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千春⑴ 〜運命の日〜

千春との出会いから別れまで。

 




「ちょっと、アナタ大丈夫?」


 壁に寄り掛かり地面にお尻を落として座っていると女性の声が降って来た。立てた両膝に顔を埋めていた(なぎさ)は、その声音が自分に向いていると思わず、暫くそのままだった。


「聞いてる? 何処か痛いとか、苦しいとか」


 肩に添えられた手でユサユサと揺らされて、漸く自分に話し掛けているのだと理解する。身体を触られて少し気持ち悪くもなった。誰とも会話をしたくなど無かったが、無視すれば厄介な事になるかもしれない……そう考えた渚は仕方なくノロノロと顔を上げた。


 瞬間、流した涙の跡を見たのか女性の眉は分かりやすく歪む。瞳には憐憫と怒りが篭り、それを隠す様に優しく微笑んだ。


 此処が()()だと忘れてしまうくらいに、長くて美しい黒髪が印象的な女性だ。年齢は二十代前半、身長も高く凛とした美しい人。長い脚、細い腰、鎧や武器も見えない。全体的に白を基調としたパンツスタイルは、渚の真っ黒な衣服とは対照的で不思議と眩しく見える。


 高位貴族や軍人の娘が箔付けに慰問でもしているのだろうと思わされる、そんな立ち姿だった。


「怪我は……無いみたい。もう、返事してよ」


 ホッとした様子を見せながら、懐から固めに焼き締めたビスケットだろう紙袋を取り出す。返事もしない渚を気にもせず、そして了解さえ取らず横に座った。


「お腹空いてるでしょ? 今日は一日中戦ってばかりだし」


「……別に」


 無愛想な返事にも動揺せず、つらつらと言葉を続けてくる。ビスケットの袋はグイグイと渚の閉じた膝の間に押し込みながら。


「後で食べて? こっちの戦線に来るのは初めてだから知り合いが居なくてさ……その武器、アナタ異人(いじん)でしょう? 私もそうだから……私は(あかなし)、杠 千春。チハルって呼んで。名前は?」


 足元に放り投げられた武器……大量生産品である魔工銃の一種、ハンドガンの鈍い黒光りを見て声を掛けてきたのだろう。或いは小さな身体を丸めて蹲る少女に同情でもしたのか。だが渚は問われた質問に答える事もせずに、焦点の定まっていなかった瞳を女性……千春に合わせた。


「アカナシ……? チハル?」


「うん。ああ、別世界の人だと発音しにくいかな……」


「まさか……()()()?」


 ずっと無表情だった渚に驚愕の色が浮かんだ。この世界に連れ去られて初めて会った同郷の、いや同じ世界の人間だった。


「え!? じゃあアナタも!?」


 そして千春にも歓喜と驚きが爆ぜる。


「……そう。まさか日本人がいるなんて」


「凄い!! 私も初めて会った!」


 ガバリと渚の小さな体を抱き締めると、ギュッと力を込めた。少しだけ震えているが、其処にどんな感情が流れているのか渚には分からない。


「……放して」


「あっ……ゴメン。もしかして痛かった?」


「別に。触られるの嫌いだから」


「そう……分かった」


 素直に姿勢を戻した千春だが、特に気分を害した様子も見せず視線を向けた。間違いなく14,5歳程度に見える渚への同情の色があり、世界と帝国に怒りを覚えている。


 こんな少女まで無理矢理に召喚して戦わせるなんて……そう想っているのだろう。


 この地獄の様な世界と戦場でも人としての尊厳を失っていない。きっと瞳に映る感情の通りに優しい人なんだと渚は思った。同時に自分には残っていない感情だとも。


「名前を教えてくれる?」


(なぎさ)


「渚……素敵ね。苗字は?」


「……苗字なんて必要ない」


「そっ、か……渚は、いつから?」


「さあ……三年くらい」


「三年⁉︎」


 この帝国……マーザリグに召喚、実質的誘拐をされる異世界人は数多い。凡ゆる世界から拐われて来た人々は直ぐに魔法的な呪詛により自由を奪われ、そして簡単な訓練と適性のある武器を渡されて前線に送られるのだ。物語の様な魔王に挑むのではなく、平和を目的に戦う訳でもない。マーザリグ帝国の版図拡大という野心を満たす……ただそれだけの為に他国を攻撃するのだ。


