第2話
「この城は、歴代のマディアーノ王国国王がおわす王城レートリツァと云います」
「ふむふむ」
王城レートリツァの廊下を歩く筆頭魔導師ラルクのあとを追う九重が、きょろきょろしながら相槌をうつ。廊下は白を基調にして金色と緑色が差し色に使われていた。一見質素だが、よく見れば複雑な装飾が描かれており、しかし落ち着いた雰囲気で品良く見せている。
二人は先ほどまでいた『召喚の間』から王城内にある調理場に向かっていた。その道すがら、ラルクは九重に簡単な城内の案内をしていた。
驚いたことに、こちらの世界では元の世界の南蛮と同じように室内でも履物を履いたままでいるらしく、召喚されたとき草履を履いていなかった九重は、こちらの世界の『すりっぱ』という履物を借りて案内されている。
「しかし喚ばれたばかりなのに、すみませんね」
眉を八の字にしたラルクが謝ってきた。金色の髪の男、もとい国王ジルバードの煌びやかな渋い美丈夫ぷりに目がいってしまって気付かなかったが、ラルクというこの男も、なかなかに整った顔立ちだ。ちょっと地味目で、ほんの少し目元に小さな皺があるが。だいたい三十代に差し掛かったぐらいの年に見える。
「いえいえ。みなさんの懸念ももっともです」
くふふふと、九重が笑う。
こちらの世界の人々が『料理人』を喚んだと知った九重は、隠すことなく己はまだ料理人ではないと明かした。驚いたこちらの人々は、こぞって──国王ジルバードは鷹揚に構えていたが──筆頭魔導師であるラルクに詰め寄った。
──間違えて子供を連れてきてしまったのか!?
──もしや貴様、小児愛好家か!!
──この変態!!
意味が解らない言葉もあるが、おそらく非難轟々である。よくわからないが、筆頭魔導師とやらは大変な仕事のようだ。だから若白髪なのかもしれないと、九重は詰め寄られているラルクに同情した。
……九重は知らないことだが、マディアーノ王国の人間はその土地柄子を作りにくい体質になっており、その反動か人々は子供好きな者が多いいのだ。もちろん健全な意味である。逆に言えば、不埒な意味で子供を見る者は蛇蝎の如く嫌悪するお国柄であった。
詰め寄られたラルクは飄々と言ってのけた。曰く「未知なる料理を作れることに重点を置いた召喚だった」ということで、料理人ではない九重が喚ばれても不思議ではないのだと。ただ、こんなに幼い子供が喚ばれるとは思わなかったとは付け加えた。
しかしこれを聞いた九重は頬を膨らます。「私はもう十二歳になります。もう少ししたら元服だって……」との言葉は、『召喚の間』に集まっていた人々の度肝を静かにぶち抜いた。マディアーノ王国の人間からすれば、九重は到底十二歳には見えなかったのだ。せいぜい八歳から十歳。
歴代の召喚者を詳細に調べている『召喚者学』の学者達によれば、地球の日本という国の出身者は年齢がわかりづらいというのが定説であるらしい。
とは言え十二歳でも十分幼い。さらに料理人ではないとくると、マディアーノ王国側に若干の戸惑いが生まれた。こんな子供が本当に料理を作れるのか、と。
その不信感を機敏に感じとった国王ジルバードは九重に頼んだ。
──早速で悪いのだが、一品料理を作ってはくれないか?
