眠り姫
「な、なんだと」
先程まで冷たい空気を放っていた越野でさえも動けない。花畑はガタリと立ち上がり、バタバタとカエリースタトスに近付いて行く。
三葉の額からは一筋の汗が流れた。
絶望感に溺れ渚を連れて脱走しようと悲壮な覚悟をしていた陽咲に至っては、意味が分からず顔を上げ発声元を探している。
「コ、コレが喋りましたよね⁉︎ 信じられない! ほら、あの黒い銃ですよ、三葉司令‼︎ さ、さあ何か話してご覧、怖く無いから!」
間違いなく別の意味で怖いが、カエリーには関係ないのだろう。淡々とした合成音が返って来た。
『もう一度言います。マスターは人間です』
「お、おぉ……銃が喋ってる……しかもレヴリを殺す威力を持ち、あれだけのレンジから命中させる精度……さ、触っていい? いいよね? カエリーさん」
「馬鹿が! 勝手に開けるな花畑! ソイツはレヴリなんだぞ!」
越野の叫びにビクリと揺れて止まる。花畑は酷く残念そうだった。
『再び反論を。私もレヴリなどではありません。あのような下等生物と一緒にしないで下さい。マスターの居ないカエリーはただの魔工物質です。攻撃など不可能……』
「……お前が渚の持っていた銃なのか? さっきまでナイフだっただろう」
何とか冷静さを取り戻し、三葉が質問をぶつける。
『魔工銃は魔力欠乏症、それに準ずる異人の為に開発されました。その開発理由から装備の有無を隠蔽したり、逃走や工作に向くよう設計されています。威力こそ低いですが、汎用性を高めるのが目的ですので。また、第四世代試作型はマスター専用と言っていい性能で、長距離からの狙撃能力に魔力を強く振っています。合わせて説明すると、カエリースタトスの意味は[天候の様に絶えず変化する]で、ナイフ形態はその一部でしかありません』
渚の武器とは思えないほど饒舌で、三葉は一瞬言葉に詰まる。しかも、気になるワードが多過ぎるのだ。
「……魔力? 異人? 威力が低い、ナイフ形態……一体何を言ってる。巫山戯た悪戯なら」
『悪戯や冗談を行う様に私は造られていません。存在意義は敵対勢力の殺傷、及びマスターの延命と補助です』
そして、渚以上に無感情な言葉。
「……馬鹿げた話だ。確かに高い知性を感じるが、コイツは天使の持つ武器だろう。誰が信用など……付くにしても其れらしい嘘を」
未だ混乱から脱せない越野は、何とか言葉を返した。
『嘘? マーザリグ帝国は私をその様に造っていません。先程の説明をもう一度する必要があるなら、そう言って下さい』
二度目に出た言葉、マーザリグ帝国。全員の頭に疑問符が浮かぶ。そんな国は古今東西聞いたことなど無いからだ。
「越野さん、判断するにしても話を聞いてからでしょう。新たな証言、新たな視点、何より兵装科としても。三葉司令?」
「ああ、花畑の言う通りだ。カエリー、スタトス? 話を聞こう。但し、隠し事は無しだ。偽証や虚言が含まれた場合、キミのマスターに不利だと警告しておく」
『三葉司令、了解致しました』
あっさりと請け負われて、思わず三葉は鼻白む。そして何となく、この黒い銃の性質が分かって来た。いわゆる人工知能に近い存在なのだろう。
「そう願うよ。全員席に戻れ。越野、お前もだ」
さすがの越野も反論出来ず、元の席へと腰を落とした。
「ではカエリースタトス。渚がレヴリでは無い理由を説明してくれ。意味不明な単語もだ」
『はい』
やはり全く無感情な言葉で、カエリーは淡々と説明を始めたのだ。
○ ○ ○
「召喚、実質的には誘拐か。異能を授かる異なった世界……」
