君に贈る
薄暗い部屋に鳴り響くアラーム音。
包まった布団から這い出た白い手が、ベッドボードに置かれた携帯を掴む。乱雑な手つきで画面を幾度かタップしてアラームを停止させると、白い手は布団の中にずるずると戻っていった。
五分後に再び鳴り響いたアラームを、同じように停止させるという行為を五回ほど繰り返し、ようやく布団に包まっていた人物は体を起こした。
鬼降魔碧真。
朝が大の苦手な人間である。
現在の時刻は、朝の十時半。
今日は調べ物をしていた為、午前三時過ぎまで起きていた。普段は九時間睡眠の碧真にとっては、寝不足だと感じる。碧真は顔を顰めながらもベッドから抜け出し、のそのそとした動きで支度を始めた。
十月二十四日の土曜日。
今日は総一郎から依頼された一般人相手の解呪の仕事が二件入っている。
仕事前に総一郎に呼ばれているので、本家に行かなければならない。
(今日は一般人相手の仕事だから、銀柱はそんなに必要ないか……)
碧真の持っている上着には、普通の上着と、裏地に銀柱を仕込む為の専用のポケットがついた仕事用の上着がある。
普通の上着を手に取ろうとした碧真の腕に、加護の巳が巻きついた。
「何だよ」
勝手に顕現した巳を睨みつける。巳は首を伸ばして、仕事用の上着にカプリと噛み付く。「こっちを着ろ」と言いたいのだろう。
「必要ないだろうが」
碧真は力を行使して、強制的に巳を消す。再び姿を現した巳は、同じ動作をして、仕事用の上着を着るように碧真に促す。碧真が仕事用の上着を手にとったのを見て、巳は満足そうに姿を消した。
(一体、何なんだよ……)
碧真は溜め息を吐く。上着を着て身支度を整えた後、碧真は外へ出た。
車で本家に向かう。
到着した後、碧真は屋敷の母屋に入る。屋敷で働く従業員達は、碧真が一人の時は遠巻きにしながら『呪罰行きの子』に対する嫌悪の目を向けてくる。
慣れた嫌悪の視線を無視して、碧真は廊下を進んだ。
応接間に向かうと、胡散臭い笑顔を浮かべた総一郎に出迎えられた。
二人で向かい合って座り、仕事の話をする。
(大したことのない内容だな。これなら、すぐ終わる)
仕事の詳細を聞く限り、危険性皆無の簡単かつ平和な仕事。日和が知ったら、喜び踊り出しそうだ。
仕事の話を終え、総一郎が茶を一口飲んだ後に口を開く。
「ところで、碧真君。日和さんへの贈り物は決まりましたか?」
「……何で知っているんですか?」
総一郎の言葉に、碧真は顔を顰める。
碧真が入院している時、見舞いの品として、日和から菓子をもらった。退院の日に、日和へお返しを贈ってはどうだろうかと丈から提案されたが、まだ何もしていない状態だった。
総一郎が聞いたら揶揄ってくるのは目に見えているので、口が堅い丈が話すとは考えにくい。碧真の考えを肯定するように、総一郎がニコリと笑った。
「おや、当たりましたか。昨晩、碧真君の元に加護を向かわせた際に、偶然にもパソコンで『贈り物 女』と検索しているのが見えたので、もしやと思ったのですが。ようやく、碧真君も男女の関係について学んで……。碧真君、静かに銀柱を取り出すのはやめてくれませんか?」
「失言は命を落とすということを、身をもって学ぶ方がいいと思いますので、俺が教えてあげますよ。両目が犠牲になりますけど、問題ないですよね? 他人のプライベートを覗く悪趣味すぎる目なんていらないですよね?」
「碧真君、落ち着いてください。そんなことをしたら洒落になりませんから。一族的にも法的にも問題しかありませんよ」
碧真の冷徹な目に、総一郎は顔を引き攣らせる。碧真は舌打ちした後、仕方なく銀柱を袖のポケットに戻した。
総一郎は安堵の息を吐き、取り繕うように笑う。
「二人の仲が良いのは喜ばしいことです。これからも安心して仕事を任せられますね」
「仲良くなっていません。贈り物と言っても、見舞いの時に菓子をもらったので、その礼です。丈さんに言われたので仕方なくであって、特に意味はありませんから」
「おや、それにしては随分と色々調べて……。いえ、何もありません」
碧真にジト目で睨まれ、総一郎は口を噤む。
「何でそんな話に食いついてくるのかはわかりませんが、総一郎には関係ない話でしょう?」
「上司として、部下の行動を把握することは必要だと思います。なので、私には碧真君が日和さんに何を贈るのかを教えて頂く権利があります」
「パワハラとストーカーのダブル問題発言ですよ。あんたの個人的な悪趣味なだけでしょうが。日和に何か贈っても、絶対に教えません」
ドヤ顔で言い放った総一郎を、碧真はバッサリと切り捨てる。総一郎は残念そうに眉を下げたが、すぐに口元に小さく笑みを浮かべた。碧真は溜め息を吐く。
「日和に聞き出そうと考えているなら、俺は何も贈りませんから」
図星だったのか、総一郎は苦笑いをする。
「お返しなら、早くしておかないと、月日が経ってからでは返しにくくなりますよ」
「……余計なお世話です」
今度は碧真が図星を突かれる。何を返せばいいのかわからず、結局は一ヶ月以上も何もしないままだった。
