第三章 その9「脱出」
韓国ソウル特別市鍾路区 在韓日本国大使館前
自衛隊目的地派遣群の誘導輸送隊は、二百名の日本人が助けを待つソウルの在韓日本国大使館に何とか到着した。大使館前にはソウル市警の警察官達が警戒に当たり、多くの日本人が集まっていて助けを呼びかけ、道路にも座り込んでいた。
敵の攻撃を受けないよう、六十キロ以上の速度で陸上自衛隊の車列が在韓日本国大使館前の栗谷路通りに入ってくると、市民たちは顔を上げる。警察官達は緊張した様子で手に持った銃器を構えた。
誘導輸送隊の車輛は大使館前で急ブレーキをかけて止まるや否や周囲の安全を確保するために隊員達を吐き出す。
車輛を飛び出した自衛隊員達は小銃や機関銃を持って周囲の交差点を封鎖し、突入してくる自爆車輛を阻止するために84mm無反動砲M3を持った隊員を配置した。
「北側、Y道(栗谷路)三叉路を確保」
「C道(鍾路)方向を警戒しろ!」
「急げ、急げ!」
警察官達は到着したのが自衛隊と韓国軍だと分かると安堵した様子だった。
「日本隊です。周辺の状況は分かりますか?」
韓国語に精通する連絡幹部が警察官に尋ねた。
「三十分ほど前に鍾路方向側で銃撃があった。警察官に負傷者が出て、憲兵が向かったがその後の続報は無い。もうゲリラがどこにいるのか分からない」
韓国の警察官は緊迫した表情で訴えた。
「分かりました。ここまでありがとうございました。あとは我々が」
「職務ですから」
警察官は撤収の準備にかかった。その時、西側で爆発音が聞こえた。乾いた破裂音と悲鳴が聞こえる。脅威から逃れようと一般の韓国人たちが北側から南側に向かって逃げている。
「今のは近いぞ」
「急いで民間人を乗せろ」
栗原は外務省の職員と共に大使館内に入り、大使の元へ向かった。大使館内は避難のために職員も邦人も騒然となっており、ごった返していた。柚原大使はすでにロビーまで降りていた。
「柚原大使、これより大使館を脱出します」
防弾チョッキに戦闘ヘルメットを被って同行していた外務省職員が声をかけた。
「分かりました。用意できたバスは四台。最大五十名から五十五名が乗り込める大型バスです。大使館側の撤退の準備は出来ています」
在韓日本国大使館が準備したバスなどにここに集まった邦人達が乗せられる。柚原大使とその秘書官らは輸送防護車に乗り込んだ。
「あと何分かかる!?」
大型バスに民間人を誘導する陸曹長に栗原は声を張った。
「十分ほどです!」
「かかり過ぎだ、五分でやれ!」
陸曹長は難題に顔を強張らせながらも自分の部下達に指示を飛ばし、日本人の乗車を急がせた。
「栗原1尉!」
伊坂准尉が栗原の元へ走って来た。
「インチョンからスキャンイーグルが上がりました。現在、大使館上空に向かっています」
「分かった。この周辺とECCまでの経路を確認させてくれ」
「分かりました」
その時、突然銃声らしき破裂音が少し離れた場所で鳴り響いた。すぐさま防弾盾を持った中央即応連隊の隊員達が盾を掲げ、バスに向かう邦人の列の横に整然と並び、盾になるよう布陣する。
「防護陣形!」
「警戒しろ!弾一発、民間人に通すな!」
空挺隊員達もいざとなれば防弾チョッキを着た体を使って日本人を守る覚悟だった。破裂音は徐々に近づいているようで、ビルに反響していた。
『11、こちら16!東側から銃撃を受けた!』
さらに銃声が響く。日本人達は怯えながらもバスに乗り込んでいき、自衛官達は殺気の籠った緊張感で警戒していた。
日本人の中には女子供ももちろん含まれている。まだ幼い乳幼児を連れた夫婦もいた。皆、怯え切っている。
「16、こちら11。状況送れ」
栗原は防弾チョッキの上から着たベストの肩に付けたPTTスイッチを押し込み、ヘルメットの下に被ったヘッドセットのマイクに吹き込んだ。
