ウラド「お前達……本当にそれでいいのか…」アレク「泣くなよウラド……」
ぶぃたりすのまりい より さいばんちょう へ
しんしさま:
トライダーさんは しごとねっしんな よいひとです。
さいばんで ゆうざいになっては だめです。
げんきに かえしてください。
ときどき しつこいです。
おねがいします。 まりー
レッドポーチを出発してから、四度目の朝が来た。昨夜は新月だった。
風向は2時方向から4時方向の間を行き来している。風速も十分で航海は順調だ。
私は概ね見張り台で元気にしているか、操舵輪を持って元気にしているか、船尾でぐったりしているかのどれかで日々を過ごしている。
「船長、船酔いの克服はいいんだけど、もう少し生きてる人っぽい顔して欲しいんだけど」
「何よ……太っちょ……」
「船長の周りだけ、幽霊船みたいになってるから……」
アイリは普通に着替えている。あの人も一着は船酔い知らずを持ってるんだけど、他の服でもわりと平気らしい。二日酔いの時以外は平気だとか……
「幽霊船……ふふ、ふ……」
私はやけくそで微笑む。
その夜。
私は象限儀を使って緯度を調べていた。使い方はアレクに習った……勿論まだアレク程上手には使えないけど。
「900kmくらい移動出来たのかな?」
「だいたいそんなもんだね」
アレク先生は隣でそう言った。だいたいか。正確にはどのくらい違うんだろう、アレク先生の測量と。
私は海図を思い出す。ナルゲス……マトバフから見ると東に500kmくらい。内海の覇権を賭けて20年前までアイビス王国とバチバチやってた、ターミガン王朝の最前線の都市だ。レイブン同様、今は小康状態にあるとはいえ油断は大敵とか。
とはいえそれはお上同士の話。戦争中であってすら、余程の事がなければ民間同士は商売を続けていたらしい。今は戦争もしてないんだから何の問題も無い。
さて。私は今キャプテンマリーの制服なので船酔いはしていない。船酔いはしていないが月の無い夜の甲板はあまり好きではない。
最初は好きだったんだけど一晩中バニーガール姿で甲板で一人ぼっちにされて苦手になった。あの日はしかも無灯火だったな……船って夜中に無灯火にしたらいけないらしいじゃん……
今日は別に一人ぼっちではない。舵は私が持っていて……
「船長取り舵。ゆっくりな」
「へーい」
不精ひげの指示を聞いて、言われた通りにしている。当たり前だけど操船の事で私に出来る事は、言われた通りの事をやる事だけだ。
「戻してくれ」
「へーい」
この、へーい、もそうだ。返事も仕事のうちなのである。じゃないとちゃんと相手に聞こえたかどうか解らないという事になる。海ではそんな事が簡単に命取りになってしまう。
「なあ船長、4時方向くらいでいいから追い風にしてくれないか? そうしたら楽出来るんだけどな。居眠りしてても船が進むし」
「……」
勿論こんな事を言われた時には、へーい、も要らない。聞こえないよ全く。
「舵固定しまーす」
「見張り台か? じゃあ俺が持ってるから」
私は舵を固定しようとしたが、不精ひげがそれを持ってくれた。
暗闇の中でマストを登るのは心細いが、見張りをしないのはもっと心細い。
上に上がった私は望遠鏡で進路を眺める。この望遠鏡はリトルマリー号から持って来た……母から父への贈り物だった事が刻まれているキツいやつだ。
後で見たらフォルコン号にはもっといい望遠鏡が積んであった。申し訳ありません国王陛下。でも陛下にこれをお見せするのも心苦しいのです。
「……」
私はマストを降りて舵の所へ行く。
「あのね不精ひげ、今度は私が舵を持っているから、貴方が上がって見て来てくれない? 11時と12時の間くらいの方向なんだけど」
「……何かあったのか?」
「幽霊船、かな……」
これで休んでいる水夫を起こして何かの勘違いだったら申し訳ないので、私達はとりあえず二人で事態に当たる。
私はまず不精ひげの指示で操帆を手伝う。帆の開きを少なくして減速するのだ。
それから……目標物に対し風上に立てるように、進路を変える。これも二人でやった。やれば出来るじゃん私。全部不精ひげの指示だけど。
フォルコン号は目標物にそろりそろりと近づく……新月の夜の暗闇の中にぼんやりと見えるそれは、船の残骸のようにも見える。
もう皆を起こした方がいいだろう。不精ひげに観察を任せたまま、私は水夫達を静かに起こしに行った。
水夫達も全員起こした。アイリも起こした。
フォルコン号は一旦帆を畳み、波に漂うがままになっている。向こうまでの距離はあと70mくらいか。
それは間違いなく船だった。フォルコン号より少し大きい。マストは一本で型はかなり古そうだ。櫂を出して進めるタイプの船だが、人の気配は全く無い。
「さて……行ってみますかね」
私は腰のベルトにサーベルを掛け、弾を込めた短銃をしまった。
「行ってみますかじゃないわよ!」「船長はだめだ!」
「冗談はよすんじゃ!」「遊びじゃないんだよ!」
アイリから、ウラドから、ロイ爺から、アレクから突っ込みが入る。私は四方から包囲され、閉じ込められた。
一人だけ少し離れていた不精ひげが言う。
「俺が行くよ」
「私も行くわよ!!」
だけど私も、ここは引けない。
「船長! こういう漂流物に何種類の危険があると思う!? 賊が隠れているか。疫病で全滅しているか。魑魅魍魎の類に取り憑かれているか。ただ単に船体が腐っていて乗った途端二つに裂ける事もある。そんな所に船長を行かせる訳には行かない」
ウラドが珍しく、腕組みをして怒った様子で言った。
「あの、やっぱり俺も行くのやめていいか」
「あなたは行きなさいよ、漂流者が居たら可哀想だわ」
アイリはやはり腕組みをして、肩をすくめる不精ひげを窘める。アレクは幽霊船に向かい両手をかざして呼び掛ける。
「誰か居ませんかあああああ!」
しかし返事はなし……耳を澄ましても物音一つ聞こえない。ロイ爺が首を振る。
「せめて昼ならのう……こう様子が解らんではとても近づけん」
「だからボートを降ろしてってば、船長の私が行くって言ってるのよ! 船長命令! 私が見に行くからボートを降ろしなさい!」
私はロイ爺とアレクの間をすり抜け、舷側の手摺りに飛び乗り片方の手を腰にあてもう一方で皆を順番に指差して言った。
「危ないよ船長!」
「危なくないのよ太っちょ。キャプテンマリーはこういう所も身軽に歩けるの! 手摺りの上でも索具の上でも! みんなには出来ないでしょ、これ!」
手摺りの上で軽いステップを踏んで見せた私は、副船長に指名したロイ爺に向き直る。
ウラドやアレク、アイリもロイ爺の方を見る。ロイ爺が、溜息をついた。
「解った……じゃが船長、不精ひげは連れて行くんじゃ、もし幽霊に会ったら不精ひげを生贄に差し出して逃げるんじゃ」
「ロイ爺までその呼び方かよ……待ってくれ俺は行きたくないんだけど」
話は決まった! 行きますよ、不精ひげ君。