エルゲラ「キーッ! 散々ですぞ! 何ですかあの目に痛い女は!」
故郷訪問から戻ったマリー。
再び海へ。
「あら早かったわね? 明日の午後くらいかと思ってたわ」
私がレッドポーチに戻ったのはまだ午前九時前だった。本当にあっという間の故郷訪問になってしまった。無意味に疲れた……
「皆どこ行ったんですか」
「マリーちゃんが明日か明後日に戻るって言うから、みんな二晩くらいは休みだと思ったみたいね。ウラドまで出掛けたわ、珍しく」
船にはアイリさんしか残っていなかった……カイヴァーンすら居ないとか想像出来なかった。これじゃ何かあっても船出せないじゃん。
疲れてる時に船酔いは嫌なので、私はお姫マリーに着替えて過ごす。
アレクとカイヴァーンは十時頃には戻って来た。何か食べて来ただけかな。ロイ爺は昼食前に戻って来た。こっちは散歩してただけみたいね。
不精ひげはどうせ明日まで戻らないだろうと思いきや、夕方には帰って来た。自分用のお土産をたくさん抱えて。
「早かったな船長、ちょっと聞いてくれないか、俺は最近勘が冴えてるんだ。手札に2が三枚来たんだけれど、嫌な予感がしたんでそれを全部捨ててだな」
私が不精ひげの博打の自慢話を黙って聞いていたのは、そうすればお土産が貰えそうだと気づいたからだ。そうしていただいた袋入りボーロを貪っていると。港湾役人のボートが近づいて来る。
「フォルコン号ー! 急ぎの仕事があるんだ! ロングストーンまで5日以内、この船なら出来るんじゃないのか? 急送文書だ!」
「うちは今出れませんよー! 乗組員が戻ってないんです」
「その戻って来てない水夫は、後で戻ったら港湾局で預かっておくから! 先に海軍の仕事をやってくれないかー?」
舷越しにそう叫ぶ役人さん……うーん。戻ってないのが不精ひげとかだったらそれでいいかもしれないけど、ウラドは置いて行きたくないなあ。
彼らの故郷はずっと北の方だ。内陸の高山地帯、亜寒帯の森林、ツンドラの荒れ地……普通の人類があまり住みたがらない場所にコロニーを作って暮らす、亜人と呼ばれる人々の一種。ウラドの種族は特にオークと呼ばれるものだ。
彼らは思慮深く争いを避け、忠義を尽くし勤労に励む素晴らしい人達だ。なのにその青黒い肌と下顎から上へと伸びた大きな牙のせいで、不当な差別を受ける事も多い。
その一方、ある種の業界では、彼らは引っ張りだこの人気者だとも言う。
それは軍隊、特に海軍。軍艦という過酷で閉鎖的な環境に閉じ込められても、文句ひとつ言わず人並み以上の怪力で黙々と任務を遂行する、彼らはまさに水兵にはうってつけの人材だと言う。
海軍のリクルートは時に強制的である。
「ねえ。ウラドって探しに行かなくていいのかしら。不精ひげ、貴方最近勘が冴えてるって言わなかったっけ?」
「ちょっといいかー? その急送文書はどこなんだー! 何で運び手を探してるんだー!?」
私の問いかけに、不精ひげは舷側から港湾役人さんの方に向かって叫ぶ。
「そこの海軍のカラベル船ポンドスケーター号だ、水夫が何人か脱走して、定員割れで動けなくなったから先にロングストーンまで行って欲しいんだと」
役人さんは沖合に漂泊している二本マストの小型の軍艦を指差す。
抜錨したフォルコン号はゆっくりと進み、ポンドスケーター号に近づいて行く。
私は一人で、艦首楼の上で手を振っていた。
「皆様ー! 海軍の皆様ー!」
笑顔で。かつ、おしとやかに。
向こうも私に気づき、手を振り始めた。
こちらは……進行方向を合わせて、この角度で入って……
「ポンドスケーター号の艦長さーん!」
「こちらポンドスケーター号ー! 艦長! エルゲラであります!」
ああ、制服姿で手を振る人が……痩せ細った青白い顔、きっっちり分けの黒髪……軍艦の艦長もいろんな人が居るのね。
あ……居たよほら、ウラド……私に気づいた……困ったという顔をしている。
私はウラドと目と手振りで会話をする。
捕まったんですか?
面目ない。捕まった。
その船に移籍したい? この船よりいい?
出来ればフォルコン号に帰りたいが、絶対に無茶はしないでくれ。
帰りたいのね? その船に居たい訳ではないのね?
