不精ひげ「信号旗なら下層甲板の物置の一番下の箱のエールの空き瓶の下にちゃんとしまってあるぞ」
ジニアを出航し南へ向かうフォルコン号。
その後方に艦影が。またですか?
フェザント半島を迂回する為、南南東へ。イビスコ島と半島の間にあるロート海峡まで350kmくらい。最も狭い所で3kmしかないその海峡は、フェザント海軍に警備されている。
もし東へ行きたいのに、ロート海峡を避けイビスコ島を迂回すると500km余計に航海しないといけない。
サイクロプス号がどこへ行くのか知らないけれど、出来ればもうお会いしたくない船だ。
コルベット艦がついて来るような……いやまあ、この辺りは内海でも一番交通量の多い場所らしいし、東へ行くならどんな船でもこのコースになるんだろうけれど。
夜が来て朝が来て、もう一度夜が過ぎて……ロート海峡を通過する時も、コルベット艦は後ろに居る。
だけどロート海峡の辺りでは、風は南風、ほぼ逆風になっていた。こっちも別にやましい事がある訳ではないけど、ここで振り切れないかしら……
「不精ひげ! もっと飛ばして!」
「じゃあ順風にしてくれよ」
「それだとあのコルベット艦も加速しちゃうじゃん」
「そうか……じゃあもっと風を強くしてくれ」
「……つまらない事言ってないでキビキビ操帆して!」
姫ドレスが手に入ったので、バニーガールにならなくて済んだのは有り難い……カルメロ君とカメリアちゃんの前であの格好するのは人としてどうかと思うし。
ロート海峡を通過し、東へ。普通の船は沿岸航路を行くものだが、うちは急ぐので内海を突っ切る事になる。
コルベット艦は逆風のロート海峡で少し遅れたようだが、東へ直行するフォルコン号について来た……何だと言うのか。停船して話を聞こうか。でも特に信号も出してないしなあ。
風は南風。このままだと3時方向の風、小型化したフリゲート艦とも言える、順風に強いコルベット艦がやや有利かもしれない。
「このまま飛ばすのよ! 帆をしっかり調整して最大の速度を出して! 不精ひげ!」
「なんかいつもと雰囲気違うな船長」
私は姫ドレスで指示を飛ばす。なんだろう? 乙女小説に出て来る脇役の意地悪なお嬢様みたいな感じ? そう思うと少し楽しくなって来た。
その日の夜。
「船長が変わってから、雨が降った事がほとんど無い気がしないか?」
甲板で不精ひげがそう言った。確かにあんまり記憶に無いけど……別段どこでも旱魃の話などはあまり聞かない。
そんな話が出たのは何故か。どうも雨が降りそうだからだ。夏らしい入道雲ではなく、低く重なった雲が幾つも流れて来る。月も無いものだから周りの頼りない事。
「こわい……あおおにちゃんも一緒に来て」
「私はその……客室に入る訳には」
カメリアちゃんが一人で青鬼ちゃんを呼びに来た。まあ怖いよね、船の外の様子が全く見えないのだから。お母さんとお兄ちゃんは寝ちゃったのかしら。とりあえず、アイリが客室に連れて行ったようだ。
「ああ……降って来た」
姫ドレスの欠点は、ちょっとこれで高い所に行くのは恥ずかしいという事だ。バニーガールにまでなっておいて今さら何だという気はするけれど……それに雨に濡らすのは嫌だ。
そうだ、バニーガールでいいや、カメリアちゃんももう寝ただろうし。
私は素早く着替えて、マストに登る。船酔い知らずも雨には無力ですが、他の誰かに頼むよりはマシだ。
とは言え、夜中で雨で雲も厚いとなると、視界は極めて悪い……船にはたくさんのランタンをつけているけれど、海を遠くまで照らすのは無理だ。
フォルコン号備え付けの海軍の望遠鏡は、こんな夜でもそこそこ遠くまで見える。この『夜でもちょっと明るく見える望遠鏡』は普通に魔法の品物らしい。白金魔法商会でも作っていたとか。めちゃくちゃ明るい訳ではないが、気持ち、明るい。
「行く手に船影は無し……ですよね?」
私は甲板に降りて、青鬼ちゃんの舵を代わっていたアレクに声を掛ける。
「11時方向に何か居るよ! もう300mくらいのとこに居て南に向かってる!」
「まずいや、船鐘鳴らして来て!」
私はフォルコン号備え付けの鐘を鳴らし、返事を待つ……聞こえない。
「聞こえてるかなあ」
「この雨だしどうだろう……」
私はアレクに望遠鏡を渡す。アレクもそれを見た。
「よく見えないけどキャラックくらいかな……三本マストだ」
「この天気でみんなを起こして対応するのも何だし……避ける? 念の為」
「……気持ち悪いもんね、そうしよう。船長が舵やってくれる?」
このくらいならもう私とアレクだけでも対応出来るのだ。私は北北東に舵を切る。アレクは帆を操作する。風下側に流れるだけなので、どうという事は無い。
問題の船は向かって右側に居て、右側に進んで行く形になった。これで大丈夫。あとは適当なタイミングで進路を東に戻せばいい。
「ああ……すまない船長、舵を代わろう」
客室の前で接客をしていたウラドも帰って来た。すみませんね、武骨な私は接客業には向いていないようでして。そう思いつつ、振り返ると。
「うさぎさん……」
そこにカメリアちゃんが居た。操舵に戻ろうとした青鬼ちゃんを結局追い掛けて来たらしい。
何故かアイリに怒られた。
「だめよー子供の前であんな格好してちゃ」
「お姉さんが作って売ってた服なんですけど……」
夜半過ぎ。ようやくカメリアちゃんも眠れたようだ。いくら船酔い知らずを着てて揺れがなくても、外の様子がこんなじゃ心細いよね。甲板を打つ雨音はどうにもならないし。
「とにかく、アイリさんも寝て下さいよ、私も寝なきゃ……あーその前にロイ爺とカイヴァーン起こさないと」
「男共が起こせばいいでしょ! 何でもやろうとしなくていいのよ……ゆっくり寝なさい、船長も」
アイリさんは優しく、そう言ってくれた。
翌朝早く。私はアイリに叩き起こされた。
「起きて!! 起きなさいマリー!!」
寝台ごと引っくり返される勢いで起こされた私。何!? 何事!?
念の為、バニーガールのままで寝ていた私を、アイリはそのまま艦長室の外に引きずり出す……勘弁して下さいよ……まだ日も昇ってないよ……下弦の月が、分厚い雲間から顔を出して、朝霧をぼんやりと照らしていて……
朝霧の中……
右手やや前方200mに艦影……並行して東へ行く……サイクロプス号……
左手やや後方200mに艦影……並行して東へ行く……コルベット艦……
見事に挟まれている、フォルコン号……
いつの間にこんな事に!?
コルベット艦のマストに、するすると旗が揚がって行く……フェザント海軍旗ですね……概ね、「ぶちのめすぞ」の意味。
サイクロプス号は信号旗を振ってる……「救助求む」……は?
コルベット艦……「今すぐ止まれ」……あの、うちに言ってるんじゃないですよね?
サイクロプス号……「F、救助求む」……ちょっと待て!!
「信号旗! うちの信号旗どこ!」
「なんでそんな大事な物、すぐ使えるように整理してないの!?」
コルベット艦……「F、止まれ」……違います! うちはサイクロプスとは無関係!!
サイクロプス……「F、がんばってね」こらああああ!!




