マリーの航海日誌「ウラドにも負けた感あるし今日は散々ですよ、もう」
旅客業始めました! フォルコン号。
名物はお姉さん魔女が艦内で作る料理と女の子船長、かと思いきや。
暫くは半島に沿って南東に向かう事になるだろうか。
今積んでる商品を売る事だけ考えるなら、ナルゲスへ行くのがいいような気もするんだけど……まあ、ちょっとあの辺りへ行くのは暫く遠慮したいし。
「ジニアに寄るのね?」
「お客さんにもちょうどええじゃろ」
およそ800km先、半島南部の大都市ジニアなら、今積んでる物も損しない範囲で売れるかもしれない。そしてそこはまだフェザントだ。フラヴィアさん達も気が休まるだろう。
風は3時方向から……南西の風、向きは悪くないけど風が弱い。
「扱い易いいい風なんじゃが、急いでる時には頼りないのう」
「この辺りはいつもこんな感じなの?」
「夏場は特にそうじゃな」
日が落ちて来た。アイリは厨房へ行っている。当分の間、アイリさんにはなるべくフラヴィアさん達と同じ時間に寝起きして貰う事にした。そして私とロイ爺が夜半直を持ち合う。接客的な仕事はこの三人でやろうという考えだ。
後の水夫達には運航に集中していただく。少しでも早く前に進んでいただかないといけないのだ。
カイヴァーンも操帆に参加している。おかげでロイ爺があまり力仕事をしないで済むようになったようだ。
夜が来て……深夜二時頃までは私が起きている。今は満月に近い月が出ていてとても明るい。フラヴィアさん達は眠れてるかなあ……フォルコン号での初めての夜だ。少しでも寛げているといいんだけど。
真夜中に起きて来たロイ爺と交代して、私は艦長室で眠る……もう寝る時は父のチュニックで大丈夫になった。
そして翌朝九時。身支度を済ませた私はキャプテンマリーの制服で艦長室を出る。
「お、おはよう船長」
「おはよう……ウラド……」
「あおおにちゃん! ぜんしん! ぜんしん!」
海の上では色々と想定外の事が起こる……それは知っていたけれど、二日目にしてこの光景は想定していなかったな。
何があったのかは知らないが、カメリアちゃんはウラドが大層気に入ったらしく、肩車に乗ってあっちへ行けこっちへ行けと指示を出している。
接客を任せたはずのロイ爺は舵を取っていた。
「わしより青鬼ちゃんや太っちょの方がええんじゃと……」
ロイ爺は舵を手に萎れている。カルメロ君の方は甲板でアレクとカード遊びに興じているようだ……操帆は誰が? 不精ひげは寝てるのか? ぼさぼさは甲板に居るけど索具にもたれて居眠りをしてる。
「これ、絶対三週間は無理でしょ」
「出発して12時間経つが100kmも進んどらんの」
「それじゃどこにも寄港出来ないじゃん……」
そんな事を話していたら。ロイ爺が、居住まいを正して言った。
「実際、無理なんじゃと思う。それにフラヴィアさんは間に合わなくていいと思っているのではないかのう……わしはそんな気がするんじゃ」
爺ちゃんの勘は当てにならない事も多いが、今回は私も同感だ。とは言え金貨10,000枚は欲しいし……こちらは仕事を引き受けた身だし。やはり最善は尽くすべきですよね。
八月に着るキャプテンマリーの制服は少し暑い。上着を脱いだらいいんだけどそれでは何か恰好が悪い。だめだめ、お洒落は瘦せ我慢ですよ。
幸いな事に、風は少し募って来た。
私は見張り台に登る。この辺りはいわゆる太い航路だ。時々すれ違う船などもあり、互いに手など振っている。
先日の航海では先行するキャラック船に追いついたっけ……そんな事を考えていた時だった。後方に帆影が見える。こちらに向かって来ている……という事は。
「甲板……!」
そう言いかけて私は躊躇する。今はお客さんが居るんですよ、恥ずかしい事は言えませんよ。
私はマストを降りて、ロイ爺の所に行く。
「ロイ爺、後ろから来てる船に追いつかれちゃうよ! いくら何でも遅過ぎ!」
「何と? 船型は何じゃった?」
「ロットワイラー号とかに似てたかな……」
「……フリゲート艦でこの風なら、普通にわしらより速いかもしれん。ただ……フリゲート艦だと間違いなく海軍じゃろうの……面倒にならんとええが」
「えー……この船より速い船って、居るんだ……」
「順風じゃとマストの多い高速艦には負けるじゃろうな。この船の真骨頂は逆風の時の速さで……ちょっと待った! だからと言って今逆風を吹かせてはいかんぞ」
だから! 私、風なんて操れませんてば!
「今は急ぎの旅じゃ、順風に越した事は無いからの」
3時方向の風は吹き続け……この風だと反対方向から来る船も走り易いだろう。これはロイ爺が言う扱い易いいい風なんだろうな。
だけど後ろの船がだんだん近づいて来るのは、ちょっと悔しい……こっちは世界一速い船だと勝手に思っていたのに。
「一……二……三……四……」
青鬼ちゃんは今度は隠れんぼをしているらしい。カルメロ君も参加しているようだ。何故アレクまで参加しているのかは解らんし、それなら何故私を誘ってくれなかったのかも解らん。正直ちょっとやってみたかった。
不精ひげは船員室で寝ているらしい。カイヴァーンは甲板で寝ている。帆は固定したままだ……もうちょっとちゃんと操帆したら、後ろの船に追いつかれたりしないんじゃないのかな……
アイリはフラヴィアさんとハーブティでも飲んでいるのだろうか、甲板にその姿がない。明らかに年が近そうだし、航海の暇を紛らわすには良いのだろうけど。
私が暇じゃないか。
「ロイ爺! 私が操帆するから指示して! 後ろの船振り切ろう!」
「まあ、暇つぶしにはええかもしれんの」
航海日誌によれば私が父の訃報を受け取ってからもうすぐ二か月。船長になってからは52日目。
操帆はだいたい不精ひげかロイ爺が中心となってやっている。両方居る時は不精ひげが指示しているようなので、あれがうちの掌帆長なのだろう。
私は彼等が帆を操るのをずっと見て来た。ただ、舵を持った事はあっても帆を操った事は一度も無い……帆の方が道具の取り扱いもずっと複雑だし、勘や経験も必要なのだ。
索具、滑車、キャプスタンにヤード……扱わないといけない道具は色々ある。
「絶対あの船を振り切ってやるんだから! 私の操帆術、見ててよね!」
二時間後。フォルコン号はあっさり追い越しを許していた。
三本マストのフリゲート艦が、フォルコン号に並びかけ……追い抜いて行く……
大型のフリゲート艦だった。片舷だけで16門の大砲が積んであるのが見えた。さらに艦首砲や艦尾砲もありそうだ。
その船体にはそこかしこに修理した跡があり……その船が良く言えば歴戦の勇士、悪く言えばヤクザな船である事を示していた。
水夫達は数も多く、動きも機敏だ。だけどどこの海軍でもないらしい。一応商船である事を示す旗を揚げてはいるものの、その艤装と人数で商船を名乗るのは無理がある。
そしてフォルコン号を追い越して行きながら。艦尾楼の上で、ファウスト・フラビオ・イノセンツィ氏が、にこやかに手を振っていた……
最後に、艦尾楼の後ろに小さくサイクロプスと書かれたレリーフが見えた。あれが艦名だろうか。




