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千春⑸ 〜希望〜

 



「生きて、帰りなさい……こんな狂った世界に居てはダメ……渚、大好き、よ……」



「千春……」



「お願い……お姉ちゃん、て、呼ん、で……」



「お姉……」



 世界は真っ白に染まっていく。


 喉は震えるだけで、それ以上声も出なかった。













 ○ ○ ○ ○ ○




(なぎさ)!」


「……なに?」


 それぞれの戦場から帰った二人はいつもの様に互いを探し出した。渚は異能から直ぐに見つけていたが、キョロキョロと自分を探す千春(ちはる)を眺める。そして目が合うと、全速力で渚の元に走って来たのだ。


「こっちへ! 大事な話があるの!」


 小さな手を取ると、早足で自室へと向かった。千春の部屋には簡易だが扉もあるし、他人の視線が少ない。歩幅の違いから渚は転びそうになりながら、それでも一生懸命について行った。彼女には珍しく、慌てている様だった。


 扉を閉める前に周囲を警戒して室内へ促す。


 入室した其処は渚の部屋とは違い、広くて清潔だ。鏡や机、水の入ったガラス瓶らしき物まである。ベッドもダブルサイズに近い。だから、二人眠る時は殆ど此の部屋になっていた。


 千春は渚をベッドに腰掛けさせると、床に片膝を付いて視線を合わせる。可愛らしい手を両手で包み、最近ますます美しくなっていく姿を愛おしいと思った。


「渚、よく聞くのよ」


「……どうしたの?」


「帰れるかもしれないわ」


「何処へ……?」


「勿論日本よ。あの懐かしい世界に帰る」


「そんなの、無理だよ」


 渚は呪縛から逃れる力が無いため、マーザリグの奴等が帰す気など存在しないと知っている。奴等は嬉々としながら渚を嬲り、同時に心を折る様に話すのだ。千春は其れを知らず、嘘の情報に踊らされているのだろう。もしかしたら知らない方が幸せなのかとも思う。


「誤解してる様だけど、この情報の出所はマーザリグなんかじゃないわ」


 だが、まるで全てを知っているかの様に話すのだ。


「……どういう事?」


「ベルタベルン王国を知ってる?」


 フルフルと小さな顔を振り、ポニーテールが揺れる。偶に見せてくれる渚の可愛らしい仕草が千春を喜ばせたが、表情を変えずに続きを伝えていった。


「かなり遠い国だからまだ開戦してないわ。表向きは一応の同盟国らしいし。でもマーザリグの野心は誰にも明らかだから、幾つかの対策を練ってる。その内の一つが逆召喚……異人を元の世界に還す方法よ」


「逆召喚……」


「確証を得るまで渚には話してなかったの。期待させてやっぱり駄目だったなんて可哀想だからね。でも、もう話しても大丈夫」


 つまり、確証を得たと言う事だ。


「そんな事、有り得ないよ。騙されて……」


「ベルタベルン王国の王、彼の名は……まあそれはどうでもいいの。大事なのは隠されていた名ね。彼の名は遠藤、遠藤(えんどう)武信(たけのぶ)。何十年も前に日本から転生したらしいわ。直接は流石に会ってないけど、漸くバレずに手紙の遣り取りが出来た。情報交換はしていたけど、マーザリグにバレる訳にはいかなかったから」


「日本人?」


「そうよ。手紙には綺麗な日本語が書かれていた。この世界で、帝国以外に日本人なんて居ると思う?」


「それは……そうだけど」


 渚はまだ信じる事が出来ない様だった。


「勿論私も最初は半信半疑だった。そもそも何で彼自身が帰らないのか不思議だったし」


「うん」


「彼は事故的に転生したらしいけど、今はこの世界に家族が居て、ベルタベルンを守らないといけない。私は王なのだから……此れが疑問に対する彼の言葉よ。何より逆召喚を勧める動機があるでしょ?」


「マーザリグの戦力を低下させる事が出来る」


「そう。最終的には大々的にコマーシャルするつもりらしいけど、方法が問題なの。最初の逆召喚だけは現地で行う必要がある。つまり、あの地下室に行かないといけない。一度パスが出来れば、後は場所を選ばずに可能になるって。成功させるピースは幾つかあるけど、私なら条件に見合っているから大丈夫よ。此れはベルタベルンの、マーザリグを潰す為の軍事作戦なの」


