ハッピーバースデー 3
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大勢の隊員達に話しかけられて、渚は少しだけ疲れを感じた。元々体力がある方でないし、コミュニケーション能力に長けている訳でもない。だが、そんな精神的負担も、疲労でさえも不思議と心地良いのだ。
今も、陽咲と千春以外に触れられたなら悪夢が甦ってしまう。それを誰もが知っている為に、不用意に近付いたりはしていない。それでも、何人かとは記念撮影だって行った。お姫様のサービス満点な対応に、皆が喜びを感じていたりする。
そんな人の流れが止まり、渚は改めて席に戻った。目の前には冷えたアップルジュースが再び注がれており、直ぐ隣にはブラックコーヒーも用意されていた。主役の好みをホテル側も把握していて、さり気ない心遣いは凄いと思う。
僅かな時間だけ悩むと、コーヒーを選んだようだ。丁度良い熱さ、芳しく香ばしい香り。一口飲んでみれば、期待通りの味だ。
「美味し……」
そして二口目を喉に流し込んだとき、会場内の灯りが力を失う。つまり、明度が落ち、何かが始まることを知らせているのだ。
パッとスポットライトが照らした先には三葉と千春の姿。手にはマイクを持っていて、分かり易い司会者の立ち位置だろう。
「宴も酣だけど、みんな付き合ってちょうだい。渚、此処に来てくれる?」
「三葉叔母さん、宴も何とかって古くない?」
千春のツッコミも華麗に無視して、渚を誘導する。一方の渚だが、既に嫌な予感を感じ取っており、明らかな及び腰だ。彼女は愚鈍でもないし、間抜けでもない。未来予知などの異能は持ってないけれど、陽咲の姿が無いのが確信を強めていた。
そして其の渚の不安に気付かない姉、つまり千春でもない。だから、そんな姉が続ける言葉に耳を傾け、渚は動けなくなった。千春の存在は今も、渚にとって最も大切なのだから。
「渚。今日のパーティーは陽咲が頑張って準備したんだよ? 確か二、三ヶ月前からかな。貴女に喜んで貰えるよう、少しでも隊に溶け込めたならって。こんな言い方なんて恩着せがましいのは分かってる。でも、ちょっとだけ話を聞いてあげて」
「……うん」
「ありがとう。じゃあ始めよっか。陽咲、いいよ」
再び扉が開き、カチコチに固まった陽咲がゆっくりと歩いて来る。誰が見ても緊張の極度にいて、同時に強い決意を固めた瞳だ。
そして、立ったままの渚の前で直立不動になるもう一人の主役。
「渚ちゃん……」
「陽咲」
真っ赤な顔、震える両手と脚。フラフラと彷徨っていた視線は漸く渚に固定される。そうして片膝をつくと、今日の主役を見上げた。
「……あのとき、カテゴリⅢの赤鬼と戦って、私は死を覚悟したの。でも、気付いたらレヴリは倒れてて、初めて渚ちゃんに出会った。それから何度も何度も助けてくれて、ううん、それどころか異界汚染地の謎を解明して、魔力の存在も。だから、貴女は私達にとって、返し切れない恩のある女の子だね」
「そんなこと……私なんかより千春が先に還って来てたら」
「うん、渚ちゃんの気持ちは分かってるつもり。確かに、もしかしたらそうかもしれない。でも、そうだったら私は渚ちゃんと会う事も無かった訳でしょ? そんなの、考えるだけでも泣いちゃうよ」
陽咲の心からの声に、渚は二の句を告げる事が出来なかった。何より自分も、陽咲と出会わなかった世界など想像したくもない。
「そして私は、もう知ってるだろうけど、渚ちゃんに恋をした。誰よりも大好きだし、誰よりも幸せでいて欲しい。愛してるの、キミを」
足先から頭の天辺に向け、不思議な痺れが走る。こんな感覚、渚は今まで味わった事がなかった。そしてとにかく恥ずかしい。全員がこっちに注目していて、一言一句に耳を傾けているのだ。だけど、陽咲を止めることもやはり出来ない。
陽咲は手の中にあった対象に念動を発動した。フワフワと浮かんで、クルクルと回っている。それは非常に小さくて、でもキラキラとライトの明かりを反射した。
一方の渚は身体を軽く、優しく抱き締められる感覚に。そう、世界最高峰の念動が包んだのだ。渚の異能であろうともその力は視界に捉えられない。
「だから、結婚してください!」
目の前の宙空に浮き、クルクルキラキラしていたのは"指輪"だ。だからある意味で、陽咲のお願いはバッチリ合っている。合っているが、渚は眩暈しかしない。こんな大勢の前で、姉や叔母が見守る場所で何を言ってるんだと思った。
「……此処で返事をしろと?」
「結婚して! 私は本気だから!」
話が通じない。もう返事を貰えるまで動かない気だ。そもそも念動に包まれた渚も脱出不可能だけれど。渚は諦観に襲われ、なぜか笑いが込み上げてきた。もうなる様になれと思う。
