姉妹の絆
「越野、いつ眠りから覚める?」
「明日だな。だが、念の為に拘束具は外さない。もう一度話を聞いて判断する。構わんな?」
「仕方あるまい。だが、最初に会うのは陽咲だけだ」
「ああ。あの子が人間だと認めるが、しかし警備軍で保護するのは難しいぞ? あの若さで身元は不明のまま……待て、何故身元が割れない? 例え年齢を重ねたとしても……」
当然の疑問だったが、すぐにカエリーが答えを齎した。
『マスター曰く、元の世界と微妙に変化していると。レヴリなど存在せず、警備軍は自衛隊から名を変えているそうです』
「レヴリがいない? 自衛隊は三十年以上も前に無くなった組織だぞ? 警備軍に吸収された」
「では時代が違うのか? いや、それでは千春と会うタイミングなどある筈がない」
『召喚の副作用でしょう。時の流れも、被召喚者の姿形が変わるのも珍しくはありません』
簡単に言うがとんでもない事実だった。
「では、もっと年齢を重ねていた可能性もあるか。そう言えば以前、陽咲の事を年下の様に呼んでいたな」
最初に陽咲が接触した時、渚は言ったのだ。この子を害するつもりは無いと。
「ふん、だが尚更厳しいな。警備軍では」
「越野、随分と優しくなったじゃないか」
「茶化すな。つまり身分は不詳のままで、年齢だって見た目から推測するしかない。どう高く見ても高校生だろう。法的にクリア出来ないし、保護するのは軍では無い。当然の事だ」
「あの……別に警備軍じゃなくても」
「陽咲、よく考えなさい。一般人ならば銃器の不法所持と異能による縛りが厳しくなるの。知ってるでしょう。越野はそれを心配してるのよ?」
急に叔母としての口調に戻り、諭して来る。陽咲も言葉に詰まった。指摘通りだと思ったからだ。
『マスターに保護など必要ありません。一度隠れさえすれば貴女達に見つける事は不可能です。マーザリグでは必ず単独による行動でした』
再び孤独の闇に落とす訳にいかない。だからこその話し合いだが、カエリースタトスは何も理解していない様だ。それを聞いた三人に渚を手放す答えは無くなった。渚が許すならば、この黒い銃と引き離したいくらいだ。黒い布をケースに掛けてカエリーを隠した。つまり、黙ってろ、そう言う意味だろう。
「三葉、どうするんだ?」
「ん? 遅いわね」
「なんだと?」
「叔母さん?」
二人同時に聞いたが、当の三葉は壁に掛かった時計を見て眉間に皺を寄せている。そしてその疑問は直ぐに解けたのだ。
「失礼するぞ」
軍の施設に不似合いな和装の男が入室して来た。背は高く、細っそりとした老人。しかし背筋は伸びていて、年齢を感じさせない。後ろにもう一人いて、そちらも年配の男性だ。鞄を脇に抱え、和装の老人に付き従う召使いを思わせた。
「遅い」
「無茶を言うな、三葉司令。老い先短い老人には優しくするものだぞ?」
「遠藤征士郎……何故此処に……」
「おお、キミは越野多恵子だな。医系技官を務め上げれば相当な地位に居ただろうに。だが儂は嫌いではないぞ」
「良くご存知だな」
「爺いは色々と知ってるものだ。そう思うだろう、念動の杠陽咲」
「は、はい! え、えっと、お会いした事が?」
「ん、これは面白いお嬢さんだ、ハッハッハ! そう思わんか、大恵」
「ユーモアに溢れるお嬢様ですな」
いや、完全に天然なんだけど……そんな溜息を隠さない三葉は呆れている。
「はぁ、もういい。例のは?」
「ああ、大恵」
「はい。これです、三葉司令」
抱えた鞄から一枚の書類を出して渡す。それを受け取るとサッと流し読みをして頷いた。
「おめでとうと言うべきかしら? 行方が分かった孫娘と貴方に」
「そうだな。儂の馬鹿息子は随分前に居なくなったが、まさかこんな子宝を残しているとは。世は不思議に溢れているよ」
「三葉、お前まさか……貸せ!」
書類を掻っ攫い、その予想通りのモノを見て顳顬をグニグニする。そんな越野は暫く動かない。
「陽咲、アンタも見る?」
「え、うん。私が見てもいいの?」
「勿論よ、大切な人の事だもん」
「……遠藤、渚。年齢は十八歳? 思ってたよりお姉さんなんだね。父親は遠藤武信……じゃあ、貴方が渚ちゃんのお祖父さんですか⁉︎」
流石の遠藤征士郎も、陽咲の天然ぶりに笑う事も出来ない。馬鹿正直に信じる者が居ようとは、と。
「はぁ」
再び叔母である三葉が溜息をついた。
「杠、お前は馬鹿なのか? 偽造だよ、コレは」
「え?」
「身分を偽って警備軍の保護下に置くために、お前の叔母と老人が画策したんだ。何が十八歳だ、全く。三葉、お前最初からそのつもりだったな?」
「さあ、何の事かしら?」
すっとぼける三葉、呆然とする陽咲。そして柔らかい笑みを消した遠藤が張りのある声を掛けた。
「よいか、はっきりと言っておく。マーザリグでの過去も、戸籍などもどうでもいい。あの娘、渚は儂の何よりも大切な孫娘だ。警備軍に預けるが、下手な扱いは許さん。分かったな、三葉司令」
日本有数の資産家にして、政界にも手を伸ばす遠藤の言葉が響く。兵士でもないのに、其処には一人の戦士が居た。だから三葉も真っ直ぐに見返し、立ち上がった。何より、此処での会話すら筒抜けだった様だ。恐らく花畑辺りの小細工だろう。
