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芽吹いた想い

 


 薄く開いた瞼の向こう、淡い光が見える。


 はっきりしてきた視界には、見知らぬ天井と間接照明が有った。照明は明度を落としているのか大人しい灯だ。違和感を感じる腕には、最近慣れてしまった点滴の針が刺さっている。透明な液体が規則正しくポタリポタリと滴下するのが見えた。


「此処は……?」


 天井の装飾、高価そうな照明、鼻を擽る香りは花だろうか。(なぎさ)には全く覚えのない場所で、しかし心も身体も反応が鈍かった。


 ボンヤリして、フカフカのベッドは雲のよう。身体に柔らかく掛かる白いシーツも、サラサラした感触が気持ち良い。


 夢を見ているのか、しかしマーザリグの屑共は居ない。いつもの悪夢とは思えないから、渚は動かないままだった。


「お目覚めですか?」


 その時、カチャリと開いた扉の向こうから女性が現れた。直ぐに起きて距離を取ろうとした渚だったが、その女性は緩やかな声で制止する。


「貴女様に危害など加えません。私の顔に覚えは有りませんか? 以前お会いしました」


 整った眉を少しだけ歪めて渚は視線を合わせる。そしてすぐに思い付いた。見たものを忘れさせない異能に、反応があったからだ。


高尾(たかお)遠藤(えんどう)征士郎(せいしろう)の屋敷で案内役だった」


 三十代に見える高尾は、あの屋敷に初めて訪れた時の案内をした女性だった。雨の降る中、傘をさして石畳を歩いた情景が頭に浮かぶ。


「覚えて頂いて光栄です、渚()()()。薬がまだ残っていますが、もう少しで抜けるでしょう。今は横になってお休み下さい」


 遠藤家の使用人の一人で、複数の技能を持つ優秀な人間だ。ベッドの傍で点滴の滴下速度を変える手慣れた動きからも其れは窺える。看護師の資格も持つ高尾が言葉を続けた。


「此処は遠藤家が経営するホテル、その最上階の一室です。私以外には秘書の大恵(おおえ)さん、そして貴女の祖父である旦那様しかおりません。ですから安心して……」


「お嬢様? 何を言ってる」


 説明を遮り、渚は聞き捨てならない呼び方に言及する。


 年齢通りの可愛らしい疑問、整った眉がクニャリと曲がるのを見て高尾に笑顔が浮かんだ。初めて会った日はただ不気味に思ったが、今はどうだろう。美しい容貌はそのままに、儚く柔らかな空気が在る。大まかな説明は受けているから彼女が何者なのか知っていた。だが、其れがなくとも気持ちに変わりは無かった筈だ。


「お嬢様は遠藤家の者で御座いますから……旦那様の孫娘として、此れからはお仕え致します。何かあればお気軽にお申し付けください」


 ただ身分詐称の為だった筈が、随分と大袈裟になっている。渚は益々顔を歪めて口を開きかけた。


「渚お嬢様。もう決まった事です。何か口にしますか?」


 少しだけ考え、首を横に降る。


「カエリー……私の持ち物は? 預かってるって聞いた」


「私には何とも……旦那様がご存知と」


「話がしたい」


 右腕と左脚は未だ包帯に包まれている。それも無視して渚がベッドから降りようとすると、高尾が直ぐに止めた。


「お呼びしますから。そのまま動かないで下さい。意識が戻ったらお知らせする事になっています」


 本当ならば身体をベッドに押し付けただろうが、触れてはならないと厳命されている。


「……分かった。お願い」


「はい」


 大人しくベッドに留まったが、上半身を倒したりはしなかった。遠藤征士郎が来るまで待つつもりだろう。其れを確認した高尾は音を立てず、しかし早足でスイートルームを後にした。













「カエリースタトスを返して」


 入室して来た遠藤に、渚は挨拶も無く迫る。


 しかし、全く動じない遠藤は、伴ってきた大恵が用意した椅子に腰掛けた。距離は約二メートル。会話するには少しだけ遠いが、孫娘の状態を考慮した位置だ。


「全く、若いのにせっかちだな。其れに、儂が素直に渡すと思っているのか?」


 洋風のスイートルームだが、変わらぬ和装の遠藤が返す。皮肉げな笑み、白髪と口髭、細い杖の全てが似合っていた。この男には、他の者には無い独特の空気感がある。


「私のモノ。渡すも何も無い」


「渚は儂の可愛い孫娘だからな。御転婆なところも良いが、言葉遣いから直していこう」


 飄々と答える老人を見て、渚の視線は厳しくなっていった。


「巫山戯ないで。早く」


「今いる此処は第三師団の戦場から随分と離れているぞ。距離にして……」


「約150kmです」


 遠藤の視線に大恵も淡々と返した。


「……アレから何日たった?」


「二日だ。其れに、三葉司令の話ならばそろそろ決着がついているだろう。渚のおかげで準備が整い、必ず勝てると笑っていたよ」


 渚の記憶にも哀しそうに笑う三葉がいる。だが、その遠藤の言葉に安心などしなかった。何故なら、この世界に帰還して何度も何度もPLへ潜って来たが、あの様な"魔力渦(まりょくか)"など一度たりとも見た事が無いからだ。マーザリグの世界でも度々起こる現象では無かったが、生み出す結果は想像を絶する破壊だった。アレが意思を持つ魔使いの行使で無いからと言って、其処に希望など感じない。


