役人「あれがスループ艦の艦長だそうで……」ヴェラルディ「すげえなアイビス超ウケる」
水夫「知り合いですか艦長?」
ファウスト「んー、命の恩人」
「ま……俺が起きて操帆してたら、それでも抜かれなかったとは思うけど」
そんな事を嘯かれては上司としては絶対に出すまいと誓っていた、手が出る。私は不精ひげの背中を引っ叩いていた。
「そういう負け惜しみは起きて操帆してから言いなさいよ! くやしぃぃい~」
もしかしたら、私が余計な操帆をしない方がまだ速かったかもしれない。思えばこれは私が海に出てから、初めての敗北ではないだろうか……船酔いを別にすれば。
「こんなフェザント近海を堂々と航海してるとはね……」
「あれより小さい船はフリゲート艦に勝てないし、あれより大きい船はフリゲート艦に追いつけない。手に負えないんだろうな」
アレクと不精ひげはそんな話をしている。悔しいのは私だけなのが余計に悔しい。
◇◇◇
それから三晩……フォルコン号は順調で単調な航海をして、ジニアへと辿りついた。その間にもいくつもの港があったが、あまりあちこちに寄る時間は無い。
ロイ爺がこの先の予定航路の事を教えてくれる。
「ここジニアの次に寄るのがイリアンソスじゃ……イリアンソスは内海の島国で現在はターミガン朝の支配下にあるが、フェザントの一部だった事もあるし、別の国だった事もある」
「何だか難しそうな所ね」
「ホホ、なあに、猫だらけののんびりした港じゃ」
ここを離れればしばらくフェザントは見納めだろう。フラヴィアさん達はなるべく長く上陸していたいのではないかと思いきや。
「お気遣いありがとうございます……ですが長居しますと離れるのが辛くなりますわ。幸い皆さんとても良くして下さってますし、なるべく船の中で過ごそうかと」
そういう訳でジニアでは最低限の取引と補給だけする事になりそうだ。港湾を挟んだ向かいに見事な山のある、美しい港なのに。時間があれば二、三日見て回りたかった。
時刻は午前9時。時計はもうフェザントの時間に合わせてある。
港湾役人がやって来たのは、アレクとロイ爺が取引に出掛けて不精ひげとウラドが荷降ろしを半分終えてアイリがフラヴィアさん達と気分転換の散歩に出掛けてからだった。おかげで私がどこにも行けなかったじゃないか。
「何とこの可憐なお嬢さんが! 船長さんでしたか、いやーこれは驚きました! 長年港湾役人をしておりますが、こんな事は初めてです!」
私が船長を始めて二ヶ月弱だけど、こういうテンションの港湾役人さんは初めてだった。ウケを狙ってお姫ドレスで応対したからかな。なるほどこれがフェザントの男ですか、お世辞が上手い。
悪い気はしないけど、これを言ったらどうなるかなあ。
「あの……ジェンツィアーナから来る途中、サイクロプス号を見たんですが」
「サイクロプス……何ですと!? 申し訳ないが、詳しくお話を伺わないといけません。事務所まで御足労願えませんか」
案の定、その一言で歓迎ムードのようなものは吹き飛んでしまった。
ロイ爺なども居ないので一人で行こうかと思っていたら、カイヴァーンがついて来た。大丈夫? 貴方フェザントでも手配されたりしてない?
そして事務所に来て欲しいと言うから港湾役人さんの詰所のような所を想像していたのだが……案内された先は海軍の建物の三階だった。
「フェザント海軍のヴェラルディだ。御足労をかけてすまない」
そこは重厚なインテリアを贅沢に配置した、謁見室のような場所だった。
そしてその黒髪黒髭の逞しいおじさんは、偉い人オーラをむんむんに漂わせている……私は完全に着てくる服を間違えたと思う。
正直、目の前の偉い人、ヴェラルディさんも困っているように見える。片方はヒラヒラのワンピースを着たアイビス人の小娘、片方はぼさぼさ髪の浅黒い少年。どちらがフォルコン号の船長でしょう?
