平等を胸に
酷く捻じれてしまった心は、他人にも、自らにさえ深い爪痕を残す行動をとってしまったわけだが、何はともあれ夕奈が決意を新たにしたのはやはりその時なのであった。
待ち望んでいた待望の失敗を皮切りに、夕奈は更に自分自身に磨きをかけていく。良いことも悪いこともすべてを自分の糧にしながら貪欲に。だが俺だけはそれが外面上だけのものであることを知っていた。
少し時間を進め、中学2年の中頃だろうか、夕奈は己の将来図について深く考え始める。
夕奈は何に影響を受けたとも知れぬが、いつからか一つの単語を自らの中心核に据え始めた。
「平等」
いかにももっともらしく、いかにも平和主義っぽい、俺からすれば漠然とした目標であった。夕奈がなぜこの単語を選択したのかはまさにそれであった。誰にでもわかりやすく誰もがイメージしやすいものであったからだ。人それぞれ平等の理想形は違えど、自分の中の平等というイメージ図は大抵の人が浮かべられるのではないだろうか。それが夕奈の考えだった。
「平等。」
ぽつりと、夕奈は小さくつぶやく。自分が語るその言葉の意味を、深く噛み締めているように見える。
もっともこんな分かりやすい単純なワードに感銘を受けるのは中学生、良くて高校生程度のものだろうと俺は内心思っている。しかし力もあり実績を伴う夕奈が語る平等は、夕奈自身の想像をはるかに超えてしまうレベルの影響力を及ぼすことになってしまう。これが夕奈の不幸な部分であると思わずにいられない。
夕奈はそれらしき事をそれっぽいワードをチョイスして、自分の周囲にも平等という言葉を浸透させていく。中学生受けは非常に良い言葉で、また教師たちからもお手本のような生徒だというさらなる高評価へとつながっていく。
夕奈は、平等を掲げるに相応しい役目とは何かと考えた。それを自分がこうありたいとイメージする将来図にするため。それを実現するために。
まず思い浮かべたもの。
「政治家」
平等を訴える清く正しい政治家、実際になれるかどうかは別としても、目指すべきビジョンとしては申し分ない、それを目指す、はずであった。
だが、しばらくの思案の後、夕奈はある考えに至る。
政治家とは、一人では事を成すことが、出来ない。
この国の政治家とは基本的には派閥に所属し、その派閥内の仲間と結託という名の協力をして、悪く言えば数の暴力によって自分たちの意見を押し通すのが本流のやり方となっているのが当時の政だった。
清廉のみを売りにするようなはたから見たら理想的な人物が覇権を握ることは極めて困難であるのが現実であった。
残念だが清濁併せもつような心の持ち主でなければこの国、ひいては世界で活躍するような政治家にはなれない。
「でも、それはただの当時の私が思っただけの事で、真理でもなんでもない。ただの、私見。偏見。」
聖と悪の共存、そういう点での政治家としての素養を既に持ちえているかのように見える夕奈ではあるが、結局のところ夕奈は、政治を信じきれなかった。そして、夕奈は分かっていた。いくら自分自身が平等という大きな旗を掲げ志を強く持とうとも、それはいとも容易く瓦解し、濁流に飲み込まれてしまう程度のものだと。自分の本質は、まぎれもなく悪だと自覚していた。そんな人物が国の代表たる座を一席占めてしまうなど夕奈には許せなかった。
まあ、もし目指してしまっていたら、もっと早くにこの押し問答は始まっていたかもしれない。死期が縮まっていたか、だとしてもやはり俺は死なせるつもりは毛頭ないが。
次に医者の道を考えた。だが、医者は、平等か。小さなところにとどまれば大きな場所の人を救えず、大きなところにとどまれば、今度は小さな人を救えず。国内を救えば国外は救わなくていいのか。
くだらないと一笑されるような問いが夕奈の頭を巡り続け、結局いずれの問いにも見合う解答が浮かぶことはなく、医者の道も目指そうとは思えなかった。
ここまでで分かるように、夕奈の視野は狭すぎた。細かいことが気になるともう進むことができなくなってしまう。事が大きくなればなるほどそうだった。もう少し後先考えない向こう見ずな性格であってほしかったと常々思う。
時間は有り余るほどにあったはずだが、夕奈は結局、中学生活中に、自らの夢を確かな形にすることはできなかった。ならばせめてと、可能な限り偏差値の高い高校に入学することを志してスクールライフを送った。
あらゆる面において夕奈の鍛錬は行われた。芸術面に限ってはセンスの問題もあり、基礎を抑える程度に収まったが、学問や運動に関しては文句のつけようがないレベルにあった。優等生ともなると他者からの嫉妬や謂れのない暴言や、嫌がらせなどが起こりがちなのが一般的ではあるが夕奈はそれすらもうまくこなせてしまっていた。これに関しては夕奈自身も運が9割だと思うところではあるのだが、結果としては確かなものがそこにあった。
