誰からも理解されぬ
「潤滑剤、この話よりもっともっと後になるね。もっと最近、潤滑剤。みんなみんな潤滑剤なんだって。みんな優れてる、私はそれは素晴らしいって思う。でも、その潤滑剤の中から更に良し悪しを決める必要があるって。」
どんな社会だって生存競争だ。弱かったら、負けるしかない。
「私は、正直、そこそこなんでも出来てる自信があった。それは自他ともに認めるべきものだと思う。」
傲慢だ。でも、半分は事実、夕奈は周りにそう感じさせてしまった。ただの嫌味ったらしい人物ではなく、夕奈の周りに付随するさまざまな結果が夕奈の評価をどんどん上に押し上げていく。
嘘は真に、真は崇高なる幻想へ。
どれだけ出来がよかろうと、多少優劣の付く人という枠組みを超えているわけではないのだ。言い方は悪いが、夕奈に出来ることは他の誰にでもできるようなことなのだと、夕奈も、俺自身も思っている。
「この学生時代がターニングポイントだと当時の私も思ったの。私の周りにだって、いくらでも頑張ってる人はいる。隣にも、いる。全国にも世界中にも、いる。いくらでも頑張れる、だけど、そこに優劣なんて生まれるのだろうか。形に見える結果。それこそが、有無を言わさず相手を納得させる術なのだと思う。」
自分は頭が良いというぐらいならば100点を取り、運動神経がいいと言うならば大会でいい成績を残す。そういうことか。
「そう、それは頑張れば、努力すれば出来ること。でも、その時の私に足りないと思ったもの、それは、「失敗」。私は、うまくいきすぎてしまったの。」
うまくいきすぎることが失敗とは、そう思ってしまったお前が、不憫でならない。皆が焦がれてやまない素晴らしいことなのだぞ。
「そう、なんだろうね。そうだったのかもしれない。頭がよくて、運動もできて、学校行事にも積極的に取り組み素行もいい、見た目もいい。やれることはたくさんやった。後は?もし、私と全く同じ人がいたとして、その人とは違う何かを確立しなくてはいけないと思った。」
その一つが、「失敗」なのだな。
「成功したことを伝えてもいまいち心に響かないの。それは私自身が聞いてもそう。確かに目に見える確かな結果は凄いんだけどそれはみんなそうだから。みんな頑張ることに対して貪欲になれるから、そこに確かな差っていうのはほとんど生まれないと思うの。みんな頑張ることに対して、本当は悪い点なんてつけたくない。」
夕奈、そこで、そこで止まっていた方が、良かったのかもしれない。たとえ、何か足りないお前だったとしても。
「失敗は、人を強くするための機会。アクシデントにどう対応するか、失敗を知ることで知る自分の至らなさ。育まれる決意。そして、立ち上がる心。そんなのって、インパクト、ある、よね。」
中学生になり、夕奈が至った答えはこれだった。
お前が確かに思っていたこと、だが、お前が一番、後悔していることだろうに。
いつからか夕奈は、ひっそりひっそりとトラブルの種を蒔いていった。それは本当に小さな種に過ぎない。それが見事に花を咲かせるなどという事が起こり得る確率は極めて低かった。
「どれもそうそう実ることなんてなかった。実際、一つとして実ることはなかった、ね。」
夕奈は何らかのイベントがある時に限定して、いくつかの仕掛けを施してきた。
体育祭、文化祭、音楽祭、多くの人物が関わる行事の時はより多くの仕掛けを。
もしも万が一、その仕掛けが、花を咲かせたならば、そう願って。だけども、ほんの少しだけ、何も起こらないようにと願って。
「本当は、失敗が大きければ大きいほど、効果って大きい。たとえば、人が、死んでしまうようなことがあもしもあったならば、そこから得られるものって、とてもかけがえのない大きなものになると思う。だけど……」
ああ、悪人であったとしても、夕奈は、誰かの死までも望むほどの悪人ではない。俺が庇い立てするのはおかしいかもしれない、それでも。死など、望まない。
夕奈がそんなあまりにも不確実なやり方ばかり狙ったのには夕奈の打算的な一面がそのまま理由となる。
ずばり、そのトラブルによって夕奈が特定されない仕掛けのみを夕奈はしかけた。
夕奈の仕掛けは勘違いや、無意識でやった、という物で片づけられるような本当に些細ないたずら程度でしかなかった。
俺は、心の底で夕奈が、それが不発であることを望んでいたはずなのだ、と付け加えておく。
「どうかな、ね。分からないよね。」
発生する確率は極々低いものの、それなりの大騒ぎになるような仕掛けもいくつかは存在した。一応断っておくと人に危害を与えてしまうことはまずないであろうが、学校全体を混乱させてしまうようなことはありえたかもしれない。
イベントごとのある日に両親の送り迎えを断るのは、自分の仕掛けが万が一発動してしまい、騒ぎによって学校が早引きになってしまうような事態になった場合、夕方まで働いている両親に迎えに来てもらえなくなってしまう事を心の底でほんの少し懸念しての過剰な行動であった。尤もその足で帰れない距離であるかと言われるとそうでもない距離ではある。
