千春⑶ 〜死の精霊〜
何かの映画だったか狙撃手は銃弾を放つ時、つまりトリガーを引き絞る時に息を止めると聞いた事がある……渚はいつもの様にボンヤリと思った。
だが、正解など知らなくとも彼女には関係のない事だ。
異能を駆使して標的を見つければ、必中の射線が見える。最初の頃は明後日の方向を示す異能に戸惑ったものだ。実際は風や重力などを予め見ているから、見事に当たるのだが。
数え切れない程の人々を狙撃して来た渚は、異能を使い熟していた。今も生茂る木々に埋まって身体を俯せにしている。気配を絶ち間もなく通る筈の敵を何人か殺して離脱する……それが命令だ。それに何の意味があるのか渚には分からない。そもそも理解しようとも思わないし、どうでもいい。失敗すれば死ぬか、帰還して耐え難い仕置きを受けるだけ……三年の月日は精神を擦り減らすのに充分な時間だった。
今日こそは自分を殺してくれるだろうか……
鍛え抜かれた異能と長きに渡る狙撃の経験は渚を裏切らない。敵国からは姿を見せない"死の精霊"と呼ばれている事を本人は知らないが、条件さえ整ったら戦えると分かっていた。
もちろん前線に出れば簡単に死ぬだろうし、化け物としか思えない軍人は腐るほどに居る。実際に渚は強い方では無い。見つかれば簡単に死ぬ事が出来るだろう。その辺の兵卒にすら勝てないかもしれない。近接戦闘は目を覆うばかりの実力しかないのだ。
何より魔法の理不尽な力は常識をあっさりと覆す。恐ろしい迄の威力、精度、速度、多種多様な魔法は日々磨かれて生物の息の根を止める力を内包していく。たった一人が放つ魔法は、まるで元の世界の絨毯爆撃すら上回る事がある程だ。
"カエリースタトス"は渚から見れば拳銃、つまりハンドガンだ。まあ実際には形状すら簡単に変化するのだが。名前の意味は"天候の様に絶えず変化する"なのだから。
銃は元の世界なら個人で持てる中で最高に近い強力な武器だった。職業軍人でも無い限り、対処すら出来ずに人は簡単に死ぬ。しかし魔法は違うのだ。
だから早く殺して欲しい……
『マスター、カエリースタトスの主要機能も魔法です。貴女は魔力を練り、魔弾を構成して撃ち出す。無意識でも原理は変わりません』
いつの間にかカエリーと思考が繋がっていた。合成音を思わせる女性の声が頭に響く。実際に音は出ていない。空気も震えない。分かりやすく言えばテレパスに近いだろう。カエリースタトスに触れていれば肉声は必要ない。人工精霊……渚にはAIと呼んだ方が理解し易い存在だ。因みにカエリーは発声も可能だ。
『黙って』
『私に与えられた存在意義はマスターの補助と延命です。自死など許しません』
『……煩い』
『ならば馬鹿な思考は捨てて下さい。任務に集中をし……』
「歪め」
態と発声し、渚はカエリーを変形させる。見た目は銃身の長いハンドガン、或いは歪な狙撃銃だろうか。肩口に変形した銃床を当て、まさしく狙撃手らしい姿勢を取る。身体の小さな渚にはピッタリだった。渚が知る狙撃銃との一番の違いはスコープがない事だろう。そしてスポッター、つまり観測手も。此処には渚一人しかいない。
渚には両方が必要なく、役割をこなせる。だから何時も一人だ。
『マスター』
『目標視認。カエリーこそ任務に集中しろ』
『アト受動素子接続……標的を確認しました。マスター、お見事です』
『この距離なら難しくない。油断しているみたいだし……素人の集団か』
人数は二十人程度。新人ばかりなのか行軍が素人臭い。渚で無くとも見付かるのは時間の問題だった、そう思える程の奴等だった。
『魔弾生成開始……透明弾』
通常の視力なら当然に見えない距離だ。薄暗い森なら尚更で、相手は渚の存在すら気付いていないだろう。
透明弾を選択したのは念の為だ。万が一にも射線を見られたら、たちどころに場所が知れる。方角は隠せないが、位置までは特定される訳にはいかない。渚は馬鹿らしく思うが、生きて帰還する様に命令されている以上は仕方がない。それを裏切ってくれる程の強い相手なら嬉しい……
『マスター』
『煩い、分かってる』
緊張も戸惑いすら無く、渚は初弾を射出した。火薬は使用していないので、僅かな魔力反応音しかしない。空気が抜ける様な「パシュ」という音を置き去りにして、魔弾は標的に向かった。
