便箋「あの、ぼくこっちの封筒じゃないと思うんですけど」
レッドポーチ名物なの? 現れた風紀兵団。
でもちょっといつもと様子が違う。
野良猫の目で、逃げ道を探るマリー。
私は周囲を見回す。背後には水運組合の建物。建物は低い丘の頂にあり、数段の緩やかな広い階段だけが出入り口になっている。風紀兵団の二人はそこに立っている。これはつまり、ほぼ袋小路。
「待って下さい、話を聞いて下さい、どうか辺りを見回すのをやめて下さい」
「今日は追い掛けに来たのではないんです、お願いがあって来たんです」
建物の周りは? 庭と言う程ではないけど立ち木が数本あって、その向こうは石垣になっている……向こう側に飛び降りられるだろうか? ここからでは高さが解らない。
「違うんです、あ、そうだ、朝食を提供します、その……港の露店で何か買ってあげますから、この季節は美味しい川鱒の串焼きが食べられますよ」
「し、失礼だぞ同志、すみません、朝食よりお菓子ですよね? 粉屋通りに評判のビスケットを焼くお店があるんですよ、甘い砂糖をかけて白く焼き上げるんです」
「ちょっとそこを開けていただけませんか、間を抜けて逃げたいんですけど」
「待って下さい、どうか話を聞いて下さい、ヴィタリスのマリーさん」
「今日はうちの隊長の事なんです、貴女を捕まえに来たんじゃないんです」
私をヴィタリスのマリーと呼ぶ……どういう事でしょう?
話し始めてすぐに解ったのは、このお二人は一か月前、トライダーと共に私を助けてくれた人達だという事だった。最初にそれを言えばいいのに。
彼等はトライダーの直属の部下だったのだが、トライダーが降格した為部下ではなくなった……だけど万事につけ自分達を導いてくれたトライダーを今でも尊敬していると。
「そのトライダーさんが軍紀違反を理由に自首してしまって……もうすぐ正式な裁判が始まるんです」
「でも、トライダーさんの軍紀違反の理由だという指名手配犯は、今では嫌疑が解けているんですよね?」
私がそう尋ねた途端。二人の鎧兜は随分驚いた仕草を見せた。
「えええっ!? そうなんですか!? じゃあトライダーさん、何で裁判にかけられるんですか!?」
「トライダーさんが逃がしたっていう指名手配犯はもう指名手配犯じゃないんですか!? どうしてマリーさんはそんな事知ってるんですか!?」
ここは波止場近くのベンチ。水運組合の前では咄嗟の時に逃げられないので、私はここに移動して貰った。念の為、二人にはベンチに座ってもらい、私は立ったまま話を聞いている。
私が風紀兵団に助けを求めたのもちょうどこの辺りだったっけ。
「えーと……確かどこかでそんな噂を聞いたような気がしますー」
私は視線を逸らす。どうもこの二人は、私が今は船長をやってる事すら知らないらしい。勿論、私がブルマリン事件にちょっとだけ関係している事も。私はただの、ヴィタリスの町に住むお針子見習いのマリーなんだろう。
「お、思い出してはいただけませんか、大事な事なんです」
「え……ええーっと、官報で見たかなー……ナントカ商会の人? の詐欺の疑いは晴れたって」
私はもちろんそんな官報など見ていない。つい先日、退役中将から間もなく司法局の通達があると聞いただけだ。ちょっと口が滑ったかも……?
「白金魔法商会じゃないですか!? 白金魔法商会のフェヌグリークさんですよね!?」
「確か……そんなだったかなー」
二人の鎧兜が背中を丸めた。
「良かった……これで少し希望が出て来たかな……」
「油断は出来ないけど……一時はもうダメだと思ったもんな……」
大袈裟だなあ。アイリに罪が無い事が解ったんだから、大丈夫でしょ。
「大丈夫なんじゃないですか? 手配自体が誤解だったんですよね?」
「騎士の世界はそんなに単純じゃないんです……昔は軍紀違反を理由に、立派な手柄を立てた自分を処刑した人も居たんですよ」
「トライダーさんもどちらかというとそういう感じの人だから……心配なんです」
この話、そろそろお開きにしていただくわけにはいかないでしょうか……居心地が悪くなって来たなあ。
トライダーがそういう短気を起こさないようにと思って、あの時、いらない煙管を投げつけてやったんだけど……それ以上の面倒を見るのはちょっと。
「あの、それで……私に何をして欲しいんですか?」
「はい! あの、手紙を書いて欲しいんです、あっ、良かったら私が代書しますから、出来ればトライダーさんと裁判官の両方に一通ずつですね」
「……陳情書みたいなのを書いたらいいんですか……?」
