第一章 その2「集いし精鋭」
作戦室に残った選抜された隊員達の顔ぶれは精強そのものだ。大半の男達が寡黙だが、それぞれの経験を裏打ちとした自信のある顔をしている。入隊したばかりの新隊員だった那智が初めて出会った自衛官達がこの顔ぶれだったら回れ右をして帰りたくなる雰囲気だ。しかしそんな男達の中に端整な顔立ちの女がいた。活発そうなショートカットで、身長は165センチほど。二十代前半の若い3等陸曹だ。精強な男達に混じって怖い表情をしているが、似合わなかった。
「野中3曹はWAC(女性陸上自衛官)じゃなくてFAC(前線航空管制官)ですよ。綺麗な顔してますけどヤバい人です。手出しちゃ駄目ですよ」
坂田が那智の視線を追って、からかいまじりに言った。前線航空管制官とは陸上自衛隊においては火力誘導員という役職が該当する。火力誘導員は空自の戦闘機の航空攻撃や海自の艦砲射撃、迫撃砲や特科の砲迫射撃を誘導する重要な役職だ。この部屋にいる者の中でも最高の火力を運用する。
「そんなことしないよ……。それより女性って大丈夫なのか?捕虜になるかもしれないんだぞ」
「野中3曹は米国でJTACを取った、まだ数少ない自衛官の一人です。部隊には欠かせません。それに北が捕虜取ってくれますかね?」
坂田の苦笑に那智は閉口した。自衛隊では富士学校の統合火力教育課程を経て陸海空の砲迫火力・航空火力誘導を行う火力誘導員となるが、その教育を修了した隊員の一部は、米国で前線航空管制を行う統合末端攻撃統制官資格を取得する。JTACの訓練課程は特殊部隊要員を育てるのと同等に厳しいものだ。それを乗り越え、なおかつ精強な水陸機動団に所属しているのだからただ者ではない。
考えるだけ無駄だ。剣崎が壇上に立った。精悍な顔立ちの中にあった温和さは微塵もない厳しい表情をしている。
「気をつけ!これより当分遣隊の指揮を剣崎1尉が執る」
剣崎が真剣みをさらに増した声を張る。これは儀式としての意味合いがあった。指揮官自ら責任を持って指揮を執り、各人の職責を明らかにする。
「命下。副官、近藤2尉。1班長山城1曹、2班長瀬賀2曹、3班長宮澤1曹。各班長は班員を命下」
1班長を指名された山城が回れ右をして振り返った。
「1班、前方警戒組長那智3曹、組員坂田3曹、西谷3曹、海保3曹」
前方警戒はポイントマンと呼ばれる重要な役職だ。敵を警戒しつつ、地図判読を行い、主力の進路を維持しなくてはならない。北朝鮮の地形と格闘しなくてはならない運命を悟ったメンバーたちの表情は天を仰ぐようだった。
「以降はアイソレート、外部との連絡や外出は制限される。分遣隊は明日、移動。山岳地帯における行動訓練を実施する。期間は一週間、北アルプスにおける山地潜入訓練となる。経路については現地にて示すが、岩壁登攀や懸垂下降が必要な剣俊な地帯を縦走することになる。本日中に戦闘準備を整え、即応態勢を取るように。各班長は班員を掌握し、連携訓練と所要の措置を取れ。以上、分かれ」
「分かれます」
剣崎に班長らが敬礼を返す。次に班長達が班員に向き直った。山城1曹はなかなか砕けた雰囲気で、圧迫感がない。
「ということだ。着いて早々だが、準備することは山ほどある。まずは武器・通信だ。俺は運用幹部に調整してくるので、それまで各人は個人物品の準備をしておいてくれ。かかれ」
「かかります」
那智達は山城に敬礼するとすぐに作戦室を出て自室へ向かった。那智の部屋は二人部屋で、事前に送っていた荷物が放り込まれたままだった。向かいの部屋は坂田と西谷の部屋だ。那智の同室は、空自の衛生要員の板垣3曹だった。
「板垣3曹、小松救難隊所属のメディックです」
板垣が作業の合間に自己紹介した。板垣は見るからに社交的で気さくな性格で、体は鍛え抜かれていた。
