マリー「普段はちゃんと休暇もあるし給料だって多めに……違います! ブラックじゃないもん!」
コップの水を凍らせる魔法。船酔いしなくなる魔法。
日常的には見られないけれどこの世界には色々な魔法や呪いが存在するらしい。
それでも沈没船が突然浮上する魔法なんてマリーならずとも誰も知らず、予想だに出来ないものだった。
するする、すとんと。私はマストから降りる。お姫の服はスカート仕立てなので私はあまりこれで高い場所に居たくない。
そんな事を考えている場合ではない。
先程海の底に沈んでいた船が完全に浮上している……マストは三本、キャラック船ですかね……上に出てたのは一番高いメンマストだけだったみたい。
海の底に沈んでいた割には綺麗な船で……だからそんな事考えてる場合ではない。
オランジュ少尉達は? 居ない……
―― バサバサバサ!! バン! バン!
ひえっ!? 頭上で大きな音がしたので、見上げると……さっきまで無かったはずの帆が一斉に開いてる!? うそ!? 上から見た時は帆布は無かったよ!?
しかもそれが……海風を受けて張った……つまりこの船は動き出している……
そして……
私は膝から崩れ落ち、甲板にぺたんと座っていた。
あのヤードに……このマストに……
甲板に……シュラウドに……操舵輪に……
骸骨。
いわゆるそれは……白骨死体……
あっちに、白骨死体。こっちに、白骨死体。
骸骨。骸骨。ガイコツ。ガイコツ……
「ひっ……」
涙だか冷や汗だか鼻水だか、もう何がなんだか解らない物が、私の頬からポタリと落ちる。
そこかしこに転がって居たガイコツが動き出したのだ。
カタカタ……ギギギ……文字通り、骨を軋ませながら……
転がっていた白骨死体が次々と立ち上がり、歩き出して行く。
やがて甲板は、動くガイコツだらけになって行く……
波除け板の前に座り込んだ私の前を、ガイコツが歩いて行く。
ガイコツが索具を引き、ヤードを調整している。
ガイコツが舵輪を握り、辺りを見回している。
さっき私の前を通過したガイコツが、どこからかモップを持って戻って来て、船首へと歩いて行く……
ガイコツ達は多少の差はあれ何かを身につけている。ボロボロの服だったり、鞘つきの短剣だったり、バンダナや帽子だったり……
本当に怖い時って、声も出ないのね。
「ぎゃぁぁぁああああああああ!!!!」
あ、出た。
「お化け! お化け! お化け! おーばーけー!!!!」
私は甲板を這い回る! どこへ!? どこでもいいガイコツが居ないとこ、どこ、どこ、どこもかしこもガイコツだらけ!!
「ぎゃっ! ぎゃっ! ぎゃっ! ぎゃぁぁああ!!」
オランジュ少尉!? ゴリラさん!! ゴリラさんどこ!? 御願いだから船内に居るって言ってえええ!!
「誰だよ。うるっさいなあ……」
その時。後ろで誰かの声がした……誰? 聞き覚えの無い声だけど確かに人の声、ニスル語で……女の人の声だ! 私振り返った!
そこに居たのはブーツにズボン、ちょっと肩や胸元、腰の露出の多い短い上着、長い赤毛の髪を編みこんだ褐色の肌の、半透明の色っぽいお姉さんだった。
「ぎゃあああああああ!!」
「ひゃあああああああ!?」
父の教えの一つ。土下座は自分の呼吸を整えるのにも使える。
「お騒がせして申し訳ありません」
私は両手をつき両指で三角を作り、甲板に顔を伏せた。
幽霊と思われるこのお姉さんは他のガイコツと違い、私の声を聞いたり私に声を聞かせたり出来るらしい。それはつまり、この幽霊お姉さんとは会話が可能、もしかすれば交渉が可能という事ではないだろうか。
あっ、アイビス語じゃ駄目かも!? このへんならニスル語だよ、それじゃあ……
「お控えなすって、どうぞお控えなすって、手前生国と発しまするはアイビス王国、内海の潮の香りも限り、山懐のヴィタリス村の、姓はパスファインダー名はマリー、フォルコン号船長、マリー・パスファインダーと申します、軒下三寸をお借りしての空騒ぎ不仕付け、手前山育ちの田舎者にございますれば、何卒、何卒ご容赦の程頂きたく存じます」
私はまずニスル語の語彙を尽くし誠心誠意詫びた。きちんと伝わっているだろうか。本当にニスル語には自信が無い。
「おい、聞いたかい? 船長だってこれ! あははははははは!!」
頭を下げているのでよく解らないが、さっきの半透明の女の人が笑っているのは解る。それはまだいい。周り中でガイコツの顎の骨がカタカタカタカタ鳴っている。本当に勘弁して下さい。船酔いでも無いのに吐きそうである。
とりあえず、このまま下を向いていても助かる気がしない。土下座の効果でだいぶ気持ちも落ち着いて来たし。そろそろ顔ぐらい上げてみようか……
私は、思い切って立ち上がってみた。
周り中にガイコツがいらっしゃる。皆こっちを向いている……いや、皆でもない。まだ小さな帆を調整してるガイコツや、甲板掃除を続けているガイコツも居る。
それから半透明の女の人……変な話、幽霊じゃなければとっても健康そうな女の人だな……まだ若い、キラキラした美人だ。パッチリした意志の強そうな瞳が印象的だと思う。そして凄くスタイルがいい。手足長いなー。胸も大きい……
「あれ? もう慣れたのかい? もうちょっと面白い所を見たかった気もするけどね」
「あ……アイビス語もお上手ですね」
女の人は急に私に興味を無くしたかのように、周りを見回しながら甲板を歩き出した。ガイコツの皆さんも、私ではなくその人を目で追っている……
「で? こりゃ一体どういう事だい?」
「あの……それを私も知りたいのですが……」
「何でアンタがそれを聞くんだい! こっちに解る訳無いだろう! 見てなかったのかい!? あたしら海に沈んで死んでたろ!」
ひえっ!? すっ、すみません!!