(適当に菓子を贈ればいいと思っていたが……。壮太郎さんが、北海道土産の菓子や食料品を段ボール一箱分も日和に贈ったって、丈さんが言ってたしな)
食い気しかない日和には食べ物がいいだろうと思っていたが、壮太郎のせいで、その考えは潰された。花を贈るのは躊躇いがある。ネットで贈り物について調べたが、色々とありすぎて、結局面倒になって放り投げた。
「物でなければ、”体験”はどうでしょうか?」
「は?」
総一郎の提案に、碧真は眉を寄せる。
「一緒に何処かへ出掛けて、日常では味わえない事をしてみる。そういう体験を通して、”思い出”を作るのも、贈り物の一つだと私は思いますよ」
総一郎は穏やかな笑みを浮かべる。
「物はいつかなくなります。思い出も消えてしまう。けれど、誰かと一緒に笑い合えたことは、今を生きる上での支えになります」
「……くだらない」
総一郎の言葉を、碧真は溜め息と共に吐き捨てる。
屋敷で働く女中が、美梅の来訪を告げる。碧真は顔を顰めて、座布団の上から立ち上がった。
「碧真君、待ってください。昼食を用意していますので、一緒に」
「いりません。あの煩い女の顔を見たくありませんから。仕事の話も終わったので、俺はこれで失礼します」
部屋を出て行こうとする碧真に向かって、総一郎が口を開く。
「日和さんには、呪いの仕事の後は帰宅していいと伝えています。仕事の後に、日和さんをお出掛けに誘ってみてはいかがでしょうか?」
碧真は総一郎を一睨みした後、ピシャリと襖を閉める。
碧真は足早に本家を後にした。
***
乱暴に閉められた襖を見て、総一郎は苦笑する。
昨夜、仕事の連絡をしようと何度か電話をかけたが、碧真はなかなか電話に出なかった。総一郎が心配して加護を向かわせると、碧真がパソコン画面を睨みつけて悩んでいる姿が見えた。
(花の石鹸や花のグラスなどの可愛いものを調べていましたね。あれを日和さんに贈る碧真君を是非とも見たい。記念に写真に収めたい)
碧真が誰かへの贈り物を考えている姿は、揶揄いたくなると同時に、嬉しさが込み上げる。つい調子に乗って、色々と口を挟んでしまった。
父親の『呪罰行き』によって、碧真は持っていた物と、得られる筈だった多くのものを失った。
当主だった総一郎の父や一族の人間が碧真に向けた悪意を、力の無い総一郎は止めることが出来なかった。
(碧真君には、幸せになってもらいたい。失ったものを取り戻すことが出来なくても、これからの彼の人生が少しでも幸福であればいい……)
罪悪感と同情もある。けれど、幼い頃から彼を知っている一人の人間としての願いでもある。
「総一郎様。美梅です。入ってもよろしいでしょうか?」
襖越しに、美梅が声を掛ける。総一郎の許可を得て、美梅が襖を開けた。
総一郎と目が合った瞬間、幸せそうに笑う美梅。
その笑顔に、総一郎が五年前に失ったモノが重なって見えた。
──総一郎さん。
後悔と、今なお色褪せぬ想いが綯い交ぜになり、総一郎は痛みを堪えるように顔を歪めた。
「総一郎様!? お加減が悪いのですか?」
美梅は総一郎に駆け寄り、心配そうに顔を覗き込む。美梅を安心させる為に、総一郎は微笑んだ。
「何でもありませんよ。少し足が痺れてしまって」
適当な言い訳だったが、美梅は総一郎を疑うことなく、ホッと息を吐き出す。
「それなら、私に寄りかかって足を休めるといいですよ」
いいことを思いついたと言わんばかりに、美梅は笑顔を浮かべる。美梅は隣に腰を下ろすと、総一郎の腕を引いて、自分の体へ寄りかかれるようにした。
「美梅さん?」
総一郎が美梅へ顔を向けると、二人の顔がとても近い位置にあった。間近にある総一郎の顔を見て、美梅が一気に顔を赤くする。
「あ、あの! その、下心はなかったんです。本当です! 足が休まっていいのではないかと思って、その」
どうやら、よく考えずにした行動だったようだ。紅梅のように真っ赤に顔を染めた美梅が微笑ましくて、総一郎は笑った。
「ありがとうございます。美梅さん。お言葉に甘えてもよろしいですか?」
「え? あ、あの総一郎様?」
戸惑う美梅に、総一郎は少し寄りかかる。美梅は顔を赤くしたものの、嫌ではない様子だ。お互いの気持ちが嬉しくて、二人は幸せを感じて微笑む。
人は、生きることで多くのモノを失い、多くのモノを得ていく。
物も、思い出も、命も。いつかは消えていく物だとしても、この世界に確かに存在したもの。
失ってしまったものは戻らない。けれど、これから手に入れていくものまで零れ落ちてしまわないように。大切なものを大切に思えるように。
碧真に贈られる未来が幸せなものであることを、総一郎は祈った。
『呪いの一族と一般人』が、本日7/14で投稿開始から1周年を迎えました。
読者の方々がいるおかげで、自分の頭の中だけの空想で終わらせるだけでなく”小説”という形で日和達の物語を形にし続けることが出来ています。本当に、いつもありがとうございます!