第一章 その3「指揮官達」
国頭駐屯地内、水陸機動団A棟庁舎1階運用室。
現状と部隊の今後の予定や任務に向けた準備の報告を行い、運用室を後にした剣崎辰巳1等陸尉は自動販売機が設置された休憩所に向かいながら左腕のプロトレックをちらりと見やった。すでに二三時を回っていてとっくに駐屯地は消灯時間だ。しかしこの庁舎の廊下の灯りは煌々としていて幹部自衛官を中心とした人気が絶えない。
水陸機動団は相浦駐屯地に本拠を置くが、この国頭駐屯地ことキャンプ・ハンセンに一部部隊を移転する予定でこの新庁舎が整備されていた。それが今回の作戦に役立った。
主に団偵察隊から選抜された隊員達で編成された偵察分遣隊の存在は秘匿されていた。この作戦が外部に漏れた場合、敵に対抗手段を講じられる前に政治的に作戦の遂行が困難となる。それだけは絶対に回避しなくてはならなかった。
その為、入念に参加部隊には消毒を施す必要がある。
ここでの消毒とはアイソレーション、つまり部隊の痕跡や動向、更には情報の漏洩を秘匿する保全のために部隊を外部から隔離して作戦準備に集中させる作業を指す。作戦に参加する隊員達は一般部隊の隊員達からも隔離され、外部との接触や連絡も制限されるのだ。
こうした消毒の手順は、本来特殊部隊の通常作戦手順だ。この作戦の詳細を知るのは限られたほんの一部の隊員達だけであり、一般部隊には完全に秘匿されている。同じ偵察隊の隊員の中でも何かが行われている事を肌で感じている者もいたが、誰もが表立ってそれを口にすることは無かった。
秘密を守るためには秘密に関わる人間を少なくすることが最も有効だが、そのおかげで隊務に関わる人間も少なくなり、一人当たりの仕事が増えている。
休憩所の窓から外を見ると多くの隊舎の窓の明かりも消え、駐屯地内も暗くなっていた。剣崎はカップ式自販機に小銭を投入してドリップコーヒーを買う。
カップが落ち、ミル挽きのコーヒーがドリップされるのを剣崎が待っていると空挺戦闘服姿の精悍な顔つきの男が休憩所に入ってきた。陸上自衛隊唯一の空挺部隊である第一空挺団の第三普通科大隊第七中隊に所属する栗原智也1等陸尉だった。
「お疲れ様でした」
「ああ、そっちもな」
緊迫する情勢に対応するため、空挺団もまた集中訓練と準備を進めており、市街地訓練場等を使用するためここ沖縄で転地訓練を行っていた。同じ1尉でも剣崎は一般大学卒業で幹部となったいわゆるI幹部で、防衛大学校を卒業して幹部となったいわゆるB幹部の栗原よりも昇任期別は遅かったが、かつて空挺団に所属した剣崎は栗原の先輩という関係だった。
「今日はもう終わりですか?」
「ああ。徹夜は体に悪い」
「“副官”も帰れないですしね」
栗原の言葉に剣崎は苦笑した。剣崎の報告のためドライバーと助手を兼ねて部下の一人が控えていた。剣崎は必要ないし、広い駐屯地を自転車で移動するつもりだったが、志願した部下は至極真面目にその非効率さを解いて同行した。
「律儀というか頑固というか……」
「噂をすればです」
休憩所に顔を覗かせたのは野中綾乃3曹だった。
「お疲れ様です、剣崎1尉。車を正面に回しました」
「お、ちょうど良い。剣崎1尉、自分も途中まで良いですか?」
「仕方ないな……分かった、すぐ向かうから先に行って待っていてくれ」
「了解です」
そう言って野中はぺこりと頭を下げると戻っていく。
「気が利きますね」
栗原はその後ろ姿を見送って意味深な笑みを浮かべる。それに剣崎は取り合わずいつもの調子で答えた。
「女性らしい気配りだが、普段はアマゾネスだ。男の部下を引きずり回してるからな」
「一度一緒に訓練をしてみたいものですね」
栗原は苦笑して剣崎は自販機からカップを取り出すのを待った。二人は歩きながら話し出す。
「そっちはどうなんだ?」