「だけどどうだい、この風を受けた帆の勢いは……さあ、説明しておくれ」
助けて! フレデリク!! フレデリク……えっ何? 自分が知ってる事をそれっぽく言ってみろって……?
「あの……ゲスピノッサという海賊を御存知でしょうか?」
「ゲス……知らないねェ。そいつがどうしたんだい」
「そいつは奴隷商人で、今にもたくさんの人々を人買いに売りつけようとしているんです、恐らくこの辺りかマリキータ島の海岸のどちらかで」
周り中のガイコツの皆さんが……こっちを見た。
女の人は……背中を向けたまま言った。
「へえ……それでマリー船長っつったっけ? アンタ……軍人かい?」
「いいえ。私は海洋商人ですけどそういう海賊は許せないと思うんです。だから海軍に協力してそいつらを探してるんです」
「海軍に協力……そう……」
あっ。
何か失敗した? 私何か失敗した?
女の人が……振り向いた!
「あたしはトゥーヴァー。このへんを荒らし回る海賊だよ? 知らないでここに来たのかい? 皆! この女……海軍の味方だってよ!」
ガイコツの皆さんが顔を見合わせている。
恐怖とか絶叫とか、そういうものの何かのラインを超えてしまった私は、その場でただ硬直していた。
「で? アンタなんでそんな話するんだいあたしらに? それにまだ肝心な事に答えちゃいないじゃないか。アンタあたしらに何をしたんだい」
トゥーヴァーさんが近づいて来た。私より15cmくらい背が高い。
あと、周り中からギチギチ音がするので視線だけ右や左に向けてみると……ああああ……ガイコツの皆さんが続々と私の周りに集まって来てらっしゃいますね……
いっそ気絶してしまいたい……だけど意外と太い私の神経はまだ切れていないみたいで、意識もはっきりしているし恐怖のあまり正気を失うという事も無いようだ。
「解りました! 本当の事を言います! 私が皆さんを蘇らせました!!」
私の横に居たガイコツの下顎が、5cmくらい落ちた。
「皆さんに!! 奴隷商人を捕まえるのを手伝って欲しいのです!」
他のガイコツの皆さんも……徐々に、下顎を開けて行く。
「奴隷商人は様々な海岸から人々を連れ出しては! 労働力として売り払う! おかしいとは思いませんか! ゲスピノッサは既に350人もの奴隷となった人々を連れている! 私はただの海洋商人、海軍は海兵隊がたった17人、貴方達の力が必要なんです!!」
ガイコツ達の動きがガシャガシャ、ギシギシと慌しくなる。お互いに何かせっつきながら……焦り、慌てている。歯をカチカチ、顎をギシギシいわせている。
そのうち一体のガイコツが塗炭板を、別の一体が白墨のようなものを持って来た。ガイコツ達は塗炭板に群がり奪い合うが……やがて代表が決まったのか……一体のガイコツが白墨を握り、塗炭板にニスル語で何か書き出し私に見せる。
『俺達もう死んでるんですよ!? まだ扱き使うつもりですか!?』
私は申し訳なさそうに頷きながら言った。
「誰かが戦わないといけないんです……奴隷商人は弱者の敵なんです!」
ガイコツがまた何か書く。
『給料は貰えるんですか?』
私は頷く。
「それは勿論、正当な労働には正当な対価を御支払い致します、パスファインダー商会の商会長でもある私が、皆さんに必ず……」
私の台詞を無視しガイコツは大慌てでまた何か書く。
『嘘だ! 第一俺達もう金貰っても使えねぇし酒も飲めないんですよ! 絶対タダ働き確定じゃないですか!!』
その文を見るや次々と……周りのガイコツ達が……そこらへんに膝をついたり、手摺りによりかかったり……泣いてるみたいな仕草をするガイコツも居る。ちょっと待ってよ!! 私なんか物凄い悪者になってない!?
私がそう抗議しようとした瞬間。
「めそめそするんじゃないよ!!」
トゥーヴァーさんが叫んだ。
「ああ!? どいつもこいつも生きてる間は働き詰めだったみたいな顔しやがって!! だいたいあたしがこうなったのもお前等がカードに夢中で見張りをサボってたからじゃないのかい!?」
トゥーヴァーさんが怒ってる。ガイコツの皆さんは何か弁明したり抗議したりするような仕草をしている。
「お前等みたいな怠け者にね、仕事があるだけ有り難いと思えってんだよ! 全く……だけどあんたもちょっと酷いんじゃないのかい? とうの昔に死んだ人間蘇らせてまで働かせるなんて、鬼でも思いつかないよ?」
私はトゥーヴァーさんに指まで突きつけられてしまった。
そうか、私は鬼より酷いのか……私はなんとなくウラドの顔を思い出す。ウラドが知ったら怒るかなあ。
「けどまあ。あたしらは海賊だし海の上の敵にゃ容赦しないし悪い事も散々やって来たけどねェ……」
トゥーヴァーさんはため息をつき肩を落とした……どうしたんだろう。周りのガイコツの皆さんも項垂れてる……
「奴隷商人は話が別だね。あいつらは許せないわ」
トゥーヴァーさんがそう言うと、周りのガイコツの何人かが頷いた。