いきなり前を歩く仲間の頭が弾け飛んだら誰もが驚愕するだろう。ついさっき馬鹿話をしたばかりなら尚更だ。二歩だけ歩き頭を失った男はゆっくりと倒れた。
「狙撃!」
「馬鹿な……」
「どの方角だ⁉︎」
「不明です!」
「巫山戯るんじゃな……ぶへっ」
声を荒げながらも伏せた筈の部隊長は赤い血が後頭部から吹き出し、言葉は最後まで発する事も出来ない。見れば額に穴が空いていた。
「うわぁ!!」
「部隊長が……」
「声を出すな、伏せろっ」
副隊長が大木に隠れて低めの声で指示を出す。今ので大体の方角は分かったが、位置までは不明だった。
「パレ! 探知しろ! 近くに潜んでいる筈だ!」
若いながらも魔法の才能に恵まれたパレに副隊長は指差しながら命令する。正確な狙い、無音、消された射線から高度で精密な魔法と推察し、同時に距離はそう離れてないと判断出来る。方角が分かってしまえば如何なる隠蔽魔法も意味は無い。
「もうやってます! でも……」
「なんだ!」
「探知にかかりません! 姿がないんです!」
「そんな訳が……」
「見えない姿、正確な狙い、此処はマーザリグ帝国領です……ならば」
「くそっ、死の精霊か……」
「死の精霊……! ふ、副隊長」
「任務は偵察だ……この森に死の精霊がいる。その情報を持って離脱するぞ!」
「副隊長! それでは……」
尤もらしい理由だが、明らかな任務放棄だった。敵前逃亡に等しい。下手をすれば処刑されてしまう。
「パレ……ならば手はあるのか?」
「方角は分かっているんです。散開して包囲すれば……噂通りなら奴は一人の筈です!」
「馬鹿が……仮に死の精霊を見つけてもどうやって殺るんだ? 音を響かせてマーザリグの奴等を呼び寄せるのか?」
「しかし……」
「この時間も惜しい。移動されてたら嬲り殺されるぞ!」
「この人数なら、あっ」
「パレ?」
「副隊長……アレを」
伏せたままに首を振れば、信じたくない現実が映る。
「有り得ない……いつの間に」
最も離れた位置で身を屈めていた三人が地面に転がっていた。近づいて確認するまでもない。全員が死んでいる。
それに気付いたのはパレ達だけでは無かった。まだ経験の浅い者達は恐怖の余りに立ち上がり、意味不明な叫び声を上げて爆炎の魔法を放ち始めたのだ。
「よせ!!」
最早混乱は収まらず、一人、また一人と死んでいく。
そして……
『本当に素人だったのか……』
『マスター、残存魔力が規定値を下回りました。撤退を推奨します』
『任務は完了。帰る』
全滅などさせていない。そもそも魔力はもう底を尽き、継戦能力すら失っている。もし接近されたら逃げの一手だ。幸い獲物は素人同然で、残った数人はバタバタと消えて行った。
渚は自分が弱い事を知っている。数に任せて包囲されたら簡単に負けるのだ。広域を破壊する様な力も無いし、小さな身体通りの筋力しかない。彼らが犠牲を厭わずに近づいてくれたならアッサリと死ぬ事が出来ただろうに。
またあの地獄に帰らないといけない。マーザリグの連中の気が向けば、また……
こんなコソコソと戦う異能なんて無ければ良かった。千春みたいに前線に行く事が出来たなら……
「なぜ千春が頭に浮かぶ……関係ないのに」
あの日から千春は何度となく会いに来た。遊撃隊から引き抜けないと知ったのか、アレ以降は誘っては来ない。其れを埋める気なのか、時間があれば顔を見せるのだ。渚がどんなに冷たい態度をしても、突き放しても全く効果はなく、何時もベラベラと喋り続ける。
「でも……」
千春が側にいるとマーザリグの奴等に呼び出されない。悔しそうに去って行くのすら見た。やはり特別な存在なのだろう。
相反する。
穢れた自分を見て欲しくない、側で話し掛けたりしないで、と。でも同時に一緒に居たい……安らぎを感じて、整った横顔をつい見詰めてしまう。
もう気付いている。残る男性の自意識が千春に惹かれていると。
あれ程に汚れ痛めつけられ、感情など消えてなくなったと思っていた。なのに……
だから、もうこれ以上会いに来ないで。戻れなくなる……辛い現実に押し潰されてしまう。
誰か、早く、私を、殺してーーー
「渚! こっち!」
お願いだからーーー
「ご飯取って来たから! 一緒に食べるよ!」
心が軋むよーーー




