カイヴァーン「ぼさぼさだって……そんな可愛い名前初めて」
幽霊船から生ける死体を拾ってきたマリー。
大丈夫? 野良犬に餌をあげるには相応の覚悟が要るぞ。
「おかわり」
死んでるんじゃなかったの??
奴は翌朝には元から船に居たかのような顔をして、どんぶり一杯のパスタをたいらげ、空になったそれを私に突き出していた。
私はアイリが作ってくれたナスとネギと干し肉のチーズパスタをどんぶりに盛ってやる……これ四杯目なんですけど?
その間にも奴は傍らのオレンジを鷲掴みにして……外皮ごと行った! 種も出さない! 猿でもそこまで食わない!
「生き返る」
そらようございました。
航海は再開され、船は順調に南下している……明後日くらいには南大陸も見えるだろう。
夜の後半直はロイ爺とウラドが担当した。同じ時間、アイリはこの子の介抱をしていたので、今は仮眠を取っている。
風は2時方向で甲板はそこそこ忙しいらしい。それで手空きの私がこの海の浮浪者の担当となった。
「おまえ誰」
「あんたが誰ですか!」
このやりとりも三回目だ。向こうも名前を言わないのに名乗れるか。
「へんな服」
浮浪者にまで言われたくないわ! キャプテンマリーの制服だよ!
「おかわり、へんな服」
「あだ名にするな! いい? 私は、船長! 船! 長! ここは私の船なんだから! 私を船長と呼ばないなら、今からでもあの船に戻って貰うわよ、ぼさぼさ!」
結局先に名乗ってしまった。変な敗北感。
「ぼさぼさ?」
「あんたの髪長くてボッサボサだから! 名前言わないならそう呼ぶわ!」
「ぼさぼさ……いい名前。ぼさぼさがいい」
マジかよ……
アイリの時もそうだったけど、こういう時って呆気にとられる事しか出来ないものだ。ようやく満腹になったぼさぼさは、黙々と甲板掃除を始めた。
船乗りなのか? まあ、あんな所に居たんだから、船乗りなんだろう。
アイビスの言葉もいくらか喋れるようだが、基本的には外国人らしい……肌は浅黒く、顔立ちも私達と少し違う……これがエキゾチックというやつですか。
「新しい船」
「そうよ。掃除も楽でしょ。あなたつい昨夜まで死人みたいな顔してたんだから、もう少し休んでていいわよ」
「もっと仕事くれ」
そうは言われてもなあ……私はロイ爺の方を見る。
ロイ爺はアイリの方を見た。アイリはアレクを。アレクはウラド。ウラドは……私。
「あの、俺は……」
不精ひげは自分の仕事を代わりにやらせようとするから駄目。
あと……これじゃいけない。私は船長なのだ、こういう事は私がきちんと責任をもってやらないといけない。
「……ロイ爺とウラドも来てくれるかしら」
ここは、厳かにやらせていただきます。
私は艦長室の椅子にきちんと座っていた。前には執務机、両側にはロイ爺とウラド。
ぼさぼさには机の向かいに立っていただく。
「改めて。私が船長のマリー・パスファインダーです。当艦はアイビス船籍のスループ艦フォルコン号……今は商船として我がパスファインダー商会が運用しています。貴方の名前と国籍を教えて下さい」
私はきっぱりと、しっかりとそう言った。
ロイ爺がそれを南大陸で多く使われている言葉に訳して繰り返す。
「……アイビスの言葉、解る……大丈夫」
ぼさぼさはそう呟いたが、それ以上を言ってくれない。
「申し訳ないけど。名前も国籍も言えないままだと、陸に着くまで牢に居てもらうしかなくなるんですよ……正直、病人のふりして寝ててくれたら良かったのに」
「それを言ってしまうんか」
少年は……片方が包帯で隠れた目を伏せた。
「……ぼさぼさ」
「それじゃ駄目なの! こっちも仲間の命預かって航海してんのよ! 正体不明のままウロチョロさせらんないわ! どうしても言いたくないなら牢に居てくれてもいいわよ、本当に。ナルゲスに着いたら降りて貰うわ。ウラド。その子を牢に……」
「……ナームヴァルのカイヴァーン。あまり意味の無い名前。ぼさぼさがいい。牢には入る。ナルゲス以外の所で降ろしてくれたら嬉しい」
ぼさぼさ、いやカイヴァーンはようやくそう名乗ってくれた。だけどそんなに俯かれると私、権力を振りかざしてすごく悪い事をしたみたいじゃないか。
「牢はいいわよ、名前くらいちゃんと教えてくれたらそれで」
「あと、前の仕事は海賊」
「それで牢に入れたの!? 船長より小さい子を!?」
勘弁して下さいアイリさん……仕方ないじゃん! 海賊って言われたら!
海には一体何種類の馬鹿が居るんですか? こっちはただ名前聞いただけだよ!
ニックでもフレデリクでもいいから適当に名乗ればいいじゃん! こっちだっていちいち役所に行って本名かどうか調べたりするもんですか!
「あの子つい昨日まで死にかけてたのよ!? いや今は元気そうだけど……」
「本人が入りたいって言うの! どうすりゃいいのよもう」
誰に放り込まれるまでもなく……ぼさぼさのカイヴァーンは船員室の先の、鉄格子付きの落とし戸まで歩いていき、その下にある牢に自分から飛び降りた。牢の出入り口はここだけだ。上から縄梯子を降ろさないと出られない。
下にある物は、小さな手桶が一つ……まあ、新品なのがせめてもの救いか。
「水筒とオレンジを渡すから取って!」
私はそう言って鉄格子の隙間からそれをゆっくり落とす。
「ちゃんと飲んで食べなさいよ、特にオレンジ、あんたまだ病人なんだから、解った?」
「わかった」
全く。あの日のアイリより面倒な客を乗せてしまった。
風は3時方向に回った。多分普通の季節風……南西の風くらいか。気温がどんどん上がる。少し暑いな……キャプテンマリーの制服の唯一の欠点だ。
「じゃあバニーコート着れば?」
アイリさん、まだちょっと怒ってませんか? 私にどうしろと言うのだ。
太陽はギラギラ……みんなも暑そうだし、私だけ日陰の艦長室で休んでるのも気まずいし……かと言って仕事は無い。
時刻は昼過ぎ。一番暑い盛りだな。
船首の牢獄はどんな様子なんだろう。あそこには板のはまった小窓しかないし、その小窓は甲板からじゃないと開かない。大丈夫なのか。
「ぼさぼさ。調子はどう。ちゃんと水飲んでる? 空になった水筒はある?」
私は上から水筒をちらつかせる。
「お前らは」
ぼさぼさは船底の壁に寄りかかって寝転んでいた。
「馬鹿揃い?」
「失礼ね」
そうかもしれない……何だそれは。水筒は三、四本あるしオレンジやらパンやら干し肉やら干し鱈やら……誰だエールまで差し入れた奴は。ぼさぼさは小さな簾を敷いて寝転んでいるけど、あれはウラドの私物じゃなかったか……何人差し入れに来たんだろう。
「暇なら……本でも読む?」
私はランタンと絵本も持って来ていた。
みんな同情はしていたのだ。
海の真ん中に取り残され、死にかけていた痣と傷だらけの少年に。




