ランベロウ「失敗した……? 失敗したで済むか! 今すぐ戻って……! 何でもない。報告ご苦労」
王子の警護を緩くした事が事件を誘発したと憤るマリー。
超怖いという噂の王様は。
陛下は憤怒に染まった真っ赤な顔で私を凝視していたが……次第に青ざめ、俯いて行った。
「おお……許してくれ、ハサン、ハリム……そしてフレデリク、貴公の言う通りだ、兵が私を恨む謂れはあれど、私が兵を恨む謂れはない……」
しまった。この王様は針仕事の元締めのあの男ではなかった。マフムード陛下は再びソファに座ると、両掌に顔を埋め涙声でそう言った。勘気が強いんじゃなく、喜怒哀楽が激しいのね、きっと。
「言葉が過ぎました。私は外国人ですし、深い事情を存じません」
今回の私、いやフレデリク君は、ブルマリン事件の時と全然違って割と本気で事件の鍵を握っている。
それでも、今全部を明かしてマフムード陛下の見解を聞いたり、決断を促したりするのは違うような気がする……この人はフラヴィアさんを離縁させ孫達もフェザントに送り返した人なのだ。
「……王族の警備について、考え直す訳には行かないのでしょうか?」
「陛下、恐れながら、我々も皆そう考えております」
陛下はかぶりを振る……息子との仲が上手く行かず、悩んでいる普通の父親のように。
「ファルクが望んでいる事なのだ。知りたければ本人から直接聞くがいい」
王は表情を変える。切り替えも早いな、偉い人というか、強い人にはそういう人が多い。
「だが今回の事を軽く考える事はしない。警備の事は考え直そう、例えファルクが嫌がろうとな……それでよかろう?」
陛下はそれで話を終わりにしようと、手を振って立ち上がる。私も立ち上がり深く礼をして……そのまま、国王陛下が踵を返し、歩き去って行くのを見ていた。
マフムード王は、振り返らずに歩き去って行く。
衛兵さん達も持ち場に戻ろうとしたが、私がまだ陛下を見ているのを見て、立ち止まる。
陛下は廊下の角を曲がって見えなくなる寸前で、大股に歩いてこちらに戻って来られた。
「それとも貴公があのフェザントの娘をどうにかしてくれるのか? 倅をあの女と会わせたのは本当に間違いだった。あれは元々脆弱で夢見がちな所のある奴だったが、すっかり腑抜けになってしまったのだ」
フレデリクは頷いた。
「勿論です陛下。私の望みはトリスタンとその黒幕の企みを挫く事。その過程で陛下の御協力を得る為であれば何を惜しむ事がありましょう」
王は、今度は私が帽子の鍔で遮れない角度から、私のアイマスクを睨みつけて来た。意外と、取れって言われた事ないな、これ。
「あの女、フラヴィアは今……ハマームに向かっているという。何らかの企みの為に……トリスタンは……あの女と何か関わりがあると思うか?」
ハマームの王様からはそういう風に見えるのかな。無いですよ。でもそれを今は説明出来ない。
「勿論、あらゆる可能性を調査して報告致します。念の為お伺いさせて下さい、フラヴィアがハマームに向かっているという情報は、どこから得られましたか?」
陛下は。少しだけ考えて……言った。
「レイブンの外交官、ランベロウだ」
誰?
◇◇◇
人は皆嘘をつく。自分の為、他人の為……嘘は、それそのものには罪は無い。
どんなに誠実な人でも小さな嘘を混ぜる事もある。どんな嘘つきも本当をつくしかない場合もある。
廊下を歩いて行く、私はフレデリク。イリアンソスで大人しくしているからと言って船を降り、仕入れに行くから付き合えと言ってジェラルドも降ろし、イカの唐揚げのレシピで宮殿に侵入、そして今、マフムード陛下にフラヴィアさんを何とかする事と引き換えに、トリスタンの件で協力してくれと持ち掛け、はっきりとではないが約束した。
その正体はヴィタリスのお針子、嘘まみれのマリー。これ私、今死んだら完璧に地獄行きじゃないの? これは私、良い事いっぱいするまで死ねませんよ。
陛下から聞いたレイヴンのランベロウという名前は多分大収穫なんだと思う。これは恐らく嘘ではあるまい。陛下がそれを嘘として私に伝えるメリットが無い。
私が知りたかった、「誰が」「何故」フラヴィアさんと子供達を呼び寄せたか? という疑問。「誰が」は、夫であり父であるファルクさんでも、祖父のマフムード陛下でも無いという事が解った。「何故」はまだはっきりとしていない。
ていうか……誰か私の代わりに考えて下さい……いつも身近に居て私の代わりに頭脳労働を担当してくれる人が居たらいいのになあ。そしたら私、言われた通りに動きますよ。
何となくそれっぽい事は考えてるけれど……私は今、多分何も解ってない。
ファルク王子が居た部屋の前まで戻って来ると、近衛兵さんや衛兵隊の人が二十人くらい待っていた。王の言いつけではなく自主的に集まった人々なんだろう。
「フレデリク殿! 御無事で何よりです」
衛兵さんの代表者らしき人が言った。何かアイビス語とターミガン語のニュアンスの違いだろうか。自分ちの王様に会って戻って来た人に御無事で何よりって。
「王はなんと? どんな指示をいただきましたか?」
それを聞きますか。聞くよなあ。普通に考えたら、王が言った通り伝えるよな。王様は考えておくからとおっしゃってました、と。普通そうだよな。
私、死刑じゃ足りない事に足を突っ込みつつあるよね。
「王は……トリスタンとその一味を許さないと。必ずやこの落とし前はつけるとおっしゃった。容赦しないとね。僕も及ばずながら協力させてもらう」
「おお……!」「仲間の仇!」「やられっぱなしにするものか!」
私は息をするように嘘をつく。衛兵の皆さんが、私の嘘に奮い立つ。
「しかし……何から始めましょう」
一人の近衛兵さんが、ちらりと部屋の中に視線をやりながら呟く。折角盛り上がった皆がまた少し消沈する。
ファルク殿下はこの場にも居ない。部屋の中で物思いに耽っておられる。マフムード陛下の気持ちも解るよな。
さて。私は声を落として言った。
「殿下にも出陣していただく。陛下の御命令だ」
ああ……言っちゃった。
衛兵さん達が、小さく喝采を上げた。
それから、私はファルク王子の部屋に入る。
「私をどうするのか……父との相談はまとまりましたか」
ファルク王子は憂鬱そうな視線を私に向ける。この人も本当の気持ちを私に言ったりはしない。だけどもそれは仕方がない。私も嘘まみれだ。
「殿下。貴方の病の程度は私には解りかねますが、馬車で出掛けて帰って来るくらいの事は出来るとお見受け致します。海に出ませんか? 奥様とお子様を自ら取り戻すのです」
王子は……驚いたように目を見張る。
「本当にそんな事が出来るのか? 私はフラヴィア達を迎えに行けるのか? まさか……いや。父が許すまい」
「貴方がただフラヴィア様が恋しくて船に乗ると言い出せば父君でなくても止めるでしょう。今は違います。フラヴィア様達はハマームに向かっていて、ハマームは安全ではありません。殿下が夫として父として剣を取り、家族を迎える為船に乗るのなら、誰がそれを遮る事が出来ましょうか」
「いつ……出発するのかね」
「準備が整えば、明日にでも」
こうして私は、ハマーム王ヤナルダウ家の王様と王子様にそれぞれ別の説明をした上、命を狙われている王子様を連れて宮殿を出るという冒険に出発する事になった……或いは今夜中に逃げ出そうか。