『無制限に行うわけではありません。一度の召喚で呼べるのは最大三十名。しかも魔力が溜まるのは不規則な為です。何より、召喚陣も技術もマーザリグ帝国が持っていた物ではありません。偶然それを発見した事で、版図拡大への道を進む事が出来たのです。その前は数ある小国の一つでした』
渚は勿論、千春すらも知らない事実だった。
『マスターは召喚されて来た人間。私もマスターの世界を知りませんでしたが、もう一人の異人、ある女との話で理解するに至りました。その時の会話。まさか、日本人?と。非常に珍しい事でしたが、同郷の人間だったのです』
陽咲は立ち上がり、カエリーに詰め寄った。確信があったからだ。もちろん三葉にも。
「カエリー! その女性の名前は⁉︎ 聞いたの⁉︎」
『杠千春。後にマスターを縛り付ける事になる、姉と自称する女です』
一度たりとも感情を見せないカエリーだが、不思議と怒りを感じる言葉だった。
「千春お姉ちゃんが……やっぱり……」
陽咲の瞳に涙が溢れ、ポタポタとリノリウムの床に落ちた。
「杠だと?」
「……ああ、陽咲の実姉だ。数年前に行方不明になっている。当たり前だが、其処まで知られた事実じゃない。まだ確証に至らないが、カエリーの話には一定の説得力があるな」
「……ふん」
前と同じ越野の鼻息だったが、皮肉気な空気は薄まっていた。その通りだからだ。
『マーザリグ帝国に限らず、戦力の差はそのまま魔力の所有量と行使の技術です。マスターの魔力量は微々たるもので、下から数えた方が早い弱兵でした。しかし、その異能により三年以上も生存した非常に稀有な兵士です。異人の、初戦の戦死率は八割を超えますので。一年以上の生き残りは殆ど存在しません』
「八割……何て事だ……」
正に地獄への召喚と旅路だ。あの常識を遥かに超えた狙撃手である渚さえも、弱兵だとカエリーは言ったのだから。そして彼女が人間だと証言する理由も分かってきた。越野でさえもそうなのだろう。次の質問で其れは証明される。
「魔力だな? 電子機器に映らない理由は。レヴリやPLだけでなく魔力を撮影出来ない、そう言う事か」
『その通りです。マスターの異能は視覚に偏っています。身体能力は平均以下、魔力に至ってはマーザリグの子供にも勝てません。しかし、だからこそ生き残る事が出来ました』
「先程の写真、瞳の周りが黒くなったのも、必ずしも映らないのも説明が通りますね。レヴリを簡単に殺せるのも、スライムの弱点を理解した理由も、全てです」
花畑も冷静さを取り戻したのか、タブレットにメモを残している様だ。視線が絶えずカエリーにむかっているのは仕方ないのだろう。
『レヴリは、マーザリグでは当たり前の魔力障壁がなく、此れではマスターからして只の的にしかならない。たとえ威力の貧弱な魔工銃であろうとも、殺す事など雑作もありません』
「では三年以上も、ずっと戦場に……? あんな子供に何て惨い事を」
『ですが、その環境がマスターを冷徹なる兵士へと成長させました。また、戦闘の邪魔になる感情を殺す為、日々マーザリグの将兵に玩具にされたのも効果があったと思われます。その戦果たるや帝国屈指で……』
余りに淡々と話す為、一瞬何を言ったか分からず、三葉も越野も陽咲も、他の女性達も絶句しか出来ない。その玩具と言う言葉を理解した三葉が叫ぶ。
「よせ! お前は何を言っているのか分かっているのか⁉︎ 此処には赤の他人、しかも男共もいるんだぞ! 自らの主人の、その様な」
渚の全てを諦めた様な瞳の色、誰にも触れられたく無い拒絶感、その意味が分かって陽咲は自分の両肩を抱き締めた。絶望すら生温い、地獄よりも暗い世界だ。