 初戦の死亡率、つまり初陣で戦死する異人は八割を超えるとされ、残り二割の大半が一年も保たない。千春が持つ様な異常とも言える能力がない限り、待つのは絶望を纏う死だけだ。


 だから、千春の驚きは当然だった。


 召喚された時、稀に異能を身に宿す者がいる。召喚の目的は正しく其れであり、逆に特別な力を持たない人々は使い捨ての肉壁にされてしまう。小さな渚が三年も生きて来れたのは間違いなく何らかの異能があるからだろう。


 しかし同時に不思議だとも思った。


 魔工銃、恐らくカエリーシリーズと見える渚の銃は率直に言って性能が低い。安価な大量生産品だし、そもそも魔力の弱い者向けの武器なのだ。千春の様に魔法を駆使する者には基本的に歯が立たないし、魔工鎧に穴すら開けられない。隙間を狙うか、遠距離から暗殺染みた狙撃くらいしか効果がないのだ。それでも熟練者は息をする様に魔法障壁を張っているし、油断などしない。発砲音や痕跡から位置を割り出され、即座に反撃の魔法を喰らうだろう。


「凄いわね……私は一年に満たないくらいだし」


 内心の怒りを抑え付けながらも、渚の小さな身体を抱き締めてあげたくなる。つまり中学生の頃にたった一人拐われて来たと言う事なのだ。意味すら分からず、怯え、望みもしない戦争に駆り出される絶望は如何程だっただろう。日本で生まれたならば人の死すら身近では無かった筈だ。


 千春は理解する。


 渚の……全てを諦めた光のない瞳も、深く掘り込まれた様な目の下の隈も、苗字すら捨てた絶望も。詳しくは無いがPTSDなどのストレス障害が起きていても何らおかしくはない。寧ろそうでない理由があるだろうか。


 ぱっと見は五体満足だが、精神は傷だらけで心の痛みすら忘れてしまったのだ。圧倒的な戦闘力を持つ千春であっても涙しない日はない。学校に行きたい、友達と話がしたい、美味しい物を食べたい、大好きなアーティストの歌声を聞きたい……何より、家族に逢いたい。


 陽咲(ひさ)は元気だろうか……喧嘩だって沢山したし、口を聞かなくなった日もあった。生意気な癖に何時も後ろをついて来たし、お姉ちゃんお姉ちゃんと懐かれるのが嫌だった時もあったくらいだ。


 でも、あの日から陽咲は千春の全てになった。何にも変えられない宝物になったのだ。千春は必ず日本に帰ると誓っている。挫けそうな気持ちになった時、妹を思い出すのだ。きっと泣いているだろう、姉を探しているだろう……もう一度抱き締めて「ただいま」と言葉にする。それこそが千春が戦う理由なのだから。


 渚は千春がマーザリグ帝国に拉致された頃の妹、つまり陽咲の年齢に近い。全てを諦めた様な渚を守りたいと思うのは当然だった。


 出来る限り目を配ろう。自分が近くにいれば少しは生存率が上がる筈だ……自らの異能が馬鹿げた力を持つ事を自覚する千春は、人を守れる力でもあるのだと理解して嬉しかった。破壊して、人を殺すしか能がないのだと嫌悪すらしていたのだ。


 自分に与えられた権限を利用して渚を側に置く事に決めた千春は頭を捻る。異人の人権など考慮しない帝国も、戦争の役に立つ者には手厚い待遇で迎えるのだ。何とか出来るだろうとアレコレ考えた。


「渚、所属は何処?」


 大して整えてもないだろう髪を後ろ頭に結んでいる渚が怪訝そうに千春を見た。ストレートポニーテールが揺れるが、若々しい筈の黒艶もなく泥で汚れている。お風呂に入って髪を整えたなら凄く美しい少女なのが分かって千春は今更に驚いた。泣き顔に気を取られていたのか、陽咲には悪いが可愛らしさなら渚に軍配が上がるだろう……千春は妹にする様に頭を撫でようとしたが、渚は嫌そうに頭を逸らす。


