新たなる戦場
揺れるトラックの荷台の中で景色をボンヤリ見ていた。
私が殺した……それだけを言って渚は立ち去り、振り返りもしなった。グチャグチャの頭の中と震える手足は言う事を聞かず、言葉の真意を問いただす時間すら許さない。
何があったの?
殺したってどう言うこと?
そんな言葉が頭に浮かんでも、戻って来た三葉に肩を叩かれるまで立ちすくむだけ。遠去かる少女の姿は思い出せるのに、全てがボヤけてしまう。
「陽咲、大丈夫か?」
明らかに憔悴した姪に目を合わせ、三葉は声を掛ける。
「……すいません。任務は何でしたか?」
「到着まで時間はあるが、それよりもお前だ」
三葉の言葉に混じる気遣いを感じて涙が溢れた。強くなったつもりだった。何があろうとも渚を守ると誓ったのに。
「死んだって」
「……死んだ?」
心の何処かで覚悟はしていた。誰よりも優しかった姉が長い間自分を放っておく訳がないと。千春お姉ちゃんは帰りたくても帰る事が出来ないのでは無いかと。
幾つもある可能性から、もう駄目なのかもと考えてしまうのだ。だけど、それを認めたくないから我武者羅に走って来た。目を強く瞑って逃げていたのだろうか?
陽咲は流れ出る涙を拭う力すら感じられず、自分より小さな身体の叔母に頭を倒して抱き着く。今は職務中で、作戦行動の前。それでも、分かってはいても耐えられない。今はただ誰かに支えて欲しかった。気付けば自身の唇から呻き声が、止める事の出来ない嗚咽があふれた。
「千春お姉ちゃん、お姉ちゃんが……死んだって……もう会えないって……」
その言葉を聞いた三葉だって千春は我が子同然の大好きな娘。陽咲の様に子供ではなく、一人で立ち歩む事が出来る素晴らしい人間だった。それでも、愛する姪だ。
「千春が……そう……か……」
滲む視界を自覚し、三葉は顔を上げた。幸い此処には二人以外いない。他の隊員達は先行したし、運転席からは見えない。
「叔母さん……どうしよう、どうしたらいい?」
答えなど無い。其れは陽咲にもきっと分かっている。けれども混乱と絶望に染まった心は、有りもしない解答を求めるのだろう。
「私だって分からない……天使が、渚がそう言ったのか?」
「……うん。あの子が言ったの……」
殺したってーー
それは小さな慟哭だった。信じたくない答えを突き付けられた陽咲の心の叫びだ。
「殺した……?」
胸に抱き締めた姪は何度も頭を振り、もう言葉も返せない。陽咲同様に悲しみに暮れる三葉だったが、その意味を素直に受け止める事が出来なかった。それは感傷などでは無く事実として違和感だ。
特有の異能"千里眼"を用いて何度も対象者"天使"を観察してきた。陽咲や情報士官の花畑にも言っていない感覚や仮説もある。
印象は確かに冷たいのだろう。
だが、それは彼女の持つ一面でしかない。
遠藤征士郎と持った先日の会談でも其れは肯定されたのだ。
曰く、天使は泣いている子供……圧倒的な戦闘力に惑わされがちだが、誰かを待つしか出来ない哀しい娘だと言っていた。本人は否定するだろうが、大人が見守って上げなければならないと。
あの男は色々と問題があるが、人を見る目は頭抜けている。そして観察してきた三葉も同じ答えに辿り着いていた。だからこそ強制的に捕まえる事もせず、陽咲に接触させたのだ。そんな子があのタイミングで冷酷な答えを伝える?
「陽咲、辛いだろうけど教えて? 渚とどんな話をしたの?」
しゃくり上げる喉を震わせながら、陽咲は何とか声にする。自身の気持ちを伝え、今度は私が護ると言葉にした事を。
「千春の最後の言葉……愛している、あの日、貴女の姉……か」
矢張り不自然だ。考えれば分かる。自分を殺そうとする憎い相手に最も大切な妹への遺言を授ける訳が無い。其処には溢れ出る愛が込められているのに。そして、其れを態々伝えに来る? 命を賭けて危険な異界汚染地に潜り、それでも護った陽咲に? 三葉は確信を強めた。
「貴女を遠ざけたかったのね……深入りするな、自分に興味など持っては駄目だと」
「……どう言うこと?」
顔を上げ、陽咲は真っ赤に染まった瞳を三葉に向けた。
「陽咲が自分で言っていたでしょう? あの子は人を拒絶してるって。恐らくだけど……二人は強い絆で結ばれていて、耐えられない現実が襲った。渚は其れが自分の責任だと思ってる。だから罪悪感に囚われた天使は、せめてもの罪滅ぼしをと考えてるのよ。私達の知る千春なら、貴女の姉なら不思議じゃない」
あの感情を映さない瞳、若い娘に不似合いな精神、そして陽咲を護る動機……全ては合致する。孤独を求め続ける天使は罪の意識に縛られているのだろう。この世に舞い落ちた美しき堕天使だ。
「お姉ちゃんが渚を……」
「千春の話をする時、渚はどうだった?」
「……泣いてた、さっきも」
「ね?」
ほんの少しだけ陽咲の瞳に力が戻った。絶え間なく襲う悲哀は消えないが、同時に姉を強く誇りに思う。三葉の話に確証などないが、予知すら内包すると謳われる"千里眼"の叔母がそう言ったのだ。
