一人の女の子
翌日には一般病棟に移された。勿論個室だが、テレビや窓もあって室内は明るい。昨日までの警戒感が嘘の様だから、逃げ出すことも簡単だろう。
でも、渚の身体は動かなかった。怪我もあるが其れは関係ないと理解している。ベッドの上で上半身を起こし、窓の外のフワフワと舞う葉っぱを眺めていた。何故か目が離せなくてノックの音にも反応出来ない。
「渚ちゃん、入るよ」
入って来たのは杠陽咲だ。昨日から自称姉となり、甲斐甲斐しく世話を焼いて来る。スプーンでアーンとして来た時は、流石の渚も苛ついたらしい。
一方の自称姉は、外をぼんやりと眺める姿を見て綺麗だなと思った。因みに恋までしてるから、背徳感まで覚えていたりする。三葉曰く、重症だ。
だから、ゆっくりと振り向いた渚とばっちり目が合った。
「大丈夫かな?」
「うん」
良かった。そう言って笑う陽咲を渚は不思議な気持ちで眺める。
「今から話したい事があって、昨日会った越野先生……ほら、背の高いショート髪の怖そうな女の人」
「分かってる」
「それと、先に会いたいって人が来てて。お爺ちゃんなんだけど。あと三葉叔母さんも」
「遠藤征士郎?」
「うん。えっと、入って貰っていいかな? 勿論私が傍に居るから安心してね」
パジャマ姿で男性と会うなど普通ならば嫌な筈だろう。だから陽咲は質問するし、男性と二人きりになんてしないからと気遣っている。三葉もいるなら的外れなのだが、特に指摘はしなかった。こんな時、マーザリグでの日々を間違い無く知っていると渚は理解する。
「大丈夫」
しかし、簡単に頷いた。その老人ならば問題ない。PL、つまり異界汚染地から帰ったら連絡を取ることになっていたからだ。
「了解。遠藤さん、どうぞ」
スライド式の扉がスラリと横にずれて、和装の老人が姿を見せた。後ろにはもう一心同体なのかと言いたくなる大恵も控えているようだ。自然に手土産を窓際の台に置いた。
「渚よ、暫くぶりだ。全く、アレ程無茶をするなと言ったのに、全身包帯まみれじゃないか。爺いの助言は聞くものだぞ?」
「老い先短い人の?」
「ん? まあ、そうだな」
遠藤は内心酷く驚いていた。まさか渚が冗談を返すとは想像していなかったからだ。普通に会話が成り立っているし、視線だって此方をしっかりと捉えていた。直ぐ隣に佇む念動の杠陽咲が何かを変えたのだろうか。まだ未熟な異能者を何となしに眺めて思う。
少し遅れ、第三師団司令にして陽咲の叔母である三葉花奏が入室して来た。廊下に見えた部下に何か指示をして扉をしっかりと閉める。
「どうぞ」
「おお、済まないな」
陽咲が用意した椅子に腰掛け、もう一度孫娘に向き直った。そして、徐に一枚の紙を取り出して渚に見せる。渡さないのは右手が包帯で覆われているからだろう。反対側の左腕にも点滴の管が繋がっていた。
「遠藤渚?」
「うむ、実はそうなんだ。お前は儂の孫娘だったんだよ……今迄黙っていて済まなんだ。さあお祖父さんだよ、渚」
「巫山戯ないで」
「しかし、戸籍は嘘を付かないぞ。もう一度確認するかな」
何故かニヤニヤしている三葉を渚は見た。慌てて表情を戻すが、それすらも演技だろう。そんな三葉は仕方無く割り込んで話を引き継いだ。
「渚の身分が分からなくてね。まあ色々考えた結果よ? それとも連絡が取れる人が……いないわよね」
その失言に、陽咲の抗議の目線が突き刺さった。
「とにかく、身分不詳のままだと都合が悪いの。あの銃もあるし、福祉施設に預ける訳にもいかない。貴女は新人の、見習い警備軍の一員ってところかな。別に軍役なんて求めないから安心しなさい。悪いけど反論は認めない。此処で大人しく身体を治すのよ」
「そう」
「そう言う訳だ。つまり儂の孫娘で」
「もう一回見せて」
遠藤の遊びを遮って言う。渚も分かっているのだろう、目の前の爺いがどんな老人なのかを。
「ほれ」
「遠藤武信。父親の名前」
「まあな、儂の息子だよ。もう随分前に姿を消しているし、お父さんと呼びなさいなどと現れないから安心しなさい」
自分の事を棚に上げるのも爺いの得意技らしい。
「知ってる」
「何を?」
「この人、多分間違いない。会った事はないけど」
「……何だと? 武信を知っている?」
「千春から聞いた。ベルタベルン王国の王で、逆召喚の技術を教えてくれたって。あの世界で日本人なんてまず居ないから、間違いないと思う」
「な……」
「だ、旦那様」
ずっと前に消えた息子が別の世界の王? 荒唐無稽な話なのに、遠藤の心へ真っ直ぐに染み込んで来た。小さな頃から凡ゆる事を学ばせて、後継者として育てていた。反抗期は勿論、道を外れた事もあったのに……そんな息子が人を導く王となり、孫娘を此処に帰還させたのだ。
老獪な瞳に涙は似合わない。だから遠藤は皺が刻まれた拳に目を落とし、震える手を摩った。
