守りたいひと
ホテルの屋上に、小型のヘリとパイロットが待機していた。サングラスをした見るからにベテランの操縦士はコクリと無言で頷き、遠藤征士郎と秘書の大恵、そして渚を座席へと促す。
屋敷の使用人であり、渚の世話役として働いていた高尾はそのまま残る様だ。離れた場所からヘリを見守っている。
つい先程、まだ完治していない渚の左脚を硬くテーピングしたのも高尾だ。強い痛み止めも打ち、合わせて栄養剤も用意した。触れられることに忌避感のある遠藤の孫娘のため、皮膚接触は最低限の短時間で済ませる。彼女の有能な一面が垣間見えたが、本人は誇る事なく静かに佇んでいるだけだ。
その高尾とホテルは少しずつ遠くなり、景色の中へと溶けて行く。
「ヘリは時速250km程度だ。目的地付近まで40〜50分というところか。PLには近付けないから、手前で降りて其処からは車だ。まあ車両も接近するにつれ止まってしまうがな」
「そう。二人は?」
「無論行けるところまで付き合うぞ。なぁ大恵」
「はい、旦那様。渚お嬢様お一人だけPLに入るなど出来れば避けて頂きたいですが……足手纏いになりますから」
「お嬢様はやめて」
「それは困りましたな。ふむ、旦那様?」
いかがいたしましょうと遠藤へ視線を流す大恵だが、何処か楽しそうだ。それは問い掛けられた主人にも言える。いや、嫌味たらしい笑みも隠していない。白い顎髭を摩りながら、ニヤリと顔が歪んだ。
「渚、慣れるんだな。いちいち否定していたらキリがないぞ?」
そんな爺様にそれこそ慣れてしまったのか、渚は溜息一つで済ますしかない。
「他に情報は入った? 新種のレヴリ」
「そうだったな……少しだけ待ちなさい」
まだPLの影響下に無いため、通信は生きている。大恵は素早くスマートフォンを操作し遠藤に渡した。
「儂だ。ああ、どうだ?」
相手は警備軍の誰かだろう、其処に渚と話す柔らかさは無い。
「……そうか。直ぐに送ってくれ」
間をおかず、着信がありデータが届いた様だ。遠藤はスマホに眼を凝らすが、老眼の為か少しだけ時間を要した。
「信じられんな、飛ぶレヴリなぞ」
「飛ぶ? 飛翔すると言う意味ですか?」
大恵も聞き間違いかと問い直す。落ち着いたままなのは渚だけだった。
「どうやらそうらしい。仮にだが"飛竜"と名付けたと。簡単に言えば空飛ぶデカイ蜥蜴だな。これは大変な事だ……」
「大変って?」
「ん? ああ、渚は詳しく無かったな。レヴリが現れて数十年経つが、全ては地面を走る奴等ばかりだったのだ。世界を見渡しても、天災に等しい"カテゴリⅠ"ですら、な。当然に装備や訓練も飛翔体を想定していない。異世界とは言え戦士だった渚ならば、その危険性が理解出来るだろう?」
空を制する者が戦場を制すーーーー
人同士の大戦が世界を覆っていた時代、当たり前に認められていた事実だ。それが今、国家警備軍の皆を、そして遠藤達を不安にさせている。
現在警備軍が配備、或いは装備している兵器は対地用のモノばかりだ。無論銃弾は一定の高さに届くだろうし、異能に重力など関係ない。しかし、何よりも経験が不足している。レヴリとの戦闘に何より必要なものは戦闘の積み重ねなのだ。新種との戦闘で戦死率が跳ね上がるのは、正しく経験の差なのだから。
「じゃあ、三葉司令でも……」
「ああ、残念ながら。警備軍を代表する第三師団司令であり異能者だが……彼女でも初めての戦いになる筈だ。無論、かの女傑ならば簡単に負けはしないだろうが……楽観的だが予知が働けば或いは」
焦りが生まれる。心から愛する千春に誓ったのだ。貴女の大切な妹を必ず守ると。渚の記憶に刻まれた千春の笑顔、そして最近知った陽咲の優しさと涙。全てが鮮明に浮かんで来た。
「急いで」
「ああ」
「旦那様、これを」
「おお、そうだったな」
艶やかな闇色のアタッシュケース。見るからに頑丈そうで、大きく見える。大恵は二重のロックをカチリカチリと解除し届けた。受け取った遠藤は抱えたままに、ゆっくりと開く。
当然に現れたのは渚の愛銃であり、この世界で唯一無二の武器、カエリースタトスだ。
『マスター、お久しぶりです』
「カエリー」
真っ黒なハンドガンに緑色した線が縦横に走った。まるで血管の様に脈動して、間違いなく生きていると思わせてくれる。
『性能維持に問題はありません。十全に魔弾を生成し射出出来ます。マスター、睡眠量と血色が多少改善されていますね。しかも魔力がほぼ完全に戻りました。やはり助言の通り休息が』
「煩い」
何時ものやり取りを終える。漸く、渚の手へとカエリーが戻って来たのだ。小煩い相棒から視線を外すと、やはり嫌味な爺様の笑みが見えてウンザリしたようだ。
