近くて遠い距離
結局適当に選んだとしか思えない下着や靴下を買って、渚は待たせていた陽咲の側に向かう。ただ二人の間には明らかな距離があって悲しかった。
その距離分に気持ちも遠い気がして、陽咲は泣きたくなる。手を繋いで、服を選んで、出来るなら楽しく散歩だってしたい。そんな未来を思い浮かべていたから尚更だ。一目惚れとは言え、お気に入りの人が自分を拒絶していたら誰でも辛いだろう。
それが今思うことだ。
「行こっか」
それでも頑張って声を上げた陽咲は既にマイクやイヤホンを外している。渚もそれを知っていて、周囲に視線を配った。もう異能を使うまでもない。事前に把握済みだった。
「全部で9人も。大袈裟だね」
「……分かるの?」
「まあ」
「私が言うのも変だけど、自分の力を簡単に明かすのは良くないと思う。味方と決まった訳じゃないでしょ?」
意外だったのか、渚はほんの少しだけ驚いた様だ。
「そうかもしれない。でも、貴女なら構わない」
突然の信頼を表す言葉に、陽咲は簡単に慌てる。矢張り無表情で、氷や雪を想起させる美しさだ。笑顔ならもっと素敵なのにと、つい考えてしまう。手入れはしていないだろう髪も、隈の酷く目立つ白い相貌も、肌は見えなくても分かる細過ぎの手足や腰も、美を損なう要素なのに。
ちゃんと御飯食べてるのかな? そんな心配が頭をよぎった。
「あ、ありがとう。えっと……美味しいパンケーキのお店とかどうかな? 直ぐ近くだし、映画とかでもいいけど」
言いながらも渚が持つ荷物を持って上げたいとチラチラ見ている。それではデートだろうと指摘する三葉はいない。当然に渚も怪訝な顔をした。
「映画なんて話をするには不向きだと思う」
「そそ、そうだよね! ははは……私ったら何言ってるんだろ」
「仲間の人達も困るだろうから、近くの公園は?」
もうどちらが歳上か分からなくなり、立場すら逆転していた。渚は不法に銃を保持し、証明こそ困難だが人に銃口を向けた異能者だ。捕まってもおかしくないし、陽咲は特例的逮捕権すら保持する警備軍の軍人なのに。
「……公園。いいかも」
渚は益々怪訝な顔色になったが、陽咲は幸せな事に見ていなかった。希望の一つ、二人で散歩が叶いそうと喜んだのだが、当然に想像出来る訳がない。
公園と言っても子供達が駆け回る様な場所や遊具は見当たらない。ずっと昔はそんな公園も多くあったが、いつレヴリが現れるか知れない世界に、子供だけで遊ばせる親などいないだろう。
しかしそれでも、PLから遠い街の中心部には幾つかの憩いの場所がある。厳しい世界だからこそ、人々は日常を出来るだけ手放さない。
そこは人工的な池と樹々が彩る空間だった。レヴリの脅威は忘れてないが、昼間なら人影はチラホラと見える。
池の側に配されたベンチに二人は腰を下ろした。木漏れ日が揺れて、風も気持ち良い空間だ。池に沿って走るランニングコースと、少し遠いが自販機が見えた。日本って何処にでも自販機あるなぁと陽咲は呑気に思う。現実逃避に近いか、緊張の余り思考が纏まらないのだろう。
「自販機……何か飲む?」
「要らない」
「そう」
何と此処に辿り着くまで殆ど無言だった。陽咲の頭に次々と言葉が浮かぶが、隣りの綺麗な女の子を見ると唇が震えるだけだ。
「天気、いいね」
「……うん」
初デートで緊張して何も喋れない、そんな初々しい中学生みたいな会話。手のひらにジットリした汗を感じて横を見れない。キラキラと光を反射する池の漣から視線が外れないのだ。兎に角なにか喋らないと……そう考えたとき思い出した。
「あっ……此間、助けてくれて有難う。ちゃんとお礼も出来てなかったから」
漸くしっかりと渚の方を向いた。身体ごとだったからベンチはギシリと鳴る。
「気にしないでいい。勝手にやってる事だから」
