第一章 その7「作戦準備」
偵察分遣隊は山地機動訓練を終えて沖縄に戻っていた。休む暇はない。戦力回復期間と呼ばれる体を休める間にも、作戦に関する念入りなブリーフィングを行い、連携訓練や負傷者の処置、爆破資材の取り扱い訓練等を続けていた。
北朝鮮への潜入に備え、予備人員も合わせて三十名で訓練を行ってきたが、実際に潜入するのはその半数の十六名となる。
一般の部隊なら命令が降りてきてそれに従って行動すれば良いが、この任務は別だ。作戦に参加する隊員達が自ら任務を分析して実際の現地で起こりうる事態を想定し、対処の要領などを案出しなくてはならない。
何名かで潜入目標やその周囲の地域環境に関する情報を収集して分析し、何名かは敵の戦力の配置などの情報を収集して分析する。
剣崎達指揮官の元にそれらの情報は集約され、剣崎以下幹部達によって計画が立案される。
作戦室の壁一面にホワイトボードが設置され、計画のための情報が整理して各科ごと並べられる。悪事を計画する犯人の家の壁のように写真や地図等の資料が貼られ、現地の敵の指揮系統や組織図、関連する味方部隊の情報が並べられ、視覚的にも分かりやすくまとめられていく。隊員達は分析した情報を剣崎や近藤らに報告する作業などに追われながら装備の準備等も進めていく。
潜入方法は、水陸機動団お得意の水路潜入。潜水艦よりスクーバで出撃し、北朝鮮に隠密潜入する方針が固まり、すでに海上自衛隊との調整も済んでいる。
偵察分遣隊に割り当てられた捜索地域は、上陸地点の北西一一〇キロほどの主要幹線道路沿いだった。自走ランチャーが移動することの出来る道路で、北朝鮮軍が過去の訓練でその付近の偽装基地からノドン等のTELを展開させていることが確認されている。偽装基地まで発見できれば僥倖だが、それだけ敵勢力の行動が活発な地域であり危険も多い。
捜索地域では、徒歩斥候による長距離偵察パトロールで目標を捜索する他、MSR沿いに監視哨を設けて、MSRの敵の動向を偵察監視する。
潜入経路は主に山中だ。直線では一一〇キロでも北朝鮮軍の警戒や村や集落など現地人を避けて潜入しなければならないため、実質的な移動距離は一五〇キロ近くなる。潜入経路沿いの北朝鮮軍の警戒態勢や配備体制等の脅威情報は、防衛省情報本部が地理情報や気象情報も含めて分析しており、最新の情報が次々に舞い込んできた。
任務は、無事に帰るまでが任務で、決して片道切符ではない。撤収の際には指定された回収地点まで向かい、日本海に展開した海自の護衛艦から飛び立ったヘリから回収される。回収地点の制空権は作戦が発動すれば確保されることになっていた。
那智達は、作戦室というよりソファやテーブルが持ち込まれて休憩室のようになった会議室で、山地潜入訓練で溜まった疲労と痩せた体を補うためにプロテイン入りのエネルギーバーを齧り、紅茶を飲んでくつろぎながらブリーフィングを続けていた。
北朝鮮の地図を頭に叩き込み、入念な話し合いをして全員の認識を統一し、不測事態を列挙してその対処方法を考えなくてはならない。
道に迷ったら?
敵と遭遇したら?
無線が通じなくなったら?
負傷者が発生したら?
潜入中に任務が中止になったら?
上げればきりがなく、話し合いは尽きない。
全員で地図と衛星写真を見て分析し、潜伏拠点や監視哨の位置を見積もる。持っていく装備も話し合った。
背嚢には二週間分の食糧、水、コンポジションC-4高性能爆破薬等のデモリッションツール、予備弾薬、通信機、救急品、ザイル等を入れる。各班ごとに装備品は分担し、各人が持つ重量が均等になるようにしなくてはならない。
「ブラヴォー・ツー・ゼロ、レッドウィング作戦、この二つの共通事項は?」
情報分析の合間の休憩をする隊員達に山城1曹が尋ねた。ブリーフィングルームとなっていた場所には装備が集積され、隣の部屋では爆破薬や弾薬の開梱や割り振り、点検等も逐次行われている。
「民間人と接触して敵に存在が露見し、作戦が破綻しました」
那智が答える。
「無線が不通、部隊は孤立」
それに坂田が付け加える。
ブラヴォー・ツー・ゼロは湾岸戦争における英国陸軍特殊部隊SASのスカッドハントチームで、民間人に発見されたことをきっかけにイラク軍からの猛攻を受け、八名中三名が死亡、四名が捕虜になった。
レッドウィング作戦は、米海軍特殊部隊SEALsによるタリバン幹部殺害を目的とした作戦だったが、四名編成の偵察チームが潜入中に羊飼いの民間人と接触。それを拘束するが、交戦規則に基づき解放し、その後撤退するもタリバンの襲撃を受け、偵察チーム三名が死亡、救援に駆けつけた輸送ヘリも撃墜され、最終的に十九名が死亡した。ブラヴォー・ツー・ゼロチームもSEALsも、通信連絡が取れず、救援部隊の要請が出来なかったり、遅れ、それが致命的な損害に繋がった。
「最悪なことは重なることが多い。民間人と接触した場合、敵性地域における非常手段として一時的な“保護”は可能だ」
「保護ね……」
西谷がその言葉の定義の曖昧さに言葉を漏らす。敢えて曖昧な表現で、現地指揮官の自主裁量の余地を残しているのだと那智は解釈していた。
