三葉花奏
該当の"カテゴリⅤ"の手前、簡易に作られたテントの中で各々が椅子に腰掛けている。テントと言っても渚が用意していたような個人用天幕ではなく、大勢の入る事が出来る部屋と思えるサイズだ。
実際に作戦司令所を兼ねており、皆が司令の到着を待っている。
土谷天馬は整えた眉を歪めて警備軍情報官からの報告を見直していた。
いつも軽薄な空気を纏うが、実戦が近づくと隠した本性が現れるのだ。若くして発火能力の異能が発現した彼は、第三師団屈指の戦闘能力と経験を持つ。数多ある仲間達との別れ、時には絶望を覚えるレヴリと相対してきた。
そしてその全てが警報を鳴らすのだ。
今回のレヴリは間違いなく新種で、そして強敵だと。
「不定形、見えない……水中」
呼ばれたのは発火能力が適している可能性を三葉司令が予め考慮したのだろうが、何よりも遠距離から広範囲への効果的な攻撃が出来る事が理由だ。もっと言えば、高位の念動こそが最も有効と思われる。しかし念動は極端に希少で、第三師団でこれ程の実戦に耐えられる者はいない。いや、全国的に見てもだ。
当然に杠陽咲はその一人だが、まだ未熟で全く未知の前線に投じる訳にいかない。彼女には将来の警備軍を支える大きな役割が待っている。
「だが、水中では炎も減退する。誘い出す必要があるな」
異能による炎は水中すら発現するが、当然に効果は大きく減少するのだ。
紅く染めた髪が瞼に掛かり、無意識に払う。土谷は顔を上げて警備軍の面々と他の異能者を見た。誰もが不安と緊張を隠しておらず、自意識過剰でなく自身に救いを求めている。此処にいる誰よりも歳下だが、レヴリ駆除の実績は誰も上回る事はない。無論戦闘力も。
士気を保つ為に何か言おうとした時、バサリと入り口の幕が開いた。陽の光が入り、人影に陰影を齎す。
「待たせたな」
小柄な身体に似合わない独特の圧迫感、やはり小さくとも響く声、天幕の中央に向かう姿に誰もが注目する。国内、それどころか世界的にも名の知られる異能者が現れた事で張り詰めた空気に変わった。
「三葉司令。全員揃っています」
「ああ、ご苦労。全員資料に目を通したな?」
「「「はっ!」」」
三葉に続いて現れた杠陽咲を見て、土谷は眉を顰めた。まだ新人と言っていい彼女を投入するタイミングとは思えないからだ。下手をすれば希少な念動の異能を失う事になる。新種との戦闘は其れだけ危険なのだ。レヴリとの戦いには何よりも知識と経験が要る。対処も出来ずに部隊が全滅する可能性だって捨て切れない。
彼女を目で追うと皆と同じ様に席に着く。間違いなく参加するつもりだろう。見れば瞳は赤く腫れている。泣いていたのかと土谷は思った。
「正体不明のレヴリだ。判明している事実も少ない。生き残りの報告では視認出来ず、銃も効果は薄かった。人体を溶かす厄介な奴等だ。接近戦は避けないといけないが、何より正体を探る必要がある。以上の事から私も同行する」
「なっ!」
土谷は思わず声を上げた。彼女に具申出来るような者は自分以外いないだろう。強い責任感から立ち上がり、尊敬する上官に視線を合わせる。見れば杠陽咲は驚いていない。既に聞いていたのだろう。
「三葉司令! 最高指揮官自らが前線に来てどうするのですか! 貴女の代わりなど誰もいないんですよ! ましてや……」
「土谷。発言は許可していないぞ」
「何を……貴女の異能は戦闘向きじゃない! 誰よりも知ってるでしょう!」
「ならば貴様達が守れ。我が第三師団に勝てるレヴリなど存在しない」
無茶苦茶な事を言う三葉に絶句するしかない土谷は拳を握った。
「……余り言いたくはないが……いいか、新種と思われるレヴリは確かに危険だ。だが今回はそれだけが問題ではない。出し惜しみなど出来る状況ではないと知れ。恐らく、カテゴリⅢを超える」
天幕の中の温度が急激に下がったと全員が錯覚する。つまり目の前の最高指揮官はカテゴリⅡ、いやもしかしたら……
最高峰の異能者である土谷天馬を以てしても、勝てる保証がないカテゴリⅡ以上は絶望と同義だ。打倒どころか生存する事も困難となるPLで、高位の異能者を複数投じなければならない。"カテゴリⅠ"に至っては侵入すら考えられないのだから。
「予知、ですか?」
普段なら笑って否定する三葉は、無言のまま見つめ返した。肯定も否定も意味が無いと自覚しているからだ。
「だが勝てる。奴等の正体さえ暴けば、な」
小さな身体は誰よりも大きく見えた。彼女は稀に見るW、複数の異能を持つとされる人だ。土谷は自身が強力な異能持ちと自覚していたが、三葉花奏は更に上を行く。一度でも"千里眼"に捕らえられたなら、誰であっても白旗を上げるだろう。
「しかし……」
「作戦の概要を説明するぞ」
土谷の台詞を遮って三葉は続けた。もう彼女は決めているのだ。淡々と流れる言葉は皆の耳に届く。
