第三章 その2「為政者達の戦い」
『たった今、入ったニュースによりますと本日十時過ぎ、韓国と北朝鮮国境付近で大規模な戦闘が起こった模様です。韓国軍の基地などが攻撃を受け、多数の被害が発生しています』
『ソウル市内には爆発音が鳴り響いています。これは南北非武装地帯沿いの北朝鮮軍火砲陣地からの砲撃と見られ、市民に多数の死傷者が出ています。現在ソウルはまさしく戦場となっています』
テレビは朝鮮半島の有事に関する内容で埋め尽くされていた。SNS等のインターネットを通じて韓国の惨状は瞬く間に世界中に広まっており、政府の関係機関には在韓邦人の安否を問い合わせる電話が殺到し、一部の学校は臨時休校となった。
自衛隊の基地や駐屯地も厳戒態勢に移行。休暇中だった自衛官は全員非常呼集を受けて呼び戻された。
多くの日本人達がテレビやスマートフォンにくぎ付けになっていたが、都民の生活はほとんど平常通りだった。彼らの関心はなによりも韓国国内にいる日本人の安否だった。
『現在韓国国内には三万人弱の日本人が滞在しており、朝鮮半島情勢の悪化に伴い、在外邦人等の保護措置のため、自衛隊による輸送が行われていましたが、日本人や自衛隊が戦闘に巻き込まれたとの情報は未だに入っていません』
自衛隊による在外邦人等保護は、不幸にも間に合わず、さらには自衛隊が韓国国内で戦闘に巻き込まれる可能性を孕んだ最悪な事態となっていた。
官房長官はすぐさま記者会見を開き、政府の対応について説明した。
「このたびの北朝鮮による韓国への侵攻は、国際平和を脅かし、我が国の平和及び安全に重要な影響を与える事態であり、政府は、我が国と密接な関係にある韓国に対する武力攻撃、及び我が国に対する外部からの武力攻撃が発生する明白な危険が切迫し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命と財産に明白な危険がある事態と受け止め、我が国を防衛するため必要があると認め、自衛隊に対し防衛出動を命令しました」
官房長官のその言葉に、記者達は文字通り、熱狂した。
「自衛隊を韓国に派遣するのですか!」
「日本人の安否は確認できているんですか!」
殺到する質問に、山岸官房長官は一つ一つ慎重に答えた。
「現在、邦人等保護のために派遣されている自衛隊の部隊に関しては、当初の任務の完遂を持って韓国国内から撤収させます。韓国政府、米国政府と協議を進めていますが、邦人等保護以外の自衛隊の派遣は検討していません。しかしながら、その他、弾道ミサイル攻撃に対する自衛隊の対応については、今後の自衛隊の活動に支障を来す可能性があるため、現段階では明らかにすることは出来ません」
「現在、外務省は現地大使館などと連絡をとり、在韓邦人の安全を確認中です。韓国政府とも情報を共有し、全力で対応に当たります」
記者会見の予定時間を過ぎても記者からの質問の嵐は止まることを知らず、官房長官は対応のために質問を打ち切って足早に記者会見室を後にした。
官邸内閣危機管理センターには武力攻撃事態及び存立危機事態が認定され、この事態に対処する事態対策本部が設置されており、対策本部長である総理大臣以下、国家安全保障会議のメンバーが集まっていた。
「与野党からの非難は必至です。法制上、自衛隊は直ちに撤収する必要があります」
そう言ったのは、長谷部法務大臣だった。
自衛隊法第84条の規定では、自衛隊の任務として在外邦人又は外国人の輸送を行うことができることを定めており、緊急事態が発生し外務大臣から防衛大臣に輸送の依頼があった場合に、輸送の安全について外務大臣と協議し、これが確保されていると認めるときは、邦人等の輸送を行うことができる、とされており、事実上、安全が確保されている平時の活動に限られていた。
「今はそんなことを議論している場合じゃないだろう。自衛隊だけじゃない。日本人も戦火に巻き込まれているんだ」
池谷副総理が唾を飛ばして怒鳴った。SNSで拡散されている画像や映像には、現地の日本人の様子もあった。空港で、自衛官達が盾を掲げて、流れ弾で割れ、降り注いでくるガラス片から日本人を守る様子やけが人が運び込まれる様子、子供を守ろうと、それを抱きしめてうずくまる母親の姿があった。現地は一刻の猶予もない状況に追い込まれている。
「こうなってしまっては防衛出動の下、超法規的措置として自衛隊による救出を続行させるほか、ありません」
河本外務大臣は須藤を横目で一瞬窺いながら言った。その時、官邸内閣危機管理センター内にアナウンスが流れた。
『全国瞬時警報システム発動。北朝鮮、トンチャンリ基地付近より弾道ミサイルが発射されたとの情報。現在、自衛隊が情報収集及び迎撃対応中』
「ここは大丈夫なのか」
長谷部が誰にとも言わず呟いた。
「対策本部を、防衛省に移した方がいいんじゃないか」