『こちら16、道路を渡っていた民間人が射撃を受けました!警官隊が応戦中。ゲリラと思われる武装集団がこちらに近づいている模様!規模一個分隊!送れ!』
無線の奥からも乾いた銃声が聞こえてくる。銃撃は確実に大使館に近づいていた。
「11、了解。武器使用は各人の判断。ただし合理的に必要と判断される限度だ、武器使用規定を厳守、射線に注意。送れ」
『16、了解』
大使館のある通りに三叉路で繋がった栗谷路を封鎖するために配置についた軽装甲機動車の周囲に展開した隊員達が応戦した。軽装甲機動車の7.62mm機関銃M240もバースト射撃を行い、通りの建物に銃声が反響して響き渡る。
いよいよ危険な状況になってきた。韓国軍の兵士達はしきりに無線でやり取りしている。
「16の応援に向かえ」
小銃班を率いる滝沢2曹に栗原は指示を出した。滝沢2曹は部下を五名連れて16班のいる軽装甲機動車の方向へ向かう。
まだ見ぬ敵影に防弾盾を掲げて日本人を守る自衛官たちは緊張していた。
「離脱経路も安全とは限らない。全員、集中しろ」
「中隊長、民間人搭乗完了です」
「離脱するぞ!」
軽装甲機動車を先頭に部隊は離脱を開始した。敵を食い止めている16班と応援に向かった滝沢2曹らも軽装甲機動車と回収に駆けつけた高機動車に乗り込み、離脱する。
栗原は輸送防護車の車内で無線機の制御器画面を睨みつけていた。最短で安全な経路を通ってインチョンまで離脱しなければならない。
バスの運転手は自衛官が担当し、添乗員の代わりにさらに二名の自衛官がバスに乗り込んだ。しかし、バスは防弾されておらず、無防備な上に日本人を乗せている。銃撃戦に巻き込まれればひとたまりもなかった。
日本人全員に渡すほどの防弾チョッキもない。カーテンを閉めさせ、可能な限り姿勢を低く保つよう隊員達は指示する。
「13、14、こちら11。先導車は速度を増せ。先行して安全化しろ」
『13、了解』
無線では絶えず緊迫したやり取りが続いていた。
韓国軍のヘリコプターが一機、ソウル市内で撃墜されたという一報も入った。北のゲリラは携帯地対空ミサイルまで持ち込んでいる。キムポ空港周辺のゲリラ活動は活発化しており、ECCをインチョン空港まで撤退させたのは正解だった。
『11、こちら13。左車線路肩に不審車両……あっ!』
突然、栗原を呼ぶ無線が流れたと思うと途切れた。遅れて爆発音が外から聞こえた。
『11、こちら14!13が攻撃を受けた!現在、応戦中』
無線に響く声の背後には機関銃を連射する音が響き渡っている。その銃声が遅れて栗原達の進む通りにも届いた。
「14、敵情送れ!」
『11、こちら13!IEDと思われる攻撃を受けた。機関銃手、善家3曹死亡!車輛行動不能!敵は五名、右側の店舗二階から小火器による銃撃を受けている!』
恐れていた事態が起きた。敵の待ち伏せだ。栗原は無線を聞きながら端末を操作し、ナビゲーションにしていた地図を確認して13と14の現在地を確認する。各車が広帯域多目的無線機を搭載しており、GPSによって自己位置を共有していた。13と14の高機動車を示すマーカーはこの先の通りで停止している。
「止まるな、走らせ続けろ!」
中央即応連隊の高谷2曹が声を張り上げた。速度を落としたり停車すればたちまち標的になる。速度を発揮して離脱するしかない。
「各車、速度増せ!銃手は接敵に備えろ!」
銃塔から顔を出した機関銃手が身構える。栗原は身を乗り出して運転席から正面を見た。
輸送防護車の前を走る軽装甲機動車の先に黒煙が上がっているのが見えた。何かが光っている、と思った瞬間、フロントガラスで何かが弾けた。
「銃撃を受けてます!」
銃手が叫んだ。
「自衛戦闘、応戦しろ!友軍相撃に注意!」
次の瞬間、銃手は7.62mm機関銃を連射した。前方を走る軽装甲機動車も機関銃で応戦しながら突き進む。
「RPG!」