全ては出来レースだった訳だ……越野は笑い、三葉を見た。小さな身体なのに、何故か大きく見えるのだ。そして聞こえて来た声は、間違いなく第三師団の司令のものだった。
「分かりました。大切なお孫さんを第三師団にてお預かりします」
○ ○ ○
渚は何度も夢を見ていた。
悪夢が襲い、出せない悲鳴を上げる。暫くするとマーザリグの奴等が消えて、誰よりも愛しい人が笑い掛けた。
長い黒髪、鋭くも慈愛が光る瞳。深い知性を感じる視線が渚を見ている。
「……千春」
そして夢が、千春が消えて行った。
「行かな、いで……お願い……」
腕を必死に伸ばそうとするが、何かが邪魔して動かなかった。
薄ぼんやりとする意識、遠くから鳥の囀りが聞こえて目を覚まそうとしている自分を自覚する。周囲の気配を探る事は、渚にとって息をする様に行うから直ぐに気付いた。すぐそばに人がいる。
逃げようとしても、両手両足が固定されていて起き上がる事が出来ない。軽いパニックに襲われた渚は、必死に身体を捩った。あちこちに痛みが走ったが、そんな事はどうでも良いと力を込める。だけど、不思議と落ち着く声が届いて渚の心は平静を取り戻したのだ。
「渚ちゃん。大丈夫、直ぐに外すからね。あまり暴れたら痛いよ、それにまだ目覚めたばかりだから……でもその前に少しだけ話がしたいの」
ゆっくり瞼を開き、首を横に倒した。そこには予想した通りの人が居る。椅子に腰掛け、ベッドに手を添えている。渚には触れていない。
「陽咲……?」
重い身体と唇を動かすと、掠れ気味の声がした。渚は自分の声だと漸く気付く。
「うん、私よ。酷いことなんてしないから安心して」
「……此処は?」
「病院だよ、警備軍の。第三師団内にある軍病院。PLじゃないからね」
「そう。陽咲、怪我は? 大丈夫だった?」
一瞬自身の怪我の状態を聞いているのかと思ったが、視線を見ればそうじゃ無いのが分かる。自分の体ではなく、陽咲の様子を観察しているからだ。それを理解して陽咲は悲しくなった。カエリースタトスから聞いた過去が渚を傷付けてしまったのだと。
「怒ってるんだよ? 約束したのに、一人で残ったりして……私が喜ぶとでも思った?」
「前にも言った。私が勝手にやってる事だって。陽咲がどう思うかは関係ない」
視線を離し、天井を見る渚の横顔に悲哀は募るばかりだ。
「悲しいこと言わないで。千春お姉ちゃんだって、そんな渚ちゃんを見て怒ってる。それとも傷付くキミを褒めてくれると思うの?」
返答は無い。何時もの拒絶感だ。でも、全く幸せな事じゃないけれど、カエリースタトスから聞いた過去が更に強くした。渚の全てを受け止めると決意した陽咲に通用などしない。
「私の武器は?」
「カエリースタトスの事? 預かってるよ」
だから陽咲は仕掛けた。別室で三葉も越野も聞いているが、そんな事は意識の外に追いやる。ビクリと身体を揺らした渚を視界に収めたまま。
「……何で、アレの名前を」
「全部聞いたの。マーザリグ帝国の事も、渚ちゃんの三年間も、お姉ちゃんの事も」
「……そう」
瞼を閉じた渚は、少しだけ震えていた。そこには見た通りの少女が横たわる。陽咲にはそう思えたのだ。レヴリをあっさりと殺す狙撃手など何処にもいない。
「渚ちゃん、ごめんね」
「謝るのは私の方。本当なら千春が還ってくる筈だった。陽咲には想像も付かないだろうけど、千春は誰よりも強くて……」
「分かってる、分かってるよ」
「本当に、御免なさい……」
涙が頬を伝わり、腕を縛られた渚は拭う事も出来ない。
「千春お姉ちゃんはきっと何度でも渚ちゃんを助ける。だって大切なもう一人の妹なんだもん。だから……私達も姉妹だね。これからは千春お姉ちゃんの代わりに私が護って上げる。それに恋しちゃったから」
吃驚顔も可愛らしくて、陽咲は思わず触れたくなった。それを我慢して渚を見ると、何だか優しい気持ちになるのだ。
「私が妹?」
「勿論」
「逆、だよね?」
別室に待機して話を聞いていた三葉は深く頷いている。
「私が決めたからそうなの。渚ちゃんは妹なんだから言う事を聞きなさい」
その台詞を聞いた瞳に次々と涙が溢れる。小さな嗚咽……其れは止まらなくて、どこまでも枕を濡らしていった。
「ど、どうしたの⁉︎ 何処か痛い⁉︎ 待ってて、越野先生を……」
「違う、違うよ。ただ、驚いたから」
「え? 驚いたって、なにが?」
「千春が言ったんだ。私を連れ出す時、反対したら……妹なんだから言う事を聞きなさいって……だから、凄く驚いて……千春がいるみたい、で……」
もう我慢は無理で、ハンカチを取り出し渚の肌に触れないように拭う。まるで滝の様に涙が溢れて行くからだ。
そして、いつもの拒絶感は消え去っていた。
監視カメラが送って来る映像を眺めている。少し遠くても光る涙が見えた。あの写真の様に瞳の周りも黒く変化などしていない。儚くてか弱い、そんな一人の少女がいるだけだ。
「越野、アレがレヴリか?」
「言うな、分かってる。そう責めないでくれ。拘束具を外してくる」
もう一度画面を眺める三葉も、部屋を出て行った越野の目にも、僅かな涙が滲む。
それは、ほんのひと時の、姉妹の絆が齎した幸せの時間だった。