 そして、あの場所には千春の愛する妹、陽咲が居る。不安と焦りは感情の乏しい渚に影響を与え、其れは怒りへと変換されていった。


「依頼する」


「依頼?」


「決まってる。あの時契約した筈。貴方の話し相手になる代わりに、私の欲する情報を持って来るって。あの戦場が今どうなっているか、急いで」


「渚、落ち着きなさい。今は」


「早く!」


 先程まで可愛らしさを映していた瞳は、燃え盛る炎の様にギラギラと灯りを反射している。


「……大恵。儂の番号を使っていい。警備軍へ確認を取れ」


「はい、旦那様」


 遠藤征士郎の秘書、大恵は直ぐに踵を返して退室して行った。


「カエリーを返して」


「カエリースタトスは言っていたぞ。渚は冷徹な兵士、その不足した力を精神で補っていたと。だが今のキミはどうだ? 屋敷の茶室で見せた冷静さも、凄味も無い。ただ泣き喚く餓鬼だ」


「……煩い」


 唇を噛む孫娘を見た時、遠藤に去来したのは失望では無かった。表には出さないが、寧ろ希望と喜びだ。氷の精霊に例えられた美貌はそのままに、しかし年齢に合った感情を隠せていない。傷付き、悲しみ、怒りを溜めて此方を睨み付けている。


 きっと、変わったのだろう。


「変えたのは、杠陽咲か」


 ボソリと溢したが、それは無意識の発露だ。同時に確信もする。あの不器用で純粋な娘は、目の前の渚に恋しているらしい。今更人の恋路に興味など無いが、微笑ましく感じる。


 見れば、やはり落ち着かないのだろう。小さく体を揺らし、大恵が戻る筈のドアをチラチラと見ていた。思わずニヤリと笑ってしまい、それを目敏く見つけた渚がキッと睨む。


「何が可笑しい」


「ん? ああ、スマンスマン。そうだ、渚に手紙を預かっているぞ。杠陽咲からだ」


「見せて」


 殆ど被せる様に返答する孫娘は、奪い取る様に便箋を手に取った。三つ折りになっていて、無事な方の左手を器用に使い開く。瞳が上から下へと流れていき、それに合わせて眉間に皺が寄っていった。怒っていると言うより困惑の色が目立つのは不思議なところか。遠藤は興味が唆られたが、流石に他人からの手紙など見る訳にはいかないだろう。ましてや二人は若い娘達だ。


 暫く沈黙が続いて、大恵が戻って来た。


「旦那様、お耳を」


 唇の動きすら手で隠し、渚には会話の中身が分からない。


「……そうか」


「内緒話なんて要らない。早く教えて」


 丁寧に折り畳んだ手紙は、枕の下に隠された様だ。


「初戦は圧勝だった様だ。渚の予測通りにレヴリが現れたが、約二十四時間で駆除を終えた。此れは歴史的な記録と言っていいぞ」


「初戦?」


「そうだ。まだ戦端は開かれて無い様だが……正体不明のレヴリが観測されたらしい。つまり、スライムに次ぐ新種だろう。今は手を打つべく調査をしている」


「新種……以前、戦死率が跳ね上がるって」


「ああ。対処方法が用意されて無いし、PL内では兵器も限られてしまう。だが撤退は考えられないな。後方には人の街があり、背広組や国民も許しはしない。まさに、国家警備軍はその為に存在する組織だ。ましてや三葉司令は決して諦めたりしないだろう」


 小さな拳がギュッと握り締められたのが遠藤や大恵に見えた。だから、渚が紡ぐ言葉も予想出来たのだ。


「カエリースタトスを早く返して……お願いだから」


「お願い、か」


「何でも言う事を聞く。後から好きにしたらいい」


 若い娘が「何でも」などと簡単に口にして、遠藤は思わず注意したくなった。だが、今はその時ではないだろう。


「何故に愛する孫娘を危険な場所へ送り出すと思うんだ? この儂が」


「貴方は私を使える狙撃手だと思ってる。この国を、日本を愛している人だから興味を持った。レヴリを倒す力を求めているから、態々戸籍なんて用意して……」


「半分正解で、半分不正解だ。だから聞かせて欲しい。何故、(あかなし)陽咲(ひさ)を護りたいんだ?」


「それは……千春(ちはる)の」


「其れが理由か? ならば此処で大人しく寝ていなさい」


 ピシリと儚き小さな声を遮る。其処には、厳しく強く、決して退かない意思が見えた。渚は俯き、暫くの間沈黙が支配する。だが、次の言葉に孫娘の成長を見ることになる。遠藤は喜びと同時に悲しみを持った。


「陽咲は……」


「ああ」


「こんな私を好きって、昔の事も関係ないって言ってくれた。最近、悪夢を見る夜が減って、陽咲が触れてもただ温かいだけ……()()()()()()


「……そうか」


 万感の想いが去来する。僅かな時間しか共に過ごしていないが、渚は変わったのだと確信出来たから。


「大恵」


「はい」


 まるで全てが分かっていたかの様に、キビキビと動き出した。


「徒歩や車では時間が足りない。屋上にヘリを待機させてある。着替えは高尾が持って来るから準備しなさい」


「最初からそのつもりだったの?」


「ん? さあ、どうだろうな?」


 いつもの皮肉気な笑みが、老人の顔をグニャリと曲げた。









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