オーガン「あの小娘! 逞しくなりおって。ふ、ふ」
違う船に乗ってレッドポーチに帰って来たマリーは、仲間を全員連れて上陸した。
この小さなパレードを楽しむマリー。
私は、あの日不精ひげに一日だけ待てとせがまれ、嫌々宿泊した旅籠にやって来た。あの時は店の人を探し出して声を掛けるのに一苦労したっけ。
「いらっしゃいませ! 旦那様、お食事もお部屋もすぐご用意出来ますが?」
今日は向こうから店の人が飛んで来た。本当に手助けが必要なのは、一人ぼっちで右も左も解らない貧しいお針子なんだけどなあ……これも世の道理、仕方ない。
「二部屋貸し切りお願い出来ますか?」
「ええ、もちろん」
「それに食事を六人分、腹ぺこだからたっぷりと。フルーツは何がありますか?」
「オレンジはそろそろ終わりですが美味しいですよ」
「じゃあそれを」
私は一度仲間の方を見る。不精ひげとアレクとロイ爺とアイリが見ている……というか、もう一つ! もう一つ! と念を送って来る。
「……あと、飲み物は彼等に聞いて、私の勘定につけて下さい」
四人が親指を上げた。
「私は一旦部屋に案内して下さい」
30分後。私は部屋から戻って来た。水夫共はさっそく酒と陸の御馳走に囲まれていた。
「まだ船酔いが治ってなかったのか?」
「陸でそういう事を言うのはやめ給え不精ひげ君。誰かに聞かれたら船の恥です」
確かに少し船酔いが残ってたから、少しだけ休んだけど。手紙を書いていたんです、手紙を。
ふとその時。ワインのオレンジ割りを飲みつつローストポークを食べていたアレクが言った。
「前から気になってたんだけど。船長はなんでニックの事だけ、不精ひげって呼ぶの?」
「アレクの事も太っちょって言うでしょ」
「そうだけど……僕も最初はアレク、だったよね」
「あ……そっか」
そう言えばそうだ。
「では何故なんじゃ?」
「だって、ニックって偽名でしょ。偽名で呼ぶならあだ名で呼ぶのと変わりないじゃん」
私はロイ爺にそう言って、一人で外に出る。御馳走を食べ始める前にやる事があるのだ。
私は宿の前の往来を見渡す。風紀兵団は居ないな? よし、よし……
たいがいお爺さんがやってるんだよな……国王陛下がおかしな事を言い出すまでは、孤児の仕事でもあったのに。酷い話ですよ。
居た居た。腕に緑のスカーフが目印の、街の配達人。だいぶお爺さんだけど大丈夫かな……腰を曲げ、杖をついてゆっくり歩いてる。今日中に届くだろうか。
「あの、配達人さんですよね? この手紙、オーガンさんって人に届けて貰いたいんですが。オーガンさんの家は山の手の……」
「ああ、有名人だから解りますよ、でもそんな近くでいいんですかな」
「いいんです、チップ込み銀貨一枚でお願いします」
「そりゃ豪勢な! じゃあ急いで届けましょうかねえ」
ゆっくりでいいです……と言う前に、お爺さんは曲がった腰をシュッと伸ばし、風のように駆け出して行ってしまった。プロの仕事人って思わぬ所に居るのね。
それから一時間ばかり、旅籠でだらけている私達の元に、その男はやって来た。
「マリーさん! ここにマリーさんはお越しですか!」
「マリーはあたしだけど何だい」
「おおご婦人、貴女ではないのです、申し訳ありません」
真っ赤なジャケットを着たその男が、知らない中年女性に謝っている。この光景前にも見たな。
「こちらですオーガンさん、御足労をお掛けして申し訳ありません」
私は席から立ち上がり、手招きをする。
四人の水夫達は意外そうな顔をしていた。アイリさんは状況を解っていないだろう。このオーガンは父の商売敵で、前にリトルマリー号を安く買い叩こうとしていた人物である。
「お訪ねしようかとも思ったのですが、お約束もなく訪問するのは失礼かと思いましたので……給仕さん、オーガンさんと私にクラレットを」
ワインは断られるかと思いきや、オーガン氏は普通に盃を受け取ってくれた。私も少しだけ口をつける……恰好つけて高そうなの頼んだけど、私には高級ワインの味はさっぱり解らない。
「貴女は私の事を御嫌いかと思っておりましたが」
「父も貴方が嫌いだった訳ではないと思います。それと……先日のお礼がまだでした。一度はリトルマリー号の買い取りを承諾して下さって有難うございます」
「……皮肉ですかな」
「全く皮肉ではありません。古い船を急に即金で買えと言われて、買えるものではありませんよ。とにかく貴方は一晩の猶予だけで金貨1550枚までは出す事を承諾して下さったんです……私は、貴方も父が嫌いだった訳ではないと勝手に考えております……まあ本題に入りましょう」
私はオーガンの盃にワインを注ぎ足す。
「リトルマリー号は今、国王陛下の御座船となるべくドッグに入っており、私はその間別の船で商売を続ける事になりました。その為、本来この季節に周っている離島航路を周る事が出来ません」
「ほう……それはそれは……」
オーガンは普通に驚いているようだった。絶対信じないと思ったんだけどなあ。いくら身なりだけは整えて来たとはいえ、私がそんな出世しただなんて信じないだろうなと。
「では何か……このオーガンと協定を結んでいただけると?」
「協定ではなく、お願いです。去年の取引記録の写しなども提供致しますので、私共の代わりに航路を存続させてはいただけないでしょうか?」
「それで……私は何を差し上げれば?」
「何も要りません、航路を維持していただきたいだけです、とにかくリトルマリー号は当分この海域に戻れないので、私共の代わりに離島に物資を届けて欲しいのです。オーガンさん、どうか宜しくお願い致します」
