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カウントダウン

 



 つい先程まで、大恵(おおえ)の意思のままに走っていた車両は反応を返さなくなった。エンジンは断末魔の様にひと泣きすると、完全に沈黙する。異界汚染地、即ちPL(ポリューションランド)に入ったからだ。(なぎさ)の知識によって、魔力が高度な機器類に影響を与えると判明している。


「旦那様、これ以上は……」


「ああ、分かっている」


 その会話を耳にしながら、渚は無言で銃塔から降りて来る。そのままドアを開けると、少し慎重に地面へと足をつけた。硬くテーピングしたとは言え、左脚は完治しておらず、スライムの体内に突っ込んだ右手は包帯に包まれたまま。それ以外にも、合計三箇所の手術痕は未だ治療の途中だった。薬も完全ではなく、痛みは渚を襲っているだろう。


 しかし、その全てを無視して渚は歩き出した。左脚を僅かに引き摺り、カエリースタトスは両手に抱えている。


「渚」


 祖父を自称する遠藤(えんどう)征士郎(せいしろう)は思わず声を掛けた。チラリと其方を見た渚は僅かに頷く。ゆっくりと離れて行き、数メートル先で立ち止まり振り返った。


「じゃあ」


「そうだな、遠くから渚の武運を祈る事にしよう。帰ったら話を聞かせてくれ。それが儂らの取引だからな」


 軽い冗談だったが、受けた本人は俯き再び顔を上げる。美しい相貌は変わらず無表情だったが、少しだけ整った細い眉が歪んだ様に見えた。


「……どうした?」


「出来るだけ遠くに。避難の準備を」


「なに?」


 PLの範囲内とは言え、戦場まではまだ距離がある。新種のレヴリ、飛竜すら簡単に殺す天使の台詞とは思えなかった。そして遠藤達の懸念は直ぐに証明される事になる。天使の表情に僅かな微笑が浮かんだ。そう思えたからだ。


「……二人とも、ありがとう。でも、私の事は忘れて」


 か細い声……しかし、しっかりと届く。


「……何を言ってるんだ?」


 戦場に身体を向けると渚は走り出した。左脚を庇いつつ、一言だけその場に残して。


「さよなら」と。


「な……! 待て!」

「渚お嬢様!」


 けれど、年老いた二人の両脚では……渚を追い掛けることは叶わなかった。












 老人二人の姿が見えなくなって随分と時間が経過した。左脚は十全に動かない為、進む速度は上がらない。それが渚を焦らせて、何度も異能使って確認していた。


 幾度かは膝を付き、カエリースタトスを使ったりもした。狙撃は間に合っているが、実際には綱渡りに等しい。一歩間違えれば、陽咲は火炎に巻かれてしまうだろう。


『マスター、時間がありません。撤退を』


 だから、渚はカエリーの警告を無視し続けている。


「間に合う。司令にも報せないと」


 小さな身体は渚とそう変わらない。千春(ちはる)陽咲(ひさ)の叔母であり、第三師団司令でもある三葉(みつば)花奏(かなで)の姿だ。まだ距離はあるが、必死に声を荒げている。特有の異能である千里眼(クレヤボヤンス)を使って指示を繰り返しているのだ。


 犠牲者は増え続けているが、それでも渚の狙撃と三葉の声が最小限に抑えていた。


 額から汗が流れて喉が渇く。身体は悲鳴を上げて、各所から痛みを届けた。それでも、渚は視線を逸らすこと無く前へ前へと歩み続ける。PLの中心部に向かって、陽咲の元へと。


 飛竜の数は遂に半数まで減った。陽咲の念動(サイコキネシス)は何度も空飛ぶレヴリを捕まえて地面に叩き落とし、駆除に至っている様だ。それでもあちこちから赤い炎が立ち上がり、警備軍兵士の悲鳴が響く。


「……渚か!」


 三葉も渚を視界に捉えたのか、声に希望が混じっていた。飛竜すらものともしない稀代の狙撃手が合流したのだから当然だろう。一度は遠去けたが、今は何よりも救いが必要だ。


 ズリズリと左脚を地面に擦りながら、渚は三葉の横へ並んだ。


「渚、済まない……それでも私は」


 その懺悔は耳に入ったが、渚は無言のままに片膝を下ろす。カエリースタトスを構え、すぐにトリガーを引いた。パシュパシュと言う魔力反応音を置き去りに、魔弾は飛んで行く。誰にも見えない弾丸は陽咲の上空を羽ばたく飛竜を撃ち抜いた。天使の力を知っていても、やはり驚愕してしまう。


歪め(ディストー)