航空自衛隊の救難員は高度三千から水深三十メートルを活動領域として救難救助任務をこなす精鋭だ。当然雪山での山岳救助も行うため、山地作戦にも精通している。
「第1水陸機動連隊情報小隊の那智3曹です」
「山に精通しているそうだね」
「ええ……水機団に来る前は松本にいたので」
「山岳レンジャーか。トラッカー?」
板垣の表情が好奇に変わった。
那智は転属以前、長野県松本市の松本駐屯地に駐屯する第13普通科連隊に所属していた。第13普通科連隊は、日本アルプスが存在する長野県を担任地域とするため、特に山地機動、山岳戦能力に秀でており、山岳連隊の呼び名も名高い。その山岳連隊において行われるレンジャー教育は特に山地作戦能力を重視するため、山岳レンジャーと呼ばれ、他の部隊レンジャー教育とは異なる。山岳連隊で山岳レンジャー教育を修了した山岳戦のプロである那智が選抜されたのだ。
「まあ、そんなとこです」
那智は肩を竦めた。追跡者としての技術に那智は特に長けていた。山の中で猟犬のようにわずかな痕跡から敵を追いかけるのだ。那智は第1水陸機動連隊の情報小隊に転属してからもその技術を遺憾なく発揮し、実績を積んだ。
山の話は弾み、那智と板垣はだいぶ打ち解けた仲になった。もっとも板垣が非常に社交的なのが主な理由だが。
「荷ほどきくらいは終わったか?必要なものはあるか?」
途中、山城がやってきて声をかけてきた。
「北アルプスの訓練地域の最新の地図を。出来ればパッキング済みの物とで、二つお願いします」
偵察分遣隊は与えられた計画通りに任務を行う部隊ではない。小隊の指揮官や陸曹が自ら情報を集めて計画を立案する必要があり、那智は自分の職責を果たすために必要な物品、情報等を案出して要求しなくてはならなかった。紙地図をポンと渡されてもそれを野外で使うためには防水加工が必要だ。
「よし。要求しておこう。とりあえず武器の受領に行くぞ」
那智は山城以下、坂田と西谷、海保3曹、久野3曹ら一班の班員と板垣と共に武器を受領するための武器庫に向かう。
武器庫も独特な雰囲気だ。各人が自分のセットアップのまま銃を納められるよう一つ一つ縦長の収納箱になっていてその中に各人の銃器が納められている。
メインとなるのは空挺と同じ折曲銃床型の20式5.56mm小銃だ。二〇二〇年に制式化され、水陸機動団を中心に配備が始まったばかりの最新の自動小銃で、排水性等に優れ、各種アタッチメントの取り付けを容易にするレイルや側面と下面にはM-LOKと呼ばれる拡張スロットが設けられていた。
山城と板垣は、陸自で制式採用されていない7.62mm小銃Mk17だった。ベルギーFN社のSCAR-Hライフルをベースとした米特殊作戦軍で採用されているMk17は、20式小銃の設計にも影響を与えた、近未来的な外観の自動小銃だ。
「どうしてこんなものがあるんだ?」
「選抜射手用だ。この任務のためだけにFMSで取得した」
「へぇ」
坂田も西谷も珍しそうに見ている。国産やライセンス生産以外の小火器は自衛隊の一般部隊ではほとんどお目にかかることは無い。
「弱装弾を使う」
「64の?」
「いや、新規採用だ」
山城は自慢するようにMk17を見せつけ、槓桿を引いて薬室を点検して見せた。操作は20式小銃とほぼ同様だ。
「なら20式小銃じゃなくて416とかM4にしてくれりゃ良いのに」
「うちはあくまで一般部隊だ。そういうのが使いたけりゃあ特殊作戦群にでも行くんだな」
西谷のぼやきに山城が応じる。
さらに拳銃も受領した。陸自制式のSIG SAUER P220をライセンス生産した9mmけん銃の後継に採用された9mm拳銃SFP9で、これもまた20式小銃同様最新の装備だ。
SFP9を持って那智は顔をしかめた。ステンレス削り出しの自動拳銃は弾を込めれば一キロにもなり、予備弾倉も携行しなくてはならない。
