09.秘密の逢瀬
食堂で魔術を発動させたのはガブリエル男爵令嬢で牢に収監された。
侯爵令嬢の殺害未遂は重罪だ。
だが、本人は理解していなかった。
少し怖い目に合わせよう、怯えさせよう、顔に傷でもつけばいいという、浅はかな考えからの行動だ。
メッゼリッヒ公爵令嬢と仲が良いらしく、彼女が王太子妃になれば自分も王宮に招待され、王太子の目に止まればと考えていたらしい。
愛妾狙いにしても頭が悪すぎる。
リズタリア王国では王族との婚姻は上位の伯爵家以上と決められている。
お妃教育で学ぶ内容の他、覚悟をもたせるため、教育と教養の基本は高位貴族が学ぶ内容になるため、お妃教育では行わないからだ。
ここ数代は侯爵家以上が嫁いでいる。
男爵令嬢は愛妾にすらなれない。
寵愛され子を孕んだのなら離宮に迎え入れるが、産んだ子は母親から引き離され秘密裏に儚くされる可能性が高い。
恐らくメッゼリッヒ公爵令嬢に唆されたのだろう。
証拠がなく唆されたのなら、本人に自覚はないだろうからメッゼリッヒ公爵令嬢を罪に問う事は出来ない。
苦々しく思いながらも、早々に婚約者の指名をせずに解散させておけば良かったと後悔する。
あの事件の後は淑女科でエレナに対する嫌がらせはなくなった。
一安心、と言ったところか。
恐らく次は別の手を使うだろうから警戒は怠らないように。
あの約束から数日が経ち、待ちに待った休日前だ。
中央棟の裏はエレナと初めて二人になった場所だ。椅子もない場所だから立ち話になると長居はできないだろう。そう考えて、アレンを巻き込んで数日で空間魔術を再現した。
『転移』は失われた魔術の一つだ。
リズタリアのある大陸内の国では、この数百年、使用されたことがない。
アレンを含めた魔術師達は数年前から再現するために陣の研究を続けていた。
僕は王太子として魔術関係の管轄を管理していたから定期的に報告を受けていた。最近は報告書だけ受け取り、大きな問題にならなければ何も触れずに彼らに任せていた。
興味がないから現状が維持できているなら、ーーどうでもいいーーと思っていたから手も口も出していなかった。
エレナとの逢瀬で少しでも長い時間を過ごしたい。可能ならお茶する時間くらいは一緒にいたい。ティーテーブルと椅子、その他の物を中央棟の裏に用意させると目立つ。
だから転移で移動させることにした。
王宮の自室に全て用意させて転移で持ち込む。終わったら転移で王宮へ戻せば誰にも知られない。事前の準備は侍女のミアに頼めば察するだろうから。
アレン達の報告書を全て読み返し、記載された陣の全てを確認した。
ダメだ。絶対に成功しないだろう陣ばかりで空間移動はできない。
転移は失敗すると身体の一部が欠損する可能性がある。欠損して目的の場所に転移するか、バラバラになって転移するかは賭けだ。
それもあって魔術師達は考えた陣を行使できないでいる。
僕は古い書物を読み漁り転移について記述を見つけ、物を転移させることから始めた。最初は失敗したが、数回試すと陣の仕組みが分かり、深夜に始めて明け方に完成させた。
それから数日は、人が転移できる陣の構成と仕組みを考えるようアレンに託した。
これは安心して使用でき、かつ、今の陣より単純な構成にするよう指示を出した。
アレンに成果を出させる事が僕の成果になる。こんな風に自分が他人の成果を気にするなんてビックリしたけど。
そして前日には転移を成功させた。
エレナとの逢瀬のためにアレンが転移で準備をし、終わったら僕が転移させる。
学園が休みに入ったら報告書を作って宰相へ提出し、その後、陛下にも報告される。
授業が終わり生徒会の集まりもない今日は、見られていない事を確認して学習室から中央棟の裏へ転移した。
「アレン、ミア、準備はできた?」
「はい、全て揃えております。本日、付き添いは不要とのことですが……二人きりはマズイのでは」
