馬「なんかおめー無茶苦茶軽くね? ちゃんと乗ってんの? 俺ぁ楽でいいけどよォ」
密かに各所からの信頼を得てしまったフレデリク。
くどいようだけど中身はヴィタリスの貧乏お針子、マリーです。
私は準備があると言って、一旦宮殿から退出させていただく事にした。
すると近衛兵さんが二人、追い掛けて来る。やっぱり逮捕する事にしたとか……いやいや今さらそんな。
「フレデリク殿、歩いていては捗りませんから、どうぞ宮殿の馬をお使い下さい」
ひえっ!? まずいですよ、馬なんか乗れる訳ないでしょう私を誰だと思ってるんですか貧しいお針子のマリーだよ! しかも、近衛兵さんが引いて来た馬がでかい。
だけどお針子のマリーは、実は馬に乗った事がある。
山懐に住む貧しいマリーは、夏になると、背が低く寸胴でおっとりした地元の馬にまたがり、朝は山羊の群れを高原に追って行き、昼間は木陰で山羊の群れを見張りながら雑巾を縫い続け、夕方また畜舎に追い戻すという野良仕事もしていた。
とは言えその程度の馬術でこんな立派な馬に乗れる訳が無いでしょう……でもキャプテンマリーの服だから、跨る所までは出来るよな。ヒラリと。
「おお……なんと身軽な」
感心しないで! そこで感心されたら、馬に乗ってかっこよく去らなきゃいけなくなっちゃうじゃん!
「感謝するよ」
勝手に喋るなフレデリク! 無理無理、こんな背の高い馬怖い……怖くない。
またこれですか。アイリさん、この魔法の名前が船酔い知らずは絶対おかしいって。
馬の上だろうと。キャプテンマリーの服に掛けられた魔法は揺るぎなかった。まるでただの椅子に跨っているような心地だ。全く揺れない。
そしてボートの上や船の索具の上に立つ時もそうなんだけど、世界が私を押さない代わりに私も世界を押さないというか、どうやら馬の方も私の体重をほとんど感じないらしい。時々首を振って、横目でいぶかしむような視線を向けて来る。
あとは田舎の鈍くさい馬と、ターミガンの駿馬とが同じ言語を理解してくれるかという所だったが、全く問題ないらしい。キャプテンマリーは駿馬にも乗れるのね。知らなかったよ。
ここは港からかなり離れた丘の上だが、馬を貸してもらえたおかげで、日没までに船に戻れそうだ。
いいなあ駿馬って。私も一頭飼いたくなった。
◇◇◇
港の役場の厩舎に馬を預け、私は我が船、ハーミットクラブ号に戻る……ジェラルド、戻ってるといいんだけど。
えっ? 船の様子がおかしいよ!?
何か目つきの悪い人達が何人も甲板に居る! ……って……
「セレンギル、それに、何をしてるんだお前達!」
船にはセレンギル以下六名の水夫が戻っていた。嘘でしょ!? 勘弁してよ……
「お帰りなさいまし船長、全員揃ってますぜ」
船長室からは気まずそうな顔のジェラルドも出て来る。
でもその前に!
「君達には退職金を渡したはずだぞ! そりゃ一人くらいは戻って来るかもとは思ったけれど、何で全員戻って来たんだ」
「だって船長、また何かやらかすんでしょ? ファウストの野郎のケツ引っ叩いてやった時みたいに。面白そうじゃないですか」
「俺らだって飯の種の為にだけ船に乗ってるんじゃねえんですよ」
「そうそう」
日が落ちる。船のあちらこちらにランプが掛けられた。
水夫達は情報を持って帰って来ただけじゃなく、食べ物や飲み物まで船に運び込んでいた。
この酒や肉はどうしたと聞いたら、みんなでお金を出し合って用意してくれたらしい。
何でそこまでしてくれるんだ。私、貴方達海賊から船を奪った海賊なのに。
「それで船長があのファウストを相手にメンマストのてっぺんまで行って、こう! どっからでもかかって来やがれと!」
「うわぁははは」「ヒャハハハ」
ハマーム港に錨を降ろしたバルシャ船、ハーミットクラブ号の船上は、ちょっとした酒場のようになってしまった。何かそのへんの知らないおじさんが四人くらい混ざってるんですけど気のせいかしら。
「ほんとだぜ! うちの船長はあのファウストに勝った男だ! それもサイクロプス号に単身乗り込んでだぞ、見た目は小さいけどそりゃあもう男の中の男よ!」
「マジかよ、ヒャアハハハ」
「マジだってばよ、ガハハハハハ」
