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小さな背中

 




 最初の僅か数分、それだけで十数人がやられた。


 一度スライムに取り付かれたら、脱出はほぼ不可能だからだ。渚の警告を即座に察知し、三葉(みつば)の後退命令が無ければ更に犠牲者が出たのは間違いない。


 それでも、戦場は混乱の一途を辿っていた。


「いいから下がれ!」

「ヤツだけは……」

「おい! 右だ!」

「くそっ! 何で死なないんだ!」


 あちらこちらで銃撃がスライムを襲うが、ほんの僅かな時間足止めするだけだった。ウゾウゾと粘体が周囲を囲もうと近づく。


「司令! 明らかに包囲殲滅を狙っています! 離脱を!」


 恐ろしい事に、奴等は組織的な攻撃を行なってくる。分断、退路の限定、そして包囲だ。


「駄目だ!」


 マーキングするには幾つかの条件があるが、集中して一定時間視界に捉え続ける必要があった。ターゲット自体は大して動かないのに、四方から襲うスライム達に気を取られてしまい、視線をどうしても外してしまうのだ。


 三葉は何とか踏み止まり、此処は退けない場面だと確信している。奴等は想像以上に知能が高く、この瞬間も人間の動きを学習しているのが分かった。一度姿を失うと、次の発見はより困難になるのは明らかなのだ。もし()()が街に侵入したら、一体どれ程の被害が出るか想像も出来ず、侵攻を止める術すら見つからない。


 だから……このタイミングは最悪で、しかし逃せない。


「叔母さん!」


 七時の方向、まるで気配を消す様に接近するヤツがいた。それに気付いた陽咲(ひさ)が思わず叫ぶ。一気に念動(サイコキネシス)の力を高め、大量の石や破片などを射出。正にハリネズミと化したスライムが千切れ飛んだ。


「……くっ! 退け(ひけ)!」


「馬鹿言わないで!」


 完成へ近づく包囲網の外、陽咲は何とか三葉の元へと叫び声をあげる。


 最早司令と異能者の一人ではなく、叔母と姪の投げ掛けだったが、其れを指摘する暇もなくなりつつあった。


 三葉の近くで土谷(つちや)発火能力(パイロキネシス)を連発し、周囲を牽制しているが、数が違いすぎて間に合っていない。中隊の各隊員達は自身に近づいて来るスライム達を止めるのに精一杯だ。


「司令、このままでは撤退すら不可能になります! 此処は退きましょう!」


 土谷が叫び再び火炎を吐く。彼の異能は何匹かのスライムを殺していたが、数える余裕もない。じっくり炙る様にダメージを与えるしか手が無いのだ。無論全力の異能ならば更なる攻撃も可能だが、中隊が散開し過ぎて広範囲へ炎を放てなくなっている。時間稼ぎに身を呈する味方を巻き込んでしまうからだ。


「くそ! 何かある筈だ! 奴等にも弱点が……」


 やはり叫んだ三葉だったが、視界の片隅に愛する姪が走り寄って来るのが見えて酷く狼狽する。陽咲は周りが見えていない。まるで道が拓けたと勘違いしているが、其れはスライム共の罠だ。包囲の内側に誘っている。三葉達がいる此処は間違いなく中心点だからだ。経験の不足が最悪のカタチで現れてしまった。


「土谷! 陽咲を遠去けろ! 炎の壁を!」


「駄目よ! 三葉叔母さん!」


「……陽咲! 背後だ! 避け……」


 そして、絶望が襲う。


 必死で手を伸ばし駆け寄って来る。だが其れを嘲笑うかの様に、回り込んだスライムがグニョリと身体を伸ばしたのだ。まるでロープや触手の様に陽咲へと殺到していく。


 司令官として、私情は挟むつもりは無かった。


 それでも、つい最近聞いた千春(ちはる)の死が三葉に見えない恐れとなって襲っていたのだ。そして今、残されたもう一人の命が失われそうになっている。


 何も出来ない、其れの何と恐ろしいことか。三葉は自身の異能を呪った。今ここに戦う力が有れば、と。


「陽咲……!」


 喉も掠れて、か細い。


 パチュン!


 その瞬間、スライムが爆発した。


 いや、内部から風船の様に破裂したのだ。バチャリと地面に広がると汚らしい水溜りと化した。そして、そのまま動かない。


「えっ?」


 思わず陽咲も背後を見るが、簡単にスライムが死んだ事に現実が追い付かなかった。


 続いて三葉の近く、土谷の視線の先、陽咲の周辺だけ次々と水溜りが生産されていくのだ。


「たったの一発で……そんな事が……」


 三葉の目に映ったのは、スライムの身体に穴が開き、そして破裂する(さま)だけ。当然に誰の仕業か理解しているが、それでも信じる事は容易では無かった。


 一体どうやって奴等を?