「影がいるから二人ではないだろ。ウェスタリアの影も来ているよ。主には会ったことを報告させない約束をしているけどね」
「あの……お噂のご令嬢ですか?」
「その噂の令嬢は誰のことだ?」
ミアは王太子の婚約者、王太子妃付きの侍女になる予定だから相手が気になるのだろう。
「ウェスタリア侯爵のご令嬢と伺っております。王宮では我儘なご令嬢と噂されているので心配です」
「我儘ではないな。芯がしっかりしているのだろう。ハッキリしている。それが我儘に見える人もいるのだろうね」
「シオン殿下が、そう仰るなら、これ以上は何も申しません」
準備に問題ないことを確認して二人は転移で王宮へ戻った。転移は魔力を使うが二人分だと倍は消費する。アレンなら問題ないだろうけど、空間魔術の適正有無を調べるついでに誰でも魔力量を測れるよう、今後については考えよう。
魔術について考えていると、ひょこりと角から顔を覗かせてコチラを確認している姿が。
「誰もいないよ」
そう伝えるとキョロキョロしながら近寄ってきた。
「これは運び込んだのですか?」
「まぁね。転移で持ち込んだから誰の目にも触れていないよ」
「え?転移?転移って!?」
「空間魔術だよ。王宮からここに転移させた」
「凄いです!お兄様も転移の練習をしていたのだけど、陣の一部の構成が上手くいかないってボヤいていました」
レイも転移の陣を調べていたのか……でも僕が先に完成させたようだな。
席に座るよう促し、僕が紅茶を注いだ。
私がやるとエレナは言っていたが、それは次回にお願いした。領地の茶葉を持ってきてくれるってさ。
「あの……どうしてここまで?」
「立ち話だと時間が短くなる。それだと、ゆっくり話せないだろ?」
「そ、うね。準備してくれて、ありがとう。紅茶も美味しい」
嬉しそうにした顔、それが見たくて頑張ったんだ。クッキーもケーキも、今日のために用意した。エレナは苺が好きだと、ウェスタリア家の影に教えてもらい用意した。
エレナがチラチラと僕を気にしている。まぁ、椅子の位置が近いからね。アレンとミアが転移した後に位置を変えたから。
「それでゼロから見た私はどんな男だった?噂通りかな?」
影が王宮へ来るくらいだから少しは僕のことを調べただろう。
「……謝ります。ごめんなさい」
「誤解が解けてよかったよ」
「手を出したのかは分かりませんでした。でも、ロベリア伯爵令嬢の件は伺っています。あのように振る舞う事は赦されないのだという事もわかりました」
「女性経験の有無は想像にお任せするよ。ただ、私が婚約者候補に手を出していれば、皆が彼女のように振る舞うだろうね。表立って振る舞わなくても、脅す材料にはするだろう。それは噂となり人の耳に入る。だが、私は面倒事は嫌いだから手は出さない」
歴代の王太子の中には女で身を滅ぼし廃太子された者もいる。手を出したり誑かされるなんて破滅しかない。
「シオン殿下が「シオン、だ。二人の時は殿下呼びはしないで欲しい。これは命令ではない。お願い、だ」
「それは……」
「私は呼び捨てにしたいからエレナと名を呼んでいる。エレナに私個人の名前で呼んで欲しいとも思っている」
「シオン殿下も名前では?」
「それは王太子の名であって私個人ではない」
『殿下』は僕個人として認識していない。
『シオン殿下』も僕個人ではない。
それは王太子の名だ。
「シオン様」
「ありがとう」
嬉しい、思わず手を取り甲に口付ける。
ビクリ、と手が震えている。
「これからも、二人の時は名で呼んでくれるだろうか。そして私に貴方の名を呼ばせて欲しい」
名を呼んで欲しい、呼ばせて欲しいと赦しを乞う。婚約者でもなければ友人でもない自分が名を呼ばせてもらえなくなると距離が遠くなるようで、それは二度と手に入らないように感じられるから。
「は、い」
迷いがあったのだろう。けど、赦しを得た。