「そう、ね……お姉ちゃんならきっと……」
「もしそうなら、そんなあの子を妹の陽咲が再び護る。ううん、それどころか哀しみに暮れる渚を助けてあげないと。そして千春なら褒めてくれる、違う?」
フルフルと頭を振り、泣き腫らした瞳を三葉に合わせる。三葉も千春も好きな可愛い陽咲、小さく振った頭と再び決意を秘めた視線。奇しくも千春が渚に好きと伝えた時と同じ仕草だった。
思わず陽咲の頭を抱きしめて、三葉は眼から溢れて来る雫を隠す。叔母と姪が再び涙を流すまで時間は必要なかった。
○ ○ ○
私室で何枚かの書類を眺めていた老人に、真っ直ぐな背筋を伸ばす執事然とした男が声を掛けた。
「旦那様」
秘書であり、片腕として仕える大恵は振動するスマートフォンを指し示す。着信者の名前は当然に"天使"だった。彼女との連絡の為だけに二つ用意したモノだから当たり前だ。因みに、渚に持たせた方には"遠藤のお爺ちゃん"と入れてある。
まあ、もう変更したかもしれないが……ニヤリと歪む唇を自覚しながら遠藤は其れを手に取る。
「遠藤のお爺ちゃんだ、電話をくれてありがとうよ」
ほんの少しだけ沈黙が続き、可愛らしい声が遠藤の耳にも届いた。
『……情報が欲しい』
あの綺麗な顔が歪んでいるのが容易に頭に浮かび、ニヤつくのを止められない。
「情報か……お爺ちゃんは肉より魚が好きだ。塩だけで焼くのが結局は一番だな。歳を取ると肉を胃が受け付けない」
『巫山戯ないで』
本来のあの娘なら即座に通信を切るだろうが、欲しているのは情報で提供するのは此方。予想通りに通話は切れたりしない。だから益々遠藤に笑顔が浮かび、大恵は主人の悪癖に表情を歪めた。
「最近の孫娘はつれないな。老い先短い儂には優しくするものだぞ?」
『ついさっき出動のかかった警備軍の行き先を調べて。三葉司令も一緒だから簡単でしょう』
勝手に決められた孫娘は当然に全く相手にせず、端的に伝える。
「そのまま一緒に行かなかったのか? ついさっき別れたばかりだろう?」
今日の行動を当ててみせたが、遠藤に他意は無かった。そもそも近々接触があると事前に教えてあったのだ。其れを知る渚も動揺などせずに答える。
『行くわけない。急いで』
彼女ならば何らかの方法で追えそうなものだが……そう考える遠藤だが、天使の異能にも不可能はあるのだろうと一先ず棚上げした。
「分かった。10分後に掛け直す」
通話の切れた天使専用のスマホを置くと、有線の受話器を引き寄せる。外見こそ古びた電話器だが、盗聴などを許さない特殊な回線だ。そして短縮ダイヤルを押すと、二秒で相手が出る。
「……ああ、そうだ。頼む」
先程天使に行った様な巫山戯た態度は其処にない。要望を伝えれば待つだけだ。
冷めたお茶を口に含み、そして喉に通した時間で天使の求める答えが手に入った。受話器をガチャリと置くと、遠藤は大恵に視線を合わせる。約束の10分まで時間に余裕があるのは分かっていた。
「どう思う?」
「"カテゴリⅤ"にしては大袈裟に過ぎます。ましてや三葉司令直々のお出ましとは」
「ああ、重要性の高い天使との邂逅を中断してまで行うのは不自然だ。何かあったな」
集めた情報は充分と言えない。どうやら混乱しているらしく、目的も曖昧だった。分かっているのは発火能力の異能持ち、つまり土谷天馬を筆頭に集められている。そして未だ未完成と言っていい念動まで投じるのだ。
大恵の言う通り、カテゴリⅤに対して過剰な戦力なのは間違いない。
「考えられる答えは多くありません」
「ああ」
「一つはレヴリの大量発生。しかし溢れたならば警報が鳴らなければならない」
「聞こえないな」
「二つ目は異界汚染地、つまりPLの新たな発見。これも可能性は低いですな。前兆もなく、ましてや三葉司令が見逃すとは」
「第三師団の司令が最も名を売ったのはPLの発生を予見し、同時に見事当てた事だ」
「はい。つまり残るは……」
「想像もしたくないが、間違いないだろう」
そして、遠藤は机に置いていたスマートフォンを再び手に持った。時間はきっかり10分。
「待たせたな」
『いい。分かった?』
「場所は確定だ。天使が何度も潜ったカテゴリⅤのPL。此処からそう遠くはない」
『そう。それじゃ……』
「まだ話は終わってないぞ。迎えを回すから場所を言いなさい」
『要らない』
予想通りの声を聞きながら、しかし遠藤に動揺はないのだ。
「時間が足りないかもしれん」
『……どう言うこと?』
「確証は無いが恐らく間違いない。向かった警備軍の戦死率が跳ね上がる可能性が高いぞ? 過去の戦歴からも想定出来るからな」
『貴方は何時も回りくどい。早く答えを』
「すまんな。つまり……」
新種、新たなレヴリの発生だーー
遠藤の言葉に最初の様な茶化す空気は見えない。
渚にも其れは分かった。