「何と……それだけ……なるほど……」
その後は私達はわりあい普通に商売の噂話をした。オーガン氏からはこの季節の北大陸の特産品、最近流行の贅沢品や美術品、供給不足の香辛料の話。私からは南大陸であった船の反乱と海賊行動とその鎮圧、マトバフやバトラの好景気と最近の特産品、季節風の乱れの事などを話した。
意外に有意義な会談の後、オーガン氏は帰って行った。
まあ案の定がめついおじさんだなとは思う部分もあったけれど、商売相手や自分の使用人達には誠実に尽くす人物らしい。
一番大きいのは向こうも私の話を信用したようだという事だ。それもちゃんと私の話を聞いて、内容を吟味した上で信用する事にしてくれたようだ。
私は、貧しいお針子時代に磨いた人物眼には少し自信があるのだ。
恰好つけてワインなんか飲んだもんだから、少しだけふらふらする。先に部屋に戻る事にした私に、アイリがついて来てくれた。
「子供はワインなんて飲まなくていいのよ……」
「らんれすかー! わらし船長れすよー! 冗談です、大丈夫、冗談です」
頭を叩かれそうになり私は慌てて釈明する。とにかく、部屋には着いた。
「みんな少し複雑な顔してたでしょ? もしかしたら水夫達は納得出来ない事もあるのかなあ……折角今まで維持してた航路を、ライバルにタダで譲っちゃった訳で」
「大丈夫よ……いや私はその事情、よく解らないけど、とにかく今の船で近海の離島航路を周る訳には行かないって事なのね? それで、そのお客さん達の為に他の船を用意してあげなきゃって思ったんでしょ?」
「そう! だって勿体ないもの。小型とはいえこんな快速船を手に入れたんだから、この船でないと出来ない商売をしないと! なにせ……借金は……」
アイリが耳を塞ぐ。
「金貨……一万枚……」
私はアイリに近づく。
「白金魔法商会から引き継ぎました……私の借金は……」
私は床にしゃがみ込んだアイリに上から覆い被さり、ささやく。
「金貨で一万枚……」
「きゃあああああああ~!」
「ねえお姉さん。だから私の服に、船酔い知らずの魔法、かけて下さいよ」
私は自分のベッドに座る。お姉さんもお姉さんのベッドに座る。
「……ウソじゃないのよ?」
「はい」
「あの魔法を掛けるのには、細かく挽いたアメジストの粉末、ストーク産の白砂鉄、南大陸の奥地で採れる千竜石の粉末が必要なの。私は一回分だけ非常用に持ってたんだけど、何でかこの前なくしちゃったのよね」
そう来たか……本当かな? うーん……でも確かに、ブルマリン事件の後、キャプテンマリーの制服の背中に、なんかの粉末で作った手形みたいなのが微かについてたような……
「それ、どこで手に入るんですか?」
「さあ……あっ、私皆の所に戻らなきゃ! 今日は大人の親睦会だから! 子供は早く寝るのよ?」
だめだ。言う気がないらしい。
大人の親睦会か。興味がなくもありませんが、たまには上司抜きで羽根を伸ばすのもいいでしょう。キャプテンマリーは気遣いの出来る上司なのです。
翌朝。
船長である私に一人で朝食を摂らせるとは何事だろう。アイリさんも起きないし食堂に降りて来ても誰も起きて来ていない。結局私は一人で先に朝食を食べ終えてしまった。
まあまだ午前七時前じゃ仕方ないか……
ちょうどいいか。今のうちに野暮用を済ませよう。
私は一人、朝の波止場を歩いて行く。今の装いは着古した緑のチュニックに素朴なベージュのズボン、レッドポーチにやって来たお針子マリーの装いである。これはこれで余計な人目を惹かないのがいい。私の中での通称は旅立ちの普段着だ。
私が目指すのは水運組合の建物だ。一時はヘンタイが巣食う悪の巣窟だなんて思っててごめんなさい。いつも朝早くから働いている真面目な人々の集う場所だ。
「こんにちはー。グリックさんはいらっしゃいますか」
私は最初から用向きを告げた。
「グリックさんはまだ……おお! マリーちゃん……いや、マリー船長と言わなきゃ……いや、マリー艦長かな?」
「船長で結構です、商船ですから」
水運組合のカウンターにはいつぞやの役人さんが居た。
「内海を一周しただけでもうあんな船を手に入れて来るとは。実は船長の才能があったんじゃないの?」
「いえいえ……あの、グリックさん居ないんですか、じゃあこれ、お渡ししておいていただけませんかね?」
私は金貨を8枚入れた小さな袋をカウンターに置いた。
「例の船酔い知らずのアレの、残りのお金です、グリックさんに」
「ああ、あの時の。グリックさん喜ぶよ……1枚多くないか?」
「そりゃまあ、一か月もかかっちゃったし」
「はは、律儀だね、じゃあ確かに渡しておくよ、大丈夫」
野暮用はこれだけだった。ここだけ、あんまり水夫達には見せたくなかったので、この早起きはちょうど良かった。
あの日の金貨8枚は私の全財産だった。グリックさんはあのバニースーツを金貨11枚と言っていたけれど、それは即金で買う場合の話。掛け売りなら15枚払うのが筋だ……まあ、そんな事より。
父の友人達の友情に応える為、全財産を投げ打って着たくもない服を買い、それでその友人達を助けに行くなんて、そんなの私格好よすぎて申し訳無いじゃん……
だから皆に見られずこっそり、残りのお金を払いに来れて良かった。
私は水運組合を出た。
「マ、マリーさん!」
「探しましたよ!」
外には、揃いの鎧兜とサーコートを着た風紀兵団の男が二人、待っていた。