少年「ぼく……花火を見たかっただけなの……」
私掠免許状とは! 国が発行する公認の海賊許可証である……
対象の敵国の船なら好き勝手に捕まえて身包み剥いでも許されるようになるのだ。
ちょっとアイビスを離れよう。パルキアから東へおよそ100kmでレッドポーチ。さらに100km行くとそこから先はフェザント王国だ。内海に飛び出した半島国家である。
国境からさらに100km進むとジェンツィアーナという街がある。そこはかなり大きな港町で、交易も盛んだそうだ。
私はアイリが着せてくれたワンピースをそのまま着ていた。このセットはお姫様ドレスとでも呼ぼうか……まあ私の頭の中での話なんだけど。
こんな可愛いのに船酔い知らずだよ! 食わず嫌いせずもっと早く頼めば良かった。
「本当にその格好で行くのか……」
「あんたは何でも笑うでしょ、不精ひげ」
4時方向の風を受け航海は快調……順風なのでやる事無し! という状態になった甲板では、ぼさぼさを除く水夫達や航海魔術師がくつろいでいる。
さて。この全然馴染もうとしてくれない新しい仲間、いや弟をどうしたものか。
「ほら、ぼさぼさ、おいで! 貴方いつまでその古い包帯巻いてるのよ!」
ぼさぼさは古い包帯を鉢巻のように頭に巻いていて、片方の目はそれに完全に隠れている。
「やめてくれ、この包帯きたないから」
「きたないなら、新しいのと取替えなきゃ駄目でしょ!」
「自分でやるからいい」
「やらないから言ってるの! ぼさぼさ!」
服だってぼろぼろのままだ。買ってやると言っても作ってやると言っても聞きやしない。その話になるとすぐに逃げてしまう。
だけど無理強いもしたくないんだよなあ。色々無理強いされて育って来た子っぽいし。ああ……風呂で洗って包帯も換えて新しい服を着せて髪の毛も切ってやりたい。
いっぺんだけ姉ちゃんって呼んでくれたんだけどな。あれも私に言ったというより、海賊に言った感じだったけど。
「ご飯は食べてくれるんだけどね……食事の時間になると太っちょより早く来るわよ」
アイリもそう言って苦笑いを浮かべる。
他の仕事がなくなると、とっくに綺麗になっている甲板や船室を延々掃除して回るカイヴァーン。清潔好きなのか清潔嫌いなのかまるで解らない。
夜が来て、朝が来る……この日は満月だった。少し雲は多かったけど概ね月明かりに恵まれ航海は捗った。夜半頃。私は父のチュニックを着て寝る。
翌朝。私はまた着替えて艦長室の外に出る。彼方に見える陸地はもうフェザント領だろう。順風だけどあまり風が強くないので、到着は昼頃になりそうだ。
前方に帆船が一隻見える。この辺りは太い航路だから、昨日も昨夜も時折商船や客船とすれ違ったりしたが……同じ方向へ行く船に追いつくのは珍しい。
中型のキャラック船でしょうか。向こうも勿論こっちに気づいているだろう。
「あの船に追いつけるかしら?」
「やっぱりそういう気持ちになるのう。ホッホ」
私は不精ひげとウラドに合図する。追い風の時は適当にしていても船は進むが、きちんと風を掴めばもっと速く進むのだ。
「……やるぞ、不精ひげ」「ウラドまでその呼び方かよ……」
不精ひげが文句を言いながら帆を、ウラドが真面目に舵を操る。
「追いつけ追い越せですよ……」
私がそう呟いて、望遠鏡で覗いた瞬間。
先行するキャラック船の甲板で何かが光り、炎と煙が上がった……
―― ドォォォォン !
そして少し遅れて音が轟いた!
「ちょっと、急いで、早くあの船に追いついて!」
「もう急いでるぞ」
フォルコン号が追いつく頃には、どうにか火災は消しとめられていたものの……キャラック船の船上は大変な騒ぎになっていた。
「海に投げ込め!」「死ねッ!」「吊るせ! 吊るせ! 吊るせ!」
船員や船員じゃない人がたくさん甲板に居て、とても怒っている……あのキャラック船は貨客船らしい。
悪態をつかれているのは……縄をかけられ、甲板に転がされている人物のようだ。穏やかではないけれど、それが先程の火柱とメンマストの帆を全損する火事を招いた人物だというのなら仕方がない。
「フォルコン号船長、マリー・パスファインダーです! 怪我人は居ませんか!」
私が呼び掛けると、向こうに乗っていた人々が一斉に驚いた顔でこっちを見る。
え? 私何か変?
