パーティを組んだ噂話「俺達の一人歩きはこれからだ! 大冒険の始まりだー!」
ハマーム編総まとめ!
三人称でお送り致します!
人質と身代金の交換を終えたサイクロプス号がハマーム沖を離れたのは八月二十六日朝。そしてフォルコン号がハマーム沖に現れたのは、八月二十六日昼頃だった。
「何とか辿りついたのう。ホホ。マリー抜きでも出来るもんじゃな」
「あら、謙遜ね、お爺ちゃん」
フォルコン号の艦尾楼の上で、船長代行のロイと魔術師のアイリは、遠くに見え始めたハマームの街並みを眺めていた。
「しかし……ここに辿り着いた事は本当に良い事だったのか。それは解らぬままじゃな」
「仕方ないわ……私達がどこまで手を尽くせたかは解らないけど」
フォルコン号の船客、フラヴィア・オルランドは、艦首楼の上で街を見つめていた。その目には涙が浮かんでいる……彼女には一体この街にどんな思いがあるのか。それは結局、フォルコン号の乗組員達には伺い知る事が出来なかった。
「カイヴァーンの兄貴! 甲板掃除終わりました!」
「いい出来だぞ。今日もぴっかぴかだ!」
フラヴィアの息子カルメロは、すっかり日焼けして、乗船した時より二回りも逞しくなったように見えた。いつの間にか船酔い知らずのベストも外してしまった。もう船酔いもせず、魔法に頼らなくてもマストにヒョイヒョイと登れるのだ。
「あおおにちゃんもいっしょに行くの! ハマームに行くの!」
「すまない……私はその……」
四歳の娘、カメリアの青鬼ちゃんブームも結局、終わる事なく続いていた。こちらも乗船した時はやはり心細そうにしていたものだが、今ではすっかり艦内の至る所を遊び場にしてしまった。特に船牢は今や子供達の秘密基地と化している。
しかし、そんな子供達の活発な様子でさえ、フラヴィアにとっては心の重しになっていた。
この街で、自分達が歓迎される訳が無い……それは彼女自身が一番思っている事だった。
ファルク王子にしても、もう別の恋人を作っているかもしれない。今更来られた所で迷惑にしかならないかもしれない。
フェザントでのフラヴィア達の生活も、物質面はともかく、精神面では決して良いものではなかった。一度異教の国に嫁入りしたフラヴィアには再婚の話もなく、その子供達の未来も決して明るいとは言えなかった。
実家の御荷物のようになって暮らす日々……それでも与えられた環境に感謝し、フラヴィアは、その日その日を懸命に生きていた。
そんな中、商家であるオルランド家に働きかけて来たのは、ビアヴァッシ伯爵とそのグループだった。曰く、元々病弱な上、父親との関係があまり良くなかったかつての夫でカルメロ達の父、ファルク王子が危機に陥っていると。
ファルク王子を健康の面でも立場の面でも応援出来るのは二人の子供達だけだと。伯爵らはフラヴィアが判断する前に、純朴なオルランド家の面々に説いてしまっていた。
フラヴィアは、半分以上、罠だと思った。
しかしそれを完全に罠だと論破する材料も、気力も、フラヴィアには無かった。このままオルランド家の居候を続けさせて欲しいと言い張る厚かましさも。
そして何より、ファルク王子が自分や子供達に会いたがっているという事、それを絶対に嘘だと思い込む事が、フラヴィアにはどうしても出来なかった。もしも本当に病弱な夫が自分達に会いたがっているのなら、どうするのかと。
舷側でただ涙を流しているフラヴィアに、ゆっくりとロイが近づく。
「宜しいですな? お嬢さん。このまま、ハマーム港に向かっても」
もうずっと想いを巡らせて来た事を改めて尋ねられ、フラヴィアは動揺した。
この旅の間に、もう一つ、別の感情が育って来てしまっていたのだ。
フォルコン号の人々を危険に巻き込みたくない。この船の人々は皆本当にいい人ばかりで、子供達も自分も本当によくして貰っている。
旅の途中では、追って来てしまったジェラルドを降ろす為、他ならぬマリー船長が船を降りてしまった。フラヴィアも勿論そこまで頼んだつもりではなかった。ただどうにか、幼馴染のジェラルドを巻き込まずに済む方法は無いかと相談したつもりだったのに。
マリー船長が居なくなると、あのカイヴァーンという少年水夫が夜泣きをするようになり、フラヴィアの心は締め付けられた。
カルメロがカイヴァーンに積極的に話し掛け、夜も船員室に行って一緒に寝るようになったのはそれからだった。それを見た時にはあまりの事に、本当に声を上げて泣いた。これは嬉し泣きだった、弱虫だったカルメロがいつの間にか強くなっていたのだ。泣いている他人をも思いやれる程に。
この船が好きだ。
ハマーム港に入ったら無事に出られるかも解らない。自分達の命は諦める事が出来ても、フォルコン号の皆には危険な事はさせたくない。
だけどハマーム港に入って、何らかの証書を受け取らないと、フォルコン号は賞金を貰えない。代わりの金貨一万枚なんて、今の自分にはどうする事も出来ない。
それでも……やはり、人の命には代えられない。
「ロイさん……やっぱり駄目です、ハマーム港に入ったら何が起こるか解らないんです!」
フラヴィアが意を決し、そう言った時だった。
―― ピィーッ。ピィーッ。
笛の音が聞こえた。かなり沖合だというのに。漕ぎ手を多く乗せたボートが、帆を畳んでフォルコン号に近づいて来る。
「そちらは、フォルコン号ですかー!?」
そしてボートの先頭で音頭を取る男が、大声で呼び掛けて来る。その男だけ船乗りではないような、まるで宮殿の近衛兵のような、立派な制服を着ている。