眼下には、人々が去ってしまった街並みがある。丁度、遠藤の屋敷が見えて物悲しさを誘った。人の気配は無くとも、PL内の様に死んだ街では無い。レヴリを駆逐出来れば再び活気は取り戻される筈だ。
そうして無言へと帰った渚。
異世界で植え付けられた異能は、その全てを視界に収めているのだろうか……遠藤はその美しい横顔を見詰めて、そんな風に思った。
降下ポイントに待っていたのは灰色のJLTVだった。汎用軍用車両ハンヴィーの後継車種である統合軽戦術車両だ。米軍によって開発された物だが、此処にある理由は不明だ。考えては駄目なのだろうし、渚はそもそも詳しく無いため疑問にも思っていない。
大恵が当然の様に運転席に座り、後部座席に遠藤と渚が乗った。有数の資産家である遠藤だが、他に同行者は居ないのが不思議なところか。大切な孫娘に他人を近付けさせたくない爺様の考えだったが、その孫娘は知らない事だろう。
「大恵は警備軍上がりだ。この手の車両ならば数え切れない程に操ってきた。安心して良いぞ」
コクリと渚が頷くと、軽い振動と共に動き出した。PLに近くなると、道路の整備は殆ど行われなくなる。軍事的に重要な場所は例外だが、軍関係者以外は基本的に接近出来ないからだ。そのため、段々と揺れが激しくなるが、四駆の車両は凹凸をものともせずに前へと向かって行く。
「渚お嬢様。あの先を右折すると後は直進するのみとなります。高い建物も減りますから、視界が確保出来るでしょう。銃塔に上がりますか?」
「うん」
本来なら機関銃が装備されている場所だが、銃器は当然に存在していない。
渚が昔に見た映画の一場面の様に、車両の上部へと移動して顔を出した。小さな身体だから、上半身だけが風に吹かれる。ポニーテールにした黒髪がパタパタと靡いて、ほんの少しだけ後ろに引っ張られる感覚を覚えた。
そして減速し、右折。
一気に視界が広がり、遥か彼方の空も見える。その瞬間だった。
「……車を止めて!」
渚の瞳は厳しさを増した。鋭く発した声は車内に残る二人に届く。速度は出ていなかったが、急制動に身体がつんのめった。
「歪め」
ハンドガンの形状がシュルシュルと蠢き、不恰好に変形する。色々とパーツを継ぎ足した様な、歪な狙撃銃へと。明滅する緑色の線は一気に光を放ち始めた。
「カエリー、アト粒子接続を。障壁が見える。早く!」
『接続確認……間違いありません、魔力障壁です。レヴリにも障壁を張る能力があったのですね』
淡々と返すカエリースタトスの言葉に感情は無い。同時に畏れも。
「あの薄さなら……確認を」
『マスターの予測通りでしょう。抜けます。確実を求めるならば魔弾を重ねましょう』
そして渚はカエリースタトスを構え、トリガーを引き絞った。包帯で包まれた渚の右手だが、動きに戸惑いは無い。不思議な事に、パシュと言う魔力反応音は二度聞こえた。トリガーは一度しか引いていない。
更に数秒おいて狙撃を繰り返すと、渚は大恵へ叫ぶ。
「走って! 真っ直ぐに!」
「はい! 旦那様! 掴まって下さい!」
「儂のことはいい! 行け!」
アクセルを全開に踏み込み、三人ごと前へと押し出した。
○ ○ ○
一撃で墜とした。三葉がそう判断した攻撃。
しかし実際には違う。薄いとは言え、この世界で初めて確認された魔力の障壁だった。その先にある飛竜の頭蓋を破壊するため、渚とカエリーは魔弾を連射したのだ。
殆どタイムラグ無く到達した二発の齎した結果はレヴリに死を運ぶ。
最初の一撃は障壁に小さな穴を開け、その穴を二撃目が通り抜けた。そう、その魔弾は正確に飛竜の脳を破壊し、一瞬で意識と命を刈り取った。
まさに魔法と言うべき狙撃を果たした天使はしかし、誇ることも無く叫ぶ。
その異能により映る景色には、呆然と飛竜を見詰める千春の叔母である三葉と、未だ仲間を一人でも助けようと念動を駆使する陽咲が居た。他には大勢の負傷者や戦死者も。人の、戦場の死など見飽きていた渚だったが、不思議と感情を揺さぶられる。
そして……
『マスター、即座に退避を。あの戦場はもう終わりです』
ーー駄目。警告をしないと
『間に合いません。貴女ならば見えている筈です』
ーーカエリー、黙って
『私の存在意義はマスターの延命と補助ですので、何度でも伝えます。もはや我々では、対処も解決も不可能。思い出してください。以前の世界ならば振り返らず、ただ走り出したでしょう。もう一度警告します、間に合いません』
カエリースタトスは淡々と言葉を重ねた。それでも、渚に変化など起きない。
「急いで! もう少しで魔力の影響下に入る。ううん、PLに!」
真っ直ぐに、渚の異能は陽咲達を捉えていた。