渚も人工池を見ていて、綺麗な横顔がバッチリと視界を埋める。
顔が小さいな、目が大きく見えて可愛い。鼻筋や顎のライン、細い首が綺麗で、不思議だけど色気?を感じる。三葉叔母さんも言ってたけど、服は正直……着る物がなくて知り合いの男の子から服を借りた、そんな風。寝不足なのか分からないけど、目の下にかなりの隈がある。勿論無い方がいいけど、逆に病弱で薄幸の美少女みたいな儚い雰囲気が……
「……何?」
つらつらと言葉が頭に溢れ、ねっとりと渚を見ていた。心なしかズリズリと近寄ってもいる、無意識に。余りに変な空気と陽咲に、流石の渚も耐えられなかった様だ。
「……好き」
「?」
「えっ……あっ! こ、この公園、好きだから! よ、良かったなって」
「そっか」
「う、うん! キミはよく公園に……」
漸く聞きたい事の一つに陽咲は思い当たった。任務にも合致する、一応。
「名前……! ね、名前は⁉︎」
コードネーム"天使"などと呼ぶ訳にいかないし、そもそもの名付けた人は花畑だ。尚更言えない。簡単に答えてくれないのは分かっていても、聞かずにおれない陽咲だった。
「渚」
渚は再び視線を外し、正面の池を見ながら口にした。無理かもと思う事にあっさり答えたものだから、陽咲は一瞬何を言われたか分からなくて沈黙してしまう。
「……な、ぎさ。名前?」
「うん」
「なぎさ、渚……凄く似合ってる、ね」
随分と遅れて感動が溢れて来た。名前が知れた途端に距離が縮まった気がして嬉しくなる。
「素敵な名前……苗字は?」
「……渚とだけ覚えてくれたらいい」
そして次に来るのは拒絶。何回も経験して多少耐性がついたのか、陽咲は殆ど驚かない。けれど堰を切った疑問は次々と溢れて来るのだ。
「何処に住んでるの? 一人暮らしかな……でも未成年みたいだし、そう言えば歳はいくつ?」
矢継ぎ早に出る質問。凄く早口だ。
「陽咲」
「なあに?」
「もう一度言う。そんな話をする為に私を付け回したの? 違うでしょう?」
氷の様な鋭い視線に射抜かれ、熱くなっていた胸に冷たい雨が降る。陽咲からすれば、まさしくそんな話がしたいのだ。もっと近く、沢山知って、笑顔が見たい。警備軍の一員としての任務も忘れて……
「に、任務だから。渚を知って対応を……」
「どうする気? 私を捕まえる?」
「違う! 私は寧ろ……」
「最初に会ったとき言った事、やっぱり間違いないみたいだ。陽咲、軍を抜けて」
あの日、戦士に不向きだと断じた。渚はそう言葉にしたのだ。
思わずカッとなり、陽咲は愛しくて可愛い人を睨む。護りたいと思う相手に無理だと言われたら悲しいだろう。ましてや目の前の彼女は儚い容姿を持つ少女だ。
「渚に言われる事じゃないわ! 私にはレヴリに対抗出来る力があるの! 軍でもいつかNo.1になるって……」
「レヴリなら私が殺す。陽咲の分まで」
少女には酷く不似合いで、同時に纏う空気に似合っている。そんな凄惨な言葉を簡単に吐く。だから益々陽咲は腹が立った。
「何で、何でそこまで⁉︎ 私は頼んでないわ!」
出来るなら楽しい時間にしたかった。美味しい物をたべて、沢山会話して……なのに目の前の人は陽咲を睨み付けている。
「ならそうして。今、はっきりと言いなさい。レヴリを殺せ、と。貴女と違って私は任務に厳格……」
「やめて! 聞きたくない……私はそんな事……」
「そう」
呟く渚は視線を外し、また遠くを見た。直ぐ近くに居るのに酷く遠い距離を感じてしまう。だけど、陽咲は以前の弱虫ではない。心を強く持って渚を見た。
「渚は勝手にやってる、そう言ったよね?」
「……だから?」
「私もしたい事をする。何がしたいか分かる?」
「前に聞いた。その話だってしないといけない」
「それもあるけど、違う」