いかにもお祭り好きそうなジェラルドは、そんな男共から少し離れて、ハマームのワインをちびちびとやっている。
「らしくないな、ジェラルド。聞いて欲しいのか? 君は僕を宮殿へけしかけておいて、何をやってたんだい?」
「俺は……たいした事は出来なかった。申し訳ねぇ。お前は何で馬まで貸してもらえる程、宮殿の奴らと仲良くなってるんだ? 元々知り合いだったのか?」
また自分の事は内緒で私の事だけ聞くのか。やれやれ。
やっぱり、この男とのやり取りは食うか食われるかだな。
「君こそ、本当はこの町には知り合いが何人か居るんじゃないか」
「ここはだいぶ前からフェザント軍人お断りだぜ」
「面倒は抜きだ」
私は無意味に人差し指でジェラルドに投げキスをくれてやる。
「君がハマームからフラヴィアさん達を船に乗せ、フェザントに連れて帰ったんだ。海の男であり陸にはほとんど居ないはずの君に、カメリアちゃんが懐いてた理由がそれだ」
甲板に座り込んでいたジェラルドは、それを聞いて大の字に倒れた。
「参った! 煮るなり焼くなり好きにしやがれ!」
「君は当時、ファルク王子に会ったのか?」
「会ってねェ! あの野郎追放される自分の女房子供の見送りに来なかったんだ!」
ジェラルドは再び体を起こし甲板に座る。
「マフムードには会ったよ。そんときな」
「そうか……僕は今日会って来た。陛下は今フラヴィアさん達がハマームに向かっている事を知っていて、それを良く思っていない。フラヴィアさん達が来る事を陛下に知らせたのはレイヴンの外交官でランベロウという男だそうだ」
ジェラルドは空になったタンカードに、陶器の水差しからワインを注ぐ。
それでこの男、参ったと言いつつ今日何をしていたかは言う気がないんだな。
「何でレイヴンが出て来るんだろうな……世界中が我が物って顔だぜ、あいつら」
「だけどそれを考えている暇が無い。フォルコン号がもうじき来てしまう」
「八月中は無理だろ……まだ一週間以上あるぜ……あっちは沿岸航路で来るんだろ?」
「あの船は本当に速い。アキュラ号で追い掛けた時にそう思わなかったか」
「そうだ、思った、忘れてたぜ! フォルコン号、超速ぇよ」
ジェラルドは今度はタンカードのワインを一口で飲んで、また満杯まで注ぎ足す……どういう飲み方なんだ、それは。
「僕の計算では、フォルコン号は最速あと四日で来る」
「フレデリク」
いきなりジェラルドが私に顔を近づけて来た。な……何?
「マフムードの野郎は二度とこの女を連れて来るなとまで言いやがった。俺は奴をぶん殴りたかったが我慢した。あとは言わなくても解るな?」
「君が今、何を考えているかという意味では解らない。教えてくれ」
「俺にもわかんねぇから教えられねぇ。なあフレデリクお前も飲めよ」
勘弁して下さい。もうただの酔っ払いだよ。
「フレデリクよう。どうやったらお嬢さんはハマームで幸せになれるんだ? 俺には思案が無ェ……カメリアのおじいちゃんだろ!? マフムードは! なんであいつあんな事が言えるんだ……あいつの血は何色だ畜生」
この男、酒は強いんじゃなかったのか。ちゃんと酔っ払ってる? 困ったなぁ。一緒になって飲むわけにも行かない私は、ほんの一舐め、盃のワインに口をつける。
「わかんねえ。わかんねえけど、俺がいくら暴力を振るっても解決しないような気はするんだ。なあフレデリク。だけど俺には暴力を振るうくらいの事しか出来ねえんだよ。俺がどんな暴力を振るったらお嬢さんを幸せに出来ると思う? いや、言わなくていい、解ってるからな」
「解った、解ったから、今日は船長室へ行って寝ろ、明日は凄く忙しいからな」
私に言えたのはそれだけだった。
それから私は、船首楼のあたりで諸肌脱いでご機嫌良く踊り、笑いと喝采を浴びているセレンギルさんに視線を移す……今は幸せそうな顔をしてらっしゃる。
この人、後悔するだろうなあ。私に関わってしまった事。ごめんねセレンギルおじさん、今夜は気持ち良く酔っ払っちゃって下さい。
「フレデリク……明日、会って欲しい人が居る」
ジェラルドは船長室の扉を開けながら、背中越しにそう言い、船長室に入って扉を閉めてしまった。




