出動
「陽咲、来たか」
「三葉司令、遅くなりました」
「座れ」
「失礼します」
何かの書類にサインしていた三葉は顔を上げ、入室を許可した陽咲をチラリと眺めた。
「少し待て」
最後だったのかサラサラと何かを書き入れ、次いで大きな印鑑をポンと押す。身体が小さい所為か子供が玩具のスタンプで遊んでいる様に見えた。当然に言葉にせず、陽咲は真面目な顔のままだ。
軽く周囲を見渡しても司令室には三葉しかいない。つまり二人だけの様だ。手持ち無沙汰になった陽咲はショートの髪を触り前髪を整える。最近伸びて来て少し鬱陶しいのだ。
千春お姉ちゃんみたいに綺麗な髪ならいいのに……いつも思う事を陽咲は頭に浮かべたりしている。
「ふう……何か飲むか?」
「はい。コーヒーを入れますね」
ドアの側の棚の上にコーヒーメーカーがある。以前三葉の誕生日にプレゼントしたものだ。贈った当人だから操作もお手の物、と言うか同じのが自分の家にもある。
暫くすると香ばしいコーヒーの香りが部屋に充満していく。この瞬間が陽咲は好きだった。
「何時ものでいいですか?」
「ああ」
キリリと軍を束ねる指揮官の顔をしたが、ミルクたっぷり砂糖山盛りのお子様コーヒーを御所望だ。三杯目の砂糖を落とす時、陽咲は何時もコーヒーへの冒涜をしている気になってしまう。
クルクルと掻き混ぜれば、甘ったるい匂いが鼻につく。折角の香ばしい香りが台無しだった。
「どうぞ」
「何だその顔は?」
「何でもありません」
危ない、顔に出ていた様だ。そう思い、表情を頑張って戻した陽咲は自分のブラックコーヒーを片手に再び腰を下ろす。
可愛い熊さんのコーヒーカップにフーフーと息を吹きかける三葉は可愛い。小さな両手でカップを抱えているのだ。態とじゃないかと陽咲は疑っていたりする。
「む、砂糖はいつもの量か?」
「はい」
微妙に減らしたのに気付いた様だ。
「陽咲」
「……二杯半」
「命令に逆らったな?」
「叔母さんも少しは健康に気を付けてね。身体を壊したら私泣くよ」
三葉の雰囲気が変わったのを分かった陽咲も口調を戻す。
「疲れたら甘い物が欲しくなるでしょう?」
「それでも充分に甘いからね?」
「陽咲はまたブラック? よくそんな苦い物飲めるわね」
「美味しいからね」
「千春がブラックだから真似したくせに」
「うっ、煩い」
可愛らしい姪の顔をひとしきり眺めて、三葉は話題を変える。
「確認だけど、天使と会ってから何回出動したかしら?」
「えっと、五回かな。PLには行ってないから」
「念動に変化は?」
「効果範囲は30%は伸びたと思う。ただ行使までの時間が短縮出来なくて……防壁も未だだし」
「充分に早い成長だと思うけどね」
「早く防壁を張りたいんだけど、掴めないの」
目的がより明確化した陽咲の成長は目を見張るほどだ。だが本人は足りないと焦っている。それを知る三葉が陽咲を呼び出して話を聞くのだ。司令として、同じ異能者として、何より血縁者として心配は尽きない。
「念動の異能持ちでも防壁の構築が出来るのは一握りよ。焦っては駄目ね」
「分かってる」
「ほんとに?」
「……叔母さんはどうやって異能を鍛えたの?」
「うーん、私のは変わり種だから参考にはならないよ。でも陽咲の力なら心当たりならあるわね」
驚いた顔を隠さない陽咲は、早く教えてと瞳をキラキラさせている。
「異能は行使する者の精神に大きく依存する。まあ心の在り様と言えばいい。陽咲が防壁を求める理由を言葉にしてみなさい。物理的攻撃力を高めるのではなく守る力を求める理由を」
「そんなの決まってるよ! 皆んなの役に立ちたいし、以前みたいに生き残るのが私一人なんて許せない。沢山の人を守る事が出来る力が念動にはあるんだから!」
「そうね。じゃあ守りたい人を頭に浮かべて?」
「それは……」
「一番はあの子なんでしょう?」
「……うん。名前も知らないけど」
「大丈夫、恥じる事じゃないの。つまり伸び悩むのは其れが理由って訳よ」
「どういうこと?」
「天使は貴女よりずっと強い、何より遠い存在ね。会ったのも一度だけ」
三葉の言いたい事が分かる陽咲だが、解決策は無いのだ。
「今迄の出動で天使の気配は感じた?」