「知られたら、マーザリグは警戒するだろうね。あの場所に近づく事さえ難しくなる」


「だから、少人数で、素早く、あの場所に行かないと。仲間は増やさない、呪縛の所為で情報が漏れたらお終いだからね」


「知ってたの?」


「当たり前でしょ?」


「なら、私を連れて行かない方がいい。寧ろ囮りとして騒ぎを起こす……イタッ」


「馬鹿な子ね。最初に逆召喚するのは渚と決めてる。貴女を残して先に帰る訳ないでしょう」


「だって……」


「私が守る。渚はその眼で警戒をお願いね」


「でも」


「"でも"も"だって"も無い。渚ったらまるで陽咲みたいよ。私がそう決めたから決定なの」


「危険過ぎるよ。千春一人ならどうにでも、イタッ」


「我儘は駄目よ。渚は私の妹なんだから言う事を聞きなさい。嫌なら私も行かないわ」


「無茶苦茶だ……」


「あら? 今頃気付いたの?」


 そう言って千春は笑う。長い真っ直ぐな髪が揺れて綺麗だった。













 長年を懸けて準備していたのだろう。ベルタベルンの間諜、つまりスパイがマーザリグにも喰い込んでいた。現代日本にいた遠藤武信は情報の重要性を熟知しており、専門の人材を育成していたのだ。彼は正に名君だと分かる一例だった。ましてや魔力全盛の世界では破壊力や殺傷力こそが正義で、帝国には蓄積した驕りがあった。


 渚を連れて行くなど簡単では無い筈だったが、いとも容易くマーザリグの本拠地に入る事が出来る。予め渡された命令書は効果を発揮して、幾つかある門を抜けて行くだけ。間違い無く偽造だろうに、誰一人として疑わないのだ。


「流石に此処からは実力行使しかないね」


 この先はマーザリグの高位貴族や武官が多く出入りしており、何より異人を集める召喚の広間があるのだ。


「どうするの?」


 警備の量も、武装の質も変わった。


 そして、渚の眼には明らかに厄介な魔法を駆使する戦士の姿が多く見える。カエリーなど文字通りの玩具でしかなく、隙をつこうとも効きはしない。障壁を抜くには何度も攻撃して魔力を消費させるか、其れを超える魔法をぶつけるしかないのだ。渚の魔力は彼らに比べれば吹けば飛ぶような塵と同じだ。


「渚」


「何?」


「私を信じてくれる?」


「うん」


「ありがとう。じゃあ……辛いけど、耐えてね?」


「千春の好きに」


 全く躊躇なく肯定する。死んでくれるかと聞かれても同じ言葉を返す確信があった。もう渚には千春しか見えていない。


 そんなもう一人の妹を見て姉の瞳は悲しい色を纏ったが、それでも今はやるべき事がある。


 突然に渚の平衡感覚が失われた。立っている事が出来ない。これはまるで……召喚されたあの日の……


 フラリと地面に倒れる筈の身体は千春によって横抱きにされた。朦朧とする中、渚は何とか意識を保つ。だが次の不快感に耐える事など出来ない。身体中に無数の虫が走り回る感触、そして其れは皮膚表面だけではない。血管の一本一本にまで這い回る。


「う、お、おぇ……」


 脂汗、悪寒、震え、圧倒的な恐怖。そして渚は嘔吐した。吐き気は止まらず、横抱きしている千春の衣服も汚れていく。


「渚……ゴメンね。此れだけは事前に伝える訳にはいかなかったの。貴女の呪縛を奴等以外が作用させたら直ぐにバレてしまう。意識すらしては駄目なのよ……だから言えなかった。もう奴等に見つかっただろうけど、呪縛は貴女を縛らない。だって私が貴女を掴んでいるから」


 抱き締めて、もしかしたら伝わらないと思いながら、それでも千春は語り掛ける。渚の美しい(かんばせ)は酷く歪み、紫色した唇周りは吐瀉物で汚れている。汗も震えも止まらない。見るだけで辛くなる妹の苦痛だが目を逸らしたりしない。


「う……だ、だい、じょう、ぶ。お、ぇ……服、汚れ……ごめ」


「服なんて……渚、頑張って。今から奴等と一戦交えるから、揺れるわ。辛いだろうけど眠っては駄目。呪縛がまた貴女を縛ってしまうから……舌を噛まない様に私の胸でも肩でもいいから歯を立てておくのよ。聞こえた⁉︎」


 話すのも億劫なのか、コクリと小さく首を振った。


「カエリースタトス、聞こえているでしょう。お前の自由も奪ったわ。余計な邪魔をしたら破壊するからね」


 返事は無い、いや返事など出来ないだろう。


 千春の圧倒的な魔力の前に誰もが平伏すしかないのだ。少しずつ高まっていく魔力の波は物理的干渉を周囲に与え始めた。


 漸くマーザリグの連中が気付き、騒ぎが二人に届く。


 それはそうだ。


 今迄全力を千春は見せた事がない。油断を誘うために絶えずコントロールし、その中でも鍛錬を欠かさなかった。そう、マーザリグに煽てられる道化を演じてきたのだ。全ては今日の為、陽咲に再び会う事がエネルギーだったが、それも一人増えた。


 マーザリグなど最初から信用していないし、色々と暗躍してきたのだ。だからこそベルタベルンとの接触もあった。


 だが、もう隠す必要もない。邪魔する奴等は蹂躙するだけだ。


「さあ、行きましょう」


 この世界で最も強大な魔力を持つ、最高峰の魔使いが前に進むのだ。


 懐に愛する者を抱きながら。


 マーザリグ如きに止められる千春ではなかった。











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