「分かった。じゃあしっかり聞いて」
「はい!」
「いや、無理だから結婚なんて」
「何で? 無理な理由は?」
その返答に、陽咲は悲しみを浮かべたりしなかった。寧ろ予想通りだったのだろう。
「そんなの……私の過去を知ってるでしょ。今更忘れたりなんて出来ない」
「勿論知ってる、キミの異能も。だから、それごと渚ちゃんが欲しい」
「……私は見ての通り女だけど。陽咲も女性だよね?」
「前にも言った。関係ないよ」
「で、でも」
「ねえ、私のこと好き、嫌い?」
「そんなズルい質問に答えたくない」
「千春お姉ちゃんが好きなの? でも、お姉ちゃんだって女性だよ?」
言葉に詰まる。自分でも分からない感情だった。間違いなく千春を愛しているが、それがどんなカタチをしているのか本人でさえ不明瞭なのだ。ずっと昔、自分が男だった記憶と事実は誰にも話していない。それどころか、生涯明かす気も無かった。
「私の目をしっかり見て、もう一度、聞かせて。渚ちゃん、私と結婚しよう?」
余りに真摯に、隠す事ない愛情を向けられて、普段冷静な渚でさえ動揺している。心の中と心臓は激しく踊り続けた。こんな大勢に凝視されること自体に慣れないのもあるだろう。視界には千春や三葉もいるのだ。
「……無理だよ。私の身体……ううん、まだ子供で」
「うん」
「今直ぐ結婚なんて」
「うん」
「大体こういうのは二人のときにするもの」
「それが答え? 渚ちゃんの本心なんだね?」
「……そう。だから、ごめんなさい」
まだ動揺から抜け出せない渚の、だからこそ感情そのままの言葉達。渚もやはり傷付いていたが、それでも紛れもない本心だ。
だから、もしかしたら泣き出すかもしれない陽咲に視線を合わせる。だが、目の前にいる彼女は爛々と瞳を輝かせ、これ以上ない笑みを浮かべていた。まるで陽の光の下に咲く満開の花のようだ。
「……?」
どうして嬉しそうなのか、渚は分かっていない。つい先ほど溢した"答え"が何を意味していたのかを、彼女自身が理解していないのだ。
それを知った陽咲は、解答を教えてあげることにする。もう渚が可愛すぎて我慢出来ないのもあった。
「渚ちゃんは未だ子供で、直ぐには難しくて、本当は二人きりで話すことだったね。うんうん、確かにその通り、さすが渚ちゃん」
「……あ」
バラバラだった断り文句達を並べたとき、渚は全く別の意味になる事に気付く。陽咲の笑顔も、「それで良いのよ、渚」と頷く千春も、ニヤニヤ顔を隠す気もない三葉も、全部が見えた。
「あ、あの、さっきのは」
何より、自分の熱くなった頬が否定を許してくれない。
「大丈夫、私に任せてね。だって、私達は今日、婚約したんだから!」
「婚約?」
稀代の狙撃手は茫然と呟いた。そう、頬を真っ赤に染めたままに。すると、千春の乗る車椅子を押しながら三葉が二人に近づいて来た。そして、渚と陽咲の間で止まると、厳かな声で宣言を求め始める。周りの参列者も静かにその瞬間を待ったままだ。
「杠陽咲。指輪を」
「はい!」
フワフワと、キラキラと、指輪が渚の左薬指へピタリとはめられた。そして渚も突き返したりしない。諦めた訳でもなく、それが自然な事と思えたからだ。輝きを放つ指輪をボンヤリと眺める。
「私と、陽咲」
「渚ちゃん、受け入れてくれてありがとう。これからは私がずっと護るから」
長い間、渚が陽咲を護ってきた。一人の守護者として。しかし今、その任務はある意味で解かれたのだ。そして、その言葉を宣誓とするために、千春は二人に問い掛ける。
「誓う?」
「誓います」
「渚も良いね?」
「うん」
「では此処に、陽咲と渚の婚約を宣言し、それを姉の私と」
「叔母の私が」
「「証明します」」
ワッと歓声が上がり、万雷の拍手も合わさる。陽咲は「みんなありがとう!」と返していった。そのあとギュッと渚を抱き締めると、小さな身体を持ち上げたのだ。細く軽い婚約者を抱き上げるのに、念動なんて要らない。
「渚ちゃん!」
んー、と唇を突き出す陽咲。
あと少しで念願のキスが達成されそうな瞬間、渚は間に手を入れた。ブチュと手の平に口づけをした陽咲は慌てて顔を離す。
「ちょ、何でダメなの!」
「調子に乗らないで」
「うぅ、いつもの渚ちゃんに戻っちゃった……」
会場は笑いの渦に包まれて、緩やかなバースデーソングが風の様に流れていく。
そして渚も、小さく笑顔を浮かべる事が出来た。
もしかしたら本当に生まれ変わったのかもしれない。
今日という日に。
そう、誰かが言ったのだ。
「ハッピーバースデー」と。
おしまい。
約二年半前に完結した作品ですが、如何でしたでしょうか? それでは、ありがとうございました。