「こちらー、フォルコン号ー!」
フォルコン号からはニックが応じる……次の、瞬間。
「フォルコン号だぁぁぁぁああ!!」
ボートの近衛兵は足元から大きな旗を取り出し、振り回す。
するとハマーム港の周囲に展開していた、漁船やら通船やらに見えた船が、次々と、同じ旗を振り出した。そして波のようにハマーム港へと繋がり、広がって行く。
「お待ちしておりましたあああ! カルメロ様は、カメリア様はそちらですかー! 皆がお待ちしております、ファルク殿下もマフムード陛下も、待ち侘びておりましたぞー!」
礼砲が、祝砲が鳴り響く中。フォルコン号は堂々、ハマーム港の王家専用桟橋へと牽引されて行く。
港中で振りかざされているのは全て、ヤナルダウ王家を称える旗だった。波止場には近衛兵団が、銃士隊が並んでいる。後ろには騎士団の姿もある。
「お母様、あれを! お父様とお爺様がご一緒に、ご一緒に手を振っています!」
カルメロが嬉しそうに指差した。
二人はなんと、桟橋の一番前に居た。病気と聞いていたファルクも、元気に手を振っている。あんなに仲の悪かったマフムードが、笑顔でその肩を叩いている。ファルクも父に笑顔を向け、何を話しているのか、何度もうなずいている。
王や王子、兵隊達だけではない。港にはたくさんの市民も集まり、歓声を挙げている。幾重にも連なった人々が、笑顔で手を振っているのだ。
「お母様、大丈夫ですかお母様、なぜ泣かれるのですか」
カルメロは心の底から心配そうに、涙腺の崩壊した母親を見上げ、懸命にその小さな手を差し伸べる。これでも泣いてしまうのなら、母はどうすれば泣かないでくれるようになるのだろう?
桟橋では、もう何十年も泣いた事などなかったマフムード王が笑い泣きしていた。どうしようもなく頼りなく、とても自分の跡など任せられないと思っていたファルクが、大事を成し遂げたのだ。自分と家族の命を狙う不逞の輩を自ら成敗し、自らの力で家族を取り戻したのだ。
マフムードが見たかったのはこれだった。自分が愛する妻子なら、自分で取り戻せなくて、国の父たる王が務まろうか。本当にフラヴィアに会いたいなら何故男として行動しない。マフムードはそう考えていた。
ハマームの王家も一枚岩ではない。ファルクが脆弱と見れば親戚とて容赦は無い。だからマフムードは悩み、心を鬼にし、可愛い孫のカルメロも遠ざけて来たのだ。
しかし今、マフムードの心は晴れていた。
ハマームにこれだけの事をしてくれた男達の姿が消えた事だけが、一点の心残りではあったのだが。
ファルクにとっても勿論、これは夢のような出来事であった。
そして、たくさんの事を反省すべき出来事であった。自分の至らなさから、多くの人間に迷惑を掛けてしまった。その為に命を落とした兵も居る。
父には意味もなく反抗し、妻子を取り戻そうともせず。病気のふりなどして溜息ばかりついていた、昨日までの自分が恥ずかしくて仕方が無い。
人間、心持ち一つでそう簡単に変わる事は出来ないが。少なくともこれからは、進むべき道を見失う事はあるまい。ファルクはそう心に誓っていた。
そして。あのフレデリクという男は、何故自分にここまでの事をしてくれたのだろう。自分は人の為にろくに何かを為した事も無いのに。
それを思えば、なお恥ずかしさが込み上げる。自分は胸を張って彼と再会出来る男になりたい。王子としても、次の王としても。
彼らは何故この場に残ってくれなかったのだろう。その事は残念でならなかった。
フレデリクやジェラルドと共に戦った、そう信じる衛兵達の中にも、同様の気持ちがあった。
ファルク王子が強く立ち上がり、マフムード王とのわだかまりも融け、このような晴れやかな日を迎えられた事は慶賀の至りに違いない。
なのに何故この場にフレデリクは居ないのだろう。一体どんな訳があって、彼らは慌ただしく旅立って行ったのか。思えば彼らは現れた時も突然だったのだが。
ファルク王子の暗殺、フラヴィアやカルメロ達への罪のなすりつけ。そうした謀略を自力で跳ね除け、ヤナルダウ王家とその支持者達の結束はこれまでになく高まっていた。
もうどんな反対者が居ようと、二度とフラヴィア妃を手放したりするものか。ファルク王子も支持者達も、そんな志に燃えていた。
「これは確かに、港に入ったら何が起こるか解らない、と言った所じゃのう……」
ロイ船長代理が呟く。アレクも周りの船に手を振りながら言った。
「こりゃちょっと、マリーに悪いね、すごい御馳走にありつけそうな予感がするんだけど」
「どうかなあ……俺達は船を動かして来ただけだぞ」
ニックは腕組みをして答える。何隻ものボートが牽引してくれるので、フォルコン号の乗組員には仕事が無い。
「あおおにちゃんも行くのー! ハマームでくらすの!」
「本当にそうするのもいいんじゃない? 青鬼ちゃん」
「勘弁してくれ、アイリ……」
「姉ちゃんにも見せてやりたかったな……皆が喜んでる……俺こういうの苦手」
様々な想いを乗せ、様々な想いに迎えられ、フォルコン号は、ハマーム港に接岸した。
マリーの居る世界の地図は、地球と似ています。
今回の舞台のジェンツィアーナは地点的にはジェノヴァ、ジニアはナポリ、イリアンソスはクレタ島北西部でハマームはアレキサンドリアあたりに相当しています。
歴史や文化、風土については、地球世界と直接の関わりはございません……