『何故? 貴女は先程言いました。偽証や虚言は許さないと。性別の違いなど戦場では何一つ意味が無く、実際にマスターは全ての感情を捨て去る事が出来たのです。あの女と出会うまでは』
「コイツ……!」
『加えて言うならば、人には同情心があります。儚い容姿が其れを助けるのでしょう?』
駄目だ、この真っ黒な銃はある意味でレヴリよりタチが悪い。あの様な少女である渚に持たせてはいけない、ある種の洗脳に近い存在だ。何より、首魁であるマーザリグ帝国の手により造られた武器なのだから……そんな風に思い、三葉は歯を食いしばる。見れば陽咲も憎悪を込めた視線を送っていた。
「外に出ていろ! お前達もだ!」
司令としての命令は即座に実行され、一気に人数が減る。残ったのは三葉、陽咲、そして越野だ。その越野が座ったままにカエリーに問うた。
「あの子の身体には解読不能の言語が刻まれていた。下腹、左内もも、胸の下、ナイフ状のキズだ。他は戦闘時のモノだろうが……」
『マーザリグ帝国の公用語ですから当然です。しかし、その意味は理解出来るでしょう。刻んだのは先程説明した将兵達ですので。それとも教えた方が良いですか?』
「……いや、いい。どうせ碌でもない意味だろう」
「……越野。何とかなるか?」
「全ては無理だ。だが、文字だけは何とかしてみよう。あれでは衣服を脱ぐたびに思い出してしまう」
『マスターは見たモノを正確に記憶する能力があります。本人の意思で記録を消すことは不可能なため、傷が無くなったところで解決には至りません。睡眠時の夢、人との接触で蘇りますから、其れを減らすのが効果的です』
やはり怒りを覚える。余りに無感情な言葉に誰もが抑えられない筈だ。だが何よりも気になる能力だった。
「記憶に残る……だから人と触れ合うのが苦手なのか。あの目の下の隈は睡眠障害が理由だな」
「酷い、酷すぎるよ……渚ちゃんは何も悪くないのに……」
PLで渚に触れた時……嫌そうに体を捩り、そして吐いたのは体調不良だけが原因では無かったのだ。
「陽咲……」
「睡眠時か。だから不定期に瞳周りが黒く撮影されたんだ。つまり夢を見てる、悪夢を」
「越野、頼む」
「ああ、導入剤を切ろう。すぐに戻る」
そう言うと足早に部屋から出て行った。直ぐに目覚める訳ではないが、少しでも早い方が良いだろう。
「カエリースタトス。さっき言ったよね。感情を捨て去る事が出来た、あの女に出会うまではって。千春お姉ちゃんと渚ちゃんのことを教えなさい」
『二人は出会い、姉妹になりました。元の世界への帰還の方法を掴んだ千春がマスターを連れ出した。結局は失敗し、今へと繋がる。それだけです』
渚本人以外の話になった瞬間、カエリーの言葉数は減る。
「姉妹に……じゃあ、お姉ちゃんを殺したって話は」
『マスターの罪悪感が生んだ虚像です。正しくはマスターを庇い致命傷を負いました。全く的外れな話ですね』
やはり三葉の想像は正しかったのだ。それが分かって陽咲は救われた気がする。例え命を失ったとしても、最後まで強くて優しい姉だったのだ。
「お姉ちゃん……」
ジンワリと瞳が滲むが、それはさっきまでの涙と意味が違う。強く誇りに思う、気高き人だから。
「陽咲を護る動機も分かった。千春の代わりに、そして自らの事など気にもしていない」
『私が全てを話した意味が分かりましたか?』
「ああ、腹立たしい事にな。同情心を煽ったつもりだろう。だが、そんな事など無くとも渚を助けるさ。この陽咲は渚にベタ惚れ……偶に犯罪を犯さないか心配になる」
「ちょ、ちょっと、叔母さん!」
「ん? 事実でしょ?」
『よく分かりません』
戻って来た越野は首を傾げた。真っ赤な陽咲が不思議だったから。




