猫「この街は一年ぶり……拙者知り合いに挨拶をして参る」
辿り着いてしまったハマーム港。それもフォルコン号より早く。
この街にフラヴィアさん達に対する危険が眠っているのか。
それをどう取り除く。
ハマームは内海の南岸では最も大きな街で、最古の歴史を持つ港の一つだ。
初めはグース人が建設し、その後フェザントやターミガンが奪い合ったり、独立したり……数奇な運命を受け入れて来た国際都市でもある。
商業も盛んだが学問も有名だそうだ。そして神学に於いても重要拠点だとか。フェザントとターミガンには大きな宗教の壁があるのだが、この街では様々な教会や神殿、寺院、礼拝堂が共存しているらしい。
現在のこの街はターミガン朝に属している。属してはいるが、この街にはこの街の事情があるし、この街が持つ力はターミガン朝を以ってしても完全に手懐けられる物ではないらしい。
アイビスやレイブンからの商船も、港には多数停泊している。フェザントの船だって居る。軍艦でなければ構わないという所か。
そしてターミガンの軍艦。目につくのは全長50mを軽く超える、漕手甲板を備えた大帆船が8隻……何という迫力だろう……私は危うくそれを口に出しそうになったのだが。
「死にそびれた旧式艦ってのも物悲しいもんだな。あの図体じゃ他に使いまわしも効かねえだろうし」
ジェラルドが教えてくれた。あの大型ガレアス船は今では無用の長物だとか……実際の今のターミガン艦隊の主力はより帆走速度が速く大砲積載量の多いガレオン船だそうである。
「生きて残ったものを悲しいとは思わないさ……こうして港に浮かんでいる事にも価値があるんじゃないか」
◇◇◇
「ハーミットクラブ号……アイビス船籍、船長はストーク王国のフレデリク氏、船員の国籍はめちゃくちゃ、積荷はパゴーニ産オリーブオイル……」
私の書類を手に首を傾げる、頭に布を巻き額に赤い丸を描いた真っ黒い服を着たおじさん。そう言う港湾役人のおじさんも何処の人かさっぱり解らない。その服、別に港湾役人の制服でも、このへんの民族衣装でもないよね?
少し困るのは、私がストーク人を名乗った瞬間から、この人もストーク語で話し始めたという事。私、ストーク語10個くらいしか知らないよ。
「港湾使用料はここ。サインはここ。宜しいか?」
「問題無い。宜しい。感謝する」
向こうも別にストーク語は得意じゃないようだ。人間、あまり嘘をつくもんじゃないと思う。
八月のハマームはさぞや暑かろうと思いきや、レッドポーチとたいして変わりなかった。私達が乗って来た北西風のせいか雲も多い。
私がボートで上陸する前後には、パラッと一雨降って来た。幸いすぐに上がったのだが、
「おい!? 雨だぞ!」「嘘だろこんな時期に!?」「大事件の前触れかなあ」
波止場の男達は空を見て騒いでいた。私にはこの辺りの言葉は解らない。後で聞いたらこの街で八月に雨が降るのは30年に一度くらいの珍事らしい。
私はとりあえず市場へ向かう。セレンギルさんにも通訳として来て貰う事にした。すると当たり前のような顔をして、ジェラルドもついて来る。
「ターミガンでの通訳なら俺だけでも良かったんだけどな。でももう一人くらい来て貰った方が便利だもんな。ああ、解るぜ」
「いや……ジェラルド、君こそ別について来なくてもいいんだぞ?」
「おい何だ、いきなり冷たくなったじゃねえか」
「同じ事を何度も言わせないでくれ、君は結局、ハマームに行って何をするつもりなのか言わなかった。君が内緒にしているのに、何を手伝えばいいんだ」
私はこの男をハマームまで連れて来た。ジェラルドがこれ以上の手伝いを必要としていないのなら、私の仕事はこれで終わりだ、あとはイリアンソスに帰ってフォルコン号が戻るのを待てばいい。
「言ったじゃないか。この街には確実にフラヴィアお嬢さんやカルメロ、カメリアの命を狙う奴が居るんだって」
