私掠免許状「待ってマリーちゃん僕も乗せてよ」
私、マリー船長は思案していた。
やはりビーフステーキには胡椒をかけて食べたい。
不味いとまでは言わないが、塩を振っただけのビーフステーキの何と味気ない事か。私はこんなのを食べる為に銀貨何枚もつぎ込んでしまったのか。
これなら鮭で良かったなあ。おまけに自分で焼いたらちょっと火を通しすぎたし。
アイリは一度、軽く変装して買い物に出掛けた他は、休暇を艦内で過ごしていた。この街、パルキアには会うと気まずくなる人が大勢居るからだとか。
ウラドも出掛けない。だから私と行けばいいのにと誘うんだけど、遠慮しているのか単純に嫌なのか、ついて来ない。
カイヴァーンも舷側にもたれて港を眺めるばかりだ。あんまり外国の街とか興味がないらしい。
「胡椒を直接買いに行きたい」
「本気なら、南大陸をぐるりと回らなくてはならないが……さすがにこの船でも数ヶ月の航海になるぞ」
一度胡椒の事をウラドに話したら、そういう答えが返って来た。そういう航海ならもっと大きな船でやらないといけないんだと思う。
新世界だってそうだ。こちらから持って行く物は工業製品、持って帰るのは珍しい香料や特産物……利ざやは大きいけど時間がかかるから、船倉が大きくないと勿体無い。
私はステーキの最後の一切れを口に入れる。
味に深みがない……胡椒以外にももっと色々なスパイスを使うのか? あの店で食べたのと全然違う。これをぼさぼさに食わせても意味がないだろう。
焼き方も駄目なんだろう。なんかパサパサしてるし。簡単じゃないんですねえ。
ターミガンに行って聞いてみようか? 戦争は終わったのに何故胡椒を売ってくれないのか。どんなスパイスを使えばステーキは美味くなるのか。
そんな思案をしていると。誰かが艦長室の扉をノックしている。
「どうぞ」
「ちょっといいかしら? 船長……いえマリーちゃん」
アイリさんは艦長室に入ると扉を閉め、勝手に私の着替えを手伝い始めた。パルキア港に停泊している間、暇に飽かせて何か作ってるのは知ってたけど。
「……なんですかこれは」
私もお針子をやっていた時に、一度こんなのの製作に関わった事があった。依頼人はどこかのお屋敷の奥様で、7歳の娘に着せると言っていたな……まあ、7歳が着たら可愛いんだろう。
白のブラウスに、目に痛い程のローズレッドのヒラヒラワンピース……スカート広がり過ぎ! レースを贅沢に使ったペチコート、リボンでかっ。
「船酔い知らずよ? 欲しいって言ってたじゃない」
鏡を見せて来るお姉さん。
「だからなんなんですかこれは……これじゃまるで」
お姫様じゃないか……誰これ、私? 可愛い……顔は知らないけど服は可愛い……
「本当はもっと甘ッ甘にしたかったのよ? でもそれだとマリーちゃん嫌がると思って少し抑えたんだから」
それで、これも船酔い知らず? 確かにこれに着替えたら全く揺れを感じなくなった……ん? そう言えば。
「じゃあ手に入ったんですか!? 何かの粉末とか石とか」
「パルキアで揃わない訳ないじゃない。ここでバニーコート作ってたんだから」
鏡の前でポーズなどとってみたりしてたものの。可愛いけどさすがに船長がこれは無いと思う……バニーガールで船長やってて今さら何だという話だけど。
また誰かが扉をノックする。
「船長……急使だって」
アイリが扉を開けると、ぼさぼさことカイヴァーンが立っていて小さな紙切れを渡して来た。ぼさぼさは新しい私の姿をまともに見たが、特に感想はないらしい。
私はその紙切れを受け取る。
『貴下単独での海賊退治 海軍にバレる :p 用心されたし』
名前は書いていないけど、前にも見た……これはラズピエール退役中将の字だ。
休暇の終了まであと一時間。ロイ爺とアレクはまだ戻ってない。不精ひげは遅刻して来るようなら、最悪置いて行くか……
「ウラド、ぼさぼさ、出航準備始めて……ただし、こっそりと」
ウラドは何も聞かず黙って準備を始める。
戻って来たアレクとロイ爺は出港準備を見て驚いた。私は小声で事情を説明する。
「だけど船長、仕入れがまだだよ」
「空荷でいいから早く逃げた方がいい気がする。そうでしょロイ爺」
「賛成じゃ、悪い予感しかせん。ホホ」
私は港を見つめる……この格好で船上に居るのはどうかと思ったけど、ちょうど良かったかもしれない。これならどこかのお嬢様が船の上でお茶でも呼ばれてるように見えるだろう。まさかこっそり出航準備をしているとは思うまい。
だから何となく……今、海軍司令部下から漕ぎ出して、こっちに向かって来るボートも、そんなに急いではいないように見える。
休暇の終了である午前10時は今過ぎた。
「不精ひげ……短い付き合いだったけど貴方の事半年くらいは忘れないわ。抜錨!」
「さらばじゃニック。抜錨」
私とロイ爺は無表情で港を見つめる。
ぼさぼさがキャプスタンを巻き、フォルコン号の錨が引き上げられて行く。
「帆を上げて」
「アイ、キャプテン!」
フォルコン号の新しい帆が開く。緑色で天秤をモチーフにした模様を描いてある。この船は商船ですよ。海軍の御用だって謹んで承ります……手紙の配達くらいなら。
「ウラド、あの浮き桟橋の横を通れるかしら」
「通らないと本当にニックが居なくなるな……大丈夫だ」
動き出したフォルコン号を見て、不精ひげが大慌てで波止場を走って来る。アレクが大きな身振り手振りで、浮き桟橋を指し示す。
海軍のボートが笛を鳴らしている……聞こえない。私には聞こえなかったのです。私はボートから見えない場所に移動する。
「……待てー! 待ってくれー!」
こっちは不精ひげの声。遅刻するなとあれ程言ったのに。まあ奴はフォルコン号が近づくより先に、浮き桟橋の先端にたどり着きそうだ。
ロイ爺とぼさぼさが網目の大きなハンモックを舷側から提げてやる。不精ひげは一度少し戻り、助走をつけて飛び、浮き桟橋の間際を通過するフォルコン号に飛びついた。
「やれやれ……間に合ったわね」
私は手摺りから身を乗り出し、ハンモックを登って来る不精ひげを見た。
「ブヒョッ!?」
私を見た瞬間……盛大に吹き出した不精ひげの姿が揺らぎ……
―― ドボーン!!
海に落ちた……
「ロイ爺! ハンモックごと切り離して!」
「船長、短気はいかん」
足一本、辛うじてハンモックに引っ掛かっていた不精ひげは、舷側から引き上げられた。
「失礼過ぎるでしょう! 人の姿を見て吹き出して海に落ちて、遅刻したくせに、だいたい私、船長だよ!?」
「だけどそんなのは反則だ……いきなりそんなんなってたら誰でも笑う……」
背後ではまだ海軍のボートが笛を鳴らしている。聞こえない。私には聞こえなかった。さらばパルキア。ありがとう中将閣下。ほとぼりが冷めたらまた来ます。