「……他に、他に何か聞いているか?」
「家族が居て、国を守らないといけない。私はベルタベルンの王なのだから。帰らない理由に、そう答えたって」
「そうか……あの武信が……」
「千春なら、もっと詳しく知っていたと思う。私はそれくらいしか」
「いいんだ。よく知らせてくれた。ありがとう、渚」
圧倒的な狙撃手で、未知の異能を持つ若い娘を手に入れたかった。その渇望は自身も驚く程だったが、此れは運命だったのだ……遠藤はそんな風に思い、ベッドの上に居る渚を眩しそうに眺めた。深い愛情すら感じる。
黙って聞いていた三葉も陽咲も、不思議な幸せを感じるひと時。運んで来たのは可愛らしい堕天使、渚だ。
「さて、怪我人の、しかも女の子の病室にいつ迄も長居する訳にもいくまい。そろそろお暇しよう。渚、元気になったら儂の屋敷に来い。部屋も準備するぞ」
「……考えておく」
「ああ」
そして、和装の老人は退室して行った。
「ふふ、あの遠藤征士郎も渚の前じゃただのお爺ちゃんね。面白いものを見たわ」
茶化す三葉は内線を使い、誰かに終了を伝えた様だ。
「渚ちゃん、疲れてない?」
「うん」
「痛かったり、気分が悪かったら直ぐに言ってね? 結構な重症なんだから」
「慣れてる」
叔母と姪は視線を合わせて目配せした。やはり渚を放ってはおけない。こんな怪我に対して慣れているなど、如何に異常なことか彼女は忘れてしまっているのだ。
○ ○ ○
「右腕の熱傷はどうしても跡が残るだろう。恐らく多少動かし辛くもなる。日常生活にはそこまで影響は無いが……続けて良いか?」
「大丈夫」
「左足首の骨折……ああ、ひびが入っている状態だ。ひびも骨折と言うんだよ。剥離骨折じゃないから手術も不用で、ギブスで治せるぞ。期間は数週間だが、その後リハビリが必要な場合もある。足首は固まるとかなり違和感があるからな。それと……」
「何?」
「キミの身体を調査する過程で……色々とな。鋭い刃物状のモノで、文字が刻まれているだろう? 手術、レーザー、外用剤などを使って消せたらと考えている。麻酔もするし、時間も必要だ。だが、任せてくれないか」
真摯に伝える。遠回しはしない。
「渚。この越野は警備軍の負傷者を多く治療して来たの。その腕は私が保証するわ。キミの、苦しかった三年間を、少しでも薄められたなら……どうかな?」
俯く渚を抱き締めてあげたい。でも、それは叶わない。此れからも寄り添うだけ、陽咲は何一つ出来ない無力感と戦っている。
「全部……全部聞いた、の?」
「ええ、そうよ」
それ以上何も言わない。いや、言えない。渚の苦悩と絶望を理解するなど不可能なのだから。
「陽咲は……」
「私? えっと、越野先生ならきっと……」
「私が戦えない間、PLに入る?」
言葉に詰まる。陽咲は勿論、残る二人もだ。
ところどころ無理矢理戦争に参加させられた証の古傷がある。普段着ていた衣服では無いから多少肌が見えるからだ。それでも、カエリースタトスを持たず、パジャマ姿の渚は誰が見ても可愛らしい女の子でしかない。俯き、悩み、戸惑いのあった渚ならば当然だろう。そんな娘が言うのだ。
今の自分は陽咲を守護出来ない。その間、危険な場所へ行くのか。いや、行かないでと。
「それは……」
陽咲は嘘が苦手だ。行かないとも答えられず口籠った。適当に嘘を吐いて、治療に専念しなさいと言えば良かった……そう後悔しても遅いのだ。渚だって理解してるだろう。思わず助けを求めて三葉を見た。三葉としても渚に癒されて欲しいから口を出した。
「渚? 何事も絶対は無いわ。だけど陽咲は新人で、カテゴリⅤ以上のPLには連れて行けない。スライム共がいた彼処は暫定的にカテゴリⅢに変更になったの。しかも今回の戦闘で未熟な判断力が露呈したから、暫くは訓練と講義のやり直しになる。余程の不測な事態、つまり新種などが現れない限り、街に侵入するレヴリの駆除が中心ね。警備軍のベテランが必ず同行するし、まあ危険は少ないでしょう」
渚はジッと三葉の目を見ている。何か心の底まで見透かされている様で居心地が悪い。実際に異能を使い、脈拍や瞳孔の変化、発汗などを見ているから当然だろう。もし今撮影したならば、渚の瞳の周りは闇に沈んでいる。
「誤解のない様に言っておくけど……陽咲だけの特別扱いではないの。カテゴリ毎の対応はしっかりと規定されているから……何なら調べてみる?」
「……分かった。あんなキズ、私だって消して欲しい」
「そうね。越野、進めてくれる?」
「ああ」
そう返した越野は退室して行く。直ぐにも動き出すのだろう。
「さて、私も行こうかな。何かあれば看護師に……」
渚の如く、今度は陽咲がジッと三葉を見ている。
「……陽咲が居る時は任せる。いい?」
「はい!」
最近妙に増えた溜息を吐いて、三葉は扉の向こうへ消えて行った。