「だから言ったじゃないか、本当にその格好でいいのかって」
私は今日も姫ドレスを着ていた。ああ……居ないよねこんな船長、普通は。
でも私、少し前までもっととんでもない恰好で船長やってたんですよ。
私は不精ひげが漕ぐボートで向こうの船に移った。勿論姫ドレスのまま。船長が可愛くて何か不都合がございましょうか。
「ドナテッラ号船長、ベッティーノです……お嬢さん」
「怪我人が居なくて何よりですね」
私はわざと舷側を越える時に、手摺りの上にヒョイと飛び乗って、二、三歩歩いてから甲板に降りてみせる。どうです身軽でしょう……ズルだけど。
「アイビスの船長さん! ジェンツィアーナに行くなら貴女の船に乗せて!」
家族連れらしい御夫人が言った。周りにも私も僕もという声が広がる。
「その方がいいかも解りませんな……私からも御願い出来ますかな」
ベッティーノ船長までそう言う。まあドナテッラ号は損傷を受けてるし、お客さんからしたら何でもいいから事故のあった船から別の船に乗り換えたいのかもしれない。3、40人くらいですかね……まあ、乗れるか。船が空荷でちょうど良かった。
「あの……私も乗せていただく訳には?」
縄をかけられて甲板に転がされて丸めた背中をこちらに向けている男の人が……半笑いでそう言いながら寝返りを打った。
濃いめのフワっとしたセミロングの金髪。整った優しそうな顔立ち。そこまでは大層な美形のようだが、殴る蹴るの制裁を受けたのか、鼻血が出てるし眼鏡は割れている……それなのに何でそんなに晴れやかな笑顔なんですかアナタ。
「お前は死ね!」「船長、早く海に投げてしまえ!」「吊るせ! 首に縄をかけてヤードから吊るせ!」「出来ないなら私がやるわ!」
そして他の皆さんは怒っていて怖い……何をしたんだこの人。まああの火柱なんだろうけど。
倒れてるけどめっちゃ背高いなこの人。ヒューゴ艦長くらいありそう。
「まあまあ、ジェンツィアーナはもう近いですから、司直に引き渡しては」
どんな人だろうと、私刑というのは気持ちが良くない。
「ドナテッラ号は自走出来ますか?」
「うちの御客様を引き継いでいただけるなら、先に行って下さい、マリー船長。こっちは少し修理しないといけないようです」
ドナテッラ号のボートも使い、私達は客とその荷物をフォルコン号に移す。
5歳くらいの子供も居る……男の子だけど、怖かったんだろうなあ。ぶるぶる震えてる。もう大丈夫ですよ。全部で35人か。リトルマリー号だったら厳しかった。
「その人はどうするんですか?」
先程の犯人らしき人は、縛り上げられた上、折りたたまれて、顔だけ出して麻袋に詰められていた。ベッティーノ船長はかぶりを振る。
「処罰しない訳には行きませんな……奴は多くの人間の命を危険に晒したのです」
「あの爆発ですよね……?」
「左様。爆発したのはその男の荷物。怪我人が出なかったのは……奇跡」
「具体的には何を?」
「手榴弾を投げたのです」
「えっ……」
「信じられますか? 水夫が気づいた時、奴は下層甲板に居て導火線に火がついてバチバチ言っている手榴弾を持っていて、それを上に投げた。手榴弾はメインのトプスルのあたりで爆発して、メンマストをほぼ全焼させてしまった」
そりゃ捕まってぐるぐる巻きにされても仕方ない……司直に引き渡すしかないようで。
移乗は済んだ。お客で満員になったフォルコン号。天気もいいので甲板で過ごす事にした人が多いようだ……客船というのもいいなあ。賑やかで。
ふと見るとさっきの5歳くらいの男の子がまだ震えながら、舷側でキャラック船を見ている……震えているというより、泣いているな……そんなに怖かったのかな。
ん? 他のお客も騒いでる……どうしたんだろう。
「早く投げ込めー!」「子供が見てる前はよせよ!」「いいからやれー!」
野次馬の反応も色々……って! ドナテッラ号の水夫が、さっきの麻袋に入れられた人を海に投げ込もうとしてる! 袋に砲丸まで入れて……
「私刑はだめですよ! ちゃんと司直に突き出して!」
私は舷側から身を乗り出して叫ぶ。
その麻袋に詰め込まれて海に沈められそうな男は……こちらを向いて笑顔で叫んだ。
「少年ーッ! 君の好奇心は間違っていない、その科学を愛する心を、好奇心を持ち続ける事を忘れるんじゃないぞーッ!」
少年? 何の話をしてるの?
「おじさんの事は心配いらん、海底人の町に遊びに行くだけだ、さらばだー!」
「うるせえ!! このいかれポンチが!!」
激怒する水夫は四人がかりで麻袋を持ち上げ、舷側の外へと放り出す……
その男は……最後まで笑って……
―― ドボーン!!
海へと落ちた!
「不精ひげ! ぼさぼさ!」
既に準備を済ませていた二人は、私が言うより早く海に飛び込んだ。