ニック「俺の話も聞いてくれ」
洋上で廃棄された船を発見したマリー一行。
一応調べてみる事に。
ボートが降りる。不思議なもんであんなに怖いと思った暗闇の海が、今は全然怖くない。
「よっと」
私はフォルコン号の舷側からヒラリとボートに飛び乗る。いつも思うんだけどこの魔法を「船酔い知らず」って呼ぶのおかしいんじゃないの? それどころじゃない話なんじゃないの、この魔法。
私が飛び乗ってもボートは鳩が降りた程にしか揺れない。
勿論不精ひげは普通に縄梯子を降りてゆっくりとボートに乗る。
「その魔法の服、俺も欲しいな……」
「そうでしょ? 不精ひげもアイリを説得してよ」
私も不精ひげも一個ずつオイルランタンを持った。
「こんな航路を外れた所に浮かんでるんだ……本当に幽霊船だぞ」
不精ひげはオールを漕ぐ。私はボートの舳先に立ち、ランタンを掲げる。
「人が大勢乗ってるようには見えないわね」
少なくとも難破船に見せた海賊、という事は無さそうだ。
こんな所で待ってたって他の船なんて通るものか。もし通ったとしても、フォルコン号のような海軍艦だろう……まあ、うちは狼の皮を被った羊ですけど。
幽霊船が近づいて来る。
「やっぱりガレー船だな……型は古い。内海ならどこにでも居る船だ……元は軍用船か、海賊船か……」
「ブルマリンではこんなのがカジノ船に改造されてたわ……その船はもう少し大きかったけど」
「造りは南大陸風だな……船長、もう少し船体を照らしてみてくれ……見ろ。手摺りや何かに刀傷や弾痕がいっぱいあるぞ」
「ヤクザな船ねぇ……どこから乗り込もうかしら。下層甲板から入りましょうか」
「俺、ボートで待ってちゃ駄目か?」
「さすがに、船長一人で行かせるのは有り得なくない?」
不精ひげはボートを幽霊船の船体に横付けして、船縁にフックをかける。漕ぎ手用の下層甲板の窓から、そのままにじり入れそうだ。
「ついて来なさいよ」
私はそう言って、まずランタンを窓から突っ込み、中を照らして覗く……動く骸骨は居ないわね……私はそのまま窓の中に潜り込む。
「よく怖くないな……」
不精ひげも続いて来る。私は一旦不精ひげのランタンとカトラスを持ってやる。カトラスは船乗りが好んで用いる少し短めの曲刀だ。こんなの持ってたのね、うちの水夫でも。
私は屈んで、ランプで床を照らしてみる。
「ゴミが散らかってるわ」
外から見ても解るけど、あまり素性のいい船では無さそうだ。食べ物のカスやら何か吐いた跡やら……ろくに掃除もされずほったらかしになっている。疫病云々の話もあるしあまり近づきたくない。だが新しい跡では無さそうだ。
「上の階に行きましょ」
「あ……待てって……心細いから置いて行かないでくれ」
階段を上がろうとしたら、不精ひげが先に行った。
「ここは俺が先に行くから」
階段の幅は狭く、上の階への間口は1m四方くらいしか空いていない。誰かが、例えば超怖い幽霊なんかが待ち受けていたら嫌だなあという場所だ。
不精ひげはランプを掲げて照らしながら、顔を出して上を見渡していた。そして一気に駆け上がる。
私も続いて駆け上がる……ここはもう露天甲板だ。この船は船体中央に楼閣がある。平たく言えば、甲板の真ん中に小屋が立っている感じだ。
下もそうだったが、この船には足りない物がたくさんある。少なくとも、オールや帆など、どこかに進む為の物が一切無い。
その他に、低い船尾楼もあったらしいのだが……その部分が、まるで尻尾を切られた魚のように欠落している……縦横高さ3mくらいのそこにあったはずの船尾部分がまるごとなくなっているのだ。その切断面はいずれも黒焦げになっている。
この船は炎上したのだろう。そして火災を止め乗員の命を守る為、その部分を破壊し切り落とされたのだ。多分、この場所で。
さてしかし。そんな事より気になる物がこの場所にはあった。甲板に、火を通した跡もナイフで切った跡も無い、魚の死骸が三尾分ほど落ちている。
鳥か何かが食べたのかとも思ったが……近くに木切れが一つ落ちていて、その周りに鱗がたくさん落ちている……誰かがこの木切れで、魚の鱗だけは落とし、生のままかぶりついたのだろう……
「……船長もそう思うんだろう?」
「そして……これを食べた人が多分……その楼閣の中に居るんでしょうね……」
「扉、開けてみてくれよ、船長」
「いいわよ、その代わり不精ひげが先に中を見るのよ?」
「待て! じゃあ俺が扉を開ける! 先に中を見てくれ!」
「どっちでもいいわよ……」
これは貧乏お針子マリーの勘だけど。この魚の骨、一番新しいやつでも一週間前のものだと思う。一週間前にはここに魚を生で食べる元気のある人が居た。
それ以降の骨がここにはない。ここに無いだけかもしれないけど、それ以降は食べていないのだとすると、その人はもう元気ではなくなっているというか、亡くなっているのかもしれない。
私は、楼閣にある扉に向けてランプをかざした。
「じゃあ開けて」
「アイ! キャプテンマリー!」
不精ひげは敬礼して、扉に手を掛け、一気に開けた。
幅2m、奥行き5mくらいの。がらんとした部屋。明かりも家具も何もない。やはりこの船は捨てられた船なのだろう。
中にあったのは……一つの死体だった……まだ若い。私とたいして年が変わらないかもしれない。年下かな? 155cmの私よりも少し背が低いかも?
長いストレートの黒髪……一瞬女かと思ったけど、この体格は男だな……
ランプで照らすと。片目が見開かれたままだった……もう片方には包帯が巻かれている。死体でなければ……野性的で精悍な、なかなかの美少年だったんだと思う……うつぶせに倒れたまま、顔だけ横に向けている。
「気の毒ね……」
私はそう言って祈りを捧げる。
「船長って意外と剛毅だよな……」
不精ひげも祈りを捧げながら呟く。
「水」
「ぎゃああああああああ!」
喋った! 死体が喋った! 私は叫んでいた。助けて助けて助けてぎゃあああ!
「いや生きてるぞ船長!」
「生きてる死体!? 生きてる死体!! いやああああああああ!!」
「だから生存者だって! 生存者だ船長!」
幽霊船の生存者はフォルコン号に収容された。私と同じくらいの背格好の、長い黒髪の少年。体中に痣や切り傷の治った跡がある。よく見ると整った顔も傷だらけだ。
アレクの見立てによるとこの少年は脱水症状が酷い上、高熱があり、意識も混濁しているらしい。
水も食糧も無いあの船の上に、一体どれだけ居たのだろう。
今は助かったが、改めて死ぬ可能性もある……むしろその可能性の方が高いかもしれない。
「水もちょっとしか飲めないみたいだ。医者の心得は無いからはっきりとは解らないけど……」
「気の毒にねえ……この人は私が診るわ。みんなはもういいわよ」
アレクが、アイリがそう言った。幽霊船の方は……本当にこの少年以外何も無かったし、彼は何らかの理由であそこに置き去りにされたのだろう。つまり、もうここに居る必要はない。
少年は空いている方の船員室に置いておく事にする。
「出航しましょう。帆を開いて」
「アイ、キャプテン」
名前も解らなかった幽霊船を置きざりにして、フォルコン号は発進して行く。