「たまには、歩きたいとき、あるよね。」
事が起こる当日、実は屋上に向かったのも小さな仕掛けをいくつか用意するためでもあった。
「いっそ、その時屋上に何かトラブルがあれば、そこで十分だったのに、ね。」
それはそれで物騒ではあるが、ともかくあの日夕奈は特に何かが起こる確率が高いのは屋上だと考えていた。それでも0.1%と1%の差程度であろうが。
「例えば体育祭の時は体育用具室。でも、そうそう狙っている場所で狙っていることなんて起こらない、よね。」
夕奈からしてみれば、トラブルは起こってほしいがあまり計画的過ぎると逆に自分に疑われてしまう可能性を生むジレンマがあるので積極的な行動は出来ない。イベントの時を狙うのも、イベント中は多くの人間のアリバイが不明確になりやすいため、容疑者としての絞り込みを防ぐ目的があり、さらに言えば夕奈はたいてい一人では行動しない、生徒会という立場を利用することで仕事とかこつけて複数人で行動してアリバイを強固なものにしようとする。
「そんな人、はたから見てなんだかかわいそう。」
お前だ。ただ、いくら仕掛けようとも結果的には何にも起こらなかった。だからある意味どうでもいいかもしれない。ただの無駄な行動だった。
「でも、もしかしたら、一つだけ、成功してしまったのかもしれない、ね。」
……それに関して、俺は肯定も、否定も正直出来かねる。そうとも答えることもできるし、たまたまとも答えられてしまう。
お前が仕掛けた仕掛けの一つ、心理的に、屋上の存在を根付けさせたことだろう。
「屋上なんて、そもそも基本的に眼中にないスポットだもの。最初は少し興味があっても1年近く経ったら何のためにあるのかわからない場所。みんな、そうかな。」
お前は転校する前に最後で学校をみんなで巡ろうという提案をした。
「厳密には、するように、差し向けた。」
お前は、最後だから何か思い出が欲しい、とか、この学校もあんまり知らないところあるねだとか、会話を誘導させただけか。
「そして、屋上を再認識させた。ね。」
その行動がどれだけ見合った効果を得られるのか、たかがそれだけ、とも笑い飛ばせるレベル。一つ確かなのは何か起こることを期待させて夕奈は行動した。
「私のせいなんだ、って取ることもできるけど、誰もがそんなのは君のせいじゃない、って思わせられるような、そんな出来事がベスト、ね。必要以上の責任感の強さと悲劇性が強まる感じ、する。」
そんなあまりにも小さすぎる行動が、最悪の形で噛みあってしまった。それが、あの3月8日。
「屋上近くに私は居た。ただ、これまでの通り、私の仕掛けは全て不発に終わるんだろうと思っていた。それでいいのかもしれないと思う自分も少なからずいた、はず。そんな時、あの子は転げ落ちてしまった、と思う。」
夕奈は屋上に行くことを誘導する心理的仕掛けを発動させたものの、屋上そのもので起こる仕掛けはなんてことのない害は薄いものばかりだった。階段から転げ落ちるなどそんな恐ろしいことは起こり得るはずもなかった。
流石の夕奈も完全に予想外のハプニングが訪れたことには狼狽えた。雨音は強く、階段の折り返し地点のため、その近くに居た夕奈以外体が叩きつけられる音を聞いた者は居なかった。
夕奈は駆け寄り、その子を介抱する。幸いにも怪我などは見受けられなかった。もしかしたら、頂点からではなく階段の中間程度から足を滑らせたのかもしれない。あるいは寒い日の為厚着をしていたのでそれがクッションの役割をしてくれたのかもしれなかった。どちらにせよ大事に至るようなものでなかったことに夕奈は胸をなでおろした。
しばらく呻いていたが、しばらくすると意識を失ってしまったようだった。
どうして、どうしてこの時に、助けなかったのだ。お前は担任なりクラスメイトなりに伝えて、その子をすぐ助けるべきだった。誰もが普通そうする。
「……」
流石に、夕奈でも自分の口からそれを口にして紡ぐのは憚られるようだ。そんなこと、分かってる。それでも、お前の口から、語ってくれ。
「普通に助けたとして、それは、単なる人助けにしかならない、よね。人助けなんて、たくさん、やってるもの。起きてほしくないと思っていたけど、だけど、待っていた。この機会、人助けなんてありきたりなもので済ませてしまいたくなかった、のかも、ね。」
……俺は、すべての言葉を、受け入れ、夕奈の言葉に聞き入る。
「あの子は、気を失った。私は、その子を抱きかかえて屋上に向かった。その子が大柄じゃなくて、良かった。それでも重かったけど。」
いっそ大柄だったら、諦めもついたのだろうか。
「その子が屋上について気が付いたら、その時はしょうがない。急に倒れて危ないと思ったから屋上まで運んだって、支離滅裂な理屈を通そうと思ってた。」
気が動転していたからという申し開きもできるし、頑張ったアピールだけは出来るだろうからどう転んでも悪くないと思った、か?