九重はマディアーノ王国が誇る筆頭魔導師達が喚んだ者だ。未知なる料理を作れることに疑いはない。しかし国王ジルバードがそう思っていても、他の者達が九重の幼い外見に惑わされてしまうのも仕方はないだろう。だから手っ取り早く納得させるため、九重に料理を作ってくれるよう頼んだのだ。
九重が厨房に行くため『召喚の間』から退室する前に、申し訳なさそうに国王ジルバードが、他者には聞こえないようそうこっそりと教えてくれた。
人の上に立つ者は優しいだけではいけない。だが九重は、この国王ジルバードに好感を抱いたのだった。
◇◆◇◆◇
「ここが調理場です」
門のように押し引きして開ける銀色の戸を押し開けたラルクが、九重を室内に促した。
「わあ……」
きょろきょろと物珍しげに室内を見回した九重が感嘆する。こちらの世界の調理場は、九重が知る江戸の台所とは大きく違っていた。まず土間が無い。井戸も無い。竃も無い。お釜も無い。無い無い尽くしのなかである物はといえば、きらきらつるりとした銅色のさまざまな形の鍋や、銀色のお玉や小さな火ばさみみたいな物などといった見たことのない道具ばかりだった。馴染みないそれらに、九重の胸がどきどきとする。
調理場では、袖に黒の線が入った白い上衣に、黒の細い袴のような物を履いて、これまた白の前掛けをした数人が野菜とおぼしき物の皮を剥いたり磁器のお皿を洗ったりしていた。おそらく料理人だろう。驚いたことに、作業台が高いからか誰もが立ったまま作業をしている。
九重のいたお江戸では、調理は基本的に座ったままで作業をしていた。包丁を使うときでもだ。立ったまま作業をしていたのは、安価な惣菜屋ぐらいである。世界が違えば常識も違う。面白いものだと、九重は思った。
「君、料理長はどこだい?」
物珍しさにきょろきょろする九重をよそに、ラルクが調理場で作業をしていた若い一人の男に問う。男は手を前掛けで拭きながら答えた。
「ルード料理長は休憩時間で、街におりてます」
途端にラルクの顔がしかめっ面になる。
「今日『召喚の儀』をするって聞いてただろうに……」
「今まで何度やっても望む料理人が喚ばれませんから……ね」
男が苦笑しつつも目線が九重を捉えると、その目がぐんと見開いた。
「えっ、その子は……?」
「あーと、さっき召喚した料理、人」
ほんのり気まずげに言いながら、ラルクが目を逸らす。まだ料理人ではない九重は、慌てて捕捉した。
「みならいです。はじめまして、今日はお役目ご苦労様です。それがしは旗本は十文字家九男」
「九男!?」
またもや驚かれた。九人兄弟はやはり多いようだ。
「十文字九重でございます。それがし、まだまだ未熟者でございますが、なんの因果か料理人としてこちらの世界に呼ばれもうした」
「ゔっ」
何故かラルクが胸元を押さえた。気にせず九重は続ける。
「しかし請われたからには精一杯力を尽くす所存でございます。諸先輩方、それがしは若輩者でございますが、これから三年間宜しくお願い致します」
この先同じ場で働くかもしれない。なので古参の方々に礼を失することがないようにと、九重は礼儀正しく頭を下げた。何事も最初が肝心。意外に抜け目がない末っ子である。
「あ、はい」
妙に意気込む九重に押されたようで、ぽかんとした男が流されるように返した。調理場にいる他の人達もこくこくと頷いている。いい流れだ。
「あ〜、えっと、そういうことなんで、ちょっと調理場を借りるよ」
おっとりした子だと思っていた少年の変わりように、ラルクの目が数度瞬く。が、はやくも調子を取り戻したようで、さくさくと調理場を使う許可を得ていた。
「それじゃあコノエ君。なにか一品、作ってもらえるかい?」
「はい!」
嬉々として九重が返事をする。なにを作るかはもう決めてある。この先三年間ここでお世話になるのだ。まずは自己紹介がてらに自分が得意な物を使った料理をお披露目するのがいいだろう。
九重はうんと自身に頷くと、お江戸から持って来た桶を……。
「あ、あれ?」
桶が無い。江戸から共に世界を渡った桶が。
九重の顔色がみるみる悪くなる。
「お、桶……っ! 桶が無いっ!! どこに置いてきてしまったのでしょうか!?」
「へ? 」
あれが無いと料理が出来ない。
あわあわしながら九重は、最前までの自身の行動を振り返る。この世界にやって来た時は、確かに両手で持っていた。ぴちゃんと鳴った水音は今も耳に残っている。
では国王ジルバードらと話していた時はどうだっただろう? 白くて丸い綺麗な机に誘われて1人掛け用の縁台に腰をおろそうとして……。
「あああーっ!! そうですっ、机の上に置いたままです!!」
なんたる失態。
あれを一時でも忘れてしまうとは! あれを使った料理を得意としているというのに。ゆくゆくはあれの料理の専門の店を開きたいと思っているというのに。九重は、ぐっと口唇をへの字にした。これは九重がよくする癖のひとつである。
「えっと、桶って、コノエ君が持って来たあれかな?」
九重の取り乱しように、「ああ、この子もちゃんと(?)取り乱すんだな」と、変に感心したラルク。九重の妙な落ち着きっぷりに、今までの召喚者達とのあまりの様子の違いに戸惑っていたが、解消される思いだった。
九重はラルクに向かってコクコクと頷く。
「はいっ! あの桶の中には私の愛おしい……」
九重がごくりと喉を鳴らした。
「お豆腐が入っているのです……!!」
そう言った九重の目前で、きらりと光が弾はじけた。