「野生動物の研究者は対象にGPSタグを取り付けて信号を拾う。行動観察の結果、その生態を明かすのだ。だからGPSタグの代わりに私がマーキングする。PL内である以上撮影も遠隔の視認も不可能。つまり、近距離で目視する必要がある。貴様等の任務は新種の側まで私を連れて行き、無事に帰還させる事だ。質問は?」
「資料では視認が出来なかったとありますが……」
「ああ、其れは専門家に確認済だ。レヴリと言えど生物の一種で、完全に透明など有り得ないそうだ。兵装科の情報も否定していない。考えてみろ、完全に透明ならば光も透過するんだ。網膜からも透けて盲目になるだろう」
「しかし、万が一見えなかったら」
「その時はマーキングどころか全滅するだけだ。その前に間違い無く透明だと報せを持ち帰るのが任務になるな」
「発火能力を集めたのは戦闘よりも万が一を考えて、ですか」
此処で土谷が再び発言した。三葉が何を考えているか理解した様だ。
「ああ。何らかの要因で見えない場合、全周囲に火炎を吐け。殺せなくとも何か分かるはずだ。皮膚を、まあ皮膚が有ればだが、コンガリ焼けば見えるだろうさ」
成る程と全員が納得したのを確認し、三葉は頷いた。
「土谷、発火能力者の配置は任せる。細部を詰めるから各隊の隊長は残れ」
「「「はっ!」」」
○ ○ ○
「三葉司令」
天幕の外でPLを睨み付けていた三葉へ背後から声が掛かる。ゆっくりと振り返ると、赤毛が目に眩しい美男子が立っていた。土谷は真剣な面持ちを隠さず、真っ直ぐに視線を合わせる。
「なんだ?」
「分かっているでしょう。陽咲ちゃんの事です」
「貴様に陽咲をちゃん呼びする許可は与えていない」
最近よくする様になったやり取りを終えて、二人は相対した。迷彩服は土谷を一人の戦士に見せるが、三葉は借り物みたいで微笑ましい。袖と裾を捲っているから益々子供っぽいのだ。
「何故連れて来たんですか? 彼女は将来の警備軍の要となる異能者です。仮に投入するとしても初戦では危険過ぎる」
「土谷、越権が過ぎるな。貴様に断りなど必要ない」
「否定はしません。ですが、貴女と陽咲ちゃんを同時に失えば師団の未来は暗い。悔しいですが、事実です」
ジッと土谷の顔を見上げ、三葉は暫く無言だった。越権は間違いない。しかし土谷の懸念は正しく、同時に心配の色を見れば仕方が無いと溜息を吐いた。
「説明の必要があるか? 近いうち、陽咲は貴様すらも超えていくだろう異能者だ。さっきも言ったが出し惜しみする時ではない。情報を持ち帰る事が全てだからな」
戦闘力なら土谷の足元にも及ばない三葉。しかし、その異能、知識、決断力、何より強靭な精神。全てを尊敬している土谷は震えた。いや、だからこそ、か。
今回の新種はそれだけ脅威だと言っているのだ。
「そんなに……」
「未来は不確定だが予測は出来るものだ。しかし新種、しかもコイツらの情報が乏し過ぎる。勝つ為なら、猫の手だろうが何だろうが使う」
三葉は戦死者を出さない為とは言わなかった。
「陽咲ちゃん、泣いてましたよね? まだ恐怖をコントロールする術が足りないのでしょう。出来ないなら異能の力は減じ、更に拍車が掛かる。命令とは言え……」
「勘違いするな。泣いていたのは恐怖からじゃない。そして、陽咲はもっと強くなる。志願も確認した」
「そうなんですか?」
「ああ」
「しかし、まだ不安定なのは間違いありませんよ? 念動も発火能力と同様に能力差の激しい異能です。せめて……」
「土谷、もう言うな。陽咲はどの道最前線には出せない。新種にマーキングした後、即座に離脱する為に必要なんだ。奴等を妨害するのなら十分だろう? 奴等が不可視ならば念動もそうだ。何より、守る為なら陽咲は誰よりも強いさ」
赤いレヴリに対した様に瓦礫をぶつけるだけが念動ではない。未だ念動防壁は張れないが、コンクリートの壁は構成出来る。圧倒的な質量は想像以上に強力なのだ。そして見え難い新種のレヴリにも有効だろう。
「守るため……まさか、天使を」
「土谷」
その失言に三葉は怒りの視線を向けた。
「す、すいません」
「運や不確定な要素に期待して作戦立案する指揮官が何処にいる。くだらない事を言う暇があれば英気を養え。もう行け」
再びPLに体を向け、それ以上に話す事はなかった。
「失礼します」
土谷が立ち去る気配を感じながら、三葉は怒りに震えていた。その怒りは失言した若き戦士に向けてではない。自らの不甲斐なさと弱い精神にだ。
指摘されなくとも自覚していた。
恐らくあの娘は現れるだろう。未だ不明な点が多い天使の異能だが、幾らか想定出来る。見えないレヴリに対し、もしかしたらと期待してしまう。
彼女の、渚の異能は……
常識を遥かに超えた視覚能力なのだ、と。




