繋がり行く今
遠藤征士郎は白く染まった顎髭をサワサワと撫でていた。そして秘書が本漆塗の運び盆に乗せて持ってきた白い物体をマジマジと眺める。更にデジタルカメラを取り出すと撮影の構えを取った。
「ふむ、やはり写らんな。本物か」
小さな画面には運び盆もテーブルも写るのに、目的の物体だけは暗い闇に沈んでいる。本漆塗よりも黒、いや暗黒だ。
如何にも和風建築の屋敷の一室で、遠藤は嬉しそうに物体を手に取った。
「だ、旦那様! 危険では⁉︎」
慌てた秘書、大恵は思わず大声で叫んだ。撫で付けた灰色の髪は整髪料で抑えてあって揺れる事もない。銀縁眼鏡も合間って学者を思わせる。主人である遠藤と年齢も近いだろう。
「大恵、レヴリと言えど生物なのだ。死体から剥ぎ取った牙が危険な訳がなかろう。見ろ、指が腐り落ちたりしているか?」
「し、しかし」
「第一、此処まで誰かが運んで来た筈だし、狩った者はどうなる? よく考えればわかるだろう」
「……それはそうですが。万が一と言うことも」
「洗浄済みだ。仮に未知の微生物がいても大丈夫だ」
もう会話は終わりとばかりに遠藤はルーペを取り出して角度を変えながら観察を始めた。指で弾いてみたり、重さを測ったり、暫くは沈黙が支配する。
遠藤家本邸は広大な敷地の中にあり、離れも含めれば数十人が寝泊り出来るほどだ。歴史もあった武家屋敷を移築し、純和風を趣味とする遠藤の拘りが随所に散りばめられている。池の側には鹿威しが当然に配置され、錦鯉は優雅に水中を泳いでいる訳だ。
自身も和装を好み、休日は茶を立てる。
しかしながら外車も乗り回すし、女も好き。海も酒も煙草も愛する趣味人だ。
初老の男性にありそうな恰幅は感じない。細身の線は和装が貧相に見えるものだが、遠藤は背筋もピンと張り独特の威容を覚える。眼鏡はしていないので、鋭い眼もはっきりと見る者に伝わるだろう。顎髭は短く刈り揃え、髪と同じく白い。白髪染めなど不要とそのままにしている。身長も高いため、若く見えたり老いて見えたりと不思議な魅力を放っていた。
「しかしやはり面妖とはこの事だな。肉眼やルーペでははっきりと白い牙が見えるのに、デジタルカメラには映らない。PLでは凡ゆる光学機器が使えないとはこう言う事か」
ニヤリと笑い、新しい玩具を手に入れたと喜んでいる。
「よし、買おう。今までと比べ物にならんくらい状態も良いし、他にもあるんだろう?」
「はい。此れが品書きだそうです」
初めて開いた手書きの紙にはつらつらと品目が並んでいる。其の物を写真に撮れないため文字情報だけだ。
「全体的に小さな物が多いな。死体そのものがあれば良かったのだが」
「確かに……最初の取り引きですから、出し惜しみか交渉待ちか。小癪な奴かもしれませんな」
「いや、好ましいぞ。馬鹿は相手にしたく無い。今後も商品は提供出来ると書いている。つまり商売のイロハを多少は知っている人間だ。文字から察するに男、恐らくは警備軍上がりの元軍人だろう。腕にも自信があると見える」
何かが面白かったのか、遠藤が紙を大恵に見せ直した。
「取り引き方法は……指定のロッカーに現金を入れる? 商品と引き換え……何ですかこれは? 急に頭が悪くなった様な」
「くくく、中々洒落っ気があるだろう? まあ一応は違法な取り引きだ。気に入ったぞ。値切りは要らん、全額そのまま払ってやれ。そうだな、次の連絡を待つと。暫くは遊んでやろう、監視は怠るな。但し手は出すなよ」
「よろしいので?」
「大した金じゃない、遊びだよ。さて、どんな奴かな」
遠藤は久しぶりに楽しい日々が過ごせそうだとほくそ笑んだ。
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陽咲の住む街に着いた渚が最初に向かったのは、如何にもな寂れた歓楽街だ。夜間なら拙いだろうが、日中なら低年齢の者が歩いていても咎められ難い。それでも警察官らしき姿を見れば、姿を隠したりしている。
インターネットカフェ擬きに来ていた。
身分証を忘れたと言えば入店出来る半分以上グレーの店だ。若い店員にじろじろと見られたが結局入室出来た。ついでにプリペイド式のスマホも購入する。
街中は人も多く、出来れば来たくはない。しかし人が生きていくには食糧や生活品がどうしても必要になる。拠点も移す事もあり資金調達を行う事にしたのだ。
だが渚は見た目が中学生、高めにみて高校生の女の子だ。親は勿論だし身元引き受け人も存在しない。当たり前の金稼ぎは難しく、抱える事情により人の近くで行う仕事も困難だった。
それに最も重要な役割、陽咲の守護を行うにはフレキシブルなタイムマネージメントが必須となる。つまりバイト等は不可だ。
そして思い付いたのが物売りだった。
無論当たり前の商品ではない。扱うモノは今まで倒して来たレヴリの身体、その一部だ。どの世界にも物好きが居て、危険生物を欲するニーズがあった。簡単に調べが利き、違法ながらも公然と行われている。