待て、よせ、無茶をされるくらいなら私はここでいい。
貴方が居ないと困るの。帰って来て貰うわよ?
私は平気だ、私の為に無茶をするのはやめてくれ!
あんたの為じゃないわ私の為よとっとと戻って来なさいよ! 珍しく港に降りたと思ったら何やってんの! 行くわよちゃんとついて来なさいよ!
やめろ!! 待て!!
「エルゲラさーん!」
「ま……待ちなさい、船がぶつかります!」
「あらごめんあそばせ、太っちょ、面舵一丁!」
「はい面舵一丁!」
「行くわよカイヴァーン!」「おう、姉ちゃん!」
真っ直ぐ突っ込んで直前で回頭したフォルコン号の艦首舷側とポンドスケーター号の船尾舷側が、こすれ合うように接触する。
双方の船が揺れる。ポンドスケーター号の甲板に居た水夫がバタバタと倒れる。だがフォルコン号の水夫達には、気持ちの準備が出来ていた。
「フォルコン号船長マリー・パスファインダーですわよ!! うちのウラドを返しなさーい!!」
私はバウスプリッドからポンドスケーター号甲板にひらりと飛び移る。お姫マリーはエレファントスリーブ付き白いブラウスにレースふりふりのローズレッドのワンピース。だが船酔い知らずの魔法付きなのだ。カイヴァーンと不精ひげも続く。
「ここっ、こっちはアイビス軍艦ですぞ!? 御自分のしてる事がお分かりですかッ!?」
「やかましー!! うちの水夫を強奪する奴はゆるさないわよ! ウラド! どこで捕まったのよ!」
不精ひげはポンドスケーター号がすぐに動けないよう、錨を投げ込んでしまった。
「船長ッ、無茶はやめてくれッ、こんな事をしたら……」
「どこで捕まったの!!」
「た、ただ港で朝食を食べていたら肩を掴まれて、以前船長に連れて行ってもらったあの店の朝食が美味しかったので」
あの店か。別に特別美味しい店じゃなかったし、朝食のメニューも普通だったけど……ウラドにとっては驚きだったのかな。そういう風に朝食を食べる機会があまり無かったのか。
「この船は海軍艦ですぞ、定員割れで航行出来ないと困るのですぞ! そのオークを連れて行ってはいけません、彼はもうアイビス海軍の水夫であり……」
「だったらその急送文書もこっちに寄越しなさい、ロングストーンまで4日で行ってやりますわ!」
私はエルゲラ艦長に短銃を突き付けていた。撃鉄は起こしてませんよ? だけど私、最近ちょっとやる事が雑になって来たかもしれない。私はエルゲラ艦長が持っていた、海軍の紋章のついた筒を奪い取る。
海軍士官さんや海兵隊の人も出て来ようとしたけれど、カイヴァーンが階段ごとハンモックネッティングを被せて動きを封じてしまった……ていうか本当に人数不足ねこの船。
「そろそろ戻りなさい! 船が離れるわ!」フォルコン号でアイリさんが叫んだ。
フォルコン号はもうすぐポンドスケーター号から離れようとしていた。
不精ひげが、ウラドが、ポンドスケーター号の船首へ走り、そこからフォルコン号の艦尾へと飛び移る。もうフォルコン号の方がかなり前に出ているのだ。
「姉ちゃん! 早く!」
「大丈夫、先行ってぼさぼさ!」
私はポンドスケーター号の皆さんに、スカートの端をつまみ恭しく膝を折ってお辞儀をする。
「ごめんあそばせ」
「……いい加減にしろぉぉぉ!」
海兵隊の隊長だろうか。ポンドスケーター号の下層甲板にとても怒ってる人が居る。カイヴァーンが投げた網のせいで上がって来れないみたいだけど。
私はポンドスケーター号のシュラウドからマストへ、ヤードへ飛び移り、そこからヒラリとフォルコン号の艦尾楼に飛び降りる。
カイヴァーンも無事フォルコン号の甲板に戻った。私が飛ぶまで飛ばないんだから……困ったもんだけど可愛い奴だ。
「エルゲラ艦長! 確かに急送文書承りました! 頑張って四日以内にロングストーンまで持って行きますからご安心くださーい!」
私は最後に大声で叫ぶ。
―― ターン。
返事の代わりに、ポンドスケーター号の甲板から一発の銃弾が飛んで来て、フォルコン号の帆に小さな穴を開けた。
ご縁があればまたお会いしましょう。じゃあねっ!




