拒絶された。とても高校生の仕業とは思えぬような幼稚なものまであった。
学校という小さな社会の厄介なところを嫌というほど感じた。
「元気かい」
二人ぼっちになった僕と彼は放課後の教室で久しぶりに会話した。
彼は僕より酷い事をされていると思う。元々の地位が違うから。
僕は元々クラスにいてもいなくても変わらないような存在だったが、彼は人気者だった。
人気者からの転落人生。僕には想像出来ない。
「……ごめん」
それだけ言って教室から出て行ってしまった。
僕は何に謝ったのか。分からない。
助けられなかった事か。余計な事をした事か。現状から助けられない事か。
それとも。それとも。
いじめられている君とは会話出来ないという謝罪なのか。
しばらく教室から離れた廊下で座り込んで気持ちを落ち着かせてから昇降口へと向かった。
靴に履き替えようと下駄箱を見ると手紙が一通入っていた。
残飯や飲み残しを入れられていた事はあったが、手紙は初めてだ。
新たな手口だろうか。罵詈雑言に対する心の準備をしてから開いて中を見ると綺麗な字で書かれた彼からの手紙だった。
『僕がどうにかする。明日は学校を休んでくれ、絶対に。』
どういう意図で書かれた手紙なのか、僕には理解出来なかった。
思考を放棄していたのかも知れないし、考えたところで馬鹿な僕には頭の良い彼の意図なんて分からなかったかも知れない。
だが、唯一言える事はこの手紙の意図を読み取れるのは世界中で僕だけだったという事だ。
彼の最後の友達だった僕だけ。
翌日。彼は自殺した。三階の教室の窓から身を投げた。
僕は彼の手紙を無視した。別に学校を休む事に抵抗があった訳ではないが、体調不良などの理由による出席停止以外で学校を休んだ経験は今までなかった。それこそ、深く考えず、当たり前のように登校してしまった。
だが、登校してはならないという潜在意識は働いたのかも知れない。
珍しく寝坊して、登校時間の五分前に学校へ着いた。
この不幸を僕は一生恨む。
三階に着いた時、異様に教室が盛り上がっていると感じて足を早めた。
教室の中を見て、僕は彼の手紙に書いた事の意図をようやく悟った。
命を賭して『僕がどうにかする。』僕の死に様は見せたくない。だから『明日は学校を休んでくれ、絶対に。』
教室に先生の姿はないが、クラスメイトは全員いた。普段遅刻してくる奴から滅多に登校しないサボり魔まで。
誰一人止めようとしない。それどころかクラスメイトは楽しそうに笑いながら彼を急かしていた。
窓枠に立つ彼と目が合う。
その目は確かにこの世を見ていた。
「バイバイ」
そう、口が動いた気がした。
刹那。
今までに聞いた事がないような鈍い音が聞こえた。
世界が遠のいていく。
目が覚めたのは教室ではなく保健室のベッドの上だった。部屋には誰もいないようだ。
それにしても頭が痛い。何が起こったのだろうか。
ふと、気を失う直前の事を思い出してしまった。
盛り上がる教室のクラスメイト。窓枠に立つ彼。「バイバイ」と動く口。
彼が落ちた後の鈍い音。叫び声。悲鳴。そして、笑い声。
走馬灯のように光景と音が頭を駆けていき、僕は冷静になった。
あぁ、彼が自殺したのだ。
保健室の扉が開き、養護教諭が入ってくる。意識を取り戻した僕を見ると、慌てて廊下へと飛び出していってしまった。
戻ってきた時には担任教師と制服警察官を二人伴っていた。
「少しお話を伺いたいのだけど、大丈夫かな」
意識も記憶もはっきりしている。
「はい、問題ありません」
僕は警察官に聞かれた事に対して正直に回答した。大した質問ではなく、主に彼についての質問だった。その当日はそれだけで終わったが、後日生徒指導室に呼び出されて再び警察官の質問に答えた。それまでの間、僕は学校を休んでいた。身体は至って健康だが、どうしても行く気になれなかった。
両親もその辺のデリカシーはあるらしく、事件がひと段落するまでは何も言わないつもりのようだ。
生徒指導室でされた質問は彼についてというより、彼が被害に遭っていたいじめについてだった。質問の仕方的にどうやら被害者が彼で加害者が僕だと思われているように感じたが、これまた聞かれた事に対して正直に回答した。
彼の自殺に際して、学校側が取った行動は最善とは言えずとも最悪ではなかったと世間は評価する。
いじめの主犯格とその取り巻きの合計三人が退学処分となった。
そして事件は幕を下ろした。
後に知った話だが、彼の自殺直後の警察の捜査では、クラスメイトの大半の証言により僕がいじめの主犯格であり、主に退学になった面々がそのいじめに加担しており、その他クラスメイトは傍観者であったとされていた。つまり、彼の自殺の原因は僕であるとされていた訳だ。
その後、捜査を進めていく中で彼の遺書が見つかり、その事実が公になった途端、クラスメイトたちが証言を翻し始めた。そして僕の証言と彼の遺書、そしてクラスメイトが翻した証言によって自殺の原因である真犯人三人が明らかになった訳だ。
事件はひと段落してしまい、教室は何気ない日常を取り戻しつつある。
僕も教室に帰ってきた。
だが、僕は終わらせない。絶対に終わらせない。
彼を自殺に追い込んだのは誰だ。誰のせいだ。
あの三人だけじゃない。
傍観していた、自ら加担したクラスメイトだ。
いじめの事実を知っていながら放置した担任だ。
全員を彼と同じ目に遭わせてやりたい。
僕は元々他人が嫌いだ。
彼のおかげで他人を好きになれる気がしたのに。
やはり僕は他人が嫌いだ。
僕は彼の為にこの手を汚す。
同級生を殺したい。
喧騒の教室。
ふと、机の中に手を伸ばす。
何かが手に当たる感触がした。
取り出してみると一通の手紙。見覚えのある便箋。
書かれていたのは、あの綺麗な字。
『君のせいじゃない』
終
お読み頂きありがとうございます。
今回は作者誕生祭の企画として、NEKOがネットに小説を投稿する以前から書いていた作品をリメイクしたものの一つ、『同級生を殺したい〜17の夏〜』以前を書き下ろしたという事で。以降、物語の内容を含み記します。(後書きから読む稀有な方は本編へどうぞ)
高校一年生の学校、教室が主な舞台となっています。私にも高校生時代はありました。投稿されているいくつかの作品もしくは原案を書いていた時代です。懐かしい。久しぶりに学園モノを書いて感じたのは、「あの異質な空気を今の私は描けない」という事でした。学校の教室というものはこの世にありながら、世界から隔離された場所だと私は感じていました。言葉に言い表せない、何とも言えない吐き気を催す空気。あの残酷な世界を私はもう描けない。その為、今作は主な舞台が学校の教室でありながら具体的な描写を避けているように思います。特にいじめのシーン。私自身はもちろん、私の周りにも「いじめ」というものがありませんでした。それ故に、「いじめ」というものが何故、人の命なんてものを奪えるのか、正直分からない部分があるのだろうと思います。だからこそ、いじめの部分は『僕と彼の居場所は教室から消えた』、『僕と彼は教室から拒絶された』、『二人ぼっち』なんて表現によって、その程度を読者に委ねてしまっているのではないだろうか。
書き上がりに一応の満足はあります。いま持ち得る全力を持って書きましたから。
でも、改めて考えてみると、かつての作品で「同級生を殺したい」と願った「僕」のルーツはこれなのか、疑問に思う部分はあります。そこは二作読んで、読者の方々にも感じて頂きたい。
次作もお楽しみに。