「全然。少しくらい顔を見せてくれてもいいのに」
「ふふ、つまりそういう事。今度会ったら沢山の話をして、出来れば手でも繋いで身近に天使を感じなさい。守るべき相手を強く認識するのよ。防壁であの子を包むイメージを強固に出来れば……何か変化があるかもね」
「手を繋ぐ……」
ニマニマする姪を見て不安になる三葉は思わず言った。
「犯罪は駄目よ」
「わ、分かってる!」
本当かしら……最近シスコン具合が変な方向に曲がったのを知ってしまった内心の言葉だった。
真っ赤な顔した姪っ子を見送ると、三葉は優しい叔母の表情を変えた。
「天使とは何処かでコンタクトを取らなくてはならないか。陽咲の為にもなるが放置は出来ない。まだ子供で、異常な武器を装備して……何より一人だ」
孤独であるかの確証などない。
天使が何処かの組織に属する可能性は否定出来ないし、全てが何かのフェイクかもしれない。しかし三葉は何となく感じる……天使はたった一人だと。
そして、"孤独"は気付かない内に人を蝕むのだ。
ジリジリと心を焼いて行き、正常な精神を保つ力を灰にしてしまう。
「久しぶりに頑張るしかないか」
お子様コーヒーはやけに甘く感じた。
「土谷」
階下の駐車場に向かっていた土谷に、頭上から声が掛かった。
既に装備は済ませ、と言っても耐火性、耐摩耗性に優れた灰色の迷彩服へ着替えただけであるが、急ぎ出動する為に脚を動かしていた。土谷はその声が誰かすぐに分かった為に踊場で立ち止まったのだ。時を待たずに三葉が降りて来て、直ぐ後ろには陽咲が居る。
「三葉司令。どうしました?」
土谷は察していたが、一応確認する。LEDライトの下に立った為に赤く染めた髪が良く分かる。整った容姿は引き締まり、一人の戦士の瞳だった。その瞳を僅かに下げ、身長の低い上官に視線を合わせた。
「今日はお前が当直だな。ならば、杠を連れて行け」
「それは構いませんが、理由を聞いても?」
直ぐに言葉を返した土谷だが、予想通りとは言え少しだけ疑問にも思う。駆除に新人を連れ歩くのは珍しく無いが、大抵は事前に当直に組み込まれているものだ。
「ふん、決まっているだろう。実戦経験を積ませる良い機会だ。手頃な相手でもある」
「司令。既に犠牲者が出ています。不謹慎な物言いは」
すると三葉は階段を降り始める。出動前で立ち話の時間も惜しいからだろう。
「ふむ、そうだな。訂正しよう。奴等相手に土谷と念動持ちとは過剰戦力だが、敵討ちに構いはしないな。徹底的に叩きのめせ」
陽咲は一言も発せず、ただ付いてきている。
「それは命令ですか?」
「当たり前だ。ついでに杠を使い物になるよう鍛えろ。少しでも早い方がいい」
「分かりました。ですが先ずは駆除を優先します」
「ああ。陽咲、土谷の指示に従って学んで来るんだ。帰還したら直接私のところへ報告に。甘えは許さん」
「はい! 土谷さん、宜しくお願いします!」
ニコリと笑った土谷は陽咲を見た。
「此方こそ。実戦で陽咲ちゃんと一緒なのは初めてだから、何かあったら聞いて欲しい」
「ありがとうございます」
「陽咲、先に行って準備しろ」
「はい! お先に失礼します!」
タタタと軽やかに階段を降りて行く陽咲を見守り、三葉はほんの少しだけ歩く速度を落としていく。
「司令?」
土谷は怪訝に思い、追い抜いた三葉に振り向く。
「土谷」
「はい」
「今回の任務では、見るぞ」
「それは……」
三葉は自らの異能"千里眼"を使うと宣言したのだ。かなり珍しい事で、対してこの任務は珍しくない。土谷からすれば今回のレヴリ、つまり相手は雑魚だ。
「注意しろ」
「予知ですか?」
「何度も言ってるが私に予知はない。勘だよ」
「分かりました。陽咲ちゃんは必ず守りますよ」
「誤解するな、陽咲を守るのは陽咲自身だ。一応其れなりに仕上げてあるから安心していい。目的は別にある」
「そうなると、天使ですね」
「まあな」
「陽咲ちゃんには?」
「言う訳がないだろう」
「過保護ですねぇ」
「土谷」
「否定出来ないでしょう?」
「貴様に陽咲を"ちゃん呼び"させる許可を出した覚えは無い」
「……やっぱり過保護だなぁ」
土谷のボヤキを三葉はばっちり無視した。