ジェラルド「出て来ねェな……フレデリクも戻って来ないけど大丈夫でゴザルか」
またしてもノリと思いつきでとんでもない所に紛れ込んだマリー。
そして何を企むトリスタン。アイビスでは指名手配犯です。
宮殿は外から見ても大きかったが、中に入っても広い。
異国の宮殿に不審者として突入した私。見つかったら死刑だろうか。嫌だなあ。
そしてこの状況。私は今トリスタンを追いかけている……あのアイリの元師匠にして悪人顔のトリスタン先生だけが私の頼りである。置いて行かないで先生。
大きな階段、広い中庭、見事な彫刻、花壇に咲き乱れる花……
今の所、この街はわりと平和なのかもしれない。
アイビスとの戦争は終わり、緩衝地帯のナルゲスには、ターミガンが海軍を置かない代わりにアイビスが治安活動をしている。
フェザントとは休戦状態だと。正式な講和は成立していないのでお互いに寄航を禁止しているが、ハマームは独自に商船のみ受け入れている。
でもこの宮殿の通用口の衛兵さんは、ちょっと弛み過ぎだと思う。
宮殿の二階。見事な中庭を見渡せるバルコニー廊下の途中で、トリスタンは一度足を止め、近くに立っていた衛兵さんに何か尋ねた。私も尋ねようか……いや、何を。
そんな衛兵さんの前を通る時は少しだけどきどきするけど、何も起こらない。
トリスタンは前にもここに来た事があるのだろうか? でも紹介状出してたよな。どうなんだろう?
ふと見ると、中庭に騒がしい様子の人が駆け込んで来る。衛兵さんの恰好をしているな。
何かの勘が働いた私は開いていた手近な扉の中に入った。納戸かな、暗くて狭いが、身を隠すにはちょうどいい。
中庭で、多分さっき駆け込んで来た衛兵さんが叫んでいる。
「不審者が侵入したかもしれない! 紹介状だと言ってこんな物を置いて行った!」
「この三十分の間に訪問した外部の者は、全員その場に留まれ!!」
「衛兵隊は中庭に集合! 近衛隊は王族を警護しろ!」
ターミガン語で言ってるから良く解らないけど私の事じゃないよね? 多分。
あ……アイビス語も聞こえる……
「何をする、無礼者め!」
あれは……トリスタンの声?
「お前は今入って来たばかりだったな!」
「ちょっと怪しい顔だと思ったんだ、取り調べさせて貰うぞ!」
こっちは衛兵さんの声? ターミガン語でよく解らないけど、あああ……トリスタン先生が連れて行かれてしまう、これで私、完全に孤立無援じゃないか、どうするんだ……
「私はデミレル師の古い友人だぞ、やめろ、離せ!」
デミレル師? 誰ですかね……デミレル……何かに書いておかないと忘れそう……だけどもう懐紙が無いよ。ちょっとその辺に紙きれは無いでしょうかね? こんな事なら二枚持ってくれば良かった。
そのまま数分ほど待つと、外の喧騒は収まった。まさか本当にトリスタン師の方が取り調べを受けているのだろうか。
ところで私はこれからどうしたらいいのだろう。トリスタンを追い掛けなきゃと思って宮殿に忍び込んだのに、そのトリスタンが捕まってしまうとは……私も取り調べ室に行こうか? いやいや……
そっと戸口から辺りを覗うと、さっき渡り廊下に立っていた衛兵さんも居ない……大丈夫かしら? よし、行こう。
私はそ知らぬ顔でバルコニー廊下を、さっきトリスタンが歩いて行った方向へ歩いて行く。そ知らぬ顔で……だけど頭の中はぐっちゃぐちゃだ。
ぎゃあああぁあ何やってんだ私、もうトリスタンにもついて行けないじゃん、ここどこ! 私どこに向かってんの! バレたら死刑じゃないのか! この状況どうすんのどうすんのどうすんの、ある意味サイクロプス号のマストのてっぺんより悪いよ!