「自分達の任務は海外邦人救出ですからね。引き続きここの市街地訓練場で訓練です」
第一空挺団も水陸機動団同様、部隊を抽出して有事に備えて準備を行っていた。栗原の所属する第7中隊から選出された隊員を中心とする部隊は中央即応連隊と共に韓国において邦人輸送とその警護を行うことになっている。
正面玄関に横付けした野中の乗る小型トラックに二人は乗り込む。
「ありがとう。出してくれ」
野中が小型トラックを走り出させると剣崎は会話を再開する。
「RJNOか。課題が多そうだな」
「課題でいっぱいですよ。自国の領内を日本の軍隊が走り回るなんて韓国軍が認めないでしょうし、空路による脱出も戦闘が始まれば困難です。制約だらけの中で三万人から六万人もの邦人を避難させなければならない。あらゆる想定の訓練が必要です」
栗原はそうしたケース別の訓練を行い、不測事態に備えなくてはならないのだ。
「しかも今になって無線機や新型の暗視装置だとか付属品が更新されたりで、面倒事ばかりです」
「個人装備はこうやって危機感が高まって必要性が上がらないとなかなか更新されないからな」
「若い奴らは喜んでますが、自分みたいなアナログ人間には慣れるのに時間もかかるし、結構面倒なんですよ」
まだ演習場の方からはヘリが飛び回っている音が聞こえてきた。エンジン音の特徴からCH-47だと剣崎は判断する。
「デジタル面に頼り切らない栗原のような指揮官が今の時代には少なからず必要だ。ロシアの戦術は特に高度だ。中国が同じことをして来てもおかしくない」
ロシアは近年ウクライナやシリアでGPSの無力化や携帯電話の妨害や逆探知など高度な電子戦等を展開し、それらのシステムに依存した西側の戦術を瓦解させる非対称型戦略を打ち出している。
「まぁそうですが、喫緊の敵にはデジタルを駆使して対処しないと数と質の優位を活かせません」
その会話の最中、野中がスピードを緩めた。
「野中、迂回した方が良さそうだな」
白いヘルメットを被った警務隊の隊員が誘導灯を振って迂回するよう合図していた。その先で二輛の軽装甲機動車がガナーハッチに機関銃を構えた隊員を立たせて駐屯地内を走っていった。まだ訓練中の部隊がいるのだ。
「夜間訓練か。……空挺だな、あのLAVは」
「今訓練してるのは空挺の緊急即応部隊に指定された第二大隊です。破壊工作対処のために即応待機する予定になっています」
日本国内で起きる可能性のある北朝鮮工作員による破壊工作、テロを警戒して準備している部隊だ。何かあれば二十時間以内に日本全国に展開する。
「オスプレイも使って緊急展開するユニットか。ずいぶん入れ込んでるようだな」
「大隊長は演習で日本刀振り回して陣頭指揮する現代の侍です、気合が入ってますよ」
栗原は呆れも混じった笑みを浮かべた。
「やれやれ……俺の居た時と大して変わらないな」
「伝統は受け継がれます」
元空挺隊員である剣崎は過去を懐かしんだ。第一空挺団は第一狂ってる団と揶揄される。部隊の標語は精鋭無比。自ら志願して命懸けの危険な落下傘による空挺降下を行う空挺団へ集まるような男達は当然ながら血気盛んで愛国心の強い隊員が当然多い。剣崎の所属していた頃も時代錯誤と思われるようなことが平気で行われていた。だが、だからこそ団結の固く士気の高い部隊であるともいえる。
空挺団に所属していた頃から剣崎は、日本を守るため、海に囲まれ、多数の島嶼部を抱える日本の国防環境に適応した戦える専門部隊を作る野望を持ち、水陸機動団創設に関わって来た。今、その中でも選抜された精鋭を持って特別な任務のための部隊を臨時編成する中、剣崎は部隊の能力を最大限に発揮することを考えていた。基本と初心に立ち返って部隊を訓練しなくてはならない。
伝統の無い部隊にはその部隊の気風が必要だった。
「伝統か……」
剣崎は偵察分遣隊を臨時編成で終わらせる気は無かった。