「我々の任務は直接行動ですからね」
久野3曹が顔をしかめた那智を見て言った。拳銃はかつては護身用としての意味合いが強かったが、近年の戦闘やその戦場の環境から、拳銃は閉所戦闘や近接戦闘における攻撃用の武器としての価値が高まり、重視されるようになった。
このSFP9は銃身を交換され、減音器が取り付けられるようにカスタマイズされていた。そのため照門と照星もそれに対応したものに交換されている。
水陸機動団の偵察隊の隊員達は元々自分の使っていた小銃や拳銃をそのまま使う。
西谷の20式小銃はすでに私物の照準補助具やタクティカルライトなどの付属品が装備され閉所戦闘仕様にカスタマイズされていた。オプションとしてショートスコープも装備品にあるが、自分の使いやすいものを吟味して私費で購入しており、よくもまあ金をかけたものだと那智は感心する。
「重そうだな」
「これでもなるべく軽いの選んでるんですけどねぇ」
峻厳な北朝鮮の山々を克服して山地潜入するためにはやはり一グラムでも軽くしておきたいものだ。
「グレネードランチャーを持ちたい者」
そんな会話をしている中で山城1曹が40mm擲弾発射機を持ってきたものだから誰も良い顔はしなかった。40mm擲弾発射機はイタリアのGLX-160グレネードランチャーは20式小銃の被筒部下部に取り付けて運用される。決して軽い装備ではないが、火力の限られる少数精鋭の部隊には貴重な武器だ。
坂田と西谷の視線が那智に向き、つられて海保3曹も向いた。
「那智3曹は分隊長だろうが。お前ら三人の中で持つ者を決めろ」
山城は呆れた顔をする。
「間接照準火器は西谷の専門だろ?」
「グレランと迫は一緒じゃないですよ……」
坂田の言葉に文句を言いながらも、元迫撃砲小隊の西谷は渋々擲弾発射機を受け取った。
「わー、外したのに元より重くなった……」
「良かったな、隊に貢献できるぞ」
「ういーす」
那智の皮肉に西谷はふざけた返事を返す。
「零点規制に行くぞ」
全員が銃を取ると山城が呼びかけた。銃自体の個癖と個人差があるため、照準を調整して自分に合わせなくてはならない。那智は私物の等倍率から四倍率に可変できるカナダELCAN社製のスペクターDR光学サイトを取り付け、高機動車に乗って射場へと移動した。
「ELCANって重くないですか?」
車中で海保3曹が聞いてきた。海保の20式小銃にはトリジコン社製の四倍率固定の戦闘光学照準器が装備されている。偵察隊の標準装備らしい。
「気に入ってるんだ」
「こっちの方が軽いですよ」
坂田は等倍率から六倍率まで可変可能なショートスコープを乗せている。至近距離射撃から狙撃までに対応した優れモノの私物だ。
「そっちは何となく視界が狭い気がして。まあ、各人に合った物を使用できるのがここの強みでもあるだろ?」
「まあ、そうですけど」
海保は肩を竦めた。
至近距離射撃から三百メートルの基本射撃に対応する屋内射場に到着すると水陸機動団の分隊が射撃を行っていて銃声が絶えず鳴り響いていた。
空いているレーンを借りる手続きをするとすぐに百発の小銃弾と百発の拳銃弾を受領し、準備する。
「ここは射撃のハードルが低いな」
「薬莢回収はありますよ?」
一般部隊で実弾射撃となると勤務員や射場の準備などに時間も人手もかかる。しかしレベルの高い隊員が集まっており、弾薬の各人管理も徹底できているため、射撃は非常にスムーズに行うことができた。
射座と呼ばれる射手が射撃を行うラインの後ろの待機位置で弾倉に三十発の5.56mm弾を詰める。
弾込めを終えて全員が射座に入り、山城の号令で各個に撃ち始める。那智も伏射ちの姿勢を取ると取り付けたELCANサイトを通して三百メートル先の的を狙った。