視線に決意を乗せ、疑問符を浮かべる少女へと合わせる。例え嫌われても、馬鹿だと笑われても、構わない。千春お姉ちゃんならば、そんな事に頓着しないだろう。したい事をして、最後は全員に笑顔を贈る。私はそんな凄い人の妹なんだから……そう陽咲は決めた。
「私は……決めたの。護るって」
「レヴリを殺せば一般市民の犠牲は減る。貴女より私の方が効率的と思うけど?」
「違う、違うから」
「何を言ってる?」
「私が護るのは好きになった人。初めて恋をしたから」
渚の瞳は冷たくなった。もう僅かに見えた感情も消えて、そして関心すらも。
「好きにすればいい」
「そうする」
私が渚を護る。好きになって欲しいなんて言わないよ……揺るぎない決意は渚には届かない。でも、気持ちを隠すのは嫌だった。
「私が好きな人、分かる?」
「さあ」
もう帰ることを考えているのか、反対側の道を眺めている。
「私は渚が好き。歳下の大切な女の子を護るのは当たり前でしょ?」
驚いたのだろう、渚は振り向く。ポニーテールが揺れて感情を映した。
「……馬鹿な事を」
「どうして?」
「私達は同性だし、まだ2回しか会ってない。名前だってさっき知ったばかりでしょう。それに、私は軍属でもなく不法に銃を持つ犯罪者で」
「関係ないわ」
簡単に否定され、流石の渚も二の句が告げない。
「ねえ、渚が私を見てるのは任務なの? 誰に頼まれて……」
間違いなく千春だと確信している陽咲の質問は、いきなり響いた声に遮られてしまう。
「陽咲! 終わりだ!」
「叔母さん?」
見れば、小さな身体で走り来る三葉と隊員達。ふざけた様子はなく、切迫した空気があった。
「出動だ」
「は、はい!」
其処には優しい叔母でなく、第三師団司令の三葉がいる。
「天使よ、またの機会に話がしたい。連絡をくれ」
「天使?」
気持ち悪い呼びかけに今日一番の感情を見せた。渚の顔色には明らかな嫌悪感がある。
「お前のコードネームだ。名前が不明だったからな」
遠藤が何度も言っていた理由が分かって、渚は益々不機嫌になった。
「渚ちゃんです。天使はやめましょう」
「ふむ、良い名前だな」
「渚、一緒に来ない?」
陽咲は甘えた声を出す。それを聞いた渚は何かを決意して、自分と身長のそう変わらない女性に声を掛けた。
「……三葉司令、あと少しだけ時間を。五分でいい」
「いいだろう。あのトラック、ああ見えるよな。アレで待ってる」
そう言い残すと三葉達はあっさりと去って行く。それを見守ると二人は向き合った。渚が見上げる先には真剣に見返す陽咲がいる。
「最後の質問に答えるよ」
「うん」
「誰にも頼まれたりしてない。全て私の意思だから」
「……じゃあ何で?」
「千春の言葉を伝える為に私は此処にいる」
「お姉ちゃんの⁉︎ 何処にいるの⁉︎」
拳を握り、一歩近づく。渚は後退りした。
「あの日、ごめんなさい。貴女の姉、千春は陽咲が大好きだって……そう伝えて欲しいと言っていた」
初めて会った日と同じ、渚の瞳には滲む涙があった。千春を想うとき、薄い感情に火が灯る。
「お姉ちゃんが……逢いたい……ねぇ、教えて」
「もう逢えない」
ドキリと心臓が波打つ。
何度も頭に浮かび、何度も何度も否定を繰り返して来た。その答えを渚は呟こうとしている。耳を塞ぎたいのに、陽咲の体は固まったままだった。
「千春は、死んだ」
「……嘘よ」
「私の目の前で。あの綺麗で長い黒髪も、優しい眼差しも、全部血に染まって」
「やめて‼︎」
止まらない。何故なら伝える事が残っている。
「陽咲、私が好きって言ったよね?」
顔を両手で覆いながらも陽咲は深く首を縦に振った。ウンウンと、何度も。
「本当なら死ぬ筈じゃなかった。私とあの時出会わなければ」
「ねえ、もう一度考えて」
渚は問う。
「千春は私が殺した。それでも好きでいられるの?」