「触らないで」


「あっごめん。嫌だったよね」


()()()()


「汚いなんて……此処は戦場だから汚れて当たり前でしょう? 私だって」


「違う」


「渚?」


 千春は違和感を覚えて意味を聞こうとしたが、渚の言葉にしなくても分かる拒絶に黙るしかなかった。


「所属は第三遊撃隊」


「遊撃隊?」


 あまり聞かない部隊だ。自身が所属する大隊には存在しない。元々ただの女子大生だった千春には詳しい軍事知識などないのだ。渚は抑揚のない言葉を紡いで説明してくれた。


 遊撃隊……攻守を問わず、また標的を選ばず、状況に応じて戦闘目的を変更する部隊のことだ。 武装は機動性を重視し、移動能力を妨げるほどの重武装は施されない向きが強い。そして、異人による遊撃隊ははっきり言えば使い捨ての何でも屋だ。第三は囮り、撹乱、暗殺、そして捨て駒……其れが役割だと渚は言った。


 ある意味華やかな大隊とは正反対の汚れ役、それが異人の集まる第三遊撃隊だった。


「そんな……」


 何処かファンタジックな魔法を放つ千春には想像していない現実だ。戦争に美醜など求めていないし、汚れ役がいるのは何となく理解していた。しかし目の前にいる少女は三年もの間、そんな地獄に身を置いていたのだ。生きているのすら奇跡な世界で、たった一人戦って来た渚に千春は涙が溢れそうになった。


「それが何?」


「折角会えた日本人だもん、一緒に居たいと思って。それに貴女みたいな子供が戦うなんて間違ってるわ」


「子供?」


「嫌だった?」


 難しい年頃の渚には腹立たしい言葉だったかもしれない。自分にも覚えがあったし、陽咲の拗ねた顔が浮かびもした。


「くく……馬鹿みたい」


 だが、初めて見た渚の笑顔は残念ながら微笑ではなく嘲笑だった。皮肉めいた笑みは千春に向いているのではなく、彼女自身に。それは全てを諦めた人間の自嘲で、悲哀を湛えた瞳に千春は言葉選びを間違えたと自覚する。


「渚……私と一緒に来ない?」


 直ぐにでも死んでしまいそうな渚に我慢出来なかった。


「無理。私の異能では千春についていけない。身体能力は平凡だし、障壁構築も強化も出来ない。武器はカエリースタトスしか使えないから、前線に出ても蹂躙されるだけ。邪魔な()()を抱えて戦えるとでも?」


「そんなの、やってみないと分からないわ……私が」


「千春が守る? 貴女は確かに強いのでしょう。でも異能の全てが攻撃向きな千春には難しい」


「……私を知ってたの?」


「全然? 他人なんてどうでもいいし、考えれば分かる。無意識に張る魔法障壁は強固で、武器らしい武器も持ってない。他の隊から人を引き抜く権力のある異人なんて片手で数える程だし、考えられるのは圧倒的な魔法でしょ。少なくとも肉体強化系でもなく接近戦をするタイプでもない。なら考えられるのは強力な魔法を放つ砲台。だから私を連れ歩いても安全だと思ってる」


「その通りよ、全部当たってる」


「私の異能は"眼"だから。観察するのが仕事」


「眼……カエリーでも戦えるのは其れが理由ね」


「そんなところ」


「なら私の補佐として」


「駄目」


「どうして? 私の側ならギリギリ障壁で包めるわ」


「そんなに言うならやってみたらいい。第三遊撃隊から連れて行くって。()()許可したら私も逆らわない」


「本当ね? 聞いたわよ?」


「分かった」


 千春は渚の言質を取ったと安心し、立ち上がった。心の中で守ると誓い、いつか呪縛から解き放つと決めたのだ。もう一人綺麗な妹が出来たと思えばよいと千春は笑みを浮かべた。




 だが……あっさりと配属先を変更出来ると思っていた千春に齎された回答は……明らかな否定だった。遊撃隊から渚を移すのは許されない、と。





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