車長席に座った1曹が怒鳴った。正面に展開するゲリラが対戦車擲弾を発射した。擲弾が車体のすぐそばをすり抜けて背後の建物の壁を直撃する。
「味方が応戦しています!」
IED攻撃を受けた13の軽装甲機動車とそれに巻き込まれた14の高機動車の隊員達が車を降りて応戦していた。止まって彼らを救い出したい。しかし栗原達の後ろには非装甲のバスなどの車輛が続いている。動きを拘束されればひとたまりもない。
「突っ切れ!」
応戦する隊員達の脇をすり抜け、その場を離脱する。輸送防護車の車体を銃弾が叩き、車体側面の車輛工具が破損するバキンという音が聞こえた。栗原は、連絡幹部の肩を叩いた。
「韓国軍及び警察、米軍にも救援を要請しろ」
非戦闘員を守るためにも護衛部隊からの救出部隊の抽出は最小限にしなくてはならなかった。
全車が敵のキルゾーンを離脱した。すぐさま被害を確認する。
前方を走る12の軽装甲機動車の銃手が銃撃を受けて負傷したと報告がすぐさま入る。顔面を撃たれており、重傷だと車長が無線に叫んでいた。
銃手は防盾で防護されているが、その防盾の隙間からさらに防弾チョッキなどで防護されていない顔面を撃たれたようだ。
銃撃は恐ろしいことにバスにも及んでいた。バスの民間人にも負傷者が出ていた。銃弾を直接受けた者はいなかったが、ガラスが割れて怪我をした者もいる。バスの操縦手も一名が撃たれていたが、運転を続けていた。
もし止まっていれば、と思うと栗原はぞっとした。車列は可能な限りの速度を出してインチョン空港を目指して進んでいた。何輛か直ちに反転させ、取り残された隊員達を回収しなくてはならない。その時だった。
目の前の通りを米海兵隊のM-ATV装甲防護機動車が先導する車列が通りかかった。車列にはM-ATVの他、HMMWV高機動汎用車やMTVR大型トラック、医療用コンテナを搭載したLVSR大型輸送車がいて、二十輛以上の大部隊だ。栗原は咄嗟に緊急用の周波数に切り替える。
「こちら日本国陸上自衛隊、米海兵隊部隊。応答願う」
『こちら第3海兵遠征軍第4海兵連隊、ヴァロー41。現在NEO任務遂行中。インチョン国際空港に向かっている。送れ』
「ヴァロー41、こちら……」
「ジュリエット77」伊坂が国際任務部隊用の符丁を栗原に伝える。
「ジュリエット77。装甲車六、車両三、輸送車両四の車輛部隊。今こちらの前をヴァロー41が通り過ぎた。ジュリエット77は先導車が伏撃を受け行動不能に陥ったため、これより救助に向かう。非戦闘員輸送の支援を要請する。オーバー」
無線はしばらく沈黙した。
『……こちらヴァロー41、了解。減速し、合流を待つ。非戦闘員の車輛を車列に加えられたし。オーバー』
「了解、終わり」
栗原が直接米海兵隊と調整する中、栗原の部下達は各車に伝達し、準備を整えさせていた。
高機動車三輛と軽装甲機動車、輸送防護車を一輛ずつ、大使館を脱出したバスの護衛として海兵隊に続行させ、他は13、14の隊員達十一名の救出に向かうべく隊列を整える。先導する韓国軍は、救出に向かう隊列に自ら加わった。
合流のために向かうと米海兵隊は速度を落として前進を続けていた。止まればたちまち標的になる。海兵隊の各車から顔を出した銃手達は隙無く武器を四周に向けている。
『こちらヴァロー41。非戦闘員はECCインチョンへ輸送する。ジュリエット77、幸運を祈る』
海兵隊の車列はバスや自衛隊車輛を車列に加えると再び速度を増した。
「了解。よろしく頼む」
栗原は無線の周波数を自隊のものに切り替える。現状を伝えると高橋1佐が直接無線に応答した。
『栗原1尉。何とか全員を連れ帰ってほしい。だが、無茶はするな』
無線で個人の名前を言うのは無線規則に反したが、高橋の思いが伝わってきた。
「了解」
栗原は高橋の言葉に短く応答し、部下達を全員連れ帰ることを改めて決意した。