「司令、今です!」


 土谷の声に正気を取り戻し、集中する。周囲への警戒も今は必要ない。


 其れを見た陽咲は目を凝らして援護だろう方角を確認する。簡単に見つかる訳もないと思っていたが、その小さな人影はあっさりと視界に入った。デニムのパンツと濃いグレーのパーカー。ポニーテールの黒髪も揺れている。到底信じられないが、あの正確な射撃を立ち止まる事なく、ゆっくりと歩みながら行ったようだ。


 黒い銃を腰溜めに変えると、今度は小走りで此方に向かって来る。この瞬間、陽咲は困惑した。あの子、つまり渚が接近してくる理由が分からなかったからだ。彼女は狙撃手で、ましてや警備軍と接触する事を避けていた。


「渚ちゃん?」


「よし、マーキングが終わったぞ! 離脱する!」


 群れのリーダーらしき一際大きなスライムは結局動かなかった。司令塔としての振る舞いか、或いは別の要因なのか誰にも分からない。


 一気に中隊が後退局面に入る。混乱しながらも組織だった行動をとる警備軍の練度が証明された。


 いける……土谷は確信し、巨大な火炎を前方に放つ。今迄耐えてきたが、本気の発火能力(パイロキネシス)だ。一気に戦場は赤く染まり、あのリーダーらしきスライムも視界から消えた。


 その時だった。


「三葉司令! 左に跳んで!」


 その声は幼くとも綺麗だ。


 声の主を見る事もなく地面を蹴った。そしてその場所に何匹ものスライムが降って来る。ボタボタ、ベチャベチャと気色の悪い音を立てながら。


 ゴロゴロと転がり、直ぐに立ち上がると三葉は顔を上げた。


「しまった……!」


 向こう側、陽咲と土谷が取り残されている。


「戦力の分断だ……! 奴等は脅威度を理解して……」


 粘体のレヴリ、そのリーダーは予想を遥かに超えた知能を持っている。最も打撃を与えた二人、つまり念動(サイコキネシス)と最高峰の発火能力(パイロキネシス)だけは逃さないと……


 強力な異能者が失われた場合、このレヴリに対する攻撃力は大きく減退するだろう。しかし、残る警備軍の戦力は()()()()だ。


「完全にしてやられた……くそが!」


 思わず汚い言葉を吐いた三葉だったが、同時に奴等の想定外も()()()にいると、救いを求めるしかない。そして予想通り、救いの御子である天使の美しい声が降って来た。


「行って!」


 其方は離脱を。陽咲は任せてーーー


 不思議と分かる。一言と視線だけで、三葉に伝えたのだ。


 もう二十メートルも無い距離まで来ていた。渚と陽咲達の間にいたスライム達は次々と破裂する。


 池のあった場所では多くの凄惨な死があり、今も激しい戦闘が行われているのに。小さな堕天使はどこまでも、そして氷の様に冷静だった。


 だからなのか、愛する姪は必ず助かると思えたのだ。


「……頼む!」


 そして反対側へと駆け出して行く。


「陽咲、お前も、こっちへ!」


 その声を背中で聞きながら。











 ○ ○ ○






「ついて来て」


 追い縋るスライムの三匹をたった()()で仕留めた渚が淡々と言う。突き抜けた見えない一発の弾が同時に殺した瞬間、陽咲だけでなく土谷まで絶句したのだ。


 二メートルばかり先を歩く渚からは殆ど足音がしない。ほんの一瞬でも姿を見失えば、最初に会った日の様に消えてしまうかも……その僅かな距離が酷く遠く感じて哀しくなる。


 流石のレヴリも慄いたのか、追撃は途絶えたようだ。スライムは待ち伏せ(アンブッシュ)を主とする生態なのだろうと陽咲は考えていた。


 やはり小さい。


 かなりゆっくりとした足運びとは言え、後を追う事に苦労は無かった。歩幅が違いすぎるのだ。


 陽咲も決して身長が高い方ではないが、渚は頭ひとつ分か其れ以上に低い。歪な黒い銃を抱えて無ければ、正に子供にしか見えなかった。背中からは何時もと変わらない拒絶感が溢れ、無言のままに時間が過ぎて行く。土谷ですら、まだ渚に話し掛けてもいない。


 そして更に時間が過ぎた時ーーー


 ふと前を歩く渚が立ち止まった。


 もしや敵襲かと二人の若き異能者も警戒する。


 しかし暫く動きはなく、突然傍にあったコンクリートの壁に右手をついた。どうやら何かの町工場だったらしい建物だ。窓ガラスは割れ、屋根すらも半分無くなっている。


「……どうしたの?」


 更には両膝まで地面に下ろして、顔を前に倒した。唯一の武器であろう黒い銃がガチャリと鳴る。手放したからだ。


 そして先程のスライムが如く、渚はビチャビチャと液体を地面に吐いた。明らかな身体の不調に陽咲は駆け寄る。


「渚ちゃん!」


 細い肩、小さな背中に手を添えた。


 再び吐く。少しでも楽になればと背中を摩ったとき、渚が身動ぎして辛そうに言った。


「陽、咲……触らな、いで」


 途切れ途切れの声は悲しいほどに冷たい。土谷は何かに気付いたのか眉を歪ませた。


「何を……⁉︎」


 だが渚は腕を振り上げ陽咲を払い除けてしまう。昨日の夜も見た悪夢が襲っているなど想像も出来ない。だが其れが最後の抵抗だったのか、グラリと倒れて瞳も閉じてしまった。


「体温が……熱が凄く高い……」


 好きになってしまった人の否定を無視し、小さな背中に手を回し支える。


「陽咲ちゃん、もうじき暗くなる。彼女が誘導出来ないなら移動は危険だと思う。此処で休もう」


「は、はい」


「少し待ってて。中を調べて来るから」


 そう言い残し、土谷は工場跡に入って行った。当然レヴリの巣だったら最悪だし、野生動物も人には危険だ。其れらがいても土谷ならば安心だろうと、陽咲は抱き留めた少女に目を落とす。


 もう意識は無いのだろう。ハァハァと苦しそうに呼吸していた。


「渚ちゃん……」


 その声も届かないのか、渚は答えない。


 闇夜はすぐそこだった。






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