マリー「三か月居なかっただけなのに。皆ちょっとずつ余所余所しくないですかね」
風の匂いから何かを感じ取り、走り出すマリー。
牧草地や田園を抜け、斜面の続く草地を続く道……そして森林の入り口の辺りに、サロモンは居た。
何か、ぼろぼろの服を着た二人の男と話している……というか、揉めている。
えっ……? サロモンが……家から持ち出したのか、腰に下げていたサーベルか何かを抜いた!? 何してるんですか!
私は足を急がせる。
二人の男をサーベルで威嚇するサロモン……だけどそのサーベルは、相手が振り回す斧に叩き落とされてしまった!
「何やってんの!」
全力で走る私。
何やってんのは私だよ! 何やってんの!?
「マ……マリー!? 来るな!」
後ずさりし、座り込んでしまったサロモン。
二人の男は、そんなに大柄でもなく力持ちそうでもない。服もぼろぼろだし本当に食い詰めた人か何かか……だけど間違いなく大人の男だ。見た感じアイビス人でもないらしい。
私は滑り込むように、というより本当に滑り込んで、男の片方に拾い上げられようとしていたサーベルをもぎ取り、振り向いて立ち上がる。
結果私は、男の一人に向けてピタリとサーベルを構えていた……ぎゃあぁあ!? 何してんの私今フレデリクでも船上でも無いじゃん!
向かい合う男の目に浮かぶ感情。
サーベルは怖いけど小娘は怖くないといった所か。
次の瞬間、さっきと同じように振り下ろされる斧。今見たばかりの動きだし、ファウストの動きには微塵も及ばないしセレンギル達と比べても遅い……さすがに私よりは速そうだけど、サーベルを恐れ過ぎて間合いも踏み込み方も間違っているその一撃は、私でも抜く事が出来た。
斧でサーベルを弾かれる事を躱した私は迷わず踏み込み、無防備になった男の首の後ろに、サーベルの峰を振り下ろした。
「神様!」
男がニスル語で叫んだ……首を落とされたと思ったのか。しかし私の腕力では男を転倒させる事も出来ない。
次の判断をする時間は全くなかった、もう一人の男が、座り込んだサロモンに向かい逆手に持った短剣を振りかざしていたのだ!
「はッ!」
「ひっ……ひあああ!!」
私は力一杯に全身を伸ばして突いていた。今まさにサロモンに振り降ろされようとしていた、男の右腕を。実際に振り下ろされた男のダガーは、サロモンの体を逸れ、男の手から離れて、地面へ滑り落ちた。
サーベルの刃先から、僅かな、赤い飛沫が舞った……
「命までは取らないでやる! 失せろ!」
私はサーベルを構えなおし、ニスル語で叫んでいた……フレデリクの声で。
サーベルの峰で首を叩かれただけの男は、怪我もしてないし斧もまだ持っていた。
「き……斬られた、死ぬ、死んじまう!」
もう一人の男は、やはりニスル語で叫びながら、腕に出来た切り傷を抑えていた。そこまで大きな傷ではないようだが……必死に傷口を抑えるその指の間から、血が染み出ている……
斧を持った男の方が、再び私のサーベルを叩き落とそうと、斧を突き出すが。私のサーベルはそれをかわし、男の目の高さに構え直されていた。このまま刃を落とせば、この男の腕も切れる。
男は恐怖に目を見開き、斧から手を離した。どさりと音を立てて斧は落ちる。そして男は、仲間を振り返る事もなく反転して逃げ出して行く。
「待ってくれぇ、俺は怪我をしてるんだ!」
もう一人の男の方もそれを追って、短剣を置き去りにしたまま逃げ出した。
私はサーベルを降ろし、深い溜息をつく。
とうとうやってしまった。嫌な感触が右腕に残っている……脅かす為にちょっと突っついたとかではなく。私が振るった刃物が、生きている人間を傷つけた感触。
仕方ないよ……相手は食い詰めて錯乱した、僅かな小銭を奪う為に人を殺めてしまいそうな輩だった。山賊ですらなさそうだ。
憎たらしいサロモンだけど、目の前で殺されるのは嫌だ。それに。
「もしかして、ランプオイルを買いに行ってた?」
何となく……そんな感じがするのだ。
サロモンは座ったまま俯いていた。うーん……今の一言も余計だったような気がして来た。アレクは私が無自覚だって言うけど。自覚って何だろう。
「あの、ジャコブさんも心配してるから、一緒に帰ろう、怪我はないよね?」
「うるせえ」
ああ。やっぱりそうなりますか。よく解らないけど、私は何か失敗したみたいだ。
とにかく、消えた方が良いのかな。
私はサーベルを丁寧に地面に置き、小走りで村の方へと戻って行く。
「お前なんか何処へでも行っちまえ、チビで泣き虫のくせに、畜生!」
私が遠く離れてから。サロモンがそう叫んだ。
何だろう。古い幼馴染に完全に見放されたような気分だ。
昔はこの野原を一緒に冒険した事もあったなあ……
おっと、急がないと。辺りがどんどん暗くなって来た。
家についた私は戸締りと身支度をして、すぐにベッドに横たわる。
もしかしたらサロモンが私の為に買ったランプオイルを持って来るかもという、淡い期待もあったのだが……オイルがあれば本が読めたのになあ。
あいつちゃんと家に帰ったかな。
……
キャプテンマリーは船に置いて来たつもりだったのに。
さっきの二人組は大人の男としては下の部類だったんだろうけど。単に私の方が無謀なだけだったんだろうけど。
それにしても。
追い剥ぎが出るようになるとは、ヴィタリスも発展したものだ。
田舎、田舎と馬鹿にしたもんじゃないわね。
私はゆっくりとまどろみに落ちる。
◇◇◇
翌朝。私は日の出より少し前に起きる。
昨日の服にそのまま着替えて顔を拭いて、それから本棚に向かう。私は朝の静かな空気の中で本を読むのが好きなのだ。貧しい家だが本だけはたくさんある。どれにしよう。ターミガン語の御伽噺にでも挑戦しようか。
私は本を手に、引き戸を開けて外に出て空を見上げた。
晴れ渡る空から、網が降って来る……
―― ドサッ!
「捕まえたー!!」
「ヴィタリスのマリーさんを捕まえた!」
家の周りから湧き出す……鎧兜に揃いの緑のサーコート……
風紀兵団!?!?
「すみませんマリーさん! だけど今日こそは! 貴女を、ハワード王立養育院に御案内させていただきます!」
ぎゃぎゃあああぁあああぁあああぁぁああああ!!!