バルコニー廊下の角を曲がった私は、さらなる驚愕に襲われる。そこは衛兵さんとは違う、きらびやかな制服を身につけた、多分近衛隊の兵隊さんが左右を固める、離れ部屋の入り口だった。
ここで引き返すのはおかしいし、おどおどしていてもいけない。何、何を言えばいい私、何か言え私! ああ……大人しく自首したら死刑は免れるだろうか……
「デミレル師の紹介です。こちらでファルク様にお会い出来るのでしょうか?」
私は思い切りアイビス語でそう言っていた。
「アイビスからの御客様ですな、伺っております。帯剣はこちらに……お持ちでないようで。どうぞ、そのままお進み下さい」
ファルクという人に会えたら、何か少し助言させていただいた方がいいような気がする。その……警備の問題点だとか……
ターミガン朝の王様とか王子様というものは、豪華な絨毯に座っていて、周りを半裸の女の人達と丸々太ったヒゲの大男に囲まれているものだと思っていた。
「……あなたは?」
風が通りやすいよう、いくつかの衝立で仕切られた室内。窓辺には簾が掛けられていて……とにかく、部屋は涼しく過ごせるような工夫で一杯だった。
部屋の中央にあるのはフェザント風のソファベッドだ……そこに、その。セレンギルさんにそっくりな、だけどよくみるとやっぱりセレンギルさんより少し若く、二周りくらい男前な人が居た。
「御無礼をお許し下さい、貴方がファルク殿下で御間違い無いでしょうか、私は重要な情報を携えて参りましたが、私が殿下と御会いするのは、恐らく初めてです」
私は絵本に出て来るような、恭しくもかっこいい……と思っている挨拶をする。
恐らく、と言ったのは、もしかして、もしかして万が一、実は海賊セレンギルはファルク王子だったというオチに備えてのものである……いやさすがにそれは無いけど。
「間違い無いと思うよ……近頃は自分でも自信が無くなってきたけれどね……皆が言う事が本当なら、多分私がファルクなんだと思う」
そしてこの人、とても弱々しい。外で見た時もちょっとそう思ったんだけど。生命力はセレンギルさんの十分の一くらいじゃないだろうか。パッと見はそこそこ背丈もある大人の男なのに。
「失礼致しました。私はフレデリク・ヨアキム・グランクヴィスト……フラヴィアさんは貴方の奥様だった方ですね? 彼女は今、二人の子供を連れて、ハマームに向かっています」
反応は劇的だった。
ファルク王子はカッと目を見開き、立ち上がると……少し貧血を起こしたかのように、頭を押さえ、ふらふらと三歩ばかりよろめく。その次に窓辺に駆け寄り……少々嘔吐なされて……膝をつき頭を掻き毟り……また立ち上がり……両掌を天に掲げ、ターミガン語で何事か謡い出す……
「これは私にとっては物語に過ぎない。しかし彼女にとっては命である。私はそれが許せない。この身を二つに引き裂いて分け与えられるものがあるならば何故それが出来ない事があるだろうか」
王子はターミガン語だから解らないのではなく、アイビス語で言われても解らない事を言っているような気がする。何となく。
「貴方はどこから来たのですか……高貴な方よ……」
あっ、いえ、高貴ではありません……あと出来ればこっちを向いて喋っていただきたい……私に言ってるのか何かに言ってるのか解らないし。でもアイビス語だから私だよな?
「ストーク王国。それから長い旅をしている途中に、フェザントのジェンツィアーナから乗船するフラヴィア様、カルメロ様、カメリア様と御一緒する機会を得ました。三人はロングストーンの商船フォルコン号に乗っていて、あと数日もすればハマーム港にやって来るでしょう」
思うに、これで私の仕事は終わりだよな……紆余曲折はあったけれど。あとはハマーム側の動きを見守って、それがあんまり不穏なようならフラヴィアさん達を港に降ろさず航海を続ける。大丈夫そうなら降りてもらう。
ほら! 任務完了ですよ!
あとはここからどう逃げ出すかと、アイリにどうやって針千本勘弁してもらうかだな。
「そうですか……」
ファルク王子は両膝をついた……あ、あの、王族の方が私共庶民の前でそんな格好して宜しいんですか?
「ついに……ついに私は死ぬ事が出来るのだね? そうなのだね……」
やめて下さい、人の仕事増やさないで下さいよ、今やっと終わったと思ったのに! ていうか何なのこの生命力弱いおじさん! ヴァレリアンさんより弱いな……
「私はもう、いつ死んでもいいのだ……父には見放され、次の王になる可能性も無い。まあそれは私にとっても皆にとっても、とても良い事なのだが。皆、私みたいな軟弱者が王では、困るだろうからね……」
それは、そうかもしれませんね。
「私の望みは最早……死ぬ前に一目……一目でいいからフラヴィアに……フラヴィアと子供達に会う事だったのです……ゴフ、ゴフ……病でどこへも行けず、ただ死を待つばかりだった私に……会いに来てくれるのですか、妻は……息子は……娘は……なんと酷い話だろう……私が……私が皆を捨てたのに……」
ああああ面倒くせええ! とか言うだろうな、ジェラルドが居たら。居なくて良かった。ていうか大丈夫かジェラルド? 先走ってセレンギルさん連れて来てたりしないだろうな。
どうする? 私、いやフレデリク君? この人も助けるの?
え? これでもカルメロ君とカメリアちゃんのお父さんなんだから助けるって?
「殿下にどのような憂いがあるのか私には解りかねますが、殿下の為に働く事は出来ます。フラヴィア様達の安全を守る事も。まず、私は殿下の友人になる事が出来ますか?」
「私にそのような事を言ってくれる人物に会うのは何年ぶりだろう……勿論ですとも。君が先にそのような友情を示してくれているのに、何を惜しみましょうか」
つきましてはあの、紹介状のような物をいただけたりしないでしょうか、この宮殿から安全に出られるようなですね……そのような話を、どうやって切り出そうか考えた瞬間だった。
「そのアイビス人を捕えよ、奴は友人では無い!」
外で大きな声がした。
ぎゃあああああああ!?




