第三章 「混乱の序章」
航空自衛隊のC-130H輸送機が、韓国インチョン国際空港へと降り立った。
このインチョンには在外邦人等保護のため、日本と米国共同の退避統制センターが設けられ、民間機とは別にそれぞれの邦人の退避輸送が行われようとしていた。
中央即応連隊の目的地派遣群とそれを支援する第1空挺団第3普通科大隊第7中隊の隊員達は、完全武装してインチョン空港に集まった邦人を警護していた。ここインチョンには軽装甲機動車四輛と中央即応連隊の誘導輸送隊の輸送防護車二輛が持ち込まれていた。最大の武器は84mm無反動砲で、誘導弾などは無い。持ち込めた弾薬も多いとは言えなかった。
インチョン空港の周囲は、国外へ脱出しようとする外国人だけでなく、韓国人も押し寄せており、警察と軍が展開して規制を行っていた。サイレンが鳴り響き、喧噪がターミナルビル内にも聞こえてくる緊迫した状況だ。
空挺第7中隊の隊員達は、物々しいインチョン空港の空気に呑まれながらも、集まった邦人の誘導に当たっていた。
「中央即応連隊の連中は流石に慣れているな」
空挺第7中隊長の栗原1尉は、ターミナルビル内のECC内で指揮を執っていた。
「そうですね。我々の任務はいかに彼らをサポートするかにあります」
先任陸曹の伊坂曹長が頷く。
ECCで説明を受けていた日本人たちが誘導隊の隊員達に誘導されて、エプロンへと向かった。手荷物は10キロ以下。盲導犬等を除くペットは連れて行けない。
今誘導されているのは日本人学校の関係者だ。女子供が優先されているが、集まった日本人達からは非難や抗議もなく、人々のほとんどは皆、パニックに陥る事なく冷静を保っていた。彼らの顔に不安の色は濃く残るも、決して狼狽える事はなかった。
先の災害に際しても目撃されたが、このような時の日本人の高い自制心と連帯は、しっかりと機能している事実を改めて知らされる。
ただし中には外務省による渡航規制の中、観光に訪れていたような観光客もおり、彼らは民間機への搭乗を要求する等、自衛官達をいらつかせていた。それに対応する大使館の職員らに栗原は思わず同情する。
エプロンでエンジンを回す青灰色の航空自衛隊のC-130H輸送機までの導線には、防弾の盾を持った完全武装の中央即応連隊の隊員達が立ち、輸送機の周囲にも陸自と空自の隊員達が小銃を持って警備している。
誘導隊の隊員に先導された日本人達が列を作って、彼らの間を抜けてC-130H輸送機に乗り込んでいく。日本人を乗せて後部のランプドアを閉じたC-130H輸送機はすぐさま離陸のために地上滑走路を開始した。
先ほど着陸したC-130H輸送機が、邦人を乗せたC-130Hのいた駐機スポットに進んで空自の隊員の誘導で停止する。その駐機スポットが数ある中で唯一日本に使用許可が下りた駐機スポットだった。
「第四便だ。急げ」
「それでは誘導します!」
続いて待機していた日本人達が誘導隊と共にエプロンに向かう。
「次に着陸するのはC-2です」
連絡役の空自の隊員が告げる。空自の隊員達も作業服の上に鉄帽を被り、防弾チョッキを身に付けていた。
「了解」
C-130もC-2も搭乗要領は変わらないが、搭乗できる人員の数が、C-130は92名、C-2は110名で違う。同行する自衛官や外務省等の職員もいるが、可能な限り邦人を乗せる必要があった。
しかし、その時、エプロンに韓国軍のヘリコプターが着陸し、車輛が集結し始めた。兵士達が車輛を降りて周囲に散っていく。
「あれは?」
「分かりません。連絡幹部に確認させます」
伊坂はその場を飛び出していった。すでに到着していたC-130輸送機へ向かおうとしていた邦人達は、エプロンからターミナルビルへと追い返された。
「どういうことですか?」
やってきた韓国軍のLOは栗原に緊迫した表情で説明した。
「DMZで、北朝鮮軍の侵攻の兆候があります。よって只今から、韓国内のすべての空港と港は、反撃基地として優先使用することとなりました」
続けて、邦人の輸送に協力はするが、いつの離陸になるかは後から伝える、と言うだけだった。
「まずいことになった」
栗原は直ちに中央即応連隊の目的地派遣群の指揮官である高橋1佐と話し合った。
「このままではここで足止めを食らう」
「米軍は?」
同じターミナルビル内で韓国軍のLOが米軍の士官に同じ内容を伝えていたが、米軍の士官は激しい口調で抗議している。
「C-2は上空待機しているのか?」
「はい、着陸許可が下りません」
空自の連絡幹部の顔にも焦りの表情があった。その間にもエプロンには韓国軍が次々に展開していた。
「大使館に連絡しろ」
すでに空港には千人近い日本人がおり、AA(集合場所)ではなく、このECCを目指す日本人もいる。このままインチョン空港に日本人を集める訳にはいかなくなった。
だが、事態は最悪の状況へと転がっていく。
現地時間1005時。邦人が集まった各空港や港で、ほぼ同時に、銃声が鳴り響いたのだ。
即座に小銃を構えて警戒態勢を取った自衛官達は、その光景を見て驚愕した。
韓国国旗を戦闘服に貼り付けた複数の韓国軍兵士が、味方のはずの兵士達に向けて自動小銃を乱射している。その人数は一人や二人ではなく、数十名だった。続く爆音でターミナルビル内に悲鳴が上がった。滑走路をタキシングしていた韓国軍の輸送機がオレンジの炎を上げて爆発したのだ。
その頃、北朝鮮警報室はさらなる緊急通報をチョンワデに送っていた。
「韓国軍の軍服や警察官の制服で偽装した偵察総局隷下の、少人数で編成された特殊戦部隊がソウル市内へ密かに浸透し、韓国の要人の暗殺や誘拐、重要防護施設や市街地に対するゲリラ作戦を開始した模様」
一度動き始めた北朝鮮軍の行動は迅速だった。さらに国境の地下に掘られた南侵トンネルから潜入した北朝鮮軍特殊部隊が浸透を開始。オサン空軍基地が襲撃を受け、韓国軍と在韓米軍の前線基地が壊滅。さらにDMZ沿いの野戦火砲部隊の射撃が開始され、ソウルに砲弾が降り注ぐ。ソウルは大混乱に陥った。