「渚?」


 少しフラつきながら、渚は立ち上がった。


「三葉司令」


 可愛らしい渚は居ない。一人の戦士が其処に立っている。その鋭く光る瞳を見れば明らかだった。だから、三葉も答えた。


「どうした?」


「全員に退避命令を。急いで」


「退避? しかし我等は市民を守る義務と意思がある。避難先まで飛竜共に襲われてはひとたまりも……」


「もうそんな段階じゃない。兵士も市民も、誰一人助からなくていいの?」


「何を……いや、根拠は? 説明しろ」


魔力渦(まりょくか)がまた起こる。規模も魔力の精度も、収束の速度も比較にならない。飛竜なんて搾りカスみたいなものだから」


「なん……だと」


「もうすぐこの辺りの魔力が空間から消えて行く。通信機器が生き返るから、一人残らず逃げて」


 全てを言い切ったのだろう、渚は再び前へと歩き出す。


「魔力が消えるなら兵器が息を吹き返すんだ! 反撃を……!」


 すると音がする程に首を振る。


「どんな兵器も意味をなさない。ホンモノの魔力の前では、何一つ。時間稼ぎは必要かもしれないけど……でも、千春の大切な人が苦しむのがイヤ」


 滲む涙が見える。千里眼なんて要らなかった。渚は溢れそうな雫を拭い、お願いと呟いた。


「キミは……キミはどうするんだ?」


 分かりきったこと。それでも聞くしかない。


「私が守る、千春に誓ったから。他の皆も下がらないと陽咲は最後まで残るでしょう。だから、無理矢理でも連れて帰る。さあ、三葉司令は司令の役目を果たして」


 陽咲ならばそうするだろう。念動の在り方は守護に向いている。彼女の精神は一人逃げ去る事を許しはしない。そんな風に思う二人は、不安を強い精神力で捻じ伏せた。


「頼む……全隊に退却命令を! レヴリにも構うな! 信号弾を! 第一師団に伝令を出せ!」


 数秒後には明るい光を放つ信号弾が空を舞った。










「退却命令?」


 眩しい赤色の信号弾を見て、陽咲は思わず呟いた。確かに苦戦しているが、駆除の方法も幾つか構築出来ている。何より、先程から起こる不可解な飛竜への狙撃が誰により齎されているか明らかだ。つまり駆逐への路が開けたのに退くタイミングとは思えなかった。


土谷(つちや)さん! どうしますか?」


 発火能力(パイロキネシス)の土谷天馬(てんま)に投げかける。彼は飛び抜けた異能者であり、第三師団屈指の兵士だ。今はシンプルに答えを求めた方が良いと判断した。この辺りも成長の証だが、陽咲本人は気付いていない。


「三葉司令が判断をした以上、何かあるんだ! 急いで撤退する!」


「分かりました! 負傷者を念動で運ぶ……土谷さん、動ける人達を! 私が飛竜に陽動を仕掛けますから!」


「それは……いや、了解した! 頼む!」


 本来ならば新人の異能者が行う事では無い。しかし今回までの戦闘により、(あかなし)陽咲(ひさ)は大きく成長したのだ。今や国内外でもトップクラスの念動を操り、次々と新たな運用方法すら開発している。飛竜に最も適した行動が取れたのは、他の異能者達ではなく彼女だった。そして何より……


「土谷さん、大丈夫です! だって、見たでしょう? ()()に任せてください!」


「ああ! 分かってる!」


 陽咲を守護する御使いは再び現れたのだから。


「よし、時間稼ぎを……」


 役目を確認した陽咲は、レヴリを空から落とすより意識を逸らさせる動きに変えた。簡単に言うと、念動で無理矢理捕まえるのではなく、重量物を顔面などにぶつける事だ。距離も伸びる上に、念動の効果範囲を離れても重力に負ける迄は飛んで行く。飛竜が退却する部隊に気を取られる事がないよう、此方に怒りを向けさせなければならない。


 危険だ。其れは分かっている。もし一人ならば恐ろしくて足が竦んでいるだろう。


「大丈夫、私一人じゃ無い。渚ちゃん、来てるんでしょ? 無茶ばっかり……後でお説教しないと。罰として一晩抱き枕になって貰おう!」


 態と声を荒げて自身を鼓舞した。そうでもしないと心が弱って異能の力が減退してしまう。大好きな少女の綺麗な横顔を頭に浮かべ、ニヤリと笑った。


「頑張ったら褒めてくれるかも。きっと見てくれてるよね」


 陽咲の周囲に散らばった塹壕の破片、瓦礫、主人を失ったライフル。其れらがフワフワと浮かび上がる。


「こっちよ‼︎ さあ、来い!」


 一気に射出。そして、同時に走り出した。退却する部隊とは反対方向へ、と。そう、魔力の渦に向かって……


 陽咲には見えない。感じる事も出来ない。


 再び魔力渦が……一度目とは比較にならない力を内包した、膨大な魔力の叫びが其処に在る事が。いや、警備軍の誰一人としてだろう。


 だから、陽咲の走り出した姿を見た渚は叫ぶしか無かった。例えその声が届かないとしても。






「陽咲! ダメ‼︎」


 渚は陽咲が溢した声すら()()()。ただ陽動するなら可能かもしれない。カエリーで危険なレヴリを殺して、助け出せるだろう。しかし、陽咲は魔力渦の胎動が理解出来ていない。何が起こるかは不明だが、最初の暴走など比較にならないのは明らかなのだ。規模も収束の精度も、全てが違う。


『マスター、可能性は潰えました。対象者を救い出す時間はありません。さあ帰りましょう』


 益々距離を離す陽咲を確認したカエリーが淡々と伝えて来る。


「……陽咲」


 何時ものように、カエリーの言葉を否定しない。事実だと誰よりも知っているのが渚だから。


 止める為に脚を撃つ? いや、それでは逃走が不可能になる。痛みで念動の効果も落ちるだろう。渚の筋力では抱えて走る事も出来ない。


『マスター?』


 痛む左脚を無視して、一歩一歩、前に。


 退却する警備軍とすれ違う。誰もが小さな少女である渚を見るが、真っ黒で歪な銃を見て声は掛けない。彼女こそが救いの天使だと知っていて、その瞳に恐怖など無いのが分かるからだ。敬礼を行い立ち去って行く者まで居る。


『マスター、何をしているのですか? 帰還は其方ではありません』


 そしてカエリーの投げ掛けにも答えない。ただ進む、陽咲の元へ。


「私は……」


 その視界には、異常な純度に高まりつつある魔力が映った。







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