「だけどそれでもその子は、まだ気を失っていて、今度は屋上に出た。そして、速やかに、屋上の屋根の下に、その子を寝かせた、放置した。一応、雨にもほとんど当たらないように考慮して。理解に困る、よね。でもしょうがない。なにぶん、初めてだもの。理屈に合わないことがたくさん。」
つくづく、不幸だ。何もかも。
「一番まずいパターンは私が屋上から去る時に意識が覚醒してしまうこと、さすがに不自然だものね。その数秒間だけは、ただ天に祈るしかなかった。次においしくないパターンは、ゲーム中に彼女が覚醒して戻ってきてしまう事。その場合はあの子が転んだ場所と目覚めた場所が一致しない矛盾はあるけれども、おそらくは意識の混濁によってどちらかが修正されてそれで終了、私に何も得るものがなく終わりだったと思う。他にも屋上の階段から3階に降り立つ時に誰かに見つかってしまう場合、その場合は屋上で倒れているから助けに来てほしいというシナリオにするつもりだった。結局はそのいずれでもなく、私は誰にもばれることなくゲームに復帰し、彼女はしばらく目覚めることなく雨のベッドで眠っていることになってしまった。」
そして、騒ぎは、加速に向かっていく。
「みんなで探そう、ってなれば、皆をそれとなく誘導して、屋上に真っ先に駆けつけるつもりだった。残念ながら、私たちは教室で待機、先生たちが探すこととなった。」
寒かったろうに、な。
「もしかしたら、どこかで私の行動がばれている可能性は0ではなかったはず。だから私はどの場面でばれても言い逃れできるようシミュレートを頭の中で繰り返した。それでも1%くらいは、運だった。だけど私にはばれてない確信めいたものがあった。私が繰り返してきた1%の仕掛けはすべて失敗に終わってきたのだから、今回の1%も不発だと。」
それもまた、失敗から得た教訓、というものなのだろうか。
「結局その確信は確かなものとなった。その子は前後の意識関係が不明瞭だったため確かなことを語ることはできなかったのだ。私は最後のダメ押しを行うことにした。見舞いという大義名分に託けてその子と話す権利を得た。」
そして、誘導したのか。
「これだって本当はリスクがあった。他のみんなは知りえない情報を口にすることで疑われる目がでる可能性がある。だけどそれも、賭けた。1%に。会話をうまく誘導し、流れをコントロールしながら、私はその言葉を口にする。そしてさりげない誘導を繰り返した結果、彼女の認識をすり替えた。屋上で転んで気を失ってしまった、と。ありえない、そう思う。だけど精神衰弱してしまっている彼女にはそれが通用してしまった。」
翌日彼女は夕奈によって歪められた偽りの真実を語る。嘘が真に変わった瞬間だ。
「私は、失敗という舞台を自分で作り出してしまった。そうでもしなければ、私には失敗なんて訪れないかもしれない。本当にそう思っていた。嘘偽りない気持ちを言うなら、私はその時、達成感に似た何かを感じていた。」
お前は、歪んでいた。
「夕真、本当に、まだ、続けたい?」
夕奈の気持ちは、もはや混迷の色を極めているようであった。お前が、もう現世での自分を手放したいと思う気持ち、理解はする。だが、俺は、まだ続ける。
「そう、よね、うん。」
俺は、一つだけ、嬉しいことがあるのだ。それはどこまでも暗い闇の中にほんの一粒煌めく何か。
お前が、お前自身が、お前の言葉で語ってくれたことが、俺にとっての光だ。
「もう、しゃべりたく、ない、かも。」
ふっ、と俺は息を吐き出し、やれやれと思う次第であった。