朝からネットカフェで調べていき、幾つかの候補にメールを送っていた。返答期限を今日の夕方にしてあるのは、いつ追い出されるか分かったものではないからだ。
しかし想像に反して返答は素早かった。最もまともそうな大恵と言う男に決め、連絡方法を決めて退店する。やはりじろじろと見られて辟易したものだった。
そうして巨大な狼らしきレヴリの牙を送ったのが三日前で、商談成立の連絡が一昨日だ。正直かなりのスピードと思ったがリスクは殆どない。渚にとってレヴリの身体の破片なぞゴミ同然だから、例え盗まれても労力が無駄になる程度。取り引き方法は敢えて原始的にした。異能を使えば監視も容易で、最悪の事態も避けれるのだから安心と判断したからだ。
そして今、渚は指定したロッカーから遠く1キロは離れたビルの屋上にいる。昨日商品を入れ今朝に連絡。今はもう夕方だが取り引き時間は今から二十分後だ。
銃であるカエリーの姿はない。有るのは背中側に貼り付ける様に腰に挿した真っ黒なナイフだけ。質感だけ見ればとても切れそうにない玩具の小剣、そんなところだった。
『マスター、不埒を働いた場合は狙撃しないのですか?』
あの機械的な合成音は空間に響かない。聞こえているのは渚だけ。カエリーに触れていれば念話が可能だった。
「しない」
『なぜ?』
「人を殺す程じゃないから」
『なぜ?』
「……騒ぎになる」
『直線距離で1,115mです。透明弾を選択すれば発覚する可能性は限り無く低いと判断します』
「カエリー、静かにして」
『ではせめて、魔工銃形態にして下さい。周囲からの攻撃に対応が遅れる可能性があります』
渚が知る日本では無くなっていたが、此処は異界汚染地でも無い。街中でいきなり致死的な攻撃を受ける可能性など0に等しい……それをカエリーに説明しても理解しないだろう。そもそもの存在に差異が過ぎるのだ。此処はあの世界とは違う。
渚は全てが面倒くさくなり、小さく呟いた。
「歪め」
腰から引き抜いた黒いナイフに緑の線が入り、ほんの数秒でハンドガンに変化する。光りもせず、一瞬で変形も可能だが、渚はそうしない。
『狙撃は?』
「しない、そう言った」
再びビルの縁に身を隠した渚はもう口を開かなかった。
自らが操る異能を行使する。
1キロ程度の距離など、渚には障害にはならない。ロッカーには動きがないが、何人か気になる者達がいた。街中に溶け込んでいるつもりでも其の眼には彼らの視線の動きや呼吸の速さすら見えるのだ。肌が触れ合う程の距離にいて、観察しているのと何ら変わらない。
それが渚が持つ異能の力の一つだ。
明らかにロッカーを意識している。全部で4人。
多い……渚は警戒を強めた。
高々レヴリの身体の転売だ。ネットを漁れば幾らでも出てくるし、非合法とはいえ一つの市場すら構築されていたのだ。最初の取り引きを警戒しているのかもしれないが、商品は間違いなくロッカーに入れてある。金を取りに行くのは後だから、リスクは圧倒的に渚が高い。
つまり大袈裟に過ぎる、と。
だが、これは渚の大きな勘違いだった。先ず、実際にレヴリの身体が一般に流れて来る事は殆どない。奴等の大半がPLにいて、命の危険と隣り合わせだ。国家警備軍が管理している上に普通の銃は効かない。異能者なら可能だろうが、それこそ違法に手を染めなくとも報酬は高額だ。反してレヴリを欲しがる者は確かに存在するが非常に少数となる。
ネットに氾濫する情報の殆どがフェイクか詐欺紛い。或いはジョークのサイト。
それは世間一般の常識だったが、現在の日本を詳しく知らない渚のミスだった。ましてやいきなり本物のレヴリの牙を送りつけて来るなど、砂漠に落ちた小石を捜す事に等しい。
好事家の遠藤が興味を持つのは当然だった。寧ろ何か裏が有ると勘繰り、それを楽しんでいる程だ。
後退するか判断を悩み始めた時、初老の男が真っ直ぐにロッカーに近づいた。躊躇う事なく指定したロッカーの前に立つと、暗証番号をポチポチと押す。あっさりと開き、中から黒のスポーツバッグを取り出すのが見える。軽く中身を確認すると肩に担いだ。
灰色髪、銀縁眼鏡。事前に聞いていた大恵の特徴に合致する。
そのまま逃走はせずに、黒いアタッシュケースを同じロッカーに入れた。硬貨を数枚落として暗証番号を更新したようだ。この後番号をメールしてくれば取り敢えずは完了となる。
そして間をおかずして渚のスマホが震えた。件のネットカフェで購入したプリペイド式のスマホだ。事が済めば廃棄する。
文章は簡潔で、金と商品は入れ替えた報せと番号。大恵が押した番号をはっきりと見た渚は、それと合っていることも分かった。
『どうやらまともな商売となりそうですね。おめでとうございます、マスター』
カエリーが全く感情の篭っていない声を渚に伝えてくる。
「勝手に繋がないで」
『作戦行動中ならば許可は必要ありません。"アト粒子接続"を行わないとマスターと視覚をリンク出来ないのですから』
渚をマスターと呼びながらも言う事を全く聞かないカエリー。慣れているのか諦めたのか、渚もそれ以上は言わないようだった。