「北朝鮮国内の不感地帯は未知だ。情報本部が分析しているが、精度の高い情報は期待しない方が良い」
それを聞いていた野中3曹は眉間に皺を寄せた。この分遣隊で最大の火力を運用するのが野中3曹であり、無線が不通ではそれが充分に発揮できない。
「作戦が発動すれば日米の早期警戒管制機や特殊作戦支援機が各部隊の無線を中継する」
山城の言葉に野中は頷いた。
そこへ作戦支援要員の陸曹が入ってきて山城を呼んだ。山城が会議室を出ていくと、一旦話し合いは中断された。空になったカップに那智は紅茶を注ぎ、バターレーズンの袋を開ける。
「北朝鮮って意外と沿岸部は集落があるんですね。もっと未開発な山林ばかりなのかと思ってました」
情報本部から送られた航空写真をひっくり返しながら板垣3曹が言った。
「北朝鮮じゃ環境破壊が進行して、偉大なる将軍様は植林まで推奨してるくらいだ」
那智は、装備品の重量を細かく計算し、分隊の隊員達に何を割り振るかを図板に乗せた紙に記入しながらその言葉に答える。
「ペンキで山肌を塗ったんでしたっけ?」
「そりゃ中国だ」
那智は溜息をついてクリップボードを机に置いた。集中力が欠けてきたようで、そろそろリフレッシュが必要だ。
そう思って腰を上げるといつの間にか西谷3曹と坂田3曹はチェストリグを持って外に出ていた。
「あの二人は?」
「射場では?」
久野が答え、自分よりはるかに射撃が得意な二人がこれ以上何を極めるのだろうかと思いながら那智も椅子にかけてあったリーコンベストを取った。
「射撃に行きますか?」
板垣も腰を上げる。他の隊員達も気分転換に体を動かすようだ。
「一緒に来るかい?」
「ご一緒します」
板垣と共に武器庫に向かうと、久野の言葉通り西谷と坂田が武器を搬出していた。
「あれ、那智3曹達も撃ちに行きますか?」
9mm拳銃SFP9の薬室を点検してチェストリグのホルスターに収めた西谷が聞いた。
「ああ。行くなら誘ってくれよ」
そう言って那智の武器係の陸曹に武器搬出の手続きを行うと、自分の20式小銃と拳銃を銃架から取り出した。偵察分遣隊は、光学照準器を取り付けたまま小銃を格納できるよう、官給品の銃架は使われていない。
「聞きました?海保3曹、ヤバいですよ」
西谷が那智の弾倉を準備しながら言った。
「ヤバい?どうしたんだ」
海保は那智の分隊員だ。今那智達は機密保持のために外出は制限されているが、海保は身内に不幸があって特別に帰省が許可されていた。
「山城1曹が呼ばれたじゃないですか。なんでも帰省中に事故ったとか。もらい事故らしいんですけどね」
「おいおい嘘だろ」
このタイミングで欠員が発生するのは非常にまずい。最悪なことは重なるものだ。
「怪我は?」
「足だか腕だかを折ったって。山城1曹、がっくりしちゃってますよ」
「間違いなく外されますね、それは……」
「まあ、なんとかなるっしょ」
坂田は大して気にしていないらしく、気楽だった。那智は手に取った20式小銃が異様に重く感じた。
*
経済制裁の強化によって締め上げられつつあった北朝鮮は、世界が望む対話による外交ではなく、さらなる大陸間弾道ミサイル発射を強行した。発射されたミサイルは日本列島を飛び越えて太平洋上に着弾。日本の世論は再び北朝鮮脅威論に沸騰した。
さらにこの大陸間弾道ミサイルは過去に北朝鮮が発射した火星15型であり、北朝鮮の宣言通り「国家核戦力完成」を裏付けるものとなり、米国の世論も北朝鮮を警戒し、各地でデモも起こった。
米国はこれに対し、直ちに追加の経済制裁措置として、第七艦隊の空母打撃群を黄海と日本海に展開し、海上封鎖を実施。日本もこれに追従する形で海上自衛隊の護衛艦を日本海及び東シナ海に展開し、韓国軍も厳戒態勢に移行した。
北朝鮮はこの動きに対し、戦争も辞さないと声高に叫び、更なる弾道ミサイル発射や核実験の強行、国境付近に展開する軍の南侵を示唆するが、結果は遂に、かつての最大の友好国であった中国のさらなる経済制裁の発動を促すこととなった。
この中国の経済制裁と海上封鎖が、もはや朝鮮半島有事を避けられないものとした。
海上封鎖及び中国の経済制裁から一週間後、北朝鮮の無線が突如として沈黙した。無線封止が始まったのだ。さらに南北非武装地帯の前線に北朝鮮が配備した、一万門もの野戦火砲部隊にも動きがあることを、韓国国防省ビル地下の北朝鮮警報室は、青瓦台に緊急通報した。
配備されている170mm砲はソウルを射程に収め、240mm砲はそのソウルを越え、韓国軍と在韓米軍基地も脅かす射程を持っている。一分当たりの発射砲弾数は二千発にも及び、事が始まれば最初の一分間で八万発以上の砲弾がソウルに撃ち込まれ、地上軍が越境すれば、瞬く間にソウルへと押し寄せる。一度、火蓋がきられれば、ソウルが火の海となる惨状は青瓦台の誰もが予想できた。
さらに中朝国境には中国軍が部隊の配備を開始。難民等への警戒と見られた。
韓国大統領府は、国家安全保障会議を招集、民間人の夜間外出禁止とともに移動禁止の命令を発令する準備を開始した。