勉強にいそしむ傍ら、しっかり周りとのコミュニケーションをとり、順当に生徒会会長の役職を務め、決して付き合う友人を選り好みせず、すべてとうまくやろうと動き回った。それらのあらゆる事柄が夕奈に有利に働きかけた。やることなすこといい方に転ぶ。八方美人、八面六臂の大活躍というありさまだった。
「悲しいね。もし、もし、私の心の中をみんなに見せてあげられるなら、こんな幻想、なかったのに。」
この時の夕奈の勢いはまさに破竹の勢いそのもので誰もが夕奈に期待や尊敬の眼差しを向けていた。
それでも、ただ一人、蚊帳の外に、夕奈は居た。
何かを成そうとも、今の夕奈にはそれをどうつなげていいかのビジョンが見えていなかったのだ。
頭が良かろうと、それを何に活かすのか、運動ができようと、それを何に活かすのか。
そんな誰もがわかる単純な問いに、夢に、夕奈は未だ向き合えていないのだ。
「なんでも、よかったんだよ。なんでも。」
夕奈、今からだって、遅くなんかないんだ。その気持ちがどうしても伝わらないと分かっても、口に出さずにいられない。
「目標に向かって進むことが、それが、道の始まり。って思う、よ。」
夕奈、お前にとって、平等、とは。
「平等は、人それぞれ。全く違う。誰にとっても平等っていうのは、もしかしたら存在するのかもしれないけど、私には、思い描けなかった。」
お前にとっての、失敗じゃないか。乗り越えるための機会とはなり得ないのか。
「夕真、分かってるよ、ね?まだ、失敗にすら辿りつけてない、ずーっとずーっと追い続けてる。」
分かっていて意地の悪い質問をするのは、やはり俺だな……悲しい。
「自分が平等を掲げるからには、逃げてはいけない。よね。ズルいよね、そんなの。」
夕奈はトラブルを自分の手で引き起こす、その時に決心していたことがあった。
「うん。」
自分の蒔いた種で起きたトラブルで誰かを傷つけるようなことが起こったならば、自分自身も同じだけ、それ以上に傷つけなくてはならない。
「もし、怪我したなら、もし、体の一部が不自由になったりしたら、もし、もし、命を失うようなことがあったらなら。」
これだけは誤解の内容に言っておく、お前自身の認識の為言わせてもらう。夕奈は決してその人物に大きな危害を加えるような仕掛けはやらなかった。どちらかといえば、この決心は間違った行動を起こすことへの夕奈なりの免罪符という役目を果たしていたのだ。
何か予期せぬことが起こったとしても、私自身も同じことを自分にする。というはっきり言って身勝手自分勝手な動機の為の理由づけだったのだ。
夕奈は、雨の中、クラスメイトを野ざらしにした、次の日、独り、夜の雨に打たれ続けた。彼女を野ざらしにした時間は1時間弱。夕奈は3時間打たれ続けた。ただ独り横たわり、打たれ続けた。
「何の贖罪にもならない。ただの無駄な、自己満足。それでもそれが私の平等だから。」
女の子は、体を冷やすもんじゃ、ない。もし俺がいたなら、あの子を野ざらしにする前にそう言ってやりたかった。
「本当に、悪いことをしてしまった。本当に。」
更に次の日、夕奈は屋上の階段から、身を放り投げた。
1度目は体が受け身を取りがちになってしまい、痛みはだいぶ控えめなものになってしまった。これでは話にならなかった。
2度目は目をつぶり背中から落ちることで大きく衝撃を受けるやり方にした。段々に体が叩きつけられ、階段の折り返し地点まで転げ落ちた。流石にあまりの痛さにすぐ起き上がることはできなかった。体をいくら鍛えていようが、中学生の体にこんな痛みはスケールオーバーだった。1分程度かけてようやっと立ち上がることが出来る様になった。つくづくこんな痛みを与えさせてしまったことを夕奈は悔やんだ。
夕奈は手すりを伝い、痛めた体にムチを打ち、階段を上り、三度、体を投げ出した。
3階だ。3回だ。
半ば過呼吸になりかけるほどの状態に陥った夕奈は落ち着くまで10分の時間を要した。
「すごく痛かったけど、これは私が思う平等の形だった。」
夕奈はそれでも満足に至らない、だがあらかじめそれを見越して3回と決めてしまっていた。一生満足になど至らないのだから。
「私は、私が思う平等を、掲げて生きていくことを決めた。」
そんな夕奈の歪みが、また大きく違う形を見せ始める時が訪れる。
「13年前……10月……2日……」
お前にとっての運命の日だ。
「夕真、もし、もし、私が、死ぬことをやめたら、私は、」
その言葉の続き、そして答え。俺は知ってる。だけどそれは、それだけは夕奈自身で見つけ出そう。
そうじゃなくちゃ、意味がない。
それに、お前はまだ生きる気なんて微塵も取り戻していない。そうだろうに。
「かも、しれないね。」
全肯定、と受け取らせてもらう。
俺の役目は、まだまだ終わりそうにはなかった。
だがこの過去を巡る旅で夕奈は少しずつ変化している。それが必ずしもいい方向でないにしても、それでも。進まないより、ずっとマシだ。体が無くなって進むことができないよりずっと、ずっと、マシなのだから。