市ヶ谷の防衛省地下には自衛隊中央指揮所が存在する。シェルターとしての機能を持っており、被災により官邸が機能を喪失した場合は、この中央指揮所に事態対策本部が設置され、関係各所への指揮に使用される。
「国民に政府が自衛隊を信頼していないと思われたくない」
高嶋の言葉に大臣達は閉口した。常時破壊措置命令により、海空自衛隊は迎撃態勢を維持しており、朝鮮戦争が再開した今、北朝鮮の弾道ミサイルは日本に着弾するかに関わらず、すべて破壊することが決定され、すでに命令が下されている。
「先ほど、発射が確認された弾道ミサイルですが、数については二発と思われます。ほぼ同時発射だった模様です。現在、落下が予想される地域にJアラート警報を発動しています」
須藤が言った。その須藤に防衛大臣政務官がメモを渡す。
「訂正します。先ほど発射された弾道ミサイルの数は二。海上自衛隊のイージス艦が迎撃を行い、二発を撃墜した模様です。Jアラートについては解除される見込みです」
「おお……」
大臣達からもどよめきが上がる。
「米軍がすでに北朝鮮を攻撃しているんじゃなかったのか」
「米軍が行ったファーストストライクで、北朝鮮の主要な発射場や飛行場、その他軍事施設はほぼ壊滅しています。恐らく発射されたのは移動式発射車両によるものと思われます」
日本海に展開する空母打撃群とグアムを離陸した爆撃機、嘉手納から飛び立った戦闘機が北朝鮮に対する反撃を開戦から一時間以内に実施していた。三時間に及ぶ爆撃で、米国本土に脅威となるICBMの発射場等は壊滅している。
しかし未だに韓国本土にはスカッドなどの短距離弾道ミサイルが打ち込まれており、現在も米軍による掃討作戦が行われていた。
「北朝鮮国内で実行されている作戦の進捗状況を報告します」
スクリーンは悲惨な韓国国内の画像やニュース映像から無機質な朝鮮半島の電子地図に変わった。
「弾道ミサイル捜索破壊及び拉致被害者救出作戦を1013時に開始しました。主要なミサイル発射基地に関しては米軍の巡航ミサイル及び航空攻撃で1200時までにすべて破壊。また米軍を含めた捜索部隊が発見した移動式発射車両五機も航空攻撃で破壊されています。しかしながら移動式発射車両は他にも約五十機あると見積もられており、依然捜索中です」
米国は北朝鮮が南侵を開始すると、海上封鎖を行っていた第七艦隊の空母打撃群に対し、即座に攻撃命令を下していた。わずか二時間で主要なミサイル発射基地や航空基地は破壊されている。そして米軍に今のところ、損害は無かった。
策源地攻撃部隊の情報も表示される。航空自衛隊の第303飛行隊、第306飛行隊、第6飛行隊、第8飛行隊、第301飛行隊、第302飛行隊、第201飛行隊及び早期警戒管制機、空中給油機、電子戦機が日本海に展開。米軍と共に空爆や爆撃機のエスコートを開始していた。
北朝鮮に潜入した特殊作戦群及び第一空挺団、水陸機動団、海自特別警備隊の各偵察小隊も目標の捜索や攻撃誘導などの任務を遂行中だ。
「拉致被害者の救出は?」
「現在情報を集約中ですが、大きな問題は今のところ報告されていません」
「北朝鮮での作戦は今のところ、想定の範疇ということだな?」
「その通りです」須藤はそういうと新しい資料を開いて説明を続けた。
「RJNOですが、現在ソウルを中心とした各地で北朝鮮の特殊戦部隊がゲリラ戦を開始し、部隊は戦闘に巻き込まれています。現地の目的地派遣群の指揮官が武器使用許可を求めています」
「武器使用許可?」
長谷部が聞き返した。
「部隊と邦人輸送の安全を確保するための必要最小限度の武器使用です」
「韓国国内で自衛隊が銃撃戦を繰り広げるというのか。無茶な……」
池谷が呻く。韓国国内で自衛隊が戦闘を繰り広げるなど、悪夢だ。戦闘になれば自衛隊も無傷では済まないだろう。死傷者が出ることは覚悟しなくてはならない。
「現地指揮官の判断を信じよう。邦人を救出できず、戦火の犠牲にしてしまえば拉致被害者を奪還できたとしても意味がない」
「韓国政府が渋らなければとっくに救出は出来ていたんだ。今韓国政府は何をやっているんだ!」
「今韓国政府を批判したところで意味はない!超法規的措置となる自衛隊による邦人等保護の安全の確保を最優先するべきだ。諸外国の協力を仰げ」
高嶋は大臣達を一喝した。外務省や防衛省の官僚達が議論する中、次々に情報が入ってくる。
「オーストラリア軍が自国民保護のため、韓国入りするとの情報があります」
「イギリスが軍の派遣を検討中です。日本に前進基地となる空港の提供を要請しています」
「フランスが海軍艦艇の派遣を決定。強襲揚陸艦を含む艦隊を太平洋に派遣します」
高嶋は再び表示されたニュースの映像を見つめた。ソウル市内だけでなく、韓国の各都市で黒煙の柱が立ち昇っている。あの戦火の中に助けを待つ日本人たちがいることを思うと、高嶋は胸を締め付けられる思いだった。