ELCANサイトはワンタッチで等倍率と四倍率に切り替えが可能で、遠い目標を狙う際は四倍率にして狙う。普段の三百メートル射撃では、サイトやスコープは乗せずに小銃の照門と照星を使い、焦点は照星に合わせるため的はぼやけて見える。四倍率ではっきり見える的に射撃する機会はなかなか無かった。
三発撃ってから射座に設置された弾着を表示するモニターを確認する。弾痕を見て、そのずれ分サイトを調整、三発撃ってサイトの調整を繰り返し、ELCANサイトの照準線を着弾点に近づけていく。
二十一発を射耗して零点規制に満足した那智は安全装置をかけた。板垣も射撃を終えて弾倉を銃から取り外すところだった。
「ゼロインはいいな?」
全員が射撃を止めたのを見て山城が確認した。それからは精密射撃の錬成射撃を残った弾薬で行った。三百メートル先の目標を狙ってとにかく正確に、可能な限り素早く五発撃ち込む。零点規制で弾倉に残った弾の他、受領した弾を撃ち終え、那智は再び安全装置をかけて薬室を点検し、弾が残っていないことを確認する。
「至近距離射撃の諸元を取ろう」
山城が言った。抜弾して銃を安全化すると射場構成を変えて五十メートル先に的を並べる。
二十五メートル離れた的に向けてコントロールドペアで二発ずつ撃ち込み、着弾点を確認する。二十五メートルの弾道は三百メートルと同じ狙点となるが、二十五メートルより近いと弾着は下になり、遠くなると弾着は上になるため至近距離射撃では着弾点がどれほどずれるのか把握しておく必要があった。
ある程度の諸元を取ると個人ごとに錬成射を行う。那智は人型のボール紙の標的の胸に二発、頭に一発のモザンビークドリルと呼ばれる射法で連続して弾を撃ち込んだ。
5.56mm弾は初速が速く貫徹力も高いが、その分マンストッピングパワー――銃弾が人間の心身に与える致死的な影響力――は7.62mm弾に劣る。実際、ソマリアではアドレナリンや麻薬を常用して痛覚が麻痺した敵が数発の銃弾を受けても倒れることなく反撃してきた事例もある。確実に敵の動きを止めるため、バイタルゾーンにダブルタップ(間を置かずに単射で二発発射すること)で二発撃ち込み、頭を撃って確実に制圧するモザンビークドリルのように少し多めに弾丸を浴びせるくらいが良いのだと那智は持論を持っている。
那智の隣ではEOTech社製のEXPS3-0ホロサイトを乗せた20式小銃でダブルタップを二回ずつ行い、一つの的に四発撃ち込む隊員がいた。その隊員はやや離れた位置にある二つの的に向かって歩きながら正確に弾丸を浴びせていた。最後は撃ち尽くした20式小銃をスリングに預けて背中に回し、9mm拳銃SFP9を抜いて至近距離から撃ち込む。洗礼された動きに那智が魅入られているとその隊員が待機線へと戻って来た。野中3曹だった。
身長は女性にしては高い方だが、屈強な男達に囲まれているせいかやはり小さく見える。野中は那智の視線に気がつくとオレンジのシューティンググラス越しに目を細めた。
「なにか?」
野中の抑揚のない冷たい声に那智はびくりとした。
「いえ。失礼しました」
咄嗟に謝って自分の武器をチェックする。野中はちょうど撃ち終わったようで武器を片づけて去っていった。
「今、気が立ってるんだ」
近くに立って山城が囁いた。那智は何となく察して頷いた。
各人が錬成射を終えると薬莢の散らばる射座を後にした。驚くことに薬莢回収はしないらしい。どれだけ自分の銃で射撃したのかを射場出入り口の端末に入力して薬室の点検を係に受けて射場を出ると高機動車に乗り込み、再び隊舎へと戻る。
途中、頭上をUH-60JA多用途ヘリがパスしていった。陸自のUH-60JAには標準装備されていない空中給油プローブが取り付けられている。この名護駐屯地では偵察分遣隊以外にも作戦に投入される部隊が訓練を行っていた。沖縄は気候こそ北朝鮮と違えど訓練環境は非常に充実していた。