赴く者達
最後の章です。
カテゴリⅢに変貌した異界汚染地、通称PLは既に消えた。音も光も無かったが、そう判断出来たのは予測して配置されていた監視班からの報告だ。何より、凡ゆる光学機器や通信網が稼働を始めたからだろう。
第三師団の司令、三葉花奏の元には鮮明な衛星写真と情報が集まって来ている。レヴリ自体は黒い点にしかカメラに映らないが、大量に発生した奴等は組織だった動きを見せていない。しかし、それも時間の問題なのは明らかだ。奴等の周囲に餌は無く、腹を空かせた化け物どもは止まりはしない。
仮初でも、平和だった街はまた一つ消え行くのか。再びPLへと堕ちるのは時間の問題と誰もが確信していた。
それでも……人は足掻く。
それしか出来ない。
国家警備軍は諦めたりしないからだ。
「第一は?」
「直ぐに応援部隊を回すと。到着は明日です」
「よし、ならば東西を任せよう。とにかく住民の避難が終わるまで防衛ラインを越えさえしなければ良い。誘導は予定通りだな?」
「はっ。目視による観測では単純なレヴリが大多数を占めます。獣型、鬼、そしてスライム。どれも最近発生した奴等ばかりなので、対応も可能でしょう。誘導先は第三師団の総力を上げて防衛すれば支えられると判断しております」
「ああ。対地ミサイルの初撃が間に合えば良いが……PLの拡大速度は計算出来たか?」
「情報部より報告が先程。レヴリの群れがPLの闇に包まれるまで約三時間となっています。奴等が想定より早く動き出せば更に遅れる。ジレンマですな」
「ならばダメージの大小は気にしなくて良い。直ぐに出せ」
「はっ」
空からの攻撃はPLが拡大する前しか出来ない。たとえ効果が限定的であろうとも、やらないよりは良いのだろう。
三葉の指令は次々と伝達され、第三師団は活発に動き出していた。これも渚の異能による迅速な発見があったからこそだ。[魔力渦]と呼ばれる魔力爆発はしっかりと観測され、同時に近隣の街からの避難も進んでいる。此れは過去に例の無いスピードで、一般市民への被害をゼロにする可能性すらあった。
「総数は約七千。其処から増加は見られません。幸いと言って良いか……」
数への慄きが何処かから溢れる。しかし三葉は淡々と返すだけだ。
「ああ。エネルギーが尽きたんだろう。つまり魔力の収束と放出に使用された。遠藤渚からの情報も裏付けている」
「天使ですね。正に救いの神子ですな」
「そうだな。だが同時に警告もあった。爆散した魔力は消滅した訳では無い。形を変え残っていて、再利用する技術も存在するそうだ。つまり、第二第三の魔力の渦が発生する未来を想定すべき。皆、分かっているな?」
その厳しい指摘にも、司令部内の全員は驚いていない。既に渚の功績と能力は周知されていて、誰一人として疑っていないからだ。何より三葉が全幅の信頼を置いている相手、其れが天使なのだから。
「異能者の配置は?」
「後詰を……」
「救護所の整備を厳に……」
「避難誘導に遅れが……」
「観測班に後退命令を……」
レヴリの大群との決戦はすぐだろう。
誰一人として絶望は浮かべていない。必ず勝つと信じ、いや確信していた。暴走は長いレヴリとの戦いで何度か起きたが、これ程に万端な準備を終えた軍は存在しない。其れが全員の活力と士気を育み、好循環を生んでいるのだ。
「やれる」
三葉は各所と連絡を取り始めた部下達を見て、そう呟いた。
○ ○ ○
自室に戻り、すぐにコーヒーを用意した。ミルクはいつも通りだが、何となく角砂糖は二つ。軽く掻き混ぜると、カップを持ち窓へと向かう。もはやルーチンに近い行動だが、その間も頭の回転は止まっていなかった。
この後、追加の指示を出したら着替えて前線に赴く。決戦と言っていい此の戦いで、悠長に後方で待つ気持ちなど三葉には存在しない。戦闘そのものは出来なくとも、異能を駆使して広域への命令を発するのだ。
厳しい戦いになるのは明らかでも、最善の手を尽くす。それが警備軍の、第三師団の役目だ。
予定を次々と脳内に書き込んでいると、司令官室の扉がノックされた。予定には無い。普通ならば事前に知らされているから不測の事態だろう。或いは、軍下の者でないか、だ。
「入れ」
だが、予想はしていた。だからこそ時間を少しだけ作り自室に戻ったのだ。
そして、開け放たれた扉の向こう側に小さな人影が見えた。不慣れな車椅子を頑張って操作して来たのだろう。ほんの少しだけ疲れは見えたが、変わらぬ無表情はそのままだった。
「三葉司令、いい?」
「どうぞ。一人?」
「うん」