「おっしゃる通りです! 裁判官にはトライダーさんは悪い人間ではなく、風紀ある市井を守る為どんなに頑張っていたかを、トライダーさんにはそうですね、あの人かなりマリーさんに拘っておられましたので、トライダーさんが捕まえに来てくれないと寂しいなどと書いてはいただけませんか! どうかお願いします!」
私は何度も、後で書いたのを持って来るからと言ったのだが、風紀兵団の二人は私がまた逃げると思っているらしく、しつこく食い下がって来た。
立派な鎧兜を着た大男が二人、小娘相手にペコペコしているのがだんだん気の毒になった私は、開いてる所なら何でもいいという理屈で、水運組合の事務所に戻って行った。勿論二人もついて来る。
「あの、良かったら私が代書を……」
「……字ぐらい書けますから結構です。手紙を書く間は離れていて下さいね」
グリックさんはまだ来ていなかったが、例の役人さんが代わりに売ってくれた便箋を使い、私は二通の手紙をしたため、別々の封筒に入れて封蝋を押す。
「あの、裁判官宛の封印は念入りに御願いします、そうでないと証拠として採用されないので……すみません」
遠巻きに見ていた風紀兵団が言う。はいはい……
私は最後に、二枚の封筒の裏面に丸っこいふざけた文字で『ふ゛ぃたりすのまりい』と書いておく。これでよし。
「どうぞ。これでいいですね?」
私は二人に、裁判官宛の陳情書とトライダー宛の手紙を渡す。一応トライダー宛の方にも封蝋をつけておいた。
「あ、ありがとうございます!」
「私共は急いでこれを届けなくてはなりません、申し訳ありません、今日はこれで失礼致します!」
それは良かった。ついでに私も養育院に連れて行くと言い出したらどうしようかと思った。とにかく本当にこれ以上の面倒は見きれませんよ、トライダーさん。
旅籠に戻ると、ウラドが一人で朝食を摂っている。皆はまだ寝てるのか……もうじき8時なんだけど。
「おはよう、さすがウラド、あんまり飲まなかったのね」
「おはようございます船長。昨日はすっかりご馳走になりました」
いつにも増して丁寧なウラド。やっぱりちょっと気の毒だったかなあ。周りに聞かせてるんだろうな。私、見た目は怖いけど大丈夫ですよ、紳士ですよと。
私はウラドの前に座り、給仕さんに合図する。
「麦湯をください」
この服の時は声を掛けないと、向こうからは来ないな。
「朝食は済ませたのではなかったのですか?」
「済ませたけど、朝から水運組合に行って来たから……一緒に一休みさせて」
私みたいな小娘がウラドの向かいに座って麦湯でも飲んで寛いでいれば、周りの人々も、あのオークは大丈夫なんだと安心するだろう。そうすればウラドも、安心して朝食を楽しめる。
ぐうたら共は9時過ぎになってようやく降りて来た。彼らに遅い朝食を摂らせ、やっとの事で出発である。私も再度真面目の商会長服に着替える。
この後は出航までやる事がたくさんあるので、普通に手分けして動く事にした。私とアレクは市場へ商品の仕入れに、食料や資材の調達はロイ爺とアイリに行って貰う。不精ひげは運搬の手配、ウラドはやはり船の方で積載の準備をしてもらう。
オレンジは昨日宿屋で聞いた通りだった。この辺りのオレンジは生産のピークを過ぎつつあり、程好く青い実を探すのに少し苦労した。
「満載には少し足りないかしら?」
「うーん、船足の事もあるしこのくらいでいいかも」
ロイ爺とアイリ達は保存の利きそうな食材を色々と仕入れて来た。
「竈が二つあるから色々出来るようになるわよ。今まで鍋一つで作れる物しか無理だったでしょ」
「いや……会食室がゴミ溜めで料理そのものが出来んかったぞい……」
不精ひげは荷積みの手配をして戻って来た。
「手前の桟橋につけてもらえたから、人手も少なく済んで経済的だな」
ウラドが荷揚げの最中に言った。
「使い易いテークルだ……荷物の上げ下ろしが捗る」
仕入れから出航準備までの時間もだいぶ短縮されてしまった。あんなに遅く動き出したのに午後1時、出航準備は全て完了してしまった。
さあ、皆が待っている。この瞬間がたまらないなあ。
ありがとうお父さん。貴方の船は陛下に召し上げられましたが、代わりに貴方の名前のついたこんな素敵な船に乗る事が出来ました。天国か地獄か知りませんが見守りは不要ですのでどうぞ安らかにお眠り下さい。
キャプテンマリーの制服に着替え、私は颯爽と艦長室を出る。
「抜錨です! 不精ひげ君!」
「抜錨~」
こっちがせっかく格好をつけてるのに、不精ひげは間の抜けた声で錨をキャプスタンで巻き上げる。
「フォルコン号、出航! 行き先は南南東へ1200km、ナルゲス港!」
「アイ! キャプテン!」
今日も7時方向の風に恵まれ、フォルコン号は鋭く加速して行く。今回も御願いしますよ、どうか天気が味方でありますように。