「そこまでは聞いた! それでどうするんだ。そいつらを全部退治するとでも言うのか? それとも何か起こる前にフラヴィアさん達を強引にでも連れて逃げるのか?」
ジェラルドは一度視線を逸らしてから、真っ直ぐに私を見た。極めて真剣な……怒りを秘めたような眼差しで言った。
「いいか、フレデリク。俺には……思案が無ェ!」
一匹の水色のトンボが、私とジェラルドの間を通過して行った。
「ここまで来て隠し事か! ならば僕は君を見放したフリをしてこっそり後をつけ、勝手に手伝う事にするぞ!?」
「後生だから信じてくれ! 俺がお前の、いやマリーの船に乗り込んだのは、とにかくフラヴィアお嬢さんには今すぐ護衛が必要だと思ったからだ、あの時点ではフォルコン号の乗員も信用出来なかったからな、それ以外の思案は無ェ! そして……」
ジェラルドは幅広の剣を鞘ごと剣帯から外し、右手に持つ。
「今も思案は全く無ェ! お嬢さんより先にハマームに辿りつけたのは良かったぜ。なあ、俺は誰をぶん殴ったらいい? どうすればお嬢さんは安全にフェザントに帰れると思う? お前はどう見ても俺より知恵がある。マジで教えてくれ、俺はどうすればいい!」
「船長……あの……このお人は……何の話をしてるんでやすかい……?」
セレンギルさんも目が点になっている。この人は私達の事情を何も知らないはずだが、ジェラルドの言ってる事が目茶苦茶だという事くらいは解るのだろうか。
「ともかくオリーブオイルを売ろう。少し資金を増やして、それから始めるか」
商品の売却には仲買を頼んだ。手数料は取られるが慣れない港で右往左往する時間が惜しい。こういうのはアレクに習った。幸い売却益は悪くない。
帰りの商品もいいのが多いんだけどな……胡椒はこの街でも売っていた。だけど利権を持った商人以外は卸値で買う事が出来ないのか、とても高い。
お金を持った私は、一旦船に戻る。
時間は正午くらいになっていた。
私は水夫達とジェラルドを、下層甲板に集める。
「まず……出会いはオズディルの追い剥ぎだったけど、皆ここまで良くしてくれてありがとう。オリーブオイルを売って得た利益の一部を分配する。これは君達の正当な労働の対価だ」
私は六人の水夫に均等にいくらかの銀貨を配る。
「さて……これからだ。知っての通りこの船は非合法に運用されている。だけど君達は船から降りてしまえば海賊罪には問われない。君達はここでまともな船に乗り換えてもいい」
「船長……?」「フレデリク船長!」
「まあ待て。これからもこの船に乗りたいというのならそれもいい。だが今は全員に退職金を分配する。まずは受け取れ」
私はさらにいくらかの銀貨を、水夫達に分配する。
「それはもう君達の金だ、それから僕らは少し厄介事を抱えていて、解決の為の手掛かりを探っている。そして誰かが手伝ってくれたらとても助かる」
私はいくつかの頼み事を託し、水夫達をハマーム港に解放した。
「一人でも帰って来ると思う?」
「お前、何で情報に賞金を掛けなかった?」
私が水夫達に頼んだのは情報集めだ。謝礼は特に提示しなかった。つまり、彼らには情報を集めてここに戻って来るメリットが無い。
何でそうしたのかは解らないけれど、とにかくフレデリク君はそうするのだ。
「さて、乗組員がもう一人……いや一匹居たな」
「あの猫か? あいつなら水夫達と一緒にボートで波止場に降りて行ったぜ。つれねェ奴だよ、お前と一緒にサイクロプス号に殴り込みに行った仲なのにな……なあ、アイツは何で船に乗ってたんだ?」
何と……もうお別れなんだろうか。
いや、何となくだけどそうではない気がする。何となく。
「僕らも行こうか。フォルコン号が来るまでただ待ってるのは勿体無いよ」
ていうか、ハマームにフォルコン号が来てアイリに見つかった場合、私は針を千本飲まされて死ぬと思うので、そこが事実上のタイムリミットかもしれない。