車椅子に乗る可愛らしい少女はゆっくりと近づいて来た。介助しても良かったが、渚が其れを望まないのは理解している。姪である杠陽咲以外、触れ合う事は厳禁だ。
「少しは慣れた?」
「まあまあ。でも経過は順調だって聞いてる」
「ああ、越野からも少し聞いてる」
主治医である越野多恵子から詳細な報告を受けているが、態々話す必要はないと笑顔で済ませた。
改めて三葉は渚を観察する。
黒髪は陽咲が世話しているので艶を取り戻している。ストレートポニーテールは変わらないが、それでも印象は随分と明るくなった。目の下の隈は薄くなっていないのが残念で、睡眠障害だけは簡単に解決出来ないのだろう。それでも、冬や氷の精霊の如く……包帯はまるで降り積もる雪のようで、やはりフワフワの白いパジャマも同じだ。
少しキツめの視線も三葉からした可愛らしいし、細い顎や首のラインだって綺麗だ。
「……どうしたの?」
少し長く見続けてしまったのか、渚が怪訝な顔をする。それすらも、美しい。
「ふふ、何でもないわ。さて、用事は何かしら」
三葉は想像が付いている。それでも聞いた。
「武器を返して欲しくて」
「カエリースタトスはいつでも返すわよ? 私が預かってるだけだし。でもその前に少し話をしましょう」
「なに?」
「あの黒い銃に宿る人工精霊から色々と聞いたの。渚は遊撃隊の、更に遊軍扱いで、所謂前線には行かなかったって。その小さな身体の通りに体力は低くて、長時間に渡る戦闘は苦手。何より大軍同士の戦争になれば、貴女の異能は余り役に立たない。乱戦だと狙撃もままならないだろうし、この前とは状況が違い過ぎるわ」
「……だから?」
渚の視線は益々鋭くなったが、三葉は構わず続けた。
「分かってる癖に。それでも戦う気?」
「戦うとか戦わないとか、関係ない。私は陽咲を護る。その為だけに生きてる」
「哀しい事を言わないで欲しいわね。私の知っている千春なら、絶対にそんな渚を許さない。きっと酷く怒って、それでも優しく頭を叩くでしょう。それとも、私が知ってる千春とは違うのかしら?」
「……一緒。マーザリグでも何度か叩かれたから」
「そっか……千春は、賢くて強かった。そんな姉だから陽咲も憧れたのよ。もし渚に何かあったら、私が千春に怒られちゃう。勘弁して欲しいわね」
渚は俯き、それでも止まらない。それも、三葉の想定通りだった。
「あの人は私にとっての全て。もし此処にいたら、直ぐに走り出して陽咲を護るよ。それとも、三葉司令の姪は、私が知ってる千春と違うの?」
そっくりそのままに渚は返した。そこには揺るぎない決意があって、何があっても戦場に向かうだろう。ジッと視線を合わせ、渚は逸らさない。
「ハァ……貴女達姉妹はホントに頑固ねぇ……困ったものだわ」
天井を仰ぎ、腰に両手を当てて三葉は笑う。
「仕方ない。私の指揮に従うのよ? それと先に越野の所に行きましょう。痛み止めとか要るし」
「分かった」
「押してあげる。ロックを解除して」
「うん」
車輪止めを外し、再び三葉を見る渚はやはり少女に見えた。
「越野、居る?」
「なんだ、三葉司令」
「あら居たの? てっきり野戦病院の設営にでも向かったと思ってたわ」
「くだらん嫌味なら明後日にしろ。設営ならば既に済ませてある。私もこれから向かう所だよ。餓鬼みたいな第三師団司令様と一緒にな」
「あん?」
「そんなとこが餓鬼なんだ、お前は」
「けっ」
変わらずヨレヨレの白衣を纏った越野は、車椅子に乗る渚に体を向けた。医療従事者であろうとも、警備軍兵士と変わらぬ厳しい視線だ。レヴリに対するだけが戦いでは無い。人の命と向き合う、此処は戦場なのだろう。
「渚、お前には安静にするよう伝えた筈だが?」
「見ての通り、してる。詳しくは三葉司令の話を聞いて」
「生意気な奴だ、お前は。綺麗な顔なだけに、益々腹が立つ」
「それは悪かった」
言葉以外全く悪びれない渚に、ため息しか出ない。
「越野、例の痛み止めだけど、頼めるかしら?」
「ふん、つまり渚は戦場に行くと? 主治医として許可出来んな」
「この場合、私の命令が絶対よ。今は一級戦時体制だから」
「レヴリを殺すのに、子供の力に頼るのか?」
「まあ私も越野曰く"餓鬼"だから、よく分からないわね」
越野はふんと鼻息荒く離席すると、少し大きめの注射器を持って戻って来た。既に液体が入っていて、先に準備していたのだろう。
「三葉司令。確認するが、この特製の痛み止めでいいんだな? かなり強いから二日は効き続けるが」
「ええ、勿論よ。私が責任を取る」
「いいだろう」