「私が船長のマリーです」
手間を掛けては申し訳ないので、私はそう言って説明を始めた。
「……無事で済んだのは幸運と言うしかない。奴は海賊だ、スループ艦は奴にとって垂涎の獲物だったと思うのだが。何か急ぐ訳があったのかもしれん。次に見掛けたらすぐに風上に逃げる事をお勧めする」
私がサイクロプス号に追い越された事を説明すると、ヴェラルディさんは眉間を顰めてそう言った。次からはそうします。私はそんな危険な船を相手に自分の操帆術を試していたのか。
まあしかし……さすがにそこまで白状する訳には行かないが、彼らがフォルコン号を襲わなかった理由には少々心当たりがある。私達は一度、その賞金首の命を救ってしまったのだ。
「教会に爆弾を仕掛け枢機卿を殺害し、恐れ多くも国王陛下の御召船を砲撃するような男だ。暫くフェザント近海には現れなかったのだが……戻って来たのか」
ひえっ……あんなニコニコしてる人がね……人は見掛けによりませんねぇ。どうした私の人物眼、ぜんぜん駄目じゃん。
サイクロプス号の様子、乗っていた人数、どの辺りで現れてどこまで併走したか、艤装や損傷の有無、帆の様子、その他……ヴェラルディ閣下の質問は多岐に渡り、私は覚えている範囲の事を話した。
一時間を越える質問攻めの後で、私達は解放された。
「海賊って風にも見えなかったのにな。難しいや」
帰りがけにカイヴァーンがそう呟いた。私の気持ちを察してくれてるのかな。
「ぐるぐる巻きにされて砲丸と一緒に海に突き落とされる時にも笑ってたよね、あの人。科学とか好奇心とか言って」
「あんな海賊居ないよなあ」
カイヴァーンから見ても、あの男は海賊っぽく無かったという事か。とは言え海賊らしさって何でしょうね。
ちゃんと聞いた事は無いけど、海賊には海賊のコミュニティがあるっぽい。海洋商人に水運組合があるように、海賊にも海賊組合があったりするのかな?
聞いてみようか……いや、やめよう。カイヴァーンはもう海賊じゃないよ。うちの家族だ。
船に戻ると、アイリ達ももう戻っていた。
「元々、街を散歩するような事はしない人達なのかもね。まあ少し本や図鑑も買い足して来たから。乗船料の分はおもてなししないとね」
世話好きなお姉さんが居て良かった。私も決して世話嫌いじゃないんだけど……子供達はあまり近づいて来てくれない。船長さんは偉いから近づき辛い? まさか。
ロイ爺とアレクも戻って来た。ジニア周辺は農業も盛んなようで、オリーブ油や小麦が売れるのか少々心配だったが、フェザント人は食べる事が大好きで、北部の小麦、北部のオリーブ油は地元の物ときちんと区別して考えているのだとか。
「イリアンソスにはジュースでも持って行こうかと。一口飲んでみる?」
アレクが小さなカップを差し出してくれる。少し喉が渇いていたので受け取って一口ぎゃあぁぁあすっぱぁぁいぃい!!
「レモン果汁だから水と蜂蜜で割った方がいいけど」
「何してくれるんですか!!」
「野菜不足の船乗りの体には良いと、昔から言われておるのう」
「ロイ爺も! 見てたなら言ってよ!」
そして午後。ジニア港を出発するフォルコン号。さらばフェザント……帰りはゆっくり寄れるといいんだけど。
私達が出航するのと同じタイミングで、二本マストのスマートな船が出航して来る。フェザント海軍の船だな。大きさはうちと同じくらい。
艦首をまっすぐこちらに向けていて、艦名は見えない……方向が一緒なんだろう。先に行ってもらおうか? まあいいや、こっちも急ぎだし。不精ひげが、ロイ爺が呟く。
「コルベット艦だな。フェザントでは珍しい」
「なんかついて来るみたいで嫌じゃのう」
「偶然じゃない?」




