コンスタンス「マリー、船乗りだけはおやめ、御願いよ、船乗りだけはだめよ、絶対にだめ」
熱を出し、寝込んだマリー。
すごろくでいう一回休み。
私はロングストーンの宿屋の部屋で目覚める。アイリが借りてくれた部屋にはベッドが二つとソファが一つあり、もう一台のベッドではアイリが、ソファではぶち君が寝ていた。
「こんな旅先で熱出して……寂しいし不安でしょうね……」
昨夜アイリさんはそう言って私の頭を撫でてくれたが、祖母を亡くして以降、私はヴィタリスのあばら屋に一人で住んでいたのだ。アイリさんやぶち君がついててくれて、雨漏りや隙間風の心配の無いこの部屋の方がよっぽど心強い。
一晩眠ったが私の熱は下がっていないようだ……別に頭の使い過ぎじゃなかったのね。ヴィタリスではあんまり熱なんか出した事ないよなあ。ていうか病気で寝込んだ事なんか無かったな。
いや……ある……まだ母が居た頃は病気で寝込んだ事もあったような。祖母と二人になってからは無い、多分。
する事が無いので私は祖母の事を思い出していた。
祖母はフォルコンの母でもある。能天気な父と違い真面目な働き者だった。
気の毒な人だったような気がする。私は祖父の顔を知らないが、どうも船乗りだったらしい。そして出来た息子を船乗りにだけはならないように育てたつもりが、無事船乗りに育ち家を出て行ってしまったのである。
そんな息子がどこからともなく嫁を貰って来たかと思えば、街育ちのチャラチャラしたお嬢さんだし、身重の嫁だけ置いて自分は船に戻ってしまうし、それでも折角貰った嫁に何とか家に居て貰おうと頑張ったものの、ヴィタリスの生活に馴染めずこちらも無事離婚、家を出て行ってしまうし。散々である。
本当に。地道に働く為に生まれて来たような人だったなあ。
最後は息子に放置され嫁に捨てられた孫の為に、働いて、働いて……それでも生活はちっとも豊かにならず……そしてようやく孫が金を稼げるくらいの年になったら……体を壊し、亡くなってしまった。
孫にはそれはもう繰り返し繰り返し、船乗りと結婚するのだけはやめろ、船乗りだけはいけないと事あるごとに繰り返し、どうか地道に働く人になっておくれと、繰り返し繰り返し、言い聞かせてたっけ……
……
涙が止まらん……私、こんな所で何してるんだろう?
船乗りと結婚するのだけはやめておけ、地に足をつけて地道に働けと、あれだけ言われて育てられた私が、今何をしているのか。
息子にも息子の嫁にも見放された孫を育てる事だけに残りの人生を捧げた祖母の墓を守る事すらせず、私は何に乗っているのか。
帰ろう。熱が下がったらヴィタリスに帰ろう。
でも風紀兵団はどうしよう。あれに捕まったら祖母の墓も守れないではないか。
そうだ、エミールとニコラにカエル相撲でもしてもらって、負けた方に嫁に貰ってもらおう。何ならサロモンも入れて三つ巴でやればいい。一番負けた奴が罰として私を嫁にするのだ。カエル相撲が嫌ならでんでん虫競争でもいい。
天国の祖母もあの三人のどれかならホッとするだろう。
……
こういうのを机上の空論って言うんだろうな……
頭が痛い。熱があるもんな……喉も乾いた……アイリが置いておいてくれた水差しがある……中身は冷たいミントティーのようだ……とても喉越しがよくて美味しい……
少し起きていただけで疲れた。アイリもぶち君も寝ている、私ももう少し寝よう。
さらに次の朝。私は宿屋の寝室で目覚めた。
ベッドから起き上がり窓を大きく開けると、朝日が真っ直ぐに飛び込んで来る。
朝の空気が美味い……潮の香りが懐かしいですねェ。耳を澄ますと……ああ! 潮騒も聞こえますよ!
そこにちょうど、アイリとぶち君が朝食を終えて戻って来た。
「あら船長……スッキリした顔してるわね。もう起きて大丈夫なの?」
「治りました! 私は元気になりましたよ!」
「皆様! ご心配をお掛け致しました!」
そういう気分だったので、船に戻ったお姫マリーの私は、久々にどーんと土下座する。ぶち君の伸びのように背筋を一杯に伸ばして……ああ、全てが心地いい。
「あいつら先に行ったぞ」
私の土下座に一応返事をしてくれたのはボート係の不精ひげだけだった。アレクもカイヴァーンもカードに夢中で、ロイ爺とウラドは食事中のようである。
土下座終わり。私はヒラリと立ち上がり、なんとなくくるりと一回転をする。
「そう! 行きましたか! じゃあだいたいここらでやる事は終わりましたね! でも念のためもう一度ヤシュムに行って、それから! もっと南に行きましょう!」
海の彼方を指差す私……恐らく私の性格は父似なんだと思う。
「今日は私がやりますわ! 抜錨ですわよ!」
「待て船長! それは俺の仕事だから!」
「あんたは何で変な所に拘ってるのよ! キャプスタンを貸しなさい!」
「これは俺のだから! ば~つびょ~う~」
積荷は今回は干鰯が殆どだ。勿論樽に密閉してあるんだけど凄い臭いだ。これと二晩一緒に居るのか。なるべく風が通るようにはしてあるが。
ヴィタリスは干鰯使ってる所無かったよな? まあ酪農や牧畜が盛んだったから肥料もそっちが主流で……
―― あれー? マリーがうちに何の用だあ?
―― ジャコブさんに頼まれたのよ! ここ置いとくからね!
―― なあ何だこれ? 何を持って来てくれたんだ、本が大好きなお姫様は?
―― うるさいよサロモン! 牛糞だよ! じゃあね!
―― おーい父さん、マリーが牛のウンコを桶に集めて持って来たぞー!
つまらん事を思い出してしまった。
私はヤシュムに肥料を届ける為、船を走らせている。
これはつまり、私はヴィタリスの牧草地でスコップをふるい牛糞を桶に集め、サロモンの家などに持って行ってお小遣いを貰っていた、あの頃とたいして変わらない仕事を、今もしているという事である。
世界は広いようで狭いのだ……とりあえず、帆走してる間は船首に居れば干鰯の臭いから逃げられるわね。その事に今気づいたよ。
翌日でついに十月。あと三か月で私の十五歳の年が終わる。
例の養育院とやらは捕まったら十八歳まで出られないそうだが、十六歳になってしまえば外から連れ込まれる事は無くなるらしい。
私がリトルマリーに乗り込んだのは、6月19日の事。
私が船乗りでいる時間はもう半分過ぎたって事になるのかな……ここまでで三か月ちょっとが過ぎていて……あと三か月ちょうどで十六歳……
あ、でも三か月後にちょうどレッドポーチに居るかどうかは解らないじゃん。レッドポーチに戻るまでは乗ってるよ、きっと。
……
私、十六歳になったら船を降りるんだよね?
そしたらヴィタリスに帰って、オクタヴィアンの所で正式なお針子になって、正規の賃金貰って……地に足をつけて暮らすんだ。そうだよね?
そんな事を考えていたら。甲板掃除をしながらカイヴァーンが近づいて来る。
「姉ちゃん、トゥーヴァー船長って知ってる? ソヘイラ砂漠の海岸線のどこかに財宝を隠したって言われてる、伝